翌朝、湊太のあとに家を出た。
眼鏡なしで登校する通学路はなんとなく視界が広かった。いつも黒い縁が少しだけ世界を狭めていたことに気づく。花壇の植え込みに寄せられた銀杏の黄色い実もなんだか新鮮な色をしている気がする。木に絡まるツタも色を変えていて、風も心地よい。空も秋晴れで突き抜けるように高く、綿菓子をちぎったような雲を見ながら新鮮な気持ちで登校した。
昇降口で既に登校している湊太の靴を見つつ、上履きに履き替える。そのすのこの音もいつもより半音高い気がする。足取り軽く普通科の教室前を通り過ぎて特進科の教室前へ行くと、廊下にあるロッカーから教科書を取り出すクラスメイトを見つけた。
「おはよ」
洸太が声をかけると、彼は驚いた顔をし、辺りをきょろきょろ見回した。
「どうかした? 兄貴はまだ来てねえと思うけど」
クラスメイトの言葉に洸太はぽかんとして彼を見た。クラスメイトが訝しげにこちらを見ているので、湊太と間違えているのだと気づく。
本当にソータに間違えられた。驚きに思わず教室を指す。
「僕、コータだけど。ここ、僕の教室」
洸太が教室を指さすと、彼は目を丸くして「ええ!?」と叫んだ。
「髪切ったのか? てか、髪切るとそんなに似てんのかよ?」
彼の大声に教室からなんだなんだと人が出てきた。クラスメイトたちがこちらを見て、考えるようにしてから目を見開く。
「ええ、コータ!?」
「眼鏡はどうした?」
「眼鏡はソータが踏んづけてフレームが割れたんだよ。ひどいよね」
「あ、話し方はコータだ。でも、すげえ似てる」
そこへ「やってるやってる」と声がして、普通科のほうから湊太がにやにやしながらやって来た。
「ドッキリ成功した?」
するとクラスメイトのひとりが「あ」とこちらを見比べた。
「並ぶと雰囲気違うな。ソータのほうが焼けてるし。身長も違うじゃん」
湊太がふふんと満足げにこちらを見下ろしてきたのでむっとする。
「僕はこれから伸びるから。ソータが先に伸びただけ。僕は遅咲きなだけだから」
すると湊太が「ふーん?」と笑って頭のてっぺんをぽすぽすとタップしてくる。
「頑張って追いつけよ。俺はまだ伸びてるからスピードアップしねえと追いつけねえぞ。知ってるか? 男子の成長期はだいたい十七で終わりなんだぜ」
「じゃあ自分だって止まるじゃん。そのセリフ、矛盾だらけなんだけど」
「俺は去年三センチ伸びた。コータは何センチ伸びたんだよ」
「もう、うるさいな。夕飯にから揚げが出たら、一個多く食べてやるからな」
ばしっと自分の頭にのった手を振り払うと湊太はははっと笑い、「じゃあなー」と自教室のほうへ去っていく。教室に入りながら「腹立つ」と愚痴ったが、クラス内がへえというようにこちらを見てくる。
朝の会から話題は自分が髪を切ったことで持ちきりになり、一時間目にやって来た湊太も教えている教師には「びっくりした」と驚かれた。その中でも洸太は「そんなに似てるかな」と笑顔で答えることができた。髪を切って前の自分とは別れられたような、さっぱりとした気分だ。
二時間目、古典で教室を移動すると、机にミナトの丸文字が書いてある。
『十月考査のテスト返ってきた。点数あがった。ありがと』
ふふっと笑い、どういたしましてと書き込む。そこでちょっと思いついた。これまでミナトから質問されたことに答えるだけで、自分からは聞いたことがない。朝の湊太との会話を思い出し、「身長ってまだ伸びてる?」と書く。
放課後の掃除が終わると、いそいそとジャージに着替えてトイレで鏡を見た。口角が上がっている自分を見て、くせっ毛の髪を手ですき、よしと気合いを入れる。今日は次の劇のオーディションだ。そしてミナトが図書当番の日。つまり、一緒に帰る日だ。今日会ったときに「役をもらえたよ」と笑顔で報告したい。
部活ではやはり部員に顔が似ていることに驚かれたが、洸太も湊太も「そう?」とだけ答え、体育館の床に座ってお互い台本を読むことに集中した。
演劇部では配役を決めるとき、各自でやりたい役のセリフを読んでオーディションを行う。今回も主役にチャレンジするのは湊太だけだろうが、自分が狙うのは脇役で何人か狙っている子がいてもおかしくない。昨晩湊太と話しながら書き込んだ鉛筆のメモを見て、セリフを小さく呟く。
「はい、みんな揃ってるね」
体育館の扉がガチャと開いて、顧問がやって来る。その手にまだ新しい台本が握られている。裏方しかやってこなかった自分が役を取れるかどうか、これは自分との戦いだ。
「じゃあオーディションを始めようか」
顧問の声にみんなが「はい!」と立ち上がる。上履きがキュッと音を立てた。
部活後、洸太は大急ぎで着替えて校門に向かった。興奮で足元がふわふわして、顔がにやけてしかたない。坂道の下の門に寄りかかっている金髪プリンを見つけ、思わず「ミナト君!」と大きな声を出してしまった。洸太の声に弾けるように反応した彼がこちらを見る。駆け寄って「役もらった!」と息を切らして開口一番に言うと、彼が驚いたように口を小さく開き、黙ったままこちらを見つめた。
あれ、思ってた反応と違うな。
はあはあと息を整えながら、おやと思う。風が吹いて前髪が揺れ、ようやく髪を切ったことを思い出した。役が取れたことに浮かれていてすっかり忘れていた。急に恥ずかしさに顔から汗が出てきて、手でぱたぱたとあおぐ。
