「大きなお世話!」
 千与加は後ろ姿にべーっと舌を出してから紗都を見る。

「最近彼女ができたから調子に乗ってるんですよ、あの人」
「なんか浮かれてる感じしたと思った」

「恋人は欲しいけどああいう人は嫌だなあ」
 ため息をつく千与加に、紗都は苦笑して時計を見た。今すぐ出ればちょうど電車に乗れそうだ。

「私は友達と楽しくやってる方がいいな。じゃ、お先に!」
「お疲れ様でーす」
 挨拶を背に受け、紗都は会社をあとにした。
 冷房に慣れた肌に湿気のあるぬるい空気がねっとりとまとわりつく。

 恋かあ、と紗都はため息をつく。
 できれば恋なんてしたくない。

 過去にはもちろん恋をしたことがあるが、自分が自分ではなくなるようで怖かった。
 好きな人が近くにいるだけでどきどきするし、本を読んでいてもテレビを見ていても気がつけば彼のことを考えていて、もっとほかにするべきことがあるだろうに、と思う。
 彼と会話できれば有頂天になり、ほかの女性と話していると絶望する。

 そんな心の大波が嫌で、誰も好きになりたくないと思ってしまった。
 世の中の女性が恋愛に重きを置いて恋バナに花を咲かせるのが不思議で仕方がなかった。

 子どもの頃からズレは感じていた。
 小学生の頃、クラスメイトが恋愛を描いた少女漫画に夢中になっているとき、自分はファンタジー漫画を読んでいた。