人生は山登りに似ている。
かの有名な心理学者ユングはそう残している。
「今、なんて言いました?」
魚谷瑞希は自分の耳を疑った。
「実は他の女性と結婚を前提としたお付き合いを始めることになったんです」
彼は実に嬉しそうにメガネをクイと上げ、瑞希に報告した。
ウキウキとはずむ声に思わず苛立ちを覚える。
今日は二週間前に結婚相談所から紹介された彼との二回目のデート。
上手くいけば、これを機に交際に発展するのではと瑞希はひそかに期待していた。
淡い期待が裏切られたのは、食事を取り終わりデザートが運ばれてきたその矢先だった。
「そう、なんですか……。良かった、ですね……」
瑞希は動揺を悟られないよう懸命に笑顔を作り、彼の門出を祝福をした。
衝撃が冷めやらぬまま、おぼつかない手つきで焼きたてのアップルパイを頬張る。
甘いカスタードクリームに酸味のあるりんごとサクサクのパイ生地の相性は抜群なのに、なぜか味がしない。
婚活を始めて早二年。
今度こそと気合い充分で臨んだはずなのに、こうもあっさりお断りされるなんて瑞希自身思ってもいなかった。
「魚谷さんも婚活頑張ってください」
「はあ……」
帰り際、先に婚活すごろくのアガリを決めた彼から激励を贈られる。
嫌味にしか聞こえないのは、気のせいだろうか。
いや、気のせいじゃない。
彼は瑞希の顔を見下ろすと、勝ち誇ったように鼻で笑った。
(なんなのよ! もう!)
ちゃっかり二股かけてたくせに、どの面下げて頑張ってなんて言えるのか。
気取ったメガネをはたき落とし、地面に叩きつけてやりたい衝動に駆られたが、思慮ある大人の振る舞いとしてジッと耐え忍ぶ。
うっかり話が進んでしまう前に本性が見抜けて本当によかった。
「うう、もう……。結婚って難しいな」
その日どうやって家まで帰ったのかは、いまだに思い出せない。
瑞希は馴染みのあるベッドに横たわり、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように、足をバタつかせたのだった。