五時からクリスマスツリーの周りでイルミネーションの点灯式があるらしい。四時半にそこへ行くと、てっぺんの白から根元のオレンジへと、グラデーションに枝を染めたツリーが立っていた。シルバーとゴールドのオーナメントがきらきらと光っている。たっぷり二階分はあろうかという高さに、ふたりの口から同時に「おお」と声が出た。側のストリートピアノで男性がきよしこの夜を弾いていて、メロディーが吹き抜けに響いている。
 目配せし、ビニール袋をがさごそ言わせながら端へ寄った。角の店の壁にミナトがもたれ、その隣に立つ。
「すごいっすね。クリスマスツリーってこんなにきれいなんすね」
 ミナトがツリーを見上げ、目を輝かせて言う。いつも長い前髪に邪魔されがちだったサイドがきれいに切りそろえられていて、ミナトの睫毛が上下するのが見える。そのとき、ミナトが指先をこすり合わせたので、「寒い?」と指を掴んだ。完全に冷え切っていて驚く。
「はい、カイロ。寒かったの気づいてなくてごめんね」
 両手でミナトの手と新しいカイロをサンドイッチにする。手が大きくていいな。そう思っていると、ミナトがこほんと咳払いした。
「先輩、あざっす。もう大丈夫っす」
「ミナト君、手袋しないよね」
「手がでかくて入るサイズがなかなかないんすよ」
 洸太がそれにちょっと笑うと、ミナトも笑った。カイロを挟んだ手に息を吹きかけ、再びツリーを見る。
「オレ、昔からサンタはすげえ危険な仕事だと思ってて、小さい頃はサンタが飛行機と事故らないでほしいとか思ってました。うちにプレゼントが置いてあるのを見て、今年も日本には無事に来られたんだと思ったりして」
 サンタの無事を確認してほっとする幼いミナトを想像し、ちょこっと笑う。
「オレ、中学で労働基準法を習ったとき、サンタってブラックじゃんって思ったんす。だけど、ブラックっていうと色的に誤解が生まれると思って。人にこのもやもやを説明できなくて」
「たしかに! 服はレッドとホワイトなのにってなっちゃうか」
「そうなんすよ! うまい言い方ないかなって思ったんすけど、最終的に厳しい仕事をしているっていう言葉に落ち着いたんす。でも納得いかないって言うか」
 ミナトが腕を組んだので洸太も首を傾げる。
「ブラック企業……僕が思うに、サンタは企業に勤めてないよね。だって、所属はサンタクロース協会でしょ? 株式会社サンタクロース、とかじゃないし」
「サンタクロース協会って企業じゃないか。協会と企業の違いってなんすか」
「目的が違うんじゃない? 活動することが目的、利益を出すことが目的、みたいな。ちゃんと調べないと分かんないけど」
「うお、マジっすか。先輩マジ頭いいっすね」
「サンタって金銭的利益は求めてないわけじゃない? 子どもたちに希望を与えること、みたいな目標はありそうだけど。そう考えると、サンタが会社に所属しているとは思えないんだよね」
「なるほど、分かった! サンタは労働基準法に当てはまらないんすね! 労働じゃないから。つまりブラックじゃないんだ!?」
 ミナトが長年の謎が解決したと言わんばかりに顔を輝かせてこちらを見た。ミナトの嬉しそうな顔を見られると洸太も嬉しくて、「よかった!」と言ってしまう。
「サンタはレッドとホワイトでオーケーってことだよ。事件解決、一件落着!」
 するとミナトがなにがおかしかったのかふふっと笑った。少し顔を赤くさせて「先輩って優しいっすね」とこちらを見る。
「オレのこんな話を聞いてくれる人、普通いないっすよ。オレ、本当は気づいてます。自分がちょっと変わってるって。先輩と夏に見に行った映画を見たってクラスメイトがいて、そいつに『洗濯日和だな』って言うシーンがよかったなって言ったら、そんなシーンあったっけって言われたっす。変なこと言っちゃったなって思ったんすけど、先輩は勉強になるなって言ってましたよね。あれ、すごく嬉しかったっす」
