「真野、昼行こうぜ」
「ああ……ごめん今日はいい」
「えっ」
「ちょっとやることあって」
「そ、そっか……」
あの雨の日以来、青葉が昼休みに屋上へ顔を出すようになった。
これから自分たちはどうなっていくのだろう? あの夜、太陽はそれを考えてはうなされ、ろくに眠れなかった。けれど青葉は、今も隣で焼きそばパンを頬張ってくれている。目が合えば、にこりと微笑んでくれる。青葉の天真爛漫さに、太陽はまた甘えてしまっていた。
しかし、それはそれとしてだ。
今度はあの男が、屋上へ滅多に顔を見せなくなっていた。
「真野って、なんか委員会とかやってんの?」
太陽が冴木へ視線をやって、そう聞く。できれば通りたくはない普通科の教室前の廊下を、最近は行ったり来たりしている。そうまでして自分は真野と昼飯が食いたいっていうのに、甚だ偉そうなことを言うが、なぜ、来ない?
「やってないよなぁ?」
「うん、部活あるしね」
「なぁんか最近クールに磨きかかってるしなぁ」
「なんかあったんかなぁ」
ぼんやり空を仰いだ冴木の言葉を、太陽も心の中で繰り返していた。
なんか、あったんかなぁ。
もし、なにかがあったとしてだ。自分は真野に、ロープを垂らしてやれるのだろうか。弁当につけた箸を置いてじっくり考えてみたって、一つも検討がつかない。あの男はいつだって、太陽の一大事を察してくれていたというのに。
「青葉が立ち直ったと思ったら、次は真野かよ~」
「苦労すんな~キャプテン」
冴木の呑気な声に、腹を抉られる。別に自分が関係してるだなんて、思っちゃいない。真野に関しては本当にそうだ。思い返してみれば、真野は太陽の一番汚い部分を余すことなく知っているが、真野の汚い部分なんてこれっぽっちも知らないのだ。ああ見えて繊細なところがある。あの男にだって、誰にも言えないことがあるのかもしれない。
「太陽、なんかあったら言ってよ」
「え、大丈夫大丈夫……」
「まじで!」
「青葉必死かよ、お前散々迷惑掛けたもんな~」
「……うるせえ」
「教室で取っ組み合いになったときはまじで焦った」
「なぁ!部活停止になるかと思ったぜ」
口々にそう言われ、当事者としてもキャプテンとしても、他になにも返す言葉がなかった。
「すみません本当に……」
太陽がそううなだれると、面々は大声で笑う。しかし青葉だけは、憎らしいといった目で太陽を見据え「俺が全面的に悪いので!!」と声を張り上げた。
「いやわかってるわ、そんなん!」
冴木の鋭い突っ込みに、さらにその場が沸く。青葉さえ悔しげに、でもたしかに楽しげに笑っていた。
こんな日々が、あっていいのだろうか。もう戻れないと、失ってしまうとばかり思っていたのに。まだ青葉がここにいる。その笑顔の隣にいられる。
ふとした瞬間に泣きそうになるくらい嬉しいのに、どこか心が晴れない。
「も~なんで一人で謝んの、俺が悪いのに」
屋上から教室へと戻る道すがら、青葉の恨めしそうな声に、そう文句をつけられた。
「青葉だけじゃねえよ、俺も悪いし」
「そんなことない!」
ぶうっと唇を突き出す青葉。その唇の端っこには青のりがついていた。ふとそれに伸びかけた左手を、拳を握ってなんとか従わせる。
「……てかお前、青のりついてる」
「え!?ちょ、取っ……」
青葉もたぶん、そこで気がついたのだろう。
「……も~、誰か鏡貸してぇ」
甘えたは健在。けれど大男たちが、鏡など持ち歩いてるわけもない。
「ほら、見える?」
太陽は自分のスマホのインカメを起動して、青葉に渡した。
「ふふっ……まじだ、ださっ」
