部員は全部で20人。
機材の都合上、それ以上の人数になることはないのだそうだ。
1学年は8クラス。
バーチャルライバー部は高等部の生徒だけで構成されているので、部員は1クラスに1人いるかいないかの数だ。
――リスナーはいるかもしれないけど。
配信は全世界に向けて発信されている。
学園の中にもリスナーはいるだろう。貴樹だって元々は熱狂的なリスナーの1人だ。
ライバーになった今も、推し活を辞めたつもりはないが。
「やっば、遅れる」
そんなことを考えていたら、寮を出なければいけない時間をとっくに過ぎていた。
慌てて部屋を飛び出す。
貴樹の暮らすアルフェラッツ寮は四寮の中で一番校舎から離れており、徒歩30分の距離があった。ただ、走れば15分なのでまだ間に合う。
「走るの、得意じゃないけど!」
運動は昔から苦手だった。
といっても中の下ぐらいなので、ものすごく苦手というわけでもない。
「こういう中途半端さが、個性に繋がらないんだろうな」
振り切るレベルの苦手さなら、いっそネタにできたかもしれないのに……と個性に悩む今は考えてしまう。
「や、ば……もう、息が、切れて」
まだ5分も走っていないのに、息が完全に上がっていた。これは得意不得意の問題でなく、運動不足の弊害だろう。
これでは教室に滑り込めたところで、使いものにはならない気がする。
「も……無理、かも」
もう諦めたほうがいいのかもしれない――そう思って速度を緩めたときだった。
――前に、誰かいる。
誰かが前を歩いているのか見えた。
ゆったりとした足取りだが、間に合うのだろうか。
「あれ……もしかして、白瀬?」
起きている姿はレアだが、見たことぐらいはある。その見覚えのある後ろ姿は白瀬に間違いなかった。
同じアルフェラッツ寮だったらしい。
「白瀬!」
深く考えずに声をかけていた。
話したことはなくても同じクラスだ。こちらの顔ぐらいは覚えてくれているはず……、
――覚えてくれてるよな?
急に自信がなくなる。
寝てばかりの白瀬が、クラスメイトに興味を持っているイメージが湧かなかったからだ。
案の定、こちらを振り返った白瀬の反応は鈍かった。目元は前髪で隠れてしまっているので表情は読めないが、こちらを不審に思っている雰囲気をひしひしと感じる。
「あ……おれ、お前と、同じクラスの、茅野」
まだ息が整っていないのもあって、完全に怪しい自己紹介になってしまった。
「え、と」
続きの言葉を考えていたのに、白瀬は無言で踵を返す。
「あ、待って……わッ」
呼び止めようと駆け出して、もつれた自分の足につまずいた。
そのまま、ずさっと激しめに転んでしまう。
――うわぁ……恥ずかし。
声をかけたのに無視されて、挙句すっ転ぶなんて。
「もう……帰りたい」
地面に転がったまま、吐き出した。
もう完全に心が折れた。
今日はもう寮に戻って、ふて寝してもいいんじゃないだろうか。
「……何やってんの」
「え」
「ほら、手出せ」
白瀬だった。
地面に転がったまま動かない貴樹を見かねたのだろう。気だるげではあるが、こちらに向かって手を差し出してくれていた。
「あ、ありがと……ぅわっ」
握った手を勢いよく引かれ、また足元がふらついた。
倒れかけた身体を引き寄せられる。
気づけば、白瀬の腕の中にいた。
――白瀬って、結構ガタイいいんだ……それに、いい匂いがする。
手が大きいのにはさっき気づいていたが、身長差もかなりあるようだった。
貴樹の顔の位置にあるのは、白瀬の肩だ。
そこから、ほのかに甘さのある爽やかな香りがする。
「お前、どんくさいのな」
「…………」
白瀬が呆れたように呟いた。声が近い。
急いで離れるべきなのに、その声に聞き覚えがある気がして、貴樹ははたと固まった。
――え、待って……今の、声。
少し掠れた低めのダウナーボイス。
その声を貴樹は知っている。
少し前にヘッドホン越しに聞いたある人の声と、白瀬の声は全く同じだった。
どうして、さっきは気づかなかったんだろう。
――話し方も似てる。白瀬ってもしかして……コル先輩?
貴樹はしばらく動けそうになかった。
◆
――そんなことあり得る? いや、別人だよな。だってコル先輩は半年前からライバー活動してる先輩で……だから、おれと同じ1年であるはずはなくて。
結局、授業には2時間目から参加した。
教室に来る前に医務室に寄ってきたからだ。派手に転んだせいで、貴樹の身体は擦り傷と打ち身だらけだった。
「登校中に派手にすっ転んだんだって?」
聞いてくる大野は面白半分の様子だ。
「……お恥ずかしながら」
「何やってんだよ。そんで、白瀬に医務室まで付き添ってもらったって聞いたけど、まじ?」
「転んだとこを白瀬に見られて……助けてもらった」
そう。医務室には白瀬も付き合ってくれた。
遅刻の口実に使うためだろうが、貴樹はしばらく一緒にいた白瀬に緊張しっぱなしだった。
――あれが本当なら、知っちゃいけないことに気づいたわけだし。
白瀬が〈夜重コル〉の中の人。
まだ確定したわけではない。
でも、声を聞いた印象は限りなく黒に近いグレーだった。
気づいてしまってからずっと、確実に「違う」と決定づける根拠を無意識に探してしまっている。
いつもより白瀬のことを気になってしまうのは、仕方がないことだった。
「白瀬といえば……ダブってんのガチだった」
顔を寄せ、大野が小声で告げる。
「え?」
「昨日、寮の先輩に聞いたんだよ。そしたら白瀬は半年前に海外から日本に戻ってきたって話でさ。それで途中編入するか、春からにするか話し合いがあって、後者に決まったんだって」
「半年前……」
――コル先輩の配信開始時期と同じ……これって、偶然の一致じゃないよな?
勘違いであってほしいと思うのに、出てくるのは白瀬がコルだと思わせる話ばかりだ。
――白瀬はまだ、おれがジジだって気づいてないよな?
自分の声にそこまで特徴はないと思っている。
それにコルほど極端ではないが、貴樹も配信時は少し声を作っているので、もし白瀬が本当にコルだとしてもすぐには気づかれないはずだ。
――それでも……あんまり関わらないようにしとこ。
部のルールに抵触したくない。
どんな罰則があるかは聞かされていないが、退部させられたりしたら最悪だ。
貴樹はできるだけ白瀬と距離を取ろうと決めた。
機材の都合上、それ以上の人数になることはないのだそうだ。
1学年は8クラス。
バーチャルライバー部は高等部の生徒だけで構成されているので、部員は1クラスに1人いるかいないかの数だ。
――リスナーはいるかもしれないけど。
配信は全世界に向けて発信されている。
学園の中にもリスナーはいるだろう。貴樹だって元々は熱狂的なリスナーの1人だ。
ライバーになった今も、推し活を辞めたつもりはないが。
「やっば、遅れる」
そんなことを考えていたら、寮を出なければいけない時間をとっくに過ぎていた。
慌てて部屋を飛び出す。
貴樹の暮らすアルフェラッツ寮は四寮の中で一番校舎から離れており、徒歩30分の距離があった。ただ、走れば15分なのでまだ間に合う。
「走るの、得意じゃないけど!」
運動は昔から苦手だった。
といっても中の下ぐらいなので、ものすごく苦手というわけでもない。
「こういう中途半端さが、個性に繋がらないんだろうな」
振り切るレベルの苦手さなら、いっそネタにできたかもしれないのに……と個性に悩む今は考えてしまう。
「や、ば……もう、息が、切れて」
まだ5分も走っていないのに、息が完全に上がっていた。これは得意不得意の問題でなく、運動不足の弊害だろう。
これでは教室に滑り込めたところで、使いものにはならない気がする。
「も……無理、かも」
もう諦めたほうがいいのかもしれない――そう思って速度を緩めたときだった。
――前に、誰かいる。
誰かが前を歩いているのか見えた。
ゆったりとした足取りだが、間に合うのだろうか。
「あれ……もしかして、白瀬?」
起きている姿はレアだが、見たことぐらいはある。その見覚えのある後ろ姿は白瀬に間違いなかった。
同じアルフェラッツ寮だったらしい。
「白瀬!」
深く考えずに声をかけていた。
話したことはなくても同じクラスだ。こちらの顔ぐらいは覚えてくれているはず……、
――覚えてくれてるよな?
急に自信がなくなる。
寝てばかりの白瀬が、クラスメイトに興味を持っているイメージが湧かなかったからだ。
案の定、こちらを振り返った白瀬の反応は鈍かった。目元は前髪で隠れてしまっているので表情は読めないが、こちらを不審に思っている雰囲気をひしひしと感じる。
「あ……おれ、お前と、同じクラスの、茅野」
まだ息が整っていないのもあって、完全に怪しい自己紹介になってしまった。
「え、と」
続きの言葉を考えていたのに、白瀬は無言で踵を返す。
「あ、待って……わッ」
呼び止めようと駆け出して、もつれた自分の足につまずいた。
そのまま、ずさっと激しめに転んでしまう。
――うわぁ……恥ずかし。
声をかけたのに無視されて、挙句すっ転ぶなんて。
「もう……帰りたい」
地面に転がったまま、吐き出した。
もう完全に心が折れた。
今日はもう寮に戻って、ふて寝してもいいんじゃないだろうか。
「……何やってんの」
「え」
「ほら、手出せ」
白瀬だった。
地面に転がったまま動かない貴樹を見かねたのだろう。気だるげではあるが、こちらに向かって手を差し出してくれていた。
「あ、ありがと……ぅわっ」
握った手を勢いよく引かれ、また足元がふらついた。
倒れかけた身体を引き寄せられる。
気づけば、白瀬の腕の中にいた。
――白瀬って、結構ガタイいいんだ……それに、いい匂いがする。
手が大きいのにはさっき気づいていたが、身長差もかなりあるようだった。
貴樹の顔の位置にあるのは、白瀬の肩だ。
そこから、ほのかに甘さのある爽やかな香りがする。
「お前、どんくさいのな」
「…………」
白瀬が呆れたように呟いた。声が近い。
急いで離れるべきなのに、その声に聞き覚えがある気がして、貴樹ははたと固まった。
――え、待って……今の、声。
少し掠れた低めのダウナーボイス。
その声を貴樹は知っている。
少し前にヘッドホン越しに聞いたある人の声と、白瀬の声は全く同じだった。
どうして、さっきは気づかなかったんだろう。
――話し方も似てる。白瀬ってもしかして……コル先輩?
貴樹はしばらく動けそうになかった。
◆
――そんなことあり得る? いや、別人だよな。だってコル先輩は半年前からライバー活動してる先輩で……だから、おれと同じ1年であるはずはなくて。
結局、授業には2時間目から参加した。
教室に来る前に医務室に寄ってきたからだ。派手に転んだせいで、貴樹の身体は擦り傷と打ち身だらけだった。
「登校中に派手にすっ転んだんだって?」
聞いてくる大野は面白半分の様子だ。
「……お恥ずかしながら」
「何やってんだよ。そんで、白瀬に医務室まで付き添ってもらったって聞いたけど、まじ?」
「転んだとこを白瀬に見られて……助けてもらった」
そう。医務室には白瀬も付き合ってくれた。
遅刻の口実に使うためだろうが、貴樹はしばらく一緒にいた白瀬に緊張しっぱなしだった。
――あれが本当なら、知っちゃいけないことに気づいたわけだし。
白瀬が〈夜重コル〉の中の人。
まだ確定したわけではない。
でも、声を聞いた印象は限りなく黒に近いグレーだった。
気づいてしまってからずっと、確実に「違う」と決定づける根拠を無意識に探してしまっている。
いつもより白瀬のことを気になってしまうのは、仕方がないことだった。
「白瀬といえば……ダブってんのガチだった」
顔を寄せ、大野が小声で告げる。
「え?」
「昨日、寮の先輩に聞いたんだよ。そしたら白瀬は半年前に海外から日本に戻ってきたって話でさ。それで途中編入するか、春からにするか話し合いがあって、後者に決まったんだって」
「半年前……」
――コル先輩の配信開始時期と同じ……これって、偶然の一致じゃないよな?
勘違いであってほしいと思うのに、出てくるのは白瀬がコルだと思わせる話ばかりだ。
――白瀬はまだ、おれがジジだって気づいてないよな?
自分の声にそこまで特徴はないと思っている。
それにコルほど極端ではないが、貴樹も配信時は少し声を作っているので、もし白瀬が本当にコルだとしてもすぐには気づかれないはずだ。
――それでも……あんまり関わらないようにしとこ。
部のルールに抵触したくない。
どんな罰則があるかは聞かされていないが、退部させられたりしたら最悪だ。
貴樹はできるだけ白瀬と距離を取ろうと決めた。