「えっと、今日次の作品のオーディションで。気合い入れて髪切った。眼鏡もとった。っていうか、ソータがフレームを踏んづけて。えっと、どうでしょうか……」
ミナト君としては、なんか違うって感じか。
洸太がそんなふうに思ったとき、突然「うわ」とミナトが顔を手で覆った。そのまま悔しそうに空を仰ぐ。
「オレ、すんごいバカ……髪切ればって言うんじゃなかった……」
「あ、切らないほうがよかったか」
「いや、そうじゃないっす……先輩がイケメンなのはオレと弟先輩たち家族だけ知ってればよかったんすね……作戦失敗……」
またイケメンと言われた。ミナトの言葉はいつもまっすぐだから、本気でそう思われているように感じて顔が熱くなる。自分には縁遠い言葉を彼がなんのてらいもなく口にするから恥ずかしい。ミナトが急に表情をきりりとさせてこちらを見下ろした。
「先輩、オレ、作戦変更を迫られたっす。その顔を隠さないと狙われます。女子スナイパーの目をそらさないと。せめて眼鏡。眼鏡してください」
「眼鏡は壊れちゃってかけられないんだ。ごめん」
「今後、髪は伸ばしますか」
「やっぱり伸ばしたほうがいいの?」
「オレの計算ミスっす。髪がちょっと長めで眼鏡をかけた先輩は小数点以下を切り捨てれば先輩なんですが、今は見た目から整数の先輩になっちゃったんすよ」
「えっと、どういう意味? ごめんね、ちょっと分からない」
そこでミナトは首を振り、ため息をついた。
「オレ、すんごい重い男っすね……改善余地ありですね」
「? 重い? 背が高いからしかたないんじゃない?」
「体重の話じゃないっす。てか、オレ、ひょろいから案外体重軽いっす」
「うん? そっか」
なんだか話が噛み合っていない気がしたが、「それより」ともう一度言った。
「役、もらえた! ミナト君がやりたければやればいいって言ってくれたからだよ。ありがと」
するとミナトが「やったっすね」と歯を見せて笑った。
「公園で乾杯っす!」
そこへ「おふたりさん、お先にー」とリュックを背負った湊太が横を通り過ぎた。
「俺、先に飯食ってるから。コータの分のから揚げが少なくても文句言うなよ」
後ろ姿のまま手をひらひらさせて帰ろうとしたので「サイテー」と思わず噛みつく。
「こっちの分まで食べるのはずるいだろ。ちゃ・ん・と・取っ・と・い・て」
「俺のほうがコータより背高いんですけどー。俺のほうが一日の消費カロリー高いから食べなきゃいけないんですけどー」
「身長を伸ばすために僕のほうが食べないとダメじゃん! 身長を伸ばすの頑張れって言ったくせに、横取りする気?」
「だったらいちゃいちゃは早めに切り上げて、から揚げがなくならないうちに帰ってこいよ」
「いちゃいちゃとか失礼なこと言うな! ミナト君には佐藤さんっていう将来の彼女がいるんだからな!」
すると湊太はこちらをちらっと見やり、肩をすくめて「はいはい」と切り上げてさっさと帰っていってしまう。まったくとため息をつき、ミナトを見上げた。
「ソータが失礼なこと言ってごめんね?」
ところが、彼は後ろ姿の湊太とこちらを見て「どうしちゃったんすか」と言った。
「めちゃくちゃ仲良くなってるじゃないっすか。なにかあったんすか」
「元々仲良いけど? 普段喧嘩とかしないし」
「いや、そうじゃなくて……」
ミナトがなにか言いたげにし、だが「ま、いっか」と公園へ続く道を指した。今日のミナトは髪を全部下ろしている。
「から揚げが全部なくならないうちに乾杯っす」
ミナトの笑顔につられ、洸太も「そうだね」と笑った。
十一月の公園は空気が乾燥していた。車止めを通り過ぎ、落ち葉と土のにおいの中を東屋のほうへ進む。外灯が自販機横のイチョウの木を黄色に彩る。自販機でスポーツドリンクとピーチティーを買い、東屋のベンチに座ってペットボトルをぼんっとぶつけて乾杯した。夜のにおいが混じる秋風が爽やかに吹き抜けていく。
「先輩が演じる劇って、オレが見られるチャンスってあるんすか」
ミナトがピーチティーの口を開けながら尋ねてくる。
「年明けに学内公演があるから、よかったら見に来てよ。まあほとんどがソータの活躍なんだけど」
「弟先輩が主役なんすね。文化祭が終わってから、一年生の間でも弟先輩が噂になってるっす。子役やってたかっこいい二年生がいるって」
そこでペットボトルに口をつけたミナトがふふっと小さく笑った。
「先輩が弟先輩じゃなくてよかったっす。じゃなきゃ女子に先輩を紹介しろとか言われたかもしれないっすよね」
そこできゅっと口角を上げてこちらを見た。くちびるの前に人差し指を当てる。
「先輩、先輩がかっこいいの、バレないようにしてくださいね。隠密行動っす。御庭番ってやつっすね。昔読んだマンガに出てきて覚えた言葉っす。オレ、ちょっと賢くないっすか」
再びペットボトルに口をつける横顔を見て、この子はどうして自分をかっこいいと言うのだろうと突然気になった。顔が似てる似てないは別として、演劇で脇役より主役が目立つのは当然のことだ。だからこそ最初ミナトがかっこいいと褒めたのも、主役をやっている湊太だった。