画面を見つめる甘ったるい顔が、好きだった。犬みたいで好きだった。
「ありがと、太陽」
二度と、戻らない。あの頃の二人にはもう戻れない。
青葉がいくら天真爛漫に振る舞ってくれたって、太陽がいくら今まで通りに青葉を甘やかしたって、もうあの頃には戻れないのだ。たしかに変わってしまったのだから。
「どういたしまして」
『心友』にはなれないのかもしれない。限りなくグレーだ。けれど許されるなら、そばにいたい。本質がどうであれ、出会ってから今日までずっと、青葉は大切な存在だ。それだけは、絶対変わらない。
ありがとう、と微笑んだ青葉の儚げな笑顔に、またそういう身勝手な未来を思い描いていた。
あと三日で冬休みである。真野とはいまだまともに話せていない。というか、状況は最悪だ。
「おい太陽っ!!」
「ごめ……」
「青葉いねーんだから中入ってこいよ!!」
「!!だからごめんって!!」
「何回同じことやんだよ」
「……そのための練習だろーが」
「ああ!?」
ああ、またやってしまった……。売り言葉に買い言葉というのだろうか。真野にキレられると、反射で返してしまうのだ。素直に謝れないし、冷静に話せなくなる。
青葉が部活をやめて、スカウトを受けた地元クラブのユースに入団することが、正式に決まった。一年フォワードは冴木が筆頭となり、二年の先輩ともプレースタイルが似ている。体格を生かしたポストプレーが得意で、足で稼ぐ青葉みたいなタイプではないのだ。
そもそもにして『あいつにボールを入れればいい』と言われるプレイヤーは、ごくごく稀だ。その異端と十一年サッカーをしてきてしまったので、太陽の、クロスを供給すればいい、という悪癖がなかなか抜けてくれず、こうなっている。
左サイドハーフにいることが多い真野とは、ただでさえよくぶつかるのだ。それがあの理詰め男は、太陽の悪癖を理論で叩き、叩き、叩きまくってくる。太陽自身も理解してもがいているところを、だ。
「っは!?」
「お前……!!」
「ハイ、ごちです」
馬鹿野郎、なんでそんなとこ突っ立ってんだ。今こそ上がっとけよ、おい真野! あっけなく敵チームにボールが渡り、今日も左サイドはぐだぐだで練習が終わる。
「お前らどうしたよ、そこまで仲悪かったっけ?」
「やいやい言ってるけど実は仲良しパターンかと思ってたのに」
チームメイトたちにそう言われるのも当然だ。本当に一ミリも合わないのだ。曲がりなりにもジュニアユースにいた身としては、非常に大変遺憾である。本人に聞いたことはないが、噂によれば真野も中二まではジュニアユースにいたらしい。相当目指すプレーの違うクラブだったのかもしれないが、それにしたって正直相性は最悪だ。
そして当の真野は、いまだグラウンドから帰ってこない。
「……ちょっと行ってくる」
着替えようとしていた手を止め、灯りの灯ったグラウンドへ駆け足に向かった。
「真野」
一人グラウンドに寝そべって伸びている男。ああもくだけた姿、見たことがない。あれは完全に油断している。その証拠に、太陽の呼びかけにびくっと一瞬身体が震えていた。
「なんだよ」
「その……ごめん」
「……」
「なんかつい、お前に言われるとムキになっちまう」
「ああそう」
「でもちゃんとわかってるから、頭では……身体がついてこなくて」
つらつらと言い訳を並べたところで、この男がじゃあしょうがないね、と引き下がるわけがない。わかってるならやれよ、だ。真野はそういう男だ。
「じゃあやれよ」
ほらな。太陽は謎にしたり顔を見せていた。
「やるよ、ちゃんと練習すっから……」
