「仕事はだいじですよ? ずっと海外勤務を夢見ていました。でも、大好きな彼とはやっぱり離れられなくて……どっちかなんて、選べません」

 私が言い終わったところで、羊はものすごい鼻息を飛ばした。
 紗月の次は、このわけのわからない羊おばさん。
 私の悩みなのに、なんだってふたりはイライラしているわけ?

「あーっ、もうっ! なんてもどかしいんだろう。これは黙ってようかと思ってたんだが、あんたに安眠妨害されるのはもう懲り懲りさ。はっきり見せないとわからないんだね。いいかげん、目を覚ましなよ。ほらっ!」

 あごをぐいっとさせて羊が示した先に、彼の姿が見えた。

 今夜は得意先の接待なんだよ、送られてきたLINEに、たいへんだね、残業つづきなのに、そう返信したのは、お昼のこと。
 なのに、どういうことだろう。
 誰かの部屋に彼はいる。
 真っ赤なソファーに座っている。
 エプロンをつけた女性が、料理をはこんできた……。

「えっ? なんですかこれ……」

「あいつの家さ。同棲ってやつだね。じきに結婚するようだよ」

 彼の自宅に招かれたことは一度もなかった。どこに住んでいるのかさえ詳しくは教えてくれないし、訊かなかった。
 残業や接待で忙しい彼へ、夜にこちらから連絡をしたことはない。
 
 それが私にとって、あたりまえだった。
 重い女にはなりたくなかった。
 ものわかりのいい彼女でいたかった。

 羊が見せてくれた彼は、赤いソファーで大好きな唐揚げを食べている。
 足には、イエローの、からし色みたいなスリッパ。
 見知らぬ女と、にこやかに笑っている。
 
 その光景を見ていられずに、私は羊のほうを向いた。

「彼には夢があって、会社を興すからお金が必要だって……」

「そんなの嘘嘘! あんた、ずいぶんと貢いでるようだね。あいつはあいつで、あの娘のほかにもクラブの女の子に入れ込んで、たんまり貢いでんのさ」

 私、毎月のお給料だって、貯金だって、いっぱいつぎ込んだ……彼の語る夢は、私の夢だから。
 なのに結婚間近の彼女がいて、ほかにも女が?

「……まさか、こんなはずないっ!」

 大声で言ったとたん、重力を感じた。

 羊も彼も宇宙も消えて、私は居酒屋の個室に座っている。
 


 ガラッと戸が開いて、紗月が入ってきた。

「洋子、なんか怒鳴ってなかった?」

「あ……ううん……」