後宮の大事件は、ある日の皇后陛下の一言から始まった。
「恋に落ちてしまったの、わたくし」
 頬を染めて可憐につぶやいた皇后に、慌てたのは侍女のソフィアだった。
「……皇后様、お声を低く。冗談でもそのようなことを口にしては」
「もう皇帝陛下にもお伝えしたわ」
「なんと……」
 ぴくりと眉を動かして動揺したソフィアに、皇后アナベルはいたずらっぽく笑う。
「ソフィアにはびっくりさせようと思って、黙っていただけなの」
 ソフィアはお仕え歴十五年の長さを持っていたが、それはそのまま皇后アナベルに振り回された時間でもあった。
 はちみつ色の肌に黄金の巻き毛、女神もかくあらんという神々しさをまとうアナベルは、生まれ持った美しさを華々しく開花させ、優雅に後宮に君臨していた。
 一方、ソフィアは黒髪に灰色の瞳で、この砂漠の国には珍しいような青白い肌を持っていた。少し暗い目つきが病弱にも誤解されるソフィアだったが、皇后陛下の無理難題を大いに遂行してきた堅実な侍女だった。
 正反対の二人だが、皇后アナベルは侍女のソフィアを一番に信頼し、ソフィアもアナベルに振り回されながらも仰ぎ見て暮らしてきた。
 ソフィアはじとっとした目つきで思案したが、すぐにひざまずいて言葉を返した。
「皇后様が仰るなら仕方ない。後片付けは私にお任せください」
「あなたのそういう切り替えの早いところ、わたくしは大好きよ」
 アナベルは満足そうにうなずいて、膝をついたソフィアの肩に手を振れる。
「では、ソフィア。あなたに命じます」
 アナベルは大輪の薔薇も霞むような笑みを浮かべて、ソフィアに命じる。
「新しい後宮と皇帝陛下をよろしくね」
「はっ!」
 ソフィアはうやうやしく一礼して、いつものようにしかと拝命してしまったのだった。