久しぶりだ。練習以外でこんなに話せたの。そんな場合ではないというのに、太陽は浮かれてスキップしてしまっている心のまま、真野の隣に寝転んだ。
並んで寝るの、ちょっとくるな、などという邪な想いを、隠してしまう癖がついている。
「だから、こっち向け!」
でもそれじゃあ、前と変わらないのだ。隠して隠して、隠した先にあったものがなんだったのか、もう太陽は知っている。汗で冷えはじめていた真野の頭に手を置いてやった。触れたいという下心でもあり、いつもの仕返しでもある。
ようやく交わった視線に、たまらない気持ちになった。夜のせいかもしれない。ひどく抱き締めたいと思ってしまう心は、隠すというよりまだ早い、だ。
「……なに」
「なにじゃねえわ、なんでこっち見ねえんだよ」
「別にそんなことねえよ、自意識過剰」
「は!?うっざ!」
自意識過剰で上等だ。お前いまどんな顔してるかわかってんのか、と喉元まで出かかっていた。けれどそれを言ったら、この顔は隠されてしまう。ひょっとして自分の欲望が見せる幻覚かもしれない。でもいい。それでもいくらも視線が交わらない最近のなかでは、一番いい。
熱っぽく身体中をくすぐるその目つきに、溶けてしまいそうだった。
「………終業式の日、ひま?」
十二月二十四日、金曜日。聖なる夜、クリスマスイブ。なにかと特別なその日を、自分にくれないかという意味だ。もうずっと、心の一番上にあった。なのにこいつ、まったく隙を見せてくれなかったものだから、今の今まで言えなかったのだ。
真野はじっくりと太陽を見つめている。こいつどうした、頭でも打ったのかと次に言われそうなくらいだ。それくらい疑い深く見つめられていた。
「~っだから!クリスマス!一緒にいたいって言ってんの!!」
どこのツンデレだくそっ……! 太陽が消えたくなったところでようやく真野が「しょうがねえな」と、顔をくしゃくしゃにして言った。ごろんと人工芝の上で寝返りをうって、やっぱり太陽は、溶けて消えてしまいたくなった。
終業式の日、予想はしていたが、練習に顔を出した部員は両手で数えられる程度だった。彼女ができたわけでもないってのに、冴木もいない。真野いわく『寂しい者同士の合コン』へ勇み足に出かけたそうだ。
こういうところが青葉は嫌だったんだと思うし、だからそこそこ止まりの成績なのだと、太陽も本音ではそう思っている。けれど今は、サッカーと同等に大切な感情があることも、わかるようになった。生き方は人それぞれだと、キャプテンが言ってはいけないかもしれないが。
しかし太陽も例外ではない。たまたま相手が同じサッカー部だから、練習後にデ、デ、デート……? しようということになったが、そうじゃなかったら練習をサボってしまう可能性だってはらんでいる。恋心とはあまりに貪欲で筋の通っていないものだ。
「太陽っ」
「だっ!」
「……わりい」
「いやごめん!俺だ!!」
相変わらず真野とは、ボールを介した意思疎通はうまくいっていない。それでも以前よりは、多少冷静にやり合えるようには成長していた。主に太陽が、だ。
「だからお前クロスに逃げんなって」
「わっ……かってるよ……!」
時折唇が切れてしまうこともあった。悔しいときに唇を噛んでしまうのが、太陽の癖だ。
人数が少なくミニゲームもできないのでと、監督の計らいなのかなんなのか、ともかくいつもより一時間も早く部活が終わった。予定がだいぶ狂うし、いらない配慮だと憎まれ口を心のなかで叩きながらも、涼しい顔で着替えている真野の姿をちらちらと見やる。