 ミナトはそう言ってまたツリーを見た。なにかを思い出すように目を細める。
「先輩は弟先輩と比べて悩んでたと思うっすけど、オレは周りと話が合わないなって思ってたんすよね。ほら、告白されても二週間でフラれるって言ったっしょ? あれ、オレが変なことを言うからだと思うんすよ。オレが思ったことを言うと、普通はそんなこと考えないとか言われるんす。だから、オリエンテーションの自由時間も、同じ学年のやつらとしゃべるより先輩と話してるほうがずっと楽しかったっす。さっきもトランプしようって言ってくれましたよね。そういうこと、覚えててくれるの、すごく嬉しい……そうやって細かいことも覚えるから、オレが炭酸飲めないって気づいたんですもんね。先輩みたいな人をかっこいいって言うんすよ」
 ミナトの言葉に胸が詰まった。見た目やしゃべり方から想像するよりずっと繊細な子だとは思っていた。だが、ミナトがそこまで悩んでいたことは知らなかった。自分の悩みばかり明かせたことを喜んで、ミナトのそういったことに気づいていなかった。自分はミナトのことがなにも見えていなかったのだろう。
 胸が痛くなって、思わずミナトのコートの袖を掴んだ。
「ミナト君」
 ぐいと引っ張ると、少し驚いたようにミナトがこちらを見下ろした。
「ミナト君の感性は魅力的だよ。明日は自信を持って佐藤さんと会って。クリスマスデートは絶対うまくいくから!」
 ミナト君、なにも気づいてあげられなくてごめんね。今日からちゃんとミナト君を応援するよ。
 洸太はビニール袋をがさがささせながら右のこぶしをぐっと握ってみせた。
「大丈夫、ミナト君は優しい人だから佐藤さんも絶対に好きになってくれるって!」
 ミナトが目を見開いた。「え?」となにか言いかけたとき、突然モール内の明かりがフッと暗くなった。目の前のクリスマスツリーだけが明るく浮かび上がる。いつの間にかきよしこの夜は消えていて、シャラララとガラスの破片が飛ぶような音が広がった。行き交う人々も足を止め、なにが起こるのかといったようにざわざわとする。
 ツリーの背面の真っ白な壁に、きらきらと雪が降るようなプロジェクションマッピングが映し出された。その中央に30の白い数字が表れて、誰かが「カウントダウンだ!」と言う。
「すごいね! きれい!」
 思わず声が出て浮かび上がる数字を指さした。誰ともなくそこにいる人々が数字を声に出してカウントし始める。
「20! 19! 18!」
 数字とともに立ち止まった人々の声が何重にも重なり、10から数字も大きくなって天井からふわりふわりと雪が落ちる。雪の中に立つクリスマスツリーは本当にきれいだった。
 明日、ツリーの前で微笑むミナトの目線の先には、佐藤さんがいるかもしれない。だが、今日言ってくれたことと今日のミナトが自分を見ててくれたことで充分だ。
「5、4、3、2、1!」
 ゼロの瞬間、柱や二階以上の手すりに巻かれていた電飾が一斉にゴールドの明かりを灯した。やわらかい光にふわっと優しく周りが包まれたようで、みんなが穏やかな笑みで笑い合って拍手をする。ジングル・ベルの音楽が響き渡り、モール内がポップな雰囲気に変わった。
 ぱらぱらと拍手がやむと、ツリーを見ていた人もぞろぞろと移動し始める。洸太の脳内ではまだプロジェクションマッピングの雪がひらひらと舞っていたが、突然「ねえ」と肩をぐいと引っ張られた。はっと我に返ると、ミナトがなぜか焦った顔でこちらを見てくる。
「先輩、今のどういうこと?」
「え?」
「クリスマスデートって? 佐藤さんってどういうこと?」
 洸太はそこではっとした。ミナトは机の落書きの文通相手が誰だか知らないのだ。ミナトにとっては佐藤さんを見つけたことも、クリスマスデートをすることも、洸太は知らないことになっている。ミナトが口にしなかった秘密を裏で暴いていたようで、顔からさあっと血の気が引いた。
「……あ、えっと」
 洸太はためらったが、胸の前でぎゅっと手を握った。まるで騙してしまったようで心が痛む。
「ごめん……ミナト君、国語で特別教室に行ったとき、机に落書きを書いてるでしょ。古文の活用ってなに、とか。実はあれに返事してるの、僕なんだ。ずっと言わなくてごめん」
 するとミナトが「へ!?」と変な声を出して口を開けた。
「えっマジで言ってる?」
「うん。内緒にして返事を書いてた」
 するとミナトが「いやいや」と手を振る。
「オレは先輩が書いてるって気づいてたよ? 先輩がオレだって気づいてるとは思ってなかったから、それにびっくりしてんだけど」
 それにはこちらが驚く番だった。思わず「なんで僕だって分かったの?」と聞いてしまう。するとミナトは「だって先輩の字だったし」と口をへの字にした。
「先輩、毎月図書室の本の購入希望用紙を提出してるっしょ。図書委員になってすぐそれをまとめる作業をやったけど、他の人はタイトルと作者しか書いてないのに、先輩だけ出版社とか第何版とか細かくて。匿名でも目立ってたから字を覚えた。図書室にある辞書が購入希望になってて変だなと思って先生に聞いたら、『この子は版で内容が変わるのを知ってて違うのが読みたいんだよ』って笑ってて。そんな人がいるのかって驚いたら、先生が今カウンターで本を借りようとしてる子だよって先輩を指さして教えてくれたんだよね。別の図書委員が対応してたけど、先輩が図書室を出てってから履歴を確認して、先輩の名字を覚えたわけ。寿なんてすげえ名字だ、めでたいなって」
 そこでミナトが指を一本ずつ出しながら「字、顔、名字、これを四月に覚えた」と言う。まさか教師と新入生の間でそんな会話があったとは思わず、恥ずかしさに顔から変な汗が出てきた。ぱたぱたと手であおぐ。
「僕、図書室に置いてほしい本を見つけると、最後の奥付のページを見て覚えるんだよ。それを思い出しながら購入希望用紙を書いちゃうから、出版社とか書いたほうがいいよなって思って書いちゃうんだよね。他の人がシンプルに書いてるって知らなかった。匿名なのにバレバレで恥ずかしい」
「別に悪いことじゃないっしょ。そういうわけで、最初に落書きの返事が来たときに図書室で見かけた人だなって思った。そのあと実際にしゃべるようになったけど、先輩が気づくまで相手がオレだっていうのは黙っとこって思ってた。あとから驚かせようと思って」
「ソータの字かもとは思わなかった?」
「先輩が双子だって知ったときは一瞬思ったけど、弟先輩、よく見たら左利きじゃん。右利きの先輩とは字は違うはずだと思って、部活中に邪魔しちゃったときに漢字を聞くふりして弟先輩に字を書いてもらったわけ。やっぱり全然違った。双子で利き腕が違うこともあるっていうのは知らなかったけど、まあ別人だもんなって思った」
「ああ、なるほどね。ソータはあんまり図書室に行かないしね」
「先輩はなんでオレだって気づいたわけ」
「夏休みにファミレスで一緒に勉強したから。向かいでミナト君が字を書くのを見て気づいた」
「あっそうか……オレは先輩だって始めから分かってたから、その可能性には気づかなかった……え、バレバレじゃん」
 ミナトが呆然とした口調で言い、沈黙が下りた。だが、すぐにお互い赤面する。洸太は自分が机に書いた書き込みを思い出し、思わず目線をそらした。
「僕、恥ずかし……演劇部なの知られてたのに、文化祭で演劇部を見に行くといいよって書いたのを読まれてたわけでしょ? ドヤ顔で部活自慢してて恥ずかしすぎる」
「オレのほうがキツい……最近のオレの書き込み、最悪……」
 お互いそっぽを向いて頭を抱え込み、洸太が先に咳払いをした。
「クリスマスツリーの前で男子ふたりが悩んでてもおかしいだけだよ。ミナト君、次どこへ行く予定なの。明日の下見を最後までしないと」
 するとミナトがぱっと顔をあげた。
「それ。その明日ってなに? オレ、明日はバイトだけど。サンタの帽子被ってケーキ売る。寒い外で道を通る人に呼びかけて売るから、環境はブラックかも。カイロ手当って出ないかな? 首、背中、腰、両足、両手用にポケットに貼らないカイロ、どう見積もっても五個は使うんだけど」
「それは過酷だね。クリスマスケーキか。うちは毎年アイスケーキだから、いちごのショートケーキは食べないんだよね」
「先輩ん家はそうなんだ。で、明日ってなんのこと?」
「ミナト君、明日デートなんじゃないの?」
「え、なんで?」
「なんでって、机にクリスマスデートがどうたらって書いたでしょ?」
「それは……書いたけど……でもなんで明日?」
「だってクリスマスは明日でしょ? 明日行くでしょ、クリスマスデート」
 するとぽかんとしたミナトが次第に顔を赤らめ、「ああー!」と再び頭を抱え込んだ。
「そういうことか……日本語激ムズ! 先輩との意思疎通が難しい……いや、オレが悪いのか……」
 ミナトは悔しそうにぶつぶつと呟き、額を押さえてはあとため息をついた。そしてぴんと背を伸ばす。
「先輩、本日最後は学校側の公園の予定っす。寒いけど二十分の予定なんでどうですか。多分そんくらいで六時くらいになると思うんで、帰るのにちょうどいい時間っしょ? いつもしゃべってるあの公園に行きたいんす。話の続きはそっちでしましょ」
 急にミナトがしゃんとした。ジャンパーのポケットにまだ新しいカイロは入っている。いいよと同意すると、ミナトがぴっと駅の方向を指さして「行きましょ」と先をすたすた歩き出した。コートの背中が前を歩きながら左右に不規則に揺れる。「恥っず」「バレてたし」「いやバレてないのか」「ややこしい」となにか独りごちている。
 その呟きはよく分からなかったが、あの文通相手が自分だと見破られていたことがとんでもなく恥ずかしい。変な汗がだらだら出てきて、暑さにコートを脱ぎたいくらいだ。だが、最後の問いに返事を書かなかったことが悔やまれて、ちりっと胸が痛んだ。金髪の残る後頭部を見る。うなじが覗く黒髪の襟足はきれいで、少しだけ寒そうだった。
 モールを出ると雪が降っていた。ふわふわと綿が舞い降りてきていて、クリスマスの飾りつけが映える。雪が降るとかえって暖かくなると言う。ミナトと雪が見られたことに少し胸が温かくなった。だが、ミナトは難しい顔をして駅へと歩いていく。
 電車に揺られている間、ミナトは「今ちょっと考え中」と言い、赤い顔でなにやら考え込んでいた。公園に着くと辺りは本当にいつも通りで、土や植え込みが薄らと雪化粧している以外はクリスマスらしさも欠片もない普通の公園だ。
 ミナトはまっすぐ東屋のほうへ向かった。壁に囲まれているため、風が遮られてちょっとは寒さはマシだろう。通りすがりの自販機に寄ってミナトはホットのミルクティーを買い、洸太はホットのほうじ茶のボタンを押した。ゴトンと落ちてきたオレンジの蓋のペットボトルを取る。屋根が少し白くなった東屋の中へ入り、ペットボトルをカイロ代わりに手を温めて、ベンチにちょこんと腰かけた。
「先輩、そもそも論をいいっすか」
 口火を切ったのはミナトだった。
「クリスマスデートって二十五日限定とは限らなくないっすか? クリスマスイブかもしれないとは思わなかったんすか」
「一般的にはそうかもしれないけど、今日のクリスマスイブは僕と遊ぶって予定入れちゃったじゃん。だから明日佐藤さんと行くデートの下見なのかと思ってたんだけど」
「……その佐藤さんってどこから来たんすか? オレ、佐藤さんを見つけたって言ってねえっす」
「口では言ってないけど、机に好きな人ができたって書いてあったから、念願の佐藤さんと出会えたんだって思ってた。違うの?」
 こちらの言葉にミナトが驚き、途端に手で顔を覆った。
「ああ、そういうこと……やっと分かった……全部オレの書き込みが悪いじゃん……」
 ミナトがはあとため息をつく。その口から湯気が立ちのぼった。白くくゆらせた煙は、誰もいない公園に溶けて消えてしまう。そこでミナトが左右に体を揺らして座り直した。緊張した口ぶりで言う。
「先輩、オレの五つ前の書き込みを覚えてますか。五つ前から最近のまで順番に正確に思い出してほしいっす」
 いきなりお題を出されて洸太の頭の中が「えっ」と一瞬混乱した。
「順番に? 僕、思い出す映像は時系列じゃなくてランダムなんだよ。どれが五つ前とか分かんない」
 木目のある机を思い描いていると、ミナトが「一番目は好きな人ができたとか書いてある書き込み」と言う。
「ああ、『こないだ好きな人ができた』ね」
「次はアプローチがどうのって書いたやつ」
「『うんざりされない程度にアプローチするにはどうしたらいい?』」
「次、デートに誘う云々」
「『ただデートに誘うだけでも喜んでくれると思う?』」
「次、楽しめる場所」
「『既に行ったところでもまた楽しめる場所ってある?』」
「最後、先輩が返事くれなかったやつ!」
 声がちょっと尖っていて、気まずさに声が小さくなった。
「『金曜が終業式、二十四日の土曜から冬休みだけど、クリスマスデートに行くならどこに行けばいい?』」
 するとミナトが「そう、それ!」と大きな声を出した。
「この五つを見て先輩は、オレが付き合いたい彼女の佐藤さんを見つけたと思って、それでデート場所を聞いてきてると考えて、二十五日のクリスマスにデートだと判断して、クリスマスイブの今日は明日のデートの下見って思い込んだってことっすね!?」
「思い込んだって言うか、そうじゃないの?」
 するとミナトが「もう!」と言ってから、「頭文字を全部拾ってみて!」と怒るように言った。
「今の五つ、順番に頭文字を拾ってみて!」
「頭文字……?」
 脳内で五つの映像を思い浮かべて拾っていく。
 こ・う・た・す・き。
「……え、はあ!?」
 思わずミナトの顔を見上げたら、「あーもう」とミナトが頭を抱え込む。
「書いてるのはオレだと知らないと思ってたし、ひとりで遊んでただけだけど……でもさ、先輩は全部覚えられるから気づいてくれっかなってちょっとは期待するじゃん?」
 顔を手で覆うミナトを見てぽかんとし、我に返って「いやいや!」と思わず言い返す。
「頭文字を読むなんて気づくわけないでしょ!? ちょっと文章がいつもと違うなとは思ったけど! 言いたいことは直接言ってよ!」
「『ずっと前から月はきれいだよ』! はい、今直接言った!」
 ずっと前からあなたが好きでした。自分の部屋から見える半月を見ながら電話で話したときのセリフ。自分が教えたそれをミナトが覚えていたことに、顔が熱くなっていく。その恥ずかしさを振り切るように首を横に振り、顔を赤くさせて睨むようにこちらを見てくるミナトに「それは違うって!」とかぶりを振る。
「それは『月がきれいですね』の返事だから! 単体じゃ使わないよ!」
「えっ? あ、そうなのか! オレってホントバカ、っていうか先輩意味分かってんじゃん!?」
「分かったけど、なんか違うかなと思って!」
「違っててもいいんじゃねえの!? 伝わったんだから!」
 ぎゃあぎゃあと言い合い、ミナトがぐっとこぶしを握って叫んだ。
「佐藤さん探しはやめた! だって寿洸太を好きになったから! 男子が男子を好きになったらおかしい? きっと先輩以外はオレを変わってるって言う。でも、先輩はバカにしないと思った!」
 そこでミナトが耳まで顔を赤くさせていることに気づいた。東屋の天井にある明かりがふたりを見下ろしている。
 いつか頭の中でサス残しの照明の中に立つミナトを思い描いた。そしてもう一つライトが落ちた先に女の子が立つ様子も想像した。だが、違う。今、スポットライトを浴びているのはミナトと自分だ。
「……ミナト君って、僕のことが好きなの?」
「そうだよ! オレの変な話も聞いてくれるし、勉強教えてくれて優しいし、一緒にいて楽しいし、読書量がすごいのかっこいいし、あと髪を切ってからポテンシャルを発揮しすぎて顔見るの大変! 髪切った日にここで撮った写真を見てめっちゃにやけてる!」
「え、顔はソータで見慣れてるでしょ?」
「でも弟先輩は爽やか元気でいかにも弟って感じだし! 先輩は雰囲気かわいい穏やか系なのに中身がイケメンお兄ちゃんって感じ……っていうか、先輩はファースト飲み回しからオレにいろいろ彼氏彼女相手みたいなことをしてくるよな! 最近もカイロを用意してくれるとか、マジでなに!? そういうの、勘違いされるから! 先輩のすることはいつもギリアウト!」
「え、え? 僕そんな変なことした?」
 洸太は尋ねたが、ミナトはそこで膝に肘をついて顔を覆ってしまった。だが、赤い耳がぴょんと出ている。
「……あーもう、思ってたこと全部ぶちまけちゃった……いや、一つ言ってねえや。最後の机の落書きに返事くれなかったの、なんでっすか……ちょっとショックだったっす」
 ミナトの言葉を反芻し、ようやくなにがすれ違っていたのか理解した。だが、理解した事実がどんどん顔を熱くさせて、自分でも顔が赤くなっていくのが分かる。雪の公園に沈黙が下りて、外なのに暑い。
 ずっとあなたが好きでした。寿洸太が好きになったから。
 ミナトが言った言葉が真実なのだと、ようやく頭に手の先、足の爪先まで浸透して、クリスマスツリーを見たときのときめきのように胸がどきどきしてくる。ミナトの一世一代の告白だ。口からのぼる白い息を呑み込むように身を乗り出して尋ねてしまう。
「ミナト君は好きな人ができたって僕に遠回しに伝えようとしてたの? クリスマスデートって今日僕と出かけることを指してた? だからどこ行くのがいいか僕に聞きたかったってこと? その髪は、僕のためにおめかししてくれたってこと?」
「……その通りっす……だから最後の質問の答えを知りたかったっす……」
 ミナトがうなだれるように頭を下げる。すると短くなった髪が前へさらっと流れた。いつもきらきら光って見える金髪が毛先だけで翻って、やはりきらきらして見える。ミナトが寒そうに首を縮めた。口元を隠すようにマフラーをあげる。
 ミナトの隠しきれていない耳の赤い部分を見ていたら胸がどくどくと大きな音を立て始めた。鼻先だけ冷たいのに顔が熱い。劇が始まる前と同じ胸の高鳴り。そして自分たちに当たっているスポットライト。開演ベルが鳴らない新しい世界の幕を上げるには、自分がきちんと言葉にしなければならない。
 オレの前で演技しなくていいよ。いつかミナトが言っていた言葉。ミナトが本音を話すべきだと最初に教えてくれた。
「僕が」
 洸太がそう言うと、目線だけでちらりとミナトがこちらを見た。
「僕が返事をしなかったのは、ミナト君に佐藤さんとクリスマスデートに行ってほしくなかったから。今日は遊びに行こうって言われて嬉しかった。改札前の登場シーンからかっこよすぎて完璧だったよ。映画も、UFOキャッチャーも、ウィンドウショッピングも、クリスマスツリーを見るのも、どれもすごく楽しかった。でも、今日は全部佐藤さんのためだと思ってた。きっとさっきまでの自分だったら別れ際にこう言ってた。ミナト君、明日のデートプランはばっちりだよって」
 洸太は勇気を出して笑った。
「僕も月はずっときれいだと思ってたんだ。今日のデートプラン、ばっちりだった。すっごく楽しかったよ!」
 最後のほう、声が震えてしまい、同じく震えそうな体に思わずぐっと腹に力を入れる。ミナトがゆっくりとこちらを見て、口を小さくぽかんと開けた。
 いつだって人に話せない本音を言う相手はミナトだった。明日からもそうできるなら、それが一番いい。
 体が熱くなった洸太はハイネックのジャンパーの上だけ開けて、中に締めていたマルチカラーのマフラーを外した。立ち上がり、ふわりとミナトのマフラーの上に被せる。
「髪が短くなったうしろが寒そう。風邪引いたらいけないからちゃんと温かくして。それから、僕は好きでもない人にカイロなんてあげないよ」
 マフラーを掴んだままそう言うと、腕の長さ分に近づいたミナトの顔がへなへなと下を向いた。
「……嬉しすぎる。やっば……」
 だが、次の瞬間ミナトの両腕ががしっと腰に回って、ぐいと引き寄せられた。
「……先輩の破壊力、ホント半端ない……」
 洸太は思わずははっと笑ってしまった。胸の位置にあるキャラメルの多い金髪プリンの頭を抱きかかえる。
「ミナト君、かわいすぎ! 顔見られたくないのをごまかしてるでしょ!」
「……すげえにやけてるから絶対見せられない……」
 胸元でミナトがもごもご言って、抱えた頭をぽんぽんする。そしてそこに軽く顎をのせた。ふっと息を吐くと、くらりと白いもやが上にのぼっていく。
 初めてこの公園で話した日の夏の湿気を思い出せる。半年間、ちょっとの時間を積み重ねてきたふたりの気持ちを話すには、この公園がふさわしい。だからミナトもここへ来ようと促したのだし、クリスマスツリーの前にいるときよりも胸が熱いのだ。
 洸太は抱きしめる後頭部を撫でて言った。
「ミナト君、僕と付き合ってください。返事ははいかイエスでお願いします」
 するとこちらのジャンパーの腰を掴む手にぎゅっと力が入った。
「……うっす……」
 はいでもイエスでもない答えにまた笑い、ミナト君らしいなとまた笑ってしまう。多分、笑っていないと目から熱いものがこぼれそうだからだ。
「ミナト君、夕飯は家で食べる? もしよかったらファミレスでご飯食べない? 僕にとっては今ここからが正式なデートなんだ」
 するとミナトがぱっと離れて慌てて立ち上がった。
「行けます! でも、オレ、ここからノープラン」
「ノープランでも楽しければいいんじゃない? あ、ミナト君、今日ソータに変なこと言わないで。ソータ、僕がミナト君を好きって気づいてるっぽくて」
 するとミナトが再び「あ!」と焦った顔になって持っていたバッグを広げた。そして「これ」とリボンでラッピングされた透明な袋を差し出してくる。
「渡すの忘れてた。クリスマスプレゼントっす」
「ブックカバー? すごい、文庫サイズと新書サイズだ」
 コバルトブルーとオリーブの布地がラッピングされた袋に驚く。洸太はつい笑顔になったが、ミナトはもごもごと言った。
「弟先輩が、先輩にクリスマスプレゼントをあげればって言ってたんす。コータは鞄に必ず一冊本を入れてる、文庫が多いけどたまに新書も読んでるって」
「え、ソータはなんでそんなことを?」
「……オレの気持ちもバレバレっぽい……」
 思わず「ソータのやつ」と赤面した。だが、袋を胸に抱きしめて顔をあげる。
「ありがとう! 今日から使わせてもらうね!」
 ミナトが頬を染めたまま破顔した。誰もいない冬の公園で、冷たい手を取る。するとミナトが握り返してきた。
 この大きな手で手をつなぐのは佐藤さんではなく自分だった。佐藤さんなんて最初からいなかった。名字を変えて佐藤さんになりたかったミナトも、ミナトに振り向いてほしくて佐藤さんになりたかった自分も、もうどこにもいない。
「ミナト君」
 二重にマフラーを巻いたミナトがこちらを見下ろす。指先が少し温かくなってきた。指先の熱を分け合って、本音を打ち明けて、そうやって時間を進めていく。舞台の幕は上がったばかりだ。カーテンコールにはまだ早い。
「ホント、大好き!」
 洸太の額に真っ赤になったミナトのデコピンが弾けた。



【了】