「お空、見て!」

 俺の声を合図に子どもたちは小石を積む手を止め、一斉に空を見上げた。
 鈍色の雲が割れ、向こうに青空が覗く。
 子供たちがもみじのような手を空に伸ばし、あどけない歓声が賽の河原に響き渡った。水面も青く澄み、キラキラと光を浴びて輝きはじめる。
 この場所はいつでも日ごろどんよりとした寂しい曇り空ばかりだから、こんな澄み渡る青空を皆、心待ちにしているのだ。生きていた時にみた雨のち晴れの空に似ていて、それだけで胸がすくような光景だ。
 すると広がる青空の周りにある雲が虹色のに輝き、するすると伸びて河原に垂れてきた。瑞兆の予感に俺はさらなる大声を張り上げた。

破流空(はるく)! 雲が降りてきた! 中にいる子たちにも声をかけてあげて」

 俺の呼びかけに背中によじ登ってきていた弟分を背負いなおし、少年は力強く大きく頷く。すぐさま後ろを振り振り返り、流木を積み上げた掘立小屋に向かって獅子の様に強く吠えた。

「雲が降りてきたぞーっ! みんな外に出ろ! 出発だ!」

 俺は彼のあまりにも凛々しいその声に胸が震え、思わずぽつりと呟いてしまった。

「あいつ、あんなに声を張れるようになったんだな。頼もしいな」

 自分はその場に棒立ちになって子供たちが河原に飛び出てくる姿を見守っていると、急に後ろからばーんと背中を張られた。ここは小石だらけで足場が悪い。よろめいたところをがっしり肩を組まれる。

「あいつの成長っぷりはなあ。てめぇのおかげだろうが」
「青鬼!」

 青鬼はガハハと鋭い牙の生えた恐ろしい口元で笑った。 
 青鬼と初めて会った時、ガスの火のようにメラメラと輝く青い髪も、天を衝くごつごつした二本の角にぎょろぎょろとした目も、その異形の姿すべてが恐ろしかったものだ。今ではすっかり見慣れて、ぎょろりとした目に愛嬌する感じるようになってしまった。むしろ顔を見ると家族みたいにほっとする。この河原での俺のよき理解者だ。
 
「あの餓鬼、ここに来た時分は石も積み上げねぇわ、ワシらより先に他の餓鬼の積んだ石塔まで蹴り上げて壊すわ、とんだ性悪小鬼だったが、今じゃガキんちょどもの大将だな」

 この河原で出会ったばかりの頃、破流空は、現世で受けた心身の傷が消えておらず、顏は腫れあがり身体中に残ったタバコと思しき火傷の痕が酷く痛々しい姿だった。

 大人(おれ)のいうことは聞かない、他の子を苛める。
 満たされない心のまま死んでしまった魂は傷ついたままここにいた。

『俺は、親の為になんて、石は積まない!』

 破流空は掠れて引き攣れた声でそう吐き捨てて、石のつぶてを俺にも鬼にも投げつけてきた。
 その頃の俺といえば、この河原の子どもたちの生活(?)環境を整えようと必死だった。何も好き好んで親より先に死んだわけではない。それが罰だというのがどうにも納得行かなった。
 俺が時間をかけて鬼たちを説得して回って、子供らに自由時間を作って貰った。そんな子供らが皆で仲良く一緒に遊んでいると、遠くからじっとこちらの様子をうかがっているばかりだった。

 ここは現世とは時間の流れが違う。急に人が増えたり、減ったり。
 俺が自分一人では手が回らなくなった時に破流空に声をかけて子供らの面倒を一緒に見てくれと頼った。最初は「なんで俺が」何ていいながら反抗してきた破流空も長い時間をかけてだが、ぶっきらぼうながら手を貸してくれるようになったんだ。
 そうしているうちに他の子どもらにも慕われて、兄貴分になった破流空は一緒になって河原を駆け回っているうちに大きな声をはり上げて笑うようになった。