「なに」
「えっ」
「早く着替えろよな」
「わかってる!」
バレていた……なんて視野の広い男だ。太陽は入念にシャワーを浴びて、制服へと着替える。すっかり部室には誰も残っておらず、真野と二人きり。いつもと大して変わらない光景だっていうのに、冴木がいないだけでやけに静かだ。あの陽の力を今こそ借りたいっていうのに……。
「終わった?」
「……うす」
「なんだその返事」
疑問符さえ愛おしい。太陽は、恋をしている。紛れもなく、今心にいるのは、この男一人でいっぱいだ。
人混みを歩くのが苦手な太陽と、人酔いしてしまう真野となれば、このクリスマスにどこかへ出かけるというのは、あまり現実的ではなかった。お小遣いだってそう多くはない。というわけで、太陽の家でささやかなクリスマスパーティーをしようということになっていた。下心は断じてない。……いや、少ししか、ない。
太陽の最寄駅には、桜並木がずうっと続く学園通りがある。その桜の木に、冬はシンプルな電飾が飾られて、イルミネーションのプチ名所でもあるのだ。色とりどりの華やかな雰囲気ではなく、温かみのあるシャンパンゴールド一色という潔さが、太陽は結構好きだった。
「でもまだイルミ点ついてないよ、きっと」
「やたら早く練習終わったもんな」
乗り慣れた電車の隅の座席に、並んで座る。ただそれだけのことが、やたら特別に感じてしまうのは、隣にこの男がいるからなのだろうか。真野の横顔をじっと眺め、すっと通った鼻筋に目を奪われていた。
「お前さぁ最近なんでそんな凝視してくんの?」
「……っは!?してねえけど!」
「いやめっちゃ視線感じます」
「お前こそ自意識過剰じゃね?」
「あ~そう……そうですかぁ」
「ばっっか、お前、ちけえんだって!」
にゅっと顔を寄せ覗き込まれた。心臓がばっくんばっくん、そうまるでバスケットボールを床につくみたいに、弾みまくっていた。その綺麗な顔を手で押しのけて、息を整える。
ふと見ると、洗い立てのさらさら髪が、真野の涼やかな目元に影をつくっていた。
「髪伸びたな」
「あー、すぐ目にかかんだよ。一週間ももたない」
「まじ、もう坊主にすれば?」
「ぜってーやだよ、変なのにモテたら困るし」
いつだか話した太陽の坊主黒歴史を、からかってくる真野。いたずらな視線が、むかつくのにかわいくって、余計にむかついた。
「お前が坊主にしても、いかちくなるだけだろ」
「失礼なやつ、自分がちょっとかわいいからって」
全然こっちも見ないで、平気で地雷を踏み抜くんだ。地雷だ、そう、地雷。かわいいは地雷………
「……かわいいって言うな……」
やべえ。反応が遅れてしまった。あんなに嫌だったのに。『かわいい』って好きなやつに言われるとこんなにくすぐったいのかと、太陽は火照りはじめた頬を、開いたドアから流れ込む冷気で必死に冷まそうとしていた。
やはり駅に着いても、まだイルミネーションは点灯していなかった。そりゃあそうだ、まだ時間は、十六時を回ったばかり。ならばと、先に家で食事を済ませ、帰りに真野を駅まで送る際に見ようということになった。
家までの帰り道の途中、スーパーでチキンやサラダを多少買っていくつもりではあったが、あれもこれも、とならないのが真野のすごいところだ。必要なものだけをぱっぱとカゴへ入れて、レジへと連れて行かれた。
「なんていうか、真野って無駄がないよな」
「そんなことはねえけど」
「サッカーもそうじゃん、ゴールから逆算してるかんじ」
「……いや逆に、お前いつもどうやってサッカーしてんの?」