そこからなぜか照明係をやっていることがかっこいいという話になり、髪を切ったらイケメンになるという話になり、好きなものを好きって言えるのがかっこいいという話になり、髪を切って脇役で喜んでいる程度の洸太がかっこいいという話になっている。親はさておき、こんなに手放しで褒められたのは初めてだ。
「あの……嬉しいことを言ってくれてありがたいんだけど、僕そんなかっこよくない……というか、駄目なところたくさんあるけど……」
自分で言いながら部屋の惨状を思い出してため息をついた。
「ミナト君が僕の部屋を見たらげんなりするよ。ソータの部屋は整理整頓されててきれいだけど、僕の部屋ってめちゃくちゃだし」
「先輩、片づけられない人っすか」
「片づけられないって言うか、片づけたくないって言うか」
「それ、片づけられない人の言葉っすね。場所が移動すると分からなくなるからそこに置いとくんでしょ」
「そう! この本をここまで読んで、でもこっちの本の内容を思い出したいからここに置いておいて、それを読んで思い出したけどあの本にこんなシーンがあったなって思って引っ張り出して、みたいなことをしてると床に本が散らばる」
スポーツドリンクを口にすると微かに甘い味が喉を潤していく。はあとため息をつき、自分の部屋の映像を思い起こした。鞄を太ももの上にのせて、もう一口飲む。
「前に言ったけど、僕って不完全カメラアイだから、覚えたものをきちんと思い出せないときがあるんだよね。それでふと気になってその本を探しちゃうってことが起こるわけ。だから何冊も並行して読んでる状態になっちゃう。できればリラックスしてベッドに寝転がりながら読みたいから、ベッドから手が届くところに全部置きたいじゃん? そうするとさらに本が散らかるわけ」
ピーチティーを飲んでいたミナトがいつかのようにちょっとドン引きした顔をした。
「……なんかすごそうっすね……すげえ意外……」
「ソータにも本を片づけろって言われる。でも、ベッドから届く範囲に置きたいんだよ。映画のパンフレットも同じね。映画のサントラ聴きながらパンフレットを見てるといろんなシーンを思い出せて楽しいんだけど、今日はこの映画、明日はあの映画って手を出すと、それもベッドの側に散らばる。どれを優先して片づければいいか分かんないんだよ」
「いや、昨日のを片づければいいんすよ」
「数日後に『あそこになんて書いてあったけな』って思うかもしれないじゃん。未来の僕がそこに置いておけって言うんだよ」
「それ、未来の先輩じゃなくて今日の先輩っすよ」
呆れた口調でミナトはそう言い、すぐにからっと笑った。
「ウケる。先輩の意外なところを知ったっす。よく言うと本の虫で映画好き。悪く言うと、うーん、言わないでおきます」
あまり褒められたことではないことは分かっているので、そこは流した。そこで洸太はミナトの風に揺れる髪を見た。ずっと切っていないのか、もう一番長い部分は背中についているし、キャラメルの部分もかなり長くなってきた。
「そう言えばミナト君はなんで髪伸ばしっぱなしにしてるの? 金髪に染め直さないの?」
するとミナトが痛いところを突かれたとでも言うように頭を掻いた。
「オレ、童顔だから、大人っぽく見られたくて中学の卒業式の帰りに染めたんすよね。そしたらめっちゃ美容院代が高かったんす。髪染めるのって大変なんだって思って、髪を切るのを諦めてお金を貯めようとしたんすけど、プリンになったらそれも大人っぽいからいいやと思って放置しました。で、現在に至るっす」
「中学の卒アルとか見せてよ。黒髪のミナト君を見てみたい」
「いや、マジでただのガキっす。身長と顔のバランスが合ってないんすよ」
そこでミナトが思い出したようにスマホを取り出した。
「スマホは高校に入学したときに買ってもらったんすけど、中学ンときのダチに写真もらった気がする……」
キャメル色のカーディガンの袖から出た大きな手がすっすっと画面をスライドさせる。するとすぐに「あ」と指が止まった。
「これ、中三の卒業遠足のときの写真っす。学ランだったんすよ。ほら、顔がすごいガキでしょ?」
そう言ってミナトが見せてきた写真では、五人の男女がテーマパークのモチーフの前でピースをしているものだった。中央に顔の小さいのっぽの学ランがいると思ったら、顔がミナトだった。
「え!」
洸太は思わずスマホをひったくった。二本の指で画像を拡大する。前髪センター分けのツーブロックのミナトは、韓流モデルを連想するようなハンサムだった。スッと通った鼻梁が目立つ甘いマスクの笑みを見て、つい顔をあげて本人を見てしまう。ミナトが目線をそらして顔の前で手をひらひらさせた。
「あんま見ないでください。マジで恥ずいっす。一年前のオレ、ガキなんで」
照れるミナトを見て、思わずスマホを握ったまま突っ伏してしまった。かわいすぎる。全然変わってない顔をガキだと言って恥ずかしがるのも、お金を貯めるために髪を切るのを諦めるという思考回路になるところも。外見を気にしているのかしていないのかさっぱり分からない。
ミナト君、やっぱりおもしろい。
ついぷはっと吹き出したら頭をぱしっと軽くはたかれた。
「自分だって髪の毛テキトーだったっしょ!? なんでオレのこと笑うんすか!」
