2年2組、出席番号1番、葦名銀。帰宅部の図書委員。10月の中間考査では学年17位。あいつに用がある時は、大抵教室の隅の方、3人で話している小さな塊を探せば見つかる。癖のない黒髪、気怠そうな二重。綺麗な顔してんのに、愛想がないから一部からは怖がられてる。

ただ、葦名は別に怖くない。悪い奴なんかじゃない。こだわりも物事に対する熱量も控えめだけれど、義理堅くて、誠実だ。毎月の図書だよりは適当にこなせばいいのに、先生に悪いからときちんと取り組んでいる。図書委員の当番だって、皆早く帰りたいからと昼休みの時間を志願する奴が多い中で、葦名は1人、放課後の時間を希望していた。

そこに深い意味も理由もないのかもしれないけれど、だからこそ、それが葦名の本質だと俺は思う。そこが葦名のいい所で、好かれる所。たまに廊下で見かける時、一緒にいる奴らは楽しそうに笑っているし、葦名も一見分かりづらいけど穏やかな顔をしてる。いい奴なんだ、本当に。
二人一組を作る時、葦名に声をかけてくる奴らはきっといる。でも、葦名はどちらも選ばない。おまえらがペアになれよって、いつもの鬱陶しそうな顔でそう言う。実際体育では先生とペアになってたし。


『あー?俺もおまえと一緒だよ。誰でもいいんだよ。だったら余るのは俺みたいな奴のほうがいいだろが』


葦名は1人になることはないけれど、誰かと一緒にいることに対するこだわりを持っていない。気怠そうでゆるくて、こだわりがなくて自由で。そのくせ義理堅くて真面目。

それが、この半年間で知った葦名のすべて。


そうだ。こういう奴だから、俺が本当に言いたいことを見逃すようなことはしない。

「勘弁してよ」なんて言っても、葦名は勘弁してくれない。
いつもの図書室、葦名の澄んだ夜空のような黒い瞳が、俺をじっと見ている。

なんでおまえ、こんな話、嫌じゃねぇの。先週の金曜日、何も考えずにこぼれ落ちた『愛おしい』という自分の言葉。ほんの少しでも葦名に気付いてほしくて、笑い飛ばされたくなくて、『適当じゃない』って言ってしまったけど、こんなの、なかったことにするのが一番平和で、一番いいに決まってる。葦名に拒否されたら、俺たぶん、立ってられない。


「むり、俺、おまえとはずっとこうがいい」
「ならあんなこと言うなよ」
「あれは間違えただけ、まじで。何も考えてなかった」
「ばかじゃねぇの。何も考えずに出てくるのが本心だろ」


呆れたようにため息を吐く葦名はいつも通りで。いつも図書室で話している時と全く態度が変わらない。本当に、まじで、なんなの。


「分かったよ。なら違う話するか。言えると思ったら言えよ」
「いやそれ結局俺言うことになるじゃん、意味ないだろそれ」
「おまえなんで図書委員入ったの。1年の時入ってなかったろ」


話聞けよ。そう言っても、葦名は知らん顔。腹が立つ。


「……去年の図書室だより見て、」


図書室前の掲示板に貼られている図書室だより。3カ月に1回の頻度で、いつも1人だけ、馬鹿真面目に原稿いっぱいに文字を書いている奴がいたから。字が綺麗で、なんなら名前もちょっと格好良くて、同じ1年ということを知って。どんな奴だろうって、そう思ったのがきっかけ。


「話すきっかけ欲しくて、だから図書委員に入った。想像通りの律儀な男でちょっと可笑しかったけど。でも想像以上に、おまえと話すのは楽しかったよ。俺ら似てるように見えて全然ちがうから、そういうの見つけるの、ちょっと好きだった」


ふと、頭の中に丹羽先生のことが浮かんだ。好きな作家の話をしている時の先生は、その人のどこがどういう風に好きなのか、きっかけは何だったのか、息継ぎをする暇もなく、それは楽しそうに話をしてた。今の俺、たぶんあの時の先生みたいな感じだと思う。葦名のことを話し始めたら、自分でも止め方が分からなくなってきた。


「今日の、日本史のグループワークな。図書室行こうって言われたけど、別によくねって皆に言った。葦名とここで2人で話す時間が好きだから、この空間は俺だけのものにしたかった。それと、この席。最初に右がいいって言ったのは、完全な下心」


おまえは知らないだろうけど、俺はもう随分前から、葦名の名前を知ってた。2年に進級して、クラス発表が貼りだされた時、2年2組におまえの名前があったことにも気づいてた。始業式で、俺達こうやって横に並んでたんだぜ。葦名の顔をみたのはその時が初めてで、その横顔が、俺の心のどこかに引っかかったみたいだった。


「右隣から、葦名の横顔を見た時の感動がな。どうにも忘れられなくて。だから、いまここに座ってんの」


この半年、週に一回の2時間5分の間。おまえと話して、おまえのことを知っていくたびに、心が揺れた。いいなぁと思うところがたくさんあった。いつもは口が悪いくせに、俺が元気なさそうにしてるとほんの少し柔らかい口調になるところ。先生が重たい本を運んでいるとすぐに代わりを申し出るところ。数えだしたらキリがない。


「誰かといることにこだわりを持たないおまえが、俺と一緒にいたいって、そう思ってくれたらいいのにって、気付いたらそんなことばっか考えてて。ほんとに、まいるよ」


いつもの笑顔、それでさえ、いまは顔に貼り付けるのが難しい。喉の奥がじんわり熱くて、腹の底が冷たくなるような、そんな感じだった。怖くて、唇が震える。こんな醜態をさらすくらいなら、あんなこと、言わなければよかった。知らなかった、人に自分の気持ちを伝えるのがこんなに怖いことだなんて。……いや、たぶん違う。俺は、本当はずっと知りたかった。こうなることを、もっと早くに知りたかった。葦名に俺の気持ちを、聞いてもらいたかった。



「好きだ、葦名」



俺は、おまえに、俺を選んでほしかった。