あっという間にデビュー配信の日がやってきた。
 教育係であるセイガからのレクチャー期間は10日間。休日も関係なく、付きっきりで必要なことを全部教えてもらった。
 それらを実践するときが来たのだ。

「と言っても、開始時間までまだ1時間あるんだけど」

 配信時間は前もって告知してある。
 バーチャルライバー部の部員としてのSNS活動は、デビュー配信より先に始まっていた。
 フォロワー数はすでに4桁を超えている。
 セイガをはじめとする先輩たちが応援と宣伝を積極的にしてくれたおかげだ。

「あと1時間か……どうしよ」

 準備は早々に終わってしまった。
 ボタンを押せば配信は開始できる状態だ。あと事前にやることといえば、トイレに行っておくぐらいだろうか。

「あ、コル先輩が配信してる!!」

 ふと、同じバーチャルライバー部員の配信バナーが目に入った。半年前から〈夜重(やがさね)コル〉という名前で活動している先輩ライバーにあたる人だ。
 貴樹がバーチャルライバー部の中で、一番推しているライバーでもある。

「ちょっとだけ覗こうかな」

 まだ時間はある。
 最近はレッスンばかりで他のライバーの配信を見られていなかったので、勉強がてらに覗いてみることにした。

『わー! ちょっ! 今のトラップ、初見殺しすぎでしょ!!』

 いきなり賑やかな声が飛び込んでくる。
 今日、コルはゲームのプレイ実況配信をしているようだった。画面いっぱいに映し出されたゲーム画面の右下に、コルの姿が表示されている。
 淡い紫色のマッシュボブに緑色の大きな瞳。明るく活発な話し方がよく似合う、この少年キャラクターがコルだ。

「コル先輩、今日も楽しそうだな」

 コルの配信はデビューのときから追いかけていた。
 そのときから、ずっと夢中だ。
 いつでも天真爛漫でくるくると表情を変えるコルを見ているとたくさん元気を貰える。受験勉強の疲れを誰よりも癒してくれたのは、このコルだった。

『このゲーム面白いのはわかったけど、難しすぎない?』

 プレイしているのは、二十年以上前からある世界的に愛されている横スクロールアクションゲームだった。
 レトロゲームに分類されるゲームだが、今でも変わらず楽しめる人気の作品として有名だ。

『これでまだ2面なんでしょ。それなのにこれってヤバすぎなんだけど。それとも俺がゲーム下手なの?』

 どうやら苦戦しているらしい。
 ふてくされた反応のコルに、リスナーからのコメントが飛んでいる。

〈確かに下手だね〉
〈コルくんFPS系はあんな得意なのに、こういうのゲームは苦手なの? 意外だなー〉
〈いけるいける! 朝まで頑張ればきっと!!〉

『ちょ、下手って言わないでよ。ってか朝まで配信は無理だって。今日はもうすぐ新人くんの初配信だってあるんだよ』
「え……その新人って、もしかして」

 そんな話題が出るとは思わなかった。
 今日配信を予定している新入部員は貴樹だけだ。コルの言った新人とは、貴樹のことで間違いないだろう。

『それまでに配信終わって、俺もリアタイするつもりだからね! 今日デビューの子、名前なんていったっけ』

〈ジジくんだね〉
多々楽(たたら)ジジくんだよ。どんな子なのか楽しみ〉

『そうそう、多々楽ジジくん! みんなもチェックしてんじゃん。このあと一緒に見よ……って、ちょっとー! また負けたじゃん!』

 チャット欄に気を取られて、コルはまたゲームを失敗していた。
 でも貴樹はそれどころではない。

「え……うわ、やば。コル先輩に名前呼ばれた!」

 多々楽ジジ――それが貴樹のライバーネームだ。
 キャラクターは先に用意されていたものを支給されたが、そのキャラクターの名前や設定は担当を任された部員が考えることになっていた。
 貴樹のアバターは黒髪に金色の瞳の青年だ。
 年齢は貴樹より少し上に見えるが、見た目からイメージする性格は自分とそこまで大きく変わらない印象だった。
 もちろん顔の造形は、貴樹本人よりもかなり魅力的には作られているが。
 貴樹はそのキャラクターに「多々楽ジジ」と名付けた。我ながら気に入っている名前だ。
 そんな今後自分の分身になるキャラの名前を推しライバーから呼んでもらえて、テンションが上がらないわけがない。

「しかも今、おれの配信見に来るって言った……? 嘘、まじ?」

 これ以上、この配信は見ていられそうになかった。
 一旦画面を閉じて、高鳴る胸を両手で押さえる。深呼吸を繰り返したが、鼓動は収まりそうになかった。

「オーディションのとき以上に緊張してるかも……」

 あのときも、今まで生きてきた中で一番緊張していてが、それを超えたかもしれない。

「どうしよう。コル先輩が来るなんて……口から心臓出そう。あ、そうだ。台本も確認しとかないと」

 台本は自分で準備したものだった。
 セイガに教えてもらいながら、デビュー配信の30分を乗り切れるように丸3日かけて書いた。

『一言一句書いちゃったら自分の言葉で伝えにくくなっちゃうからさ、台本に書くのは要点だけがおすすめかな。大まかな流れと絶対に話したいことがあるなら、それをメモしておく感じ』

 そう助言を受けたので、そこまで細かく書いていないが……本当にこれで大丈夫だろうか。

「あと、15分……ちょっと早いけど、トイレ行っとこ」

 寮のトイレは共同なので、部屋から少し離れた場所にある。貴樹は一旦ヘッドホンを外すと、防音ブースを飛び出した。