ミナトが怒り出したので「ははっ!」とまたも笑い出してしまった。
「髪の色変えても顔は変わんないからね!? っていうか、すんごいイケメンでびっくりしたんだけど! めちゃくちゃモテたでしょ?」
「モテた……か分かんないっす……告白されたことはあるんすけど、二週間くらいでフラれるんすよね。中身に幻滅したとか思ってたのと違うって言われるんすよ。オレ、そんなにやばいやつっすかね? 割と普通だと思うんすけど」
いや、普通とは違う。
そう思ったらまたもぷっと笑ってしまい、顔の赤いミナトから「歯ァ食いしばれ」と懐かしい言葉とともにデコピンをもらってしまった。ピンと爪の先が当たっただけのデコピンにまた笑うと、「もう!」とスマホをひったくられてしまう。
「あ、ミナト君待って! その写真ちょうだい! もう一回見たい!」
「絶対やだ! 先輩、これ見て笑う気でしょ!? あ、弟先輩に見せてふたりで笑うつもりだな!?」
「すごいイケメンだよってソータに自慢するからちょうだい」
「嘘つき! 絶対に笑うくせに!」
「ちょっとは笑うかも」
「ほら! そういうの、よくない!」
ミナトはそう言いながら鞄にずぼっとスマホを突っ込んだ。そして鞄に頬杖をつき、口をとがらす。耳が赤くなっていて、照れているのが丸分かりだ。最初の頃見下ろされて怖いと思っていたのはどこへやら、ただのかわいい大型犬に見えてきた。
「ミナト君、黒髪のほうが似合うんじゃない? いや、髪が短いほうがいいのかな。今はワイルドっぽさが前面に出てて、イケメンさがちょっと隠れてる気がする」
「……先輩はなんでそんなアドバイスしてくんの」
頬杖をついたままちらりとミナトが視線を寄こす。
「そりゃあ」
洸太はそう言ってから言葉が続かないことに気づいた。急いで佐藤さんの単語を引っ張り出す。
「そりゃあ、佐藤さんを万全のコンディションで迎えたほうがいいでしょ?」
「……ふうん」
ミナトが視線をそらし、気のない返事をした。
「参考に聞くっすけど、金髪と黒髪、どっちがよかったすか」
「今の長さなら黒髪に戻さなくてもいいんじゃない? 重ために見えそう」
「髪短くするなら黒髪ってことっすか」
「髪の短い金髪は見てないからなんとも言えないけど、少なくともあの写真はイケメンだよ」
「じゃあ髪短いのと長いのとどっちがいいっすか」
そう言われて洸太はミナトの頭のてっぺんから下まで見た。廊下で別の一年生とぶつかりそうになったとき、本を拾ってくれたことを思い出す。
「佐藤さんとの出会い方によるよね。今の感じで背が高くてちょっと怖そうに見えておいて、実は優しい人でしたってギャップは定番だよね。少なくとも映画や小説ではそう」
「……なるほど。優しいならよかったっす」
ミナトが小さく頷き、胸がちりっとした。優しいミナトに助けられて、念願の役を得ることができた。これから出会う佐藤さんもそんな優しさに救われるのだろう。
「でも、最初からあのイケメンっぷりを見せられて、一目惚れってこともあるかもしれないか。あ、分かった。今の状態で佐藤さんと出会って、佐藤さんが今のミナト君に慣れたあたりで髪黒く染めて髪切ったらどう?」
そう、そうしたら、今画像を見た僕みたいにすごく驚く。好感を抱く。もっと深く知りたいと思う。だからきっと、未来の彼女の佐藤さんだってミナト君を好きになる。
洸太は胸のちりちりを無視してにっこり笑ってみせた。
「そうしたらギャップになると思わない? 佐藤さんを落とす作戦、完璧だよ」
「……なるほど。タイミングが肝心ってことっすね」
ミナトは考えるように口元に手をやり、また「なるほど」と繰り返した。そして頷く。
「オレ、先輩の髪に関してはミスったんで、自分の髪は間違えないっす」
「え、ちょっと、なんか失礼じゃない?」
洸太は抗議したが、ミナトはひとりで「なるほどね」と繰り返し、納得してしまった。そしてピーチティーを最後までごくごくと飲み、ペットボトルを空にする。
「つか、そろそろ先輩のから揚げがやばいっすね。おめでとうの話をするつもりだったのに話し込んじゃってすんません」
ミナトはそう言ってからスマホを取り出した。そしてカメラを起動する。急にカーディガンの腕が肩に回って、ぐっと引き寄せられた。
「髪切った先輩の写真をくれるなら、あのガキの画像をあげてもいいっす。オーディション合格記念、撮りましょ」
改めてオーディションのことに触れられて、つい照れてしまう。ミナトが斜め上に掲げたスマホを見て手で髪を整えると、ふたりとも笑顔で写真に収める。だが、撮った画像を見たミナトが「ホントだ、オレ、顔変わってない」と赤面したため、「やっぱり消す」「ちょうだい」の押し問答になった。
「先輩」
別れ際、ミナトがそう言ってこちらを呼び止めた。
「明日から眼鏡なしで登校してください」
「え? 眼鏡したほうがいいんじゃないの?」
「はいかイエスで答えてほしいっす」
「? はい。じゃあ新しいのは買いに行かない」
するとミナトは「やった」と笑い、スマホに写るツーショットを指した。
「明日もこの顔で登校してくださいね!」
駅のほうへ向かうミナトの背を見送ってから、改めて画像を見る。写真の隅に空のピーチティーが写っている。甘い香りが笑顔と一緒に閉じ込められていた。
眼鏡なしで登校する通学路はなんとなく視界が広かった。いつも黒い縁が少しだけ世界を狭めていたことに気づく。花壇の植え込みに寄せられた銀杏の黄色い実もなんだか新鮮な色をしている気がする。木に絡まるツタも色を変えていて、風も心地よい。空も秋晴れで突き抜けるように高く、綿菓子をちぎったような雲を見ながら新鮮な気持ちで登校した。
昇降口で既に登校している湊太の靴を見つつ、上履きに履き替える。そのすのこの音もいつもより半音高い気がする。足取り軽く普通科の教室前を通り過ぎて特進科の教室前へ行くと、廊下にあるロッカーから教科書を取り出すクラスメイトを見つけた。
「おはよ」
洸太が声をかけると、彼は驚いた顔をし、辺りをきょろきょろ見回した。
「どうかした? 兄貴はまだ来てねえと思うけど」
クラスメイトの言葉に洸太はぽかんとして彼を見た。クラスメイトが訝しげにこちらを見ているので、湊太と間違えているのだと気づく。
本当にソータに間違えられた。驚きに思わず教室を指す。
「僕、コータだけど。ここ、僕の教室」
洸太が教室を指さすと、彼は目を丸くして「ええ!?」と叫んだ。
「髪切ったのか? てか、髪切るとそんなに似てんのかよ?」
彼の大声に教室からなんだなんだと人が出てきた。クラスメイトたちがこちらを見て、考えるようにしてから目を見開く。
「ええ、コータ!?」
「眼鏡はどうした?」
「眼鏡はソータが踏んづけてフレームが割れたんだよ。ひどいよね」
「あ、話し方はコータだ。でも、すげえ似てる」
そこへ「やってるやってる」と声がして、普通科のほうから湊太がにやにやしながらやって来た。
「ドッキリ成功した?」
するとクラスメイトのひとりが「あ」とこちらを見比べた。
「並ぶと雰囲気違うな。ソータのほうが焼けてるし。身長も違うじゃん」
湊太がふふんと満足げにこちらを見下ろしてきたのでむっとする。
「僕はこれから伸びるから。ソータが先に伸びただけ。僕は遅咲きなだけだから」
すると湊太が「ふーん?」と笑って頭のてっぺんをぽすぽすとタップしてくる。
「頑張って追いつけよ。俺はまだ伸びてるからスピードアップしねえと追いつけねえぞ。知ってるか? 男子の成長期はだいたい十七で終わりなんだぜ」
「じゃあ自分だって止まるじゃん。そのセリフ、矛盾だらけなんだけど」
「俺は去年三センチ伸びた。コータは何センチ伸びたんだよ」
「もう、うるさいな。夕飯にから揚げが出たら、一個多く食べてやるからな」
ばしっと自分の頭にのった手を振り払うと湊太はははっと笑い、「じゃあなー」と自教室のほうへ去っていく。教室に入りながら「腹立つ」と愚痴ったが、クラス内がへえというようにこちらを見てくる。
朝の会から話題は自分が髪を切ったことで持ちきりになり、一時間目にやって来た湊太も教えている教師には「びっくりした」と驚かれた。その中でも洸太は「そんなに似てるかな」と笑顔で答えることができた。髪を切って前の自分とは別れられたような、さっぱりとした気分だ。
二時間目、古典で教室を移動すると、机にミナトの丸文字が書いてある。
『十月考査のテスト返ってきた。点数あがった。ありがと』
ふふっと笑い、どういたしましてと書き込む。そこでちょっと思いついた。これまでミナトから質問されたことに答えるだけで、自分からは聞いたことがない。朝の湊太との会話を思い出し、「身長ってまだ伸びてる?」と書く。
放課後の掃除が終わると、いそいそとジャージに着替えてトイレで鏡を見た。口角が上がっている自分を見て、くせっ毛の髪を手ですき、よしと気合いを入れる。今日は次の劇のオーディションだ。そしてミナトが図書当番の日。つまり、一緒に帰る日だ。今日会ったときに「役をもらえたよ」と笑顔で報告したい。
部活ではやはり部員に顔が似ていることに驚かれたが、洸太も湊太も「そう?」とだけ答え、体育館の床に座ってお互い台本を読むことに集中した。
演劇部では配役を決めるとき、各自でやりたい役のセリフを読んでオーディションを行う。今回も主役にチャレンジするのは湊太だけだろうが、自分が狙うのは脇役で何人か狙っている子がいてもおかしくない。昨晩湊太と話しながら書き込んだ鉛筆のメモを見て、セリフを小さく呟く。
「はい、みんな揃ってるね」
体育館の扉がガチャと開いて、顧問がやって来る。その手にまだ新しい台本が握られている。裏方しかやってこなかった自分が役を取れるかどうか、これは自分との戦いだ。
「じゃあオーディションを始めようか」
顧問の声にみんなが「はい!」と立ち上がる。上履きがキュッと音を立てた。
部活後、洸太は大急ぎで着替えて校門に向かった。興奮で足元がふわふわして、顔がにやけてしかたない。坂道の下の門に寄りかかっている金髪プリンを見つけ、思わず「ミナト君!」と大きな声を出してしまった。洸太の声に弾けるように反応した彼がこちらを見る。駆け寄って「役もらった!」と息を切らして開口一番に言うと、彼が驚いたように口を小さく開き、黙ったままこちらを見つめた。
あれ、思ってた反応と違うな。
はあはあと息を整えながら、おやと思う。風が吹いて前髪が揺れ、ようやく髪を切ったことを思い出した。役が取れたことに浮かれていてすっかり忘れていた。急に恥ずかしさに顔から汗が出てきて、手でぱたぱたとあおぐ。
「えっと、今日次の作品のオーディションで。気合い入れて髪切った。眼鏡もとった。っていうか、ソータがフレームを踏んづけて。えっと、どうでしょうか……」
ミナト君としては、なんか違うって感じか。
洸太がそんなふうに思ったとき、突然「うわ」とミナトが顔を手で覆った。そのまま悔しそうに空を仰ぐ。
「オレ、すんごいバカ……髪切ればって言うんじゃなかった……」
「あ、切らないほうがよかったか」
「いや、そうじゃないっす……先輩がイケメンなのはオレと弟先輩たち家族だけ知ってればよかったんすね……作戦失敗……」
またイケメンと言われた。ミナトの言葉はいつもまっすぐだから、本気でそう思われているように感じて顔が熱くなる。自分には縁遠い言葉を彼がなんのてらいもなく口にするから恥ずかしい。ミナトが急に表情をきりりとさせてこちらを見下ろした。
「先輩、オレ、作戦変更を迫られたっす。その顔を隠さないと狙われます。女子スナイパーの目をそらさないと。せめて眼鏡。眼鏡してください」
「眼鏡は壊れちゃってかけられないんだ。ごめん」
「今後、髪は伸ばしますか」
「やっぱり伸ばしたほうがいいの?」
「オレの計算ミスっす。髪がちょっと長めで眼鏡をかけた先輩は小数点以下を切り捨てれば先輩なんですが、今は見た目から整数の先輩になっちゃったんすよ」
「えっと、どういう意味? ごめんね、ちょっと分からない」
そこでミナトは首を振り、ため息をついた。
「オレ、すんごい重い男っすね……改善余地ありですね」
「? 重い? 背が高いからしかたないんじゃない?」
「体重の話じゃないっす。てか、オレ、ひょろいから案外体重軽いっす」
「うん? そっか」
なんだか話が噛み合っていない気がしたが、「それより」ともう一度言った。
「役、もらえた! ミナト君がやりたければやればいいって言ってくれたからだよ。ありがと」
するとミナトが「やったっすね」と歯を見せて笑った。
「公園で乾杯っす!」
そこへ「おふたりさん、お先にー」とリュックを背負った湊太が横を通り過ぎた。
「俺、先に飯食ってるから。コータの分のから揚げが少なくても文句言うなよ」
後ろ姿のまま手をひらひらさせて帰ろうとしたので「サイテー」と思わず噛みつく。
「こっちの分まで食べるのはずるいだろ。ちゃ・ん・と・取っ・と・い・て」
「俺のほうがコータより背高いんですけどー。俺のほうが一日の消費カロリー高いから食べなきゃいけないんですけどー」
「身長を伸ばすために僕のほうが食べないとダメじゃん! 身長を伸ばすの頑張れって言ったくせに、横取りする気?」
「だったらいちゃいちゃは早めに切り上げて、から揚げがなくならないうちに帰ってこいよ」
「いちゃいちゃとか失礼なこと言うな! ミナト君には佐藤さんっていう将来の彼女がいるんだからな!」
すると湊太はこちらをちらっと見やり、肩をすくめて「はいはい」と切り上げてさっさと帰っていってしまう。まったくとため息をつき、ミナトを見上げた。
「ソータが失礼なこと言ってごめんね?」
ところが、彼は後ろ姿の湊太とこちらを見て「どうしちゃったんすか」と言った。
「めちゃくちゃ仲良くなってるじゃないっすか。なにかあったんすか」
「元々仲良いけど? 普段喧嘩とかしないし」
「いや、そうじゃなくて……」
ミナトがなにか言いたげにし、だが「ま、いっか」と公園へ続く道を指した。今日のミナトは髪を全部下ろしている。
「から揚げが全部なくならないうちに乾杯っす」
ミナトの笑顔につられ、洸太も「そうだね」と笑った。
十一月の公園は空気が乾燥していた。車止めを通り過ぎ、落ち葉と土のにおいの中を東屋のほうへ進む。外灯が自販機横のイチョウの木を黄色に彩る。自販機でスポーツドリンクとピーチティーを買い、東屋のベンチに座ってペットボトルをぼんっとぶつけて乾杯した。夜のにおいが混じる秋風が爽やかに吹き抜けていく。
「先輩が演じる劇って、オレが見られるチャンスってあるんすか」
ミナトがピーチティーの口を開けながら尋ねてくる。
「年明けに学内公演があるから、よかったら見に来てよ。まあほとんどがソータの活躍なんだけど」
「弟先輩が主役なんすね。文化祭が終わってから、一年生の間でも弟先輩が噂になってるっす。子役やってたかっこいい二年生がいるって」
そこでペットボトルに口をつけたミナトがふふっと小さく笑った。
「先輩が弟先輩じゃなくてよかったっす。じゃなきゃ女子に先輩を紹介しろとか言われたかもしれないっすよね」
そこできゅっと口角を上げてこちらを見た。くちびるの前に人差し指を当てる。
「先輩、先輩がかっこいいの、バレないようにしてくださいね。隠密行動っす。御庭番ってやつっすね。昔読んだマンガに出てきて覚えた言葉っす。オレ、ちょっと賢くないっすか」
再びペットボトルに口をつける横顔を見て、この子はどうして自分をかっこいいと言うのだろうと突然気になった。顔が似てる似てないは別として、演劇で脇役より主役が目立つのは当然のことだ。だからこそ最初ミナトがかっこいいと褒めたのも、主役をやっている湊太だった。
そこからなぜか照明係をやっていることがかっこいいという話になり、髪を切ったらイケメンになるという話になり、好きなものを好きって言えるのがかっこいいという話になり、髪を切って脇役で喜んでいる程度の洸太がかっこいいという話になっている。親はさておき、こんなに手放しで褒められたのは初めてだ。
「あの……嬉しいことを言ってくれてありがたいんだけど、僕そんなかっこよくない……というか、駄目なところたくさんあるけど……」
自分で言いながら部屋の惨状を思い出してため息をついた。
「ミナト君が僕の部屋を見たらげんなりするよ。ソータの部屋は整理整頓されててきれいだけど、僕の部屋ってめちゃくちゃだし」
「先輩、片づけられない人っすか」
「片づけられないって言うか、片づけたくないって言うか」
「それ、片づけられない人の言葉っすね。場所が移動すると分からなくなるからそこに置いとくんでしょ」
「そう! この本をここまで読んで、でもこっちの本の内容を思い出したいからここに置いておいて、それを読んで思い出したけどあの本にこんなシーンがあったなって思って引っ張り出して、みたいなことをしてると床に本が散らばる」
スポーツドリンクを口にすると微かに甘い味が喉を潤していく。はあとため息をつき、自分の部屋の映像を思い起こした。鞄を太ももの上にのせて、もう一口飲む。
「前に言ったけど、僕って不完全カメラアイだから、覚えたものをきちんと思い出せないときがあるんだよね。それでふと気になってその本を探しちゃうってことが起こるわけ。だから何冊も並行して読んでる状態になっちゃう。できればリラックスしてベッドに寝転がりながら読みたいから、ベッドから手が届くところに全部置きたいじゃん? そうするとさらに本が散らかるわけ」
ピーチティーを飲んでいたミナトがいつかのようにちょっとドン引きした顔をした。
「……なんかすごそうっすね……すげえ意外……」
「ソータにも本を片づけろって言われる。でも、ベッドから届く範囲に置きたいんだよ。映画のパンフレットも同じね。映画のサントラ聴きながらパンフレットを見てるといろんなシーンを思い出せて楽しいんだけど、今日はこの映画、明日はあの映画って手を出すと、それもベッドの側に散らばる。どれを優先して片づければいいか分かんないんだよ」
「いや、昨日のを片づければいいんすよ」
「数日後に『あそこになんて書いてあったけな』って思うかもしれないじゃん。未来の僕がそこに置いておけって言うんだよ」
「それ、未来の先輩じゃなくて今日の先輩っすよ」
呆れた口調でミナトはそう言い、すぐにからっと笑った。
「ウケる。先輩の意外なところを知ったっす。よく言うと本の虫で映画好き。悪く言うと、うーん、言わないでおきます」
あまり褒められたことではないことは分かっているので、そこは流した。そこで洸太はミナトの風に揺れる髪を見た。ずっと切っていないのか、もう一番長い部分は背中についているし、キャラメルの部分もかなり長くなってきた。
「そう言えばミナト君はなんで髪伸ばしっぱなしにしてるの? 金髪に染め直さないの?」
するとミナトが痛いところを突かれたとでも言うように頭を掻いた。
「オレ、童顔だから、大人っぽく見られたくて中学の卒業式の帰りに染めたんすよね。そしたらめっちゃ美容院代が高かったんす。髪染めるのって大変なんだって思って、髪を切るのを諦めてお金を貯めようとしたんすけど、プリンになったらそれも大人っぽいからいいやと思って放置しました。で、現在に至るっす」
「中学の卒アルとか見せてよ。黒髪のミナト君を見てみたい」
「いや、マジでただのガキっす。身長と顔のバランスが合ってないんすよ」
そこでミナトが思い出したようにスマホを取り出した。
「スマホは高校に入学したときに買ってもらったんすけど、中学ンときのダチに写真もらった気がする……」
キャメル色のカーディガンの袖から出た大きな手がすっすっと画面をスライドさせる。するとすぐに「あ」と指が止まった。
「これ、中三の卒業遠足のときの写真っす。学ランだったんすよ。ほら、顔がすごいガキでしょ?」
そう言ってミナトが見せてきた写真では、五人の男女がテーマパークのモチーフの前でピースをしているものだった。中央に顔の小さいのっぽの学ランがいると思ったら、顔がミナトだった。
「え!」
洸太は思わずスマホをひったくった。二本の指で画像を拡大する。前髪センター分けのツーブロックのミナトは、韓流モデルを連想するようなハンサムだった。スッと通った鼻梁が目立つ甘いマスクの笑みを見て、つい顔をあげて本人を見てしまう。ミナトが目線をそらして顔の前で手をひらひらさせた。
「あんま見ないでください。マジで恥ずいっす。一年前のオレ、ガキなんで」
照れるミナトを見て、思わずスマホを握ったまま突っ伏してしまった。かわいすぎる。全然変わってない顔をガキだと言って恥ずかしがるのも、お金を貯めるために髪を切るのを諦めるという思考回路になるところも。外見を気にしているのかしていないのかさっぱり分からない。
ミナト君、やっぱりおもしろい。
ついぷはっと吹き出したら頭をぱしっと軽くはたかれた。
「自分だって髪の毛テキトーだったっしょ!? なんでオレのこと笑うんすか!」
ミナトが怒り出したので「ははっ!」とまたも笑い出してしまった。
「髪の色変えても顔は変わんないからね!? っていうか、すんごいイケメンでびっくりしたんだけど! めちゃくちゃモテたでしょ?」
「モテた……か分かんないっす……告白されたことはあるんすけど、二週間くらいでフラれるんすよね。中身に幻滅したとか思ってたのと違うって言われるんすよ。オレ、そんなにやばいやつっすかね? 割と普通だと思うんすけど」
いや、普通とは違う。
そう思ったらまたもぷっと笑ってしまい、顔の赤いミナトから「歯ァ食いしばれ」と懐かしい言葉とともにデコピンをもらってしまった。ピンと爪の先が当たっただけのデコピンにまた笑うと、「もう!」とスマホをひったくられてしまう。
「あ、ミナト君待って! その写真ちょうだい! もう一回見たい!」
「絶対やだ! 先輩、これ見て笑う気でしょ!? あ、弟先輩に見せてふたりで笑うつもりだな!?」
「すごいイケメンだよってソータに自慢するからちょうだい」
「嘘つき! 絶対に笑うくせに!」
「ちょっとは笑うかも」
「ほら! そういうの、よくない!」
ミナトはそう言いながら鞄にずぼっとスマホを突っ込んだ。そして鞄に頬杖をつき、口をとがらす。耳が赤くなっていて、照れているのが丸分かりだ。最初の頃見下ろされて怖いと思っていたのはどこへやら、ただのかわいい大型犬に見えてきた。
「ミナト君、黒髪のほうが似合うんじゃない? いや、髪が短いほうがいいのかな。今はワイルドっぽさが前面に出てて、イケメンさがちょっと隠れてる気がする」
「……先輩はなんでそんなアドバイスしてくんの」
頬杖をついたままちらりとミナトが視線を寄こす。
「そりゃあ」
洸太はそう言ってから言葉が続かないことに気づいた。急いで佐藤さんの単語を引っ張り出す。
「そりゃあ、佐藤さんを万全のコンディションで迎えたほうがいいでしょ?」
「……ふうん」
ミナトが視線をそらし、気のない返事をした。
「参考に聞くっすけど、金髪と黒髪、どっちがよかったすか」
「今の長さなら黒髪に戻さなくてもいいんじゃない? 重ために見えそう」
「髪短くするなら黒髪ってことっすか」
「髪の短い金髪は見てないからなんとも言えないけど、少なくともあの写真はイケメンだよ」
「じゃあ髪短いのと長いのとどっちがいいっすか」
そう言われて洸太はミナトの頭のてっぺんから下まで見た。廊下で別の一年生とぶつかりそうになったとき、本を拾ってくれたことを思い出す。
「佐藤さんとの出会い方によるよね。今の感じで背が高くてちょっと怖そうに見えておいて、実は優しい人でしたってギャップは定番だよね。少なくとも映画や小説ではそう」
「……なるほど。優しいならよかったっす」
ミナトが小さく頷き、胸がちりっとした。優しいミナトに助けられて、念願の役を得ることができた。これから出会う佐藤さんもそんな優しさに救われるのだろう。
「でも、最初からあのイケメンっぷりを見せられて、一目惚れってこともあるかもしれないか。あ、分かった。今の状態で佐藤さんと出会って、佐藤さんが今のミナト君に慣れたあたりで髪黒く染めて髪切ったらどう?」
そう、そうしたら、今画像を見た僕みたいにすごく驚く。好感を抱く。もっと深く知りたいと思う。だからきっと、未来の彼女の佐藤さんだってミナト君を好きになる。
洸太は胸のちりちりを無視してにっこり笑ってみせた。
「そうしたらギャップになると思わない? 佐藤さんを落とす作戦、完璧だよ」
「……なるほど。タイミングが肝心ってことっすね」
ミナトは考えるように口元に手をやり、また「なるほど」と繰り返した。そして頷く。
「オレ、先輩の髪に関してはミスったんで、自分の髪は間違えないっす」
「え、ちょっと、なんか失礼じゃない?」
洸太は抗議したが、ミナトはひとりで「なるほどね」と繰り返し、納得してしまった。そしてピーチティーを最後までごくごくと飲み、ペットボトルを空にする。
「つか、そろそろ先輩のから揚げがやばいっすね。おめでとうの話をするつもりだったのに話し込んじゃってすんません」
ミナトはそう言ってからスマホを取り出した。そしてカメラを起動する。急にカーディガンの腕が肩に回って、ぐっと引き寄せられた。
「髪切った先輩の写真をくれるなら、あのガキの画像をあげてもいいっす。オーディション合格記念、撮りましょ」
改めてオーディションのことに触れられて、つい照れてしまう。ミナトが斜め上に掲げたスマホを見て手で髪を整えると、ふたりとも笑顔で写真に収める。だが、撮った画像を見たミナトが「ホントだ、オレ、顔変わってない」と赤面したため、「やっぱり消す」「ちょうだい」の押し問答になった。
「先輩」
別れ際、ミナトがそう言ってこちらを呼び止めた。
「明日から眼鏡なしで登校してください」
「え? 眼鏡したほうがいいんじゃないの?」
「はいかイエスで答えてほしいっす」
「? はい。じゃあ新しいのは買いに行かない」
するとミナトは「やった」と笑い、スマホに写るツーショットを指した。
「明日もこの顔で登校してくださいね!」
駅のほうへ向かうミナトの背を見送ってから、改めて画像を見る。写真の隅に空のピーチティーが写っている。甘い香りが笑顔と一緒に閉じ込められていた。