次の週の日曜日。午後2時ちょっと前、乃亜は最寄駅の前で煌一を待っていた。例の京都観光の日だ。転校初日のように、その日のうちにどこかへ連れて行かれるかと思いきや、煌一は一週間後を指定してきた。乃亜はシャツの首元を指先でもて遊んだ。なんだか、改まって待ち合わせとなると緊張する。

 だって、デートみたいじゃないか。

「ノア、待った?」

 煌一が走ってきた。黒のハイネックにチノパンを履いている。いつもの着崩した制服やラフな私服とは違った装いに、乃亜はつい見惚れそうになる。

「行こか。電車乗ろ」

 改札をくぐり、乃亜が繁華街へ向かう方のホームへ進もうとすると、煌一が引き留めてきた。

「今日はこっち」

 煌一が指差したホームの掲示には、「宇治行き」と書かれていた。

 電車に揺られること十数分、乃亜と煌一は宇治駅にたどり着いた。観光客がちらほら見えるものの京都市内に比べると人通りは少なく、遠くには緑の山々が見える。

「初めて来たよ、宇治」

 乃亜は大きく深呼吸した。落ち着いた空気感が心地よい。

「そりゃよかった。俺も実は久々や」

 煌一はスマートフォンでマップを表示しながら言った。京都市内であれば裏道でもなんでも知り尽くしている煌一にしては珍しい。

「ほな行こか」

 宇治には世界遺産の平等院、宇治上神社など、有名な寺社がたくさんある。てっきりそういうところを観てまわるものだと思っていた乃亜は、着いた着いたと煌一が立ち止まった場所に驚いた。黄緑色の暖簾に、大きく「茶」と書かれている。店先にはメニュー書きが立てかけてあり、抹茶と名のつくスイーツの名前が並んでいる。乃亜はハッとした。そこは、抹茶専門の茶房だった。

「予約してます、荒木です」

 出迎えてくれた和服姿の店員が、お待ちしておりましたと案内してくれる。木製のテーブルや椅子で統一された店内はモダンな雰囲気で、周りの客は女の子のグループかカップルばかりだ。乃亜はまたドキドキしてきた。本当にデートみたいじゃないか。隣席の女子たちが「ほんま予約取るん大変やった!」「人気店すぎー」と盛り上がっている声が聞こえる。

 僕のために、予約してくれたのか……?
 
「ノア、好きなもん選び」

 煌一がメニューを開いて乃亜の方へ向けてくれる。この店の名物なのだろう、一番大きな写真付きで載っているのは、バニラアイスの上から、とろりと抹茶のチョコレートがかかっている「抹茶チョコレートパフェ」。

「なんで、僕の好きなもの知ってるの」

「だって、自己紹介で言ってたやん。抹茶とチョコレート」

 乃亜は、耳がカッと熱くなるのを感じた。そんなこと、覚えていてくれたのか。

「え、もしかして抹茶とチョコレートは別々で好きってことやった?チョコは緑じゃなくて、茶色のがよかったか!?」

 それやったら、とメニューのページをペラペラめくり始める煌一がおかしくて、乃亜は吹き出してしまった。

「僕、これにする。抹茶チョコレートパフェ」

「無理してへんか」

「してへん、してへん」

「京都人の前で京都弁真似するんは御法度やで」

 煌一に頭を小突かれながら、乃亜はへへっと笑った。その後煌一も同じものを頼み、運ばれてきた甘いパフェを二人でつつく。

 楽しい。乃亜は心の底からそう思った。好きな人と、自分の好きなものを食べる。京都でこんなに楽しいことが待っているなんて、一ヶ月前には思いもしなかった。

 パフェをしっかり完食した後、乃亜と煌一はいくつかのお寺をみたり宇治川のほとりを散歩したりして、暗くなるまで宇治をぶらぶらした。今日が終わらなければいいのにと乃亜は思ったが、高校生で門限もある。ふたりは電車に乗り、家の最寄駅まで戻ってきた。

「今日はありがとう。パフェ、美味しかった」

「それはよかった」

 駅からは、乃亜の家と煌一の神社は反対方向だ。もう遅いので観光客の姿もなく、駅前は閑散としていた。秋の虫が鳴く音色だけが聞こえる。名残惜しいが、乃亜が家に向かって歩き出そうとすると、後ろから煌一が声をかけてきた。

「なぁ。ノア」

「ん?」

 乃亜は振り返った。暗くて、煌一の表情はよく見えない。

「あのさ」

 煌一にはめずらしく、何かを言い淀んでいるようだ。

「なに?」

 乃亜が小首を傾げて聞くと、煌一はフーッと息を吐いてから静かな声で言った。

「イギリスの学校でさ。男同士で付き合ってる人とか、いた?」

 乃亜はぎくっとした。どういう意味だろう。もしかして、僕の気持ちがバレていて、探りを入れられている……?

 だとしたら、隠さなければ。乃亜はなんとか否定しようと口を開いた。気持ちを知られたら、これまで通りではいてもらえないかもしれない。

「俺さぁ……」

「いや、僕の周りにはいなかった。いないよ」

 煌一の言葉に気がつかず、乃亜は勢い強く答えた。あたりが静かなので思ったより声が通ってしまって、恥ずかしくなる。

「やんな」

 煌一は納得したようだった。表情は相変わらず陰になってよく見えないが、右手を大きく挙げて、乃亜に向かって手を振ってくれる。

「そしたら、また」

「うん。本当に今日はありがとう」

 去っていく煌一の背中を見つめて、乃亜はため息をついた。自分の放った言葉になんだかモヤモヤしていた。

 確かに付き合っている人と公言している人たちは、ロンドンといえど乃亜の周りでは少なかった。でも、確かにいた。現に自分だって、これまで誰かと付き合ったことはないけれど、恋愛感情を抱くのは同性なのだ。

 それに、別れる前の煌一の声。乃亜は拳をぎゅっと握りしめながら思い出した。どこか寂しそうだった。もしかしたら、煌一は僕を疑っていたんじゃなくて……

 いてもたってもいられなくなって、乃亜はもう随分先まで行ってしまった煌一を追いかけた。何を伝えるつもりなのか自分でもよくわからないまま、名前を呼びかける。

「こうい……!」

「煌ちゃん、会いたかったー!」

 乃亜の呼びかけをかき消すように女性の声がして、声の主と思われる人影が煌一に抱きついた。乃亜の足が止まる。

「あ、私が選んだ服着てくれてんじゃん。超似合ってる」

 女性が身を離し、煌一のジャケットの襟だか袖だかをいじっている。煌一は嫌がる様子もなく身を任せていた。

「お前、標準語キモいからやめって」

 街灯が煌一の顔を照らした。笑っている。

「いつもそれ言うー。まぁいいや。一緒に帰ろ!」

 女性が煌一の腕を取り、二人はもつれ合うようにして角を曲がって消えていった。取り残された乃亜は、しばらくそのまま立ち尽くしていた。