「そんな不思議そうな顔しなくても……」
どうやって、ってそんなの………
「……どうやってだ……?」
言われてみれば、どうって言語化できなかった。あ、いまだというタイミングはたしかにあって、けれどそれがなぜそう感じるのかは、うまく言葉にできない。なんとなくだ。なんとなくそこしかない、と思って走りこんだり、ボールを蹴ったりしている。
「なんていうか、感覚っていうか、うまく言えねえ」
「はあ~だから合わねえんだな」
大きなため息をつかれ、むっとした。合わないって言葉をサッカー以外に当てはめてしまいそうになり、ひやっとする。
会計を済ませ外へ出れば、やや空が暗くなり始めていた。
「あっそうだ!ケーキ買ってねえじゃん!」
甘党の真野が、めずらしくそう声を張った。そう言うと思っていたのだ。
「あー……実はさ……作った」
「………は?」
「や、ごめん、勝手に。買いたいのあったら寄ってこ、そこにケーキ屋……」
と言いかけたところで、手に持っていたスーパーの袋を取り上げられた。
「いまなんて言った」
「え、だからそこにケーキ屋……」
「その前」
「ごめん勝手に」
「その前だよ!」
こいつなんだ、わざわざ恥かかせようってか? 太陽が渋々もう一度「ケーキ作った」と投げやりに言うと、真野の顔から力が抜けてゆく。
「なにそれ……もー……ほんとにさぁ」
さらさらの髪をかき上げたときの表情が、知らない男の顔でどきっとした。真野ってこんな男らしかったのかと、見惚れていた。あまり見惚れているとまた「凝視するな」と叱られる。早く目を離したいのに、まだ見ていたい。そんな気持ちが行ったり来たり忙しい。
「……はやく食いたい」
熱を感じるその眼差しは、ケーキに向けられたもの、だけとはやっぱり思いたくなかった。ここ最近避けられていた理由もわからない。そもそも返事が欲しいなどと言われてもいない。なのに太陽は、勝手に一人で盛り上がっているだけかもしれない。
「飯が先だろ、ガキんちょか」
こっ恥ずかしくて、そう誤魔化してしまった。
相も変わらず母親は残業続きで、家には真野と二人きりだ。青葉以外の人を自宅に招くのは、思えば随分久しぶりのことだ。小学生の頃、買ったばかりのゲームをしにクラスメイトが来た以来じゃないだろうか。
「手、どうぞこちらで……」
「ああどうも……」
仰々しく洗面室へ案内すると、真野が手を洗っていた。自分の家で真野が手を洗っていた。
「あ、タオルこれ」
「わり、ありがと」
真野が我が家のタオルで手を拭いている。三面鏡に真野が映っている。紛れもなくさっきまで隣にいたリアルだっていうのに、鏡の中の真野のほうがなんだかリアルで、おかしな気持ちだった。
「えーと……座ってて」
「いやなんか手伝うよ」
「いい、座ってて」
あまり近づくな、という意だ。何度も手を伸ばしかけては引っ込めている。いくら視野の広い真野でも、手までは気づいていないのだろう。お前の隣にいる男は、思っているより色欲まみれだぞと、言いたくはなかった。なので、離れていてくれ。
買ってきたチキンとサラダを皿に盛り、今朝作っておいたミートソースを温める隣で、パスタを茹でていた。両親とも家を空けることが多いが、これでも真面目にサッカーに取り組んできたのだ。食事は手を抜けない。いくら練習終わりで疲れていてもカップ麺に手を出したことはなかったし、そのうちに作り置きという技を覚えたりした。
今こそその腕を発揮するときだと、太陽は意気込んでいた。
「太陽って料理できんだね」
「ああ、親があんま家いないから」
胸の内に秘めた熱意とは裏腹に、あまりに涼しい顔で答えてしまった自分が恥ずかしい。
「そっか、えらいな」
対面キッチンじゃなかったら、全身で喜びを表現できたのに。太陽は向かい合った真野に決してばれないよう、ほくそ笑んだつもりだ。こういう話をしたら大抵の大人がそう言ってくれるのに、今までで一番特別な『えらいな』だった。
茹であがったパスタを皿へ丸く盛り、ミートソースをかける。辛いより甘い方が好きそうだからとミートソースにしてみたが、口に合うだろうか。家族以外では青葉くらいにしか、自分の手料理を食べさせたことはない。弁当の卵焼き一切れとはわけが違う緊張感だ。
「口に合わなかったら、こっちいっぱい食べてな」
そう言って買ってきたチキンとサラダを差し出すが、真野はそれより先にミートソースを食べたがった。
「早く、いただきますしよ」
真野の言動に、くらくらきていた。声にならない叫びを心の中に留め、手を合わせる。
「い、いただきます」
「いただきます」
子どもか、なんだそのきらきらの目は。お前誰だ、本当に真野か? いくつも浮かんでくる憎まれ口で心をなだめなければ、何を言い出すか太陽自身わからなかった。
くるくる巻いたパスタを、大きな口でぱくりと食べる。もう口に入れて数秒だ、絶対味なんてわかってない。
「うますぎ」
くしゃくしゃの笑顔が眩しい。一生うまいもん食わせてやりたいと瞬間過った。どうも自分は貢ぎ体質なんだろうか。
そういつもと変わらないミートソースを口に入れ、咀嚼する間もずっと目の前の真野を眺めていた。何度も一緒に食事したことがあるっていうのに、こんな綺麗な食べ方だったっけなぁとか、とはいえ全然噛んでねえ、わんぱくだなぁとか、色々なことを心に浮かべていた。
「だから凝視すんなって」
真野の声ではっと我に返り「してねえ」と強がったところで、目の前じゃもう言い逃れできなかった。
「……食べんのはやすぎ、チキン食えよ」
「腹減ってんの、炭水化物食いてえ。おかわりある?」
「………あるけどさぁ」
全部、真野の優しさだ。柔らかい優しさがくるしい。息できないくらいにくるしい。もう無理だ。持ちきれない。
「好きだ」
とうとう吐き出してしまった三文字に続く言葉は、あーあ、だ。
本当はもっとロマンチックで、いい雰囲気のなかで、聖なる夜の力も借りて、伝えるつもりだった。まさかお互いに口をもごもごさせてるときに言おうだなんて、思ってもなかったのに。まだだ、まだだと何度も号令をかけたっていうのに。
「真野が好きだよ」
一度解かれた想いは、留まるところを知らない。自分も自分もと、忙しなく絶え間なく、いろんな感情が一気に押し寄せている。順番だ、全部伝えるから、順番に話さないと、この男には納得してもらえない。なんで? どうして? どこが? きっと全部聞かれるだろう。ちゃんと答えなければいけない。納得して、またもう一度同じ気持ちだと真野が言ってくれたら、初めてどうこうって話に……
「なっ、えっ……!?」
目の前に真野の顔があった。唇に柔らかな感触が押し当てられていた。首の裏に添えられたごつごつした手が、熱かった。
「………あ……やべ」
「……やべ、ってなんだよ……!」
突然キスしといて、なにがやべえだって? それ、今の、このミートソースの味を含んだそのキスが、ファーストキスだっていうのに……。真っ赤に染まっているだろう自分の顔を、愛おしそうに見つめている男。お前はそういうの嫌なんじゃないのか。なんでキスしたんだって聞いたら、お前ちゃんと答えられんのか……!?
言いたいことはいくつもあった。もっと伝えたい気持ちがたくさんあった。
けれど今、テーブルの向こう側で立ち上がって前のめりに自分の唇を奪ったのは、紛れもなく好きな男だ。愛おしくてたまらない人だ。そんなのってもう、理屈じゃない。何個の言葉を並べても、敵いそうになかった。
熱を帯びた視線に絆され、もう一度、唇を重ね合わせる。
離れてもまた何度も、何度も――
「……ちょっ……まって……!!」
「……ん」
「まっ……まてって!」
色っぽい顔つきのとこ悪いけれど、一個聞いておかないとまずいことが発生した。
「っ、息って………どうやってすんの……」
だっっせえ、消えたい……。
もっと近づきたい、もっともっと、と願えば願うほど、息ができなかった。比喩ではなく本気のやつだ。心臓がバクバクしているのもたぶん、生命活動に直結するやつだと思われた。だから恥を忍んで聞いたのだ。
案の定、真野は笑い転げている。くしゃくしゃの笑顔でひーひー言っていた。ついさっきまでの熱情は一体どこやった。くそ、やっぱりむかつく奴だ。
「鼻以外ないっしょ」
「だって鼻じゃふんふんしちまうだろ」
「いいよ、ふんふんして」
「……やだ、ぜってー笑うじゃん」
「そんなことないよ、俺もふんふんしてるって」
涼しい顔してなに言ってやがる。ふんふんなんてしてないだろうが。
「なら考えてみろよ」
「え?」
「鼻が無理なら、あとどこがあんの?」
真野の親指が、太陽の唇の端に添えられていた。
質問の意図がわかった瞬間、ぶわっと全身に妙な汗が噴き出す。もっと近くにいきたいのに、今はどうしても逃げたい。なんだこれは、恋心って本当に矛盾している。
「ばか!ばか真野!!早く飯食えよ!!」
押し戻した身体がやれやれと椅子に座り直したが、太陽の心臓はまだバクバクとうるさい。この男といたら心臓が壊れてしまうんじゃないか。太陽は割と本気で、五年くらいは寿命が縮まりそうだと、心臓の負荷を心配したりしていた。
それから火照る顔と身体を抱えたまま、なんとか食事を終え、一息ついていたところだ。
「あ、てかごめん太陽」
「ん?」
「俺も好きだよ」
「………は?」
「さっき、言い忘れたと思って」
並んで座っていたソファーから落っこちそうになった。ちょうどテレビのリモコンを持ってチャンネルを変えようとしていたところだったが、間違って音量を爆上げしてしまった。
「うるさ!」
「ごめ、ちょ、てかお前が……!」
ああまずいなぁ、とちくりと心臓が痛んだ。
この気持ちって、どこへいくんだろうか。いつか真野に問われたことだ。
持て余した好意は、いったいどこへやればいいのか。そのまんまぶつけたりできないだろう、けれどもうすでに抱えきれない。溢れ出て全身ドロドロになっている。
どうしようもなく、真野が好きだ。
「真野」
「んあ?」
「あー……んっと……」
「え、なに、やっぱなしってこと?」
「ばかか、そんなわけねえだろ」
冗談言っているのかと顔を覗けば、その顔は本当に不安げだった。瞬間思い出した。
真野は、叶う見込みがないはずの自分を好いてくれていた。いつだって身動きできないようなときに、そっとロープを垂らして上がってくるのを待っていてくれた。いつもそういうときに、そばで見守っていてくれた。なにも返ってこないとわかっているのに。
それがどれほどくるしいことなのか、太陽は誰よりわかっているはずだった。たったの三文字で、それを取っ払えるわけがない。自分の怠慢さに腹が立った。
「めっちゃ話していい?」
「は?なんかやだ、聞きたくないかも」
「え!?」
「うそうそ、聞くよ」
これまで向けてくれた真野の柔らかな優しさに、いくらも返せないだろう。今だって、結局返そうとしてまた貰ってしまったのだ。
「違くて。俺が、どんだけお前を好きかって話をするから」
どんだけ恥ずかしくたって、言うしかないんだ。伝えるしかないんだ。
「青葉が退部届け出した日、帰りに雨降ってただろ」
「……そうだったっけ」
「降ってたんだよ、こっちでは。そんときに傘持って待ってたわけ、あいつが」
「……」
「俺無意識に思っちゃったの、ああまた真野かって」
「……ふうん」
「そしたらお前じゃなくて青葉だったんだけど、俺は……」
「ちょっとストップ」
「えっ」
ふわりと回された腕が、優しく太陽を抱き寄せた。こうも男に抱き締められたことがある男は、きっと自分くらいなものだろうと太陽は思っているが、その誰よりも優しい。振りほどかなくても解けてしまいそうなくらいに、そっと優しく抱き寄せられた。
「青葉の話なら聞きたくない」
「お前……だから、俺はお前が好きだって言ってんの!」
「………」
「おーい」
「………」
真野はずっと黙ったままだ。きっとろくでもないことを考えているんだろう。早く弁明したいのに、青葉の話をせずにどうやってこの気持ちを納得させられるか、わからなかった。ただ何度も好きだと伝えるだけで、納得してくれるのだろうか。安心してくれるのだろうか。
「……いつも、やばいとき……そばにいてくれてありがと」
真野の返事は待たずに、太陽は続けた。くれぐれも青葉の名前は出さないように、細心の注意を払って。
「めっちゃスパルタだけど、自力で上がってくんの待っててくれるの嬉しかった」
「真野が見ててくれるって思ったから、俺は今までの色々……決着つけられたっていうか」
真野の腕のなかが一番落ち着く、と言いたかったがそれを言ったら、誰と比べてんだって話になり、ああ青葉ね、とまたこの男がいじけるだろう。
どうしたらいい? ここが一番だと、お前が一番だと、どうしたらわかってくれる?
「……むかつくけど、好きだよ。真野だけが特別だよ」
言葉にして初めて理解した。もう自分の特別は、真野だけなんだ。
誰が泣いたって、怒ったって、傷つけたって、真野がそうじゃなきゃなんでもいい。真野にだけは、そんな想いさせたくない。特別は一人で手一杯なんだ。
「真野、聞いてんの」
「きーてるよ」
「はあ?ほんとかよ、お前食いすぎて寝てたんじゃ……」
身体が離れた瞬間、また唇がくっつく。もうなんとなくわかってきた。あの顔してる真野は、キスしたいときなんだな。虚ろな目にぎくっとしてしまうのも、そんなに悪くなかった。
さっき鼻で息しろと言われたが、やっぱり鼻息がおそろしくて無理だ。真野だってやっぱり全然、ふんふんなんてしていなかった。肺活量どうなってんだ。
「おい、また息してねえだろ」
「はあっ……えっ……?」
「鼻で息しろって」
「いや無理……はずかし……」
すると真野の長い指が、太陽の口元をなぞる。上唇と下唇のあいだに指を挟み込まれそうになって、咄嗟に唇に力を込めていた。
「こら、あけろ」
「んん!」
言葉にできない分、目で抵抗していた。まったく嫌なわけではない。まんざらでもない。けれどやっぱり不安だ。太陽にとって初めてのことだらけだ。なにか変だったらどうしようと、引かれてしまったらどうしようという不安を、抱かないわけがなかった。
しかし真野はやっぱり容赦がない。ぺろりと唇を舐めあげられ、ぞくっとしたときにはもう手遅れだ。
かぱっと開かれてしまった口に、また真野の唇が重ねられる。
もう少しも、力は残っていなかった。
ただただその熱に溺れ、たしかに口を開ければ息はいくらかしやすいな、などと思い浮かべてはかき消され、どうしようもなかった。
――俺、真野に食われんのかな……
まあ本望だ、とおかしな思考になりかけたところで、ようやく休息が与えられた。
「………おまえ、やばいよ……」
「はあ?」
「食われるかと思った……」
どちらのものかもよくわからない、口角に溜まった唾液をシャツの袖で拭う。真野も同じだ。そしてそのあとすぐ、本当に軽いキスを一度された。
「かわいい」
「………あっそ……」
「かわいいから次は食べる」
「ふざけんな、ばか」
「……ふふふ……」
「不気味な笑い方すんなよ……」
これ以上は、きっとない。毎秒ごとにそう幸せを噛みしめている。
なのにそのすぐあと、またそれ以上が与えられるのだ。
もう一秒も離れたくない。逃げたくなるほど離れたくないