オリエンテーションから帰ってきたミナトがくれたのは、いちごキャラメルにコーティングされたポップコーンだった。いちごの産地だけの限定品だ。映画を思い出して笑うと、案の定ミナトも「また映画行きましょ」と笑ってくれた。
いちご味は甘くて心に染みる。ひとり自室でポップコーンを味わい、気分よく翌日古典の授業に行った。だが、机の上の文字を見て息が止まった。
『こないだ好きな人ができた』
蛍光灯で銀色に光るシャーペンの丸文字が恋を語っている。木目のある机に目が釘付けになって、目が見開く。体がかちんと動かなくなって、その文字から目をそらせない。
好きな人ができた。好きな人ができた? 佐藤さんを見つけたってこと?
食い入るように机を見つめていたら、入ってきた教師に「寿君?」と声をかけられた。
「どうかした?」
「いえ、なんでもありません」
ささっと文字をノートで隠し、ペンケースからシャーペンを取り出す。だが、なんと返事をすればいいのか分からない。
心臓がどくどくと音を立てて、腹がきゅうっと痛くなる。急に目頭が熱くなって、ハンカチで咳を抑えるふりをして目元を拭った。シャーペンを握る手に力が入らない。教師の言葉なんて右から左で、座っている椅子の冷たさだけがしんしんと体に冷えた。
ミナト君、佐藤さんに会ったんだ。ってことは、これからその子と一緒に帰ったり、クレープを食べたりするってこと? 映画館でセカンド飲み回しをするのは僕じゃなくて、佐藤さんってこと? 来年の学内公演を一緒に見ながら僕を指さして、「あの先輩と仲良いんだよ」っておしゃべりしたりするってこと? 僕はそんなふたりに「付き合えてよかったね」と笑顔で言わなきゃいけないってこと? ――そんなの、できるわけないじゃないか。
ギリギリと掴まれたように心臓が痛い。授業は上の空で聞き、チャイムが鳴ってから「おめでとう」と一言書いて終わりにした。
ところが、次の授業のときには「うんざりされない程度にアプローチするにはどうしたらいい?」と書かれていた。どうやら恋愛の相談相手にされてしまったらしい。ぐっとくちびるを噛みしめる。
おそらくオリエンテーションに行って、他クラスや他の科とも交流して佐藤さんを見つけたと言ったところだろう。自分を応援してくれたミナトを突き放すのは心が痛む。ミナトのことは好きだから相談に乗りたい。でもミナトのことが好きだから素っ気ないことしか書けない。しかたなく「一緒に帰ろうって誘ってみたら」と返事をした。
翌日はミナトの図書当番の日で、部活を終えてから悶々として制服に着替えた。初めての役者は楽しいが、この状態では学校生活の楽しみが半分なくなったも同然だ。ブレザーの前を合わせ、ため息をついて昇降口を出ると、いつも通りミナトは校門にもたれて立っていた。校舎からの明かりの中、こちらに気づかずぼんやりと空を眺めている。
いつもはシャツにキャメル色のカーディガンだが、今日は寒かったのか、白のパーカーを中に着たブレザー姿でポケットに手を突っ込んでいた。普段あまり見ない紺色のジャケットがハーフアップの金髪を目立たせている。
長くなった金髪が翻るといつもよりきらきらして見える。洸太の胸がぎゅっと締めつけられた。
佐藤さんと結婚するのが将来の夢のミナト君。話が合う佐藤さんを探していたミナト君。そして、念願の好きな人を見つけたミナト君。羨ましい。僕が佐藤さんになりたい。ああ、今はっきりした。ミナト君が好きだ。僕は佐藤さんでも女子でもないのに、ミナト君を好きになってしまった。どうやってミナト君の夢を応援したらいいんだろう。
「ミナト君、待たせてごめんね」
勇気を振り絞って名前を呼ぶ。ミナトがぱっと顔をこちらに向け、笑って小さく手を振ってきた。顔に笑みを貼りつけて近づくと、ミナトが校門から背を離す。
「先輩、一緒に帰りましょ」
こんなふうに誘ってくれて一緒に帰れるのもいつまでかな。そんなことを思いながら「うん」と彼の隣を歩き出そうとした。だが、ミナトは立ち止まったままで、おやと思って顔を見上げる。するとなぜかミナトが緊張した顔をしていた。
「どうかした?」
思わず尋ねると、ミナトが「イエ」と目をそらす。
「……なんでもないっす……ちょっと、ね」
「そう?」
特にミナトの言葉が続かなかったので、並んで歩き出した。コツコツと靴が地面を鳴らす。どんどん日が短くなって、足元から寒さが這い上がってくる。明日からマフラーを出そうと考えて、もし寒そうにしているミナトがいたら自分のをかけてあげるのにななんて思う。もやもやする気持ちを打ち消すために口火を切る。
「ミナト君さ、理想の佐藤さんってどんな子? 今やってる僕の役、彼女がいる設定なんだけど、どういう子を想定すればいいのか全然分かんなくて。ソータには理想の彼女を考えろ、みたいなことを言われたけど、そんなの考えても分かんないし」
佐藤さんってどういう子? どういう子なら僕は諦められる? そんな思いで聞くと、ミナトが真剣に「うーん」と腕を組んだ。
「理想の彼女っていうか、好きになった子が理想なんじゃないっすか」
「……そういうもの?」
「好きになってみて、意外とこういう子が好きなんだなって気づくとか、ありそうじゃないっすか」
ミナトの言葉にリアリティがあったので、ぐっと言葉に詰まる。自分で聞いておきながら、身勝手に傷ついてしまう。だが、ミナトはちょっと笑った。
「先輩が恋バナってちょっとおもしろいっす。弟先輩はしゃべりそうっすけど」
そうだよね。僕ってそういうタイプに見えないよね。
内心頷きつつため息を吐くと、「先輩」と急に肩を抱き寄せられた。はっとすると目の前に車が迫っている。ミナトがこちらの肩に手を回したまま端に寄った。
「危ないっす。ちゃんと前見て歩いてくださいよ」
近い近い近い。体がくっついて、制服越しにミナトの体温が流れ込んでくる。車が通り過ぎるまで口をむずむずさせていたが、車が去るとミナトがぱっと手を離した。笑顔でこちらを見てくる。
「先輩、あったかい。抱き枕サイズのカイロっすね」
その言葉に恥ずかしくなって、思わずミナトの鼻先を摘まんだ。
「そうやってチビをバカにして」
「チビなんて言ってないっす。てか、先輩そんなにチビじゃないっしょ。あと、暴力反対っす。鼻声、やだ」
「じゃ、次言ったらグータッチね」
洸太が手を離すと、ミナトは白い歯を見せて「了解!」と破顔した。
再び歩き出したミナトをちらりと見上げる。今日は言葉一つ、行動一つが胸をちりちりとさせてくる。ゼロ距離でも本音を言えなくて、隣にいるのになんだか悲しい。好きだと思ったら友人の距離では満足できなくて、どんどん欲張りになっていくのが分かる。
好きになってみて、意外とこういう子が好きなんだなって気づく。
ミナトの言葉は半分合っていて、半分違う。好きになってみて、意外と自分はこうだったと気づくのだ。
その日聞いたオリエンテーションの話は楽しめなかった。主に友人の話だったが、どこで佐藤さんと出会ったのかと冷や冷やしてしまう。結局話題には出てこなかったが、むかむかしながら家路についた。
家に帰って黙々と夕飯を食べ終わると、先に夕食を済ませてソファでテレビを見ていた湊太が「これ食う?」と個包装されたせんべいを差し出してきた。
「どうしたの、これ」
「先週もらわなかった? ミナト君からのオリエンテーション土産」
「は?」
思わず声が尖って、湊太が目を丸くさせた。
「どうした?」
「あ、いやごめん、ミナト君からオリエンテーションの話を聞いて、去年の嫌なことを思い出したばっかりでさ」
「……ふうん?」
「ほら、特進って自由時間も学習時間だったからさ、他の科が楽しそうに遊んでるのが羨ましかったんだよ。いくらなんでも厳しすぎだと思って。すっごく根に持ってる」
「……あ、そう」
湊太は分かったような分からないような微妙な顔をした。
「コータは部活やってるからそういう感じじゃないけど、普通科から見ると特進って朝から晩まで勉強してる最強軍団に見えるぜ」
「でしょ」
そこで話を切り上げ、部屋に戻ってせんべいをぼりぼり食べる。湊太にまでお土産を渡すなんて律儀だなという思いと、自分の知らないところでなにをしゃべってるのかななどと嫉妬めいたことを思う。