「あんたが辛抱強くかかわったから、あの餓鬼も変ったんだろうよ」
「青鬼……」
「変わった男だよ、お前は。みんな自分が生まれ変わるか天国に行くことに必死だってのによ。賽の河原に『みんなの遊び場』なんてものを作っちまって。自分の天国行きはいつだって二の次だ」
「それは青鬼が上を説得して、俺に手を貸してくれたからできたんだろ。俺一人じゃできなかった」
「おいおい、ワシを持ち上げても天国にゃあ、いけねぇぜ」
「本当の事だろ。それに俺はいいんだ。親より先に死んでここに来たのも、仕事にかまけて不摂生が祟っての心不全だったから。だけどあの子たちはまだまだ人生始まったばかりだろ。天国に行くにしろ、生まれ変わるにしろ、その前に心と身体の傷を癒して、沢山笑顔で過ごせるようになればいいなって思う」
「今だって、いい面してるぜ、あいつら」 

 青鬼が金棒で指さした先には、両手にも足にも子供らがまとわりついている破流空がいる。彼は仲間に囲まれて穏やかな笑顔を浮かべていた。その姿を見るとどうにも目頭が熱くなる。

 現世では結婚も子を持つこともなかった俺だ。目を覆いたくなるような子どもを巡るニュースを見ても、自分にできることなど一つもないと思っていた。だが今胸に溢れている子供を愛おしく、幸せになって欲しいと思う気持ちに嘘偽りはない。これを『父性』と呼んでもいいんじゃないか? なんて思ってしまう。

 青鬼の手下の小鬼たちが衣が光り輝いている子どもたちを一列に並ばせている。今回天国に上がれる子たちの目印だ。破流空の衣は今回も輝いていない。
 俺は悔しく思った。小鬼たちも一人一人の子どもたちとハイタッチしたり、抱き合ったりして別れを惜しんでいる。

「兄ちゃんも一緒に行こうよお」

 破流空(はるく)は一番に懐いていた子にぎゅっと手を握られていた。現世では病気で幼くしてこの世を立った子だ。澄んだ瞳で破流空を見上げている。

「俺はいけない」

 彼は困った顔をして首を振るとこちらを振り返った。

「おい! みんなにサヨナラしないのか?」
「今行く!」

 俺は彼に手を振ってから、筋骨隆々とした青鬼の腕をがしっと掴んだ。そしてギラギラと光る、獣のような色彩の目を真っすぐに見上げた。

「青鬼。破流空の事も、どうにか他の子たちみたいに天国に行かせてあげて欲しい」
「だがなあ」
「今までだって俺らの事、助けてくれただろ?」
「河原にある流木使って掘立小屋やおもちゃ作んのとはわけがちげぇ。ここじゃルールは絶対だからな。親より先に死んだ子は親不孝。現世の親を思って石を積み上げ続けないと天国に行かれねぇ」
「分かってる。わかってるよ。だけどさ、あいつがここに来た経緯、青鬼が教えてくれたんじゃないか。確かに破流空は、いわゆるいい子っていうんじゃなかったかもしれない。小学校じゃものに当たるし、周りにも意地悪ばかりしてたみたいだけど、それは、家庭環境のせいで、あいつは常に気持ちが荒れていたからだって。そもそも破流空がここに来たのは、手の出る親から兄弟を庇い続けてきたからだろ」

 俺はもう死んでいるっていうのに、腹の当たりにぐらぐらと煮えたぎる何かが渦巻いている心地になる。
 一言でいえば、ものすごく悔しい。憤りが止まらない。破流空の親のところに怒鳴り込んで、一発お見舞いしてやりたい気分になる。

「本当のあいつは、思いやりがある、優しい子なんだよ。ここにずっといるべきじゃない。ルール、ってさ。よりよく生きるために必要なものなんじゃないのか? それか、どうしても駄目なら、俺はここにずっといたってかまわない。俺が代わりにあいつの分の石を積むから、破流空を天国に送ってくれ。お願いだ」
「レン、おめぇ……」

 破流空が石を蹴散らすようにこちらに駆け寄ってきたから、俺はそこで口を噤んだ。彼はいかにも悪戯が大好きというような笑顔で、兄貴分である青鬼を真似し俺の背中をパーンとはたいた。

「いってぇなあ」
「おっさん、寂しいのか。今回は沢山昇っていったもんな」
「おっさんじゃねぇ。永遠の26歳だ!」
「十分、おっさんじゃん」

 破流空は大人びた口調でにたりと笑う。そして沢山の友達が天から伸びた五色の雲に乗り、空へと昇るのを見上げ見えなくなるまでずっと手を振った。
 破流空の横顔こそ寂しげで、俺はまた切ない気持ちになった。

「まあ。寂しく、ないといったらウソなるかな……」
「オレが一緒にいてやるから、寂しがんなよ」
「生意気言いやがって。……破流空、お前さ」

 ここにいるべきじゃない。そう言いたかったが、不意に俺とつないできた手はぐっと力強かった。

「いいんだ、オレ。天国に行けなくても。今だって、親の為になんて石を積みたくない」
「……」

 憤り、どうしても譲れない意地、だが心に重く横たわる暗く深い悲しみに俺はまた言葉を失う。だが絞り出すように「じゃあ、俺もずっとここにいる」といいかけた時、青鬼が背後から俺の肩、破流空の頭を掴んで、ぐらぐらと揺さぶってきた。

「おい、クソ餓鬼。じゃあ、こいつの為に積むんじゃダメか?」
「え……」
「ワシはここでのお前らの事をずっと見てきた。おめぇらは面白れぇからなあ。ここにいてもらっても構わんとは思うが、そろそろあっちに行くんでもいいだろう」

 鋭い爪で指さした先にはまだすかっと青い空が見えた。

「それか生まれ変わって、もっかいやりたかったことをやったっていい。二人で石積んでみろ。これから、自分の大事な奴の為に積めばいい」
「青鬼……」
「まあ、ルールってのはよりよくなるためにこそ、変わっていってしかるべきだろうとさ、お前だけじゃねぇ。大魔王様もそうお考えなんだよ」

 今まで一度たりともそんな話は出なかった。大方青鬼がまた上に掛け合ってくれるつもりなんだろうか。
 俺はもはや愛嬌すら感じるふさふさの青い眉毛を眺めてから深く頭を下げた。

「ありがとう、青鬼。……どうする、破流空。ここからでていくか?」
「ここから、でていく……」

 そういったきり、破流空は黙り込んだ。
 少年は両手の拳をぎゅうっと握り、ぶるぶると身体を震わせている。
 俺が激励するように彼の肩を抱くと、今にも飛びかかっていきそうな小さな獣をいなしているような気持になった。

「俺も出る。一人にはしない。一緒に行こう。お前は天国に行って……幸せになるべきだ」

 やがて震えは収まって、彼は俺の顔を見ずに後ろの青鬼を振り返った。

「分かった。俺とレンさん、どっちが一番高く積めるか競争するから、青さん見ててくれ」
「そうか。二人ともきばれよ」

 そうして今度は照れ隠しなのか俺の胸にドンっと突っこんできて、俺は思わずぐへぇと呻いてしまった。

「すげぇ、今まで見たことないぐらい、高い石塔作るからさ、見ててくれよ」
「それってさ……」

 傷一つない少年の笑顔を見たら、堪らない気持ちになった。
 俺に対する感謝とか、愛とかそんな感じを伝えてきているのかと思うと何だかまた、胸が熱くなって涙が止まらなくなる。

「分かった。俺もお前に負けないぐらい、高い塔積み上げる」
「あ、上の方は青鬼の肩に載って積むから絶対オレのが勝つ。だからさ、オレが勝ったら……」
「うん?」
「……オレが勝ったら、天国じゃなくてさ。俺と一緒に生まれ変わってくれ」

(もう一度、生きてみたいって、思った。思ってくれたのか)

 ぶわっと熱い涙があふれてきた。流石に泣いているところを見られるのは恥ずかしくなって、目頭を指の腹でつまんで涙を隠した。

「そうだな。それもいいな。そしたらまた、沢山遊んで、一緒に大人になろう」
「絶対だかんな」

 虹色の雲はすうっと消えて、また重苦しい雲と霧が立ち込めてきた。
 だが心は晴れやかだ。
 またどこからともなくぞろぞろと、向こうへ渡る人、渡れず留まる子供たちが集まってくる。

「お前らはそっちじゃねぇ。こっちに来い!」

 ぶんぶんと金棒を振りまわす青鬼後ろで、俺たちはグーパンチで遥かな約束を交わし合った。

                               終