神社の職員用更衣室で、乃亜は袴を手に取った。水色に緑を少し混ぜたようなこの爽やかな色合いは、浅葱色と言うらしい。裾をまくりあげた白い着物の上から袴を履き、紐を腰のあたりにしゅるしゅると巻きつけて結んでいく。なかなか手際が良くなってきたんじゃないかと、乃亜は自分を褒めたくなった。
 
 乃亜が神社での助勤を初めてから1ヶ月が経った。煌一はアルバイトと言っていたが、正式には助勤というらしい。乃亜は週2回くらいのペースで、観光客の多い土日を中心に働いている。社務所に入ってお守りやお札を販売したり、掃除をしたり。10月に入って落ち葉が増えてきたので、境内周辺の落ち葉拾いもする。力仕事も多くてなかなかに忙しかったが、乃亜はこの仕事を楽しみにしていた。やりがいがあるし、それに何より……

「煌ぼん、遊んでへんと手伝うておくれやす」
「へいへい」
 
 学校以外でも煌一に会える。白いパーカーを着た休日スタイルの煌一が、乃亜と同じ助勤である松尾さんと一緒に大きな荷物を運んでいる。来月神社で行われる秋祭りの準備が始まっているのだ。ちなみに松尾さんは、あの焼きスズメ屋の店主である。店と神社のダブルワークをしているらしい。

 私服もカッコいいな。

 転校初日以来、乃亜は煌一のことばかり考えてしまっていた。一目惚れなんかしない質だと思っていたのに、学校でも神社でも、煌一から目が離せない。

 乃亜にとっては嬉しいことに、煌一は何かと乃亜を構ってくれていた。学校ではご飯食べへんかと誘ってくれるし、放課後に助勤があるときには早よ行くでと一緒に帰ってくれる。もし乃亜が女の子だったら勘違いしてしまいそうだ。

 いや、やっぱり勘違いしないかも。

 乃亜は、社務所を目指して草履で落ち葉をカサカサ踏みしめながら思った。煌一はいつも誰かに囲まれている。学校での昼食だってふたりきりだったことはないし、神社へ向かう帰り道でも道ゆく人が声をかけてくる。煌一は天性の人たらしで、街中のムードメーカーなのだ。

 煌一とよく一緒にいるおかげで、学校での友人も増え、街の人にも顔を覚えてもらえて本当に助かっているけれど、やっぱり自分とは別次元の人間なのだと乃亜は思い知らされるのだった。

 付き合ってる相手はいないらしいけど……。

 乃亜は社務所に入って巫女たちに挨拶をした。ちなみに乃亜と松尾さん以外の助勤は全員女性だ。

 洛永高校は男子校なので学校内で女の子と出会うことはないが、煌一が神社の巫女と楽しそうに話している姿を乃亜はよく目にしていたし、先週は他校の女の子に呼び出されて告白されたという噂が校内で回っていた。乃亜は驚いたが、クラスメイトいわく、よくあることだそうだ。でもいつも断っているらしい。

 まさか僕と同じ、なんてこと……

「ないよね……」

「英田くん、お願い!」

 乃亜がため息をつくと同時に、社務所の外から声がかかった。松尾さんが海外旅行客と思われる女性ふたりを連れて近づいてくる。歳は乃亜と同じくらいだろうか。

“May I help you?”

 乃亜は呼びかけに対応すべく、お守りがずらりと並ぶ台の上からひょこりと顔を出した。

“ランチのお店を探してるんですけど。地元の人がよく行くところを知りたくて"

“そうですね、ここと、ここなんかもおすすめです“

 乃亜は手慣れた様子で、英語のマップにいくつか印をつけて女性へ渡した。働き始めて一ヶ月、英語での観光案内は最もこなした仕事だ。

"このお店、京都の高校生たちの間で流行ってるんですよ。僕の友達もおいしかったって"

"高校生なんだ、私たちも!“

 歳が近いとわかり、旅行客二人は身を乗り出してきた。

“英語はネイティブなの?“

“うん、ロンドンで育ったんだ“

“やっぱり、発音でわかったよ。うちらもそう!“

 出身地まで同じとわかり、女の子たちは盛り上がって次々と話しかけてくる。

“ねぇ、このあと時間あります? 京都案内してほしー!“

“えっと、それは“

 まさか誘われるとは思わず、乃亜は困ってしまった。あと一時間で勤務は終わるけれど、どうしたものか。

「ソーリー。ヒーイズビジー!」

 そのとき、急にひょうきんな声が聞こえた。煌一だ。

「エンジョイユアトリップ、センキュー!」

 ニコニコとスマイルを浮かべて、女の子たちをやんわりと立ち去らせてしまった。人の心を操れるというのは、やっぱり本当なんじゃないか。乃亜は両手を振ってふたりを見送っている煌一を見つめながら思った。

「えらい盛り上がってたやん。デートのお誘いですか」

「聞いてたの」

「聞いても英語やからよーわからん。でも見てたらわかる」

 煌一は何故か唇を尖らせて文句ありげな様子で言った。

「京都を案内してほしいって。でも、あんまり街を歩いたことないから出来ないよ」

 観光案内のおかげで知識は増えたが、実際に歩いて案内するとなると勝手が違う。乃亜はまだ学校や神社周辺、繁華街くらいにしか足を伸ばしたことがなかった。

「じゃあ、俺が教えよか」

 煌一はポンと手を叩くと、ニヤリと笑って乃亜を見た。転校初日の神社へ連行される前と同じような表情だったので、乃亜はぎくりとした。これは何か悪巧みをしている時の顔ではないか。

「京都観光、一緒に行くで!」