床に膝をついてコロコロとカーペットクリーナーを手で動かすと、脳内で第一体育館の舞台が蘇った。あるはずもない、ミナトがそこに立つ姿を思い描く。他の照明が消えた闇の舞台の上に、サスペンションライトのひと筋の光がひとりの人物だけを捉えるサス残し。そこに立つミナトが照明にきらきらさせた金髪を片手で払い、暗闇に向かって手を伸ばす。
「佐藤さん、一緒に帰ろう」
するともう一つのライトが地面に落ちる。ブレザー姿の女子が嬉しそうに胸に手を当て、ミナトのほうへ片手を伸ばすのだ。
カッとなって頭の中でフェーダーを下げた。照明を絞って女子の姿をフェードアウトさせる。
頭の中は自由だ。自分の人生において誰にライトを当ててみるかなんて誰にも縛れない。だが、頭の中と現実は一致しない。ミナトは暗闇の中に立つ佐藤さんを見つけたのだろうし、自分はそれを客席側から見ることしかできないのだろう。
もやもやして迎えた翌週は、机の上の「ただデートに誘うだけでも喜んでくれると思う?」「既に行ったところでもまた楽しめる場所ってある?」という問いに答えなければならなかった。前者に「きっと喜ぶよ」と書き、後者には「映画は?」と答える。
まだセカンド回し飲みができていない現状に悶々とし、部活では刷毛をがさがさと動かしてベニヤ板にペンキを塗った。つんとするにおいに頭を振り、稽古に声を張る。
「『朝比奈君は、最近彼女のユキちゃんとどう?』」
「『それが、こないだもバイトが忙しいってデートを断られちゃってさ』」
「『いのち短し恋せよ乙女って言うのにね』」
「『ユキちゃんは人生長し稼がにゃアウトって感じなんだよな』」
「『なにそれ!』」
ブレザーの上にコートを着るようになると落ち葉はどこかに消えて、寒々しい枝が空をどんと突かんとばかりにきりりと尖る。冬到来の棘がちくちくと頬を刺して、口元までマルチカラーのマフラーでぐるぐる巻きにする。すると、息をするたびに薄らと目の前に白い息がのぼった。
星空がきれいになる時間のふたりの帰り道は、本屋に寄ったり、公園で温かい飲みものを買って二十分ほど話したりして帰るようになった。毎回「じゃあね」が言い出しづらくて、「寒いっす」の言葉が出る前にミナト用に持ってきているカイロを渡す。
試験二週間前に入ると、特進科はゼロ時間目の朝勉強が始まる。湊太より早起きして、寒さの中を走って登校する。体を温めてから机に向かうと今年も冬がやって来たという気がする。どうやら机の上の丸文字も同じらしく、クリスマスの話になった。
『金曜が終業式、二十四日の土曜から冬休みだけど、クリスマスデートに行くならどこに行けばいい?』
この近くの駅から二十分ほど電車に揺られると、市の中心部に出る。そこにある三階建てのモールの中央にはストリートピアノが設置されているのだが、クリスマスには巨大なクリスマスツリーが立つ。
ここのイルミネーションは定番の赤と緑と白のイメージの年もあれば、ゴールドとシルバーでまとめた上品な雰囲気の年もある。小さい頃は毎年家族と見に行って、何色になるか楽しみにしていた。この近辺に住む人にとって、クリスマスのイルミネーションは楽しみの一つである。
エアコンが効きすぎて暖かすぎる教室はなんだか空気がこもる。息苦しさを感じながら、そのクリスマスツリーの前で笑うミナトを思い浮かべた。だが、その視線の先にいるのは自分ではない。
シャーペンを持つ手が下りた。分からない。どこへ行けばいいのかも、自分の気持ちも、なにもかも。
なにも書かずに授業を終え、くちびるを噛みしめて教室を出た。
いちご味は甘くて心に染みる。ひとり自室でポップコーンを味わい、気分よく翌日古典の授業に行った。だが、机の上の文字を見て息が止まった。
『こないだ好きな人ができた』
蛍光灯で銀色に光るシャーペンの丸文字が恋を語っている。木目のある机に目が釘付けになって、目が見開く。体がかちんと動かなくなって、その文字から目をそらせない。
好きな人ができた。好きな人ができた? 佐藤さんを見つけたってこと?
食い入るように机を見つめていたら、入ってきた教師に「寿君?」と声をかけられた。
「どうかした?」
「いえ、なんでもありません」
ささっと文字をノートで隠し、ペンケースからシャーペンを取り出す。だが、なんと返事をすればいいのか分からない。
心臓がどくどくと音を立てて、腹がきゅうっと痛くなる。急に目頭が熱くなって、ハンカチで咳を抑えるふりをして目元を拭った。シャーペンを握る手に力が入らない。教師の言葉なんて右から左で、座っている椅子の冷たさだけがしんしんと体に冷えた。
ミナト君、佐藤さんに会ったんだ。ってことは、これからその子と一緒に帰ったり、クレープを食べたりするってこと? 映画館でセカンド飲み回しをするのは僕じゃなくて、佐藤さんってこと? 来年の学内公演を一緒に見ながら僕を指さして、「あの先輩と仲良いんだよ」っておしゃべりしたりするってこと? 僕はそんなふたりに「付き合えてよかったね」と笑顔で言わなきゃいけないってこと? ――そんなの、できるわけないじゃないか。
ギリギリと掴まれたように心臓が痛い。授業は上の空で聞き、チャイムが鳴ってから「おめでとう」と一言書いて終わりにした。
ところが、次の授業のときには「うんざりされない程度にアプローチするにはどうしたらいい?」と書かれていた。どうやら恋愛の相談相手にされてしまったらしい。ぐっとくちびるを噛みしめる。
おそらくオリエンテーションに行って、他クラスや他の科とも交流して佐藤さんを見つけたと言ったところだろう。自分を応援してくれたミナトを突き放すのは心が痛む。ミナトのことは好きだから相談に乗りたい。でもミナトのことが好きだから素っ気ないことしか書けない。しかたなく「一緒に帰ろうって誘ってみたら」と返事をした。
翌日はミナトの図書当番の日で、部活を終えてから悶々として制服に着替えた。初めての役者は楽しいが、この状態では学校生活の楽しみが半分なくなったも同然だ。ブレザーの前を合わせ、ため息をついて昇降口を出ると、いつも通りミナトは校門にもたれて立っていた。校舎からの明かりの中、こちらに気づかずぼんやりと空を眺めている。
いつもはシャツにキャメル色のカーディガンだが、今日は寒かったのか、白のパーカーを中に着たブレザー姿でポケットに手を突っ込んでいた。普段あまり見ない紺色のジャケットがハーフアップの金髪を目立たせている。
長くなった金髪が翻るといつもよりきらきらして見える。洸太の胸がぎゅっと締めつけられた。
佐藤さんと結婚するのが将来の夢のミナト君。話が合う佐藤さんを探していたミナト君。そして、念願の好きな人を見つけたミナト君。羨ましい。僕が佐藤さんになりたい。ああ、今はっきりした。ミナト君が好きだ。僕は佐藤さんでも女子でもないのに、ミナト君を好きになってしまった。どうやってミナト君の夢を応援したらいいんだろう。
「ミナト君、待たせてごめんね」
勇気を振り絞って名前を呼ぶ。ミナトがぱっと顔をこちらに向け、笑って小さく手を振ってきた。顔に笑みを貼りつけて近づくと、ミナトが校門から背を離す。
「先輩、一緒に帰りましょ」
こんなふうに誘ってくれて一緒に帰れるのもいつまでかな。そんなことを思いながら「うん」と彼の隣を歩き出そうとした。だが、ミナトは立ち止まったままで、おやと思って顔を見上げる。するとなぜかミナトが緊張した顔をしていた。
「どうかした?」
思わず尋ねると、ミナトが「イエ」と目をそらす。
「……なんでもないっす……ちょっと、ね」
「そう?」
特にミナトの言葉が続かなかったので、並んで歩き出した。コツコツと靴が地面を鳴らす。どんどん日が短くなって、足元から寒さが這い上がってくる。明日からマフラーを出そうと考えて、もし寒そうにしているミナトがいたら自分のをかけてあげるのにななんて思う。もやもやする気持ちを打ち消すために口火を切る。
「ミナト君さ、理想の佐藤さんってどんな子? 今やってる僕の役、彼女がいる設定なんだけど、どういう子を想定すればいいのか全然分かんなくて。ソータには理想の彼女を考えろ、みたいなことを言われたけど、そんなの考えても分かんないし」
佐藤さんってどういう子? どういう子なら僕は諦められる? そんな思いで聞くと、ミナトが真剣に「うーん」と腕を組んだ。
「理想の彼女っていうか、好きになった子が理想なんじゃないっすか」
「……そういうもの?」
「好きになってみて、意外とこういう子が好きなんだなって気づくとか、ありそうじゃないっすか」
ミナトの言葉にリアリティがあったので、ぐっと言葉に詰まる。自分で聞いておきながら、身勝手に傷ついてしまう。だが、ミナトはちょっと笑った。
「先輩が恋バナってちょっとおもしろいっす。弟先輩はしゃべりそうっすけど」
そうだよね。僕ってそういうタイプに見えないよね。
内心頷きつつため息を吐くと、「先輩」と急に肩を抱き寄せられた。はっとすると目の前に車が迫っている。ミナトがこちらの肩に手を回したまま端に寄った。
「危ないっす。ちゃんと前見て歩いてくださいよ」
近い近い近い。体がくっついて、制服越しにミナトの体温が流れ込んでくる。車が通り過ぎるまで口をむずむずさせていたが、車が去るとミナトがぱっと手を離した。笑顔でこちらを見てくる。
「先輩、あったかい。抱き枕サイズのカイロっすね」
その言葉に恥ずかしくなって、思わずミナトの鼻先を摘まんだ。
「そうやってチビをバカにして」
「チビなんて言ってないっす。てか、先輩そんなにチビじゃないっしょ。あと、暴力反対っす。鼻声、やだ」
「じゃ、次言ったらグータッチね」
洸太が手を離すと、ミナトは白い歯を見せて「了解!」と破顔した。
再び歩き出したミナトをちらりと見上げる。今日は言葉一つ、行動一つが胸をちりちりとさせてくる。ゼロ距離でも本音を言えなくて、隣にいるのになんだか悲しい。好きだと思ったら友人の距離では満足できなくて、どんどん欲張りになっていくのが分かる。
好きになってみて、意外とこういう子が好きなんだなって気づく。
ミナトの言葉は半分合っていて、半分違う。好きになってみて、意外と自分はこうだったと気づくのだ。
その日聞いたオリエンテーションの話は楽しめなかった。主に友人の話だったが、どこで佐藤さんと出会ったのかと冷や冷やしてしまう。結局話題には出てこなかったが、むかむかしながら家路についた。
家に帰って黙々と夕飯を食べ終わると、先に夕食を済ませてソファでテレビを見ていた湊太が「これ食う?」と個包装されたせんべいを差し出してきた。
「どうしたの、これ」
「先週もらわなかった? ミナト君からのオリエンテーション土産」
「は?」
思わず声が尖って、湊太が目を丸くさせた。
「どうした?」
「あ、いやごめん、ミナト君からオリエンテーションの話を聞いて、去年の嫌なことを思い出したばっかりでさ」
「……ふうん?」
「ほら、特進って自由時間も学習時間だったからさ、他の科が楽しそうに遊んでるのが羨ましかったんだよ。いくらなんでも厳しすぎだと思って。すっごく根に持ってる」
「……あ、そう」
湊太は分かったような分からないような微妙な顔をした。
「コータは部活やってるからそういう感じじゃないけど、普通科から見ると特進って朝から晩まで勉強してる最強軍団に見えるぜ」
「でしょ」
そこで話を切り上げ、部屋に戻ってせんべいをぼりぼり食べる。湊太にまでお土産を渡すなんて律儀だなという思いと、自分の知らないところでなにをしゃべってるのかななどと嫉妬めいたことを思う。
床に膝をついてコロコロとカーペットクリーナーを手で動かすと、脳内で第一体育館の舞台が蘇った。あるはずもない、ミナトがそこに立つ姿を思い描く。他の照明が消えた闇の舞台の上に、サスペンションライトのひと筋の光がひとりの人物だけを捉えるサス残し。そこに立つミナトが照明にきらきらさせた金髪を片手で払い、暗闇に向かって手を伸ばす。
「佐藤さん、一緒に帰ろう」
するともう一つのライトが地面に落ちる。ブレザー姿の女子が嬉しそうに胸に手を当て、ミナトのほうへ片手を伸ばすのだ。
カッとなって頭の中でフェーダーを下げた。照明を絞って女子の姿をフェードアウトさせる。
頭の中は自由だ。自分の人生において誰にライトを当ててみるかなんて誰にも縛れない。だが、頭の中と現実は一致しない。ミナトは暗闇の中に立つ佐藤さんを見つけたのだろうし、自分はそれを客席側から見ることしかできないのだろう。
もやもやして迎えた翌週は、机の上の「ただデートに誘うだけでも喜んでくれると思う?」「既に行ったところでもまた楽しめる場所ってある?」という問いに答えなければならなかった。前者に「きっと喜ぶよ」と書き、後者には「映画は?」と答える。
まだセカンド回し飲みができていない現状に悶々とし、部活では刷毛をがさがさと動かしてベニヤ板にペンキを塗った。つんとするにおいに頭を振り、稽古に声を張る。
「『朝比奈君は、最近彼女のユキちゃんとどう?』」
「『それが、こないだもバイトが忙しいってデートを断られちゃってさ』」
「『いのち短し恋せよ乙女って言うのにね』」
「『ユキちゃんは人生長し稼がにゃアウトって感じなんだよな』」
「『なにそれ!』」
ブレザーの上にコートを着るようになると落ち葉はどこかに消えて、寒々しい枝が空をどんと突かんとばかりにきりりと尖る。冬到来の棘がちくちくと頬を刺して、口元までマルチカラーのマフラーでぐるぐる巻きにする。すると、息をするたびに薄らと目の前に白い息がのぼった。
星空がきれいになる時間のふたりの帰り道は、本屋に寄ったり、公園で温かい飲みものを買って二十分ほど話したりして帰るようになった。毎回「じゃあね」が言い出しづらくて、「寒いっす」の言葉が出る前にミナト用に持ってきているカイロを渡す。
試験二週間前に入ると、特進科はゼロ時間目の朝勉強が始まる。湊太より早起きして、寒さの中を走って登校する。体を温めてから机に向かうと今年も冬がやって来たという気がする。どうやら机の上の丸文字も同じらしく、クリスマスの話になった。
『金曜が終業式、二十四日の土曜から冬休みだけど、クリスマスデートに行くならどこに行けばいい?』
この近くの駅から二十分ほど電車に揺られると、市の中心部に出る。そこにある三階建てのモールの中央にはストリートピアノが設置されているのだが、クリスマスには巨大なクリスマスツリーが立つ。
ここのイルミネーションは定番の赤と緑と白のイメージの年もあれば、ゴールドとシルバーでまとめた上品な雰囲気の年もある。小さい頃は毎年家族と見に行って、何色になるか楽しみにしていた。この近辺に住む人にとって、クリスマスのイルミネーションは楽しみの一つである。
エアコンが効きすぎて暖かすぎる教室はなんだか空気がこもる。息苦しさを感じながら、そのクリスマスツリーの前で笑うミナトを思い浮かべた。だが、その視線の先にいるのは自分ではない。
シャーペンを持つ手が下りた。分からない。どこへ行けばいいのかも、自分の気持ちも、なにもかも。
なにも書かずに授業を終え、くちびるを噛みしめて教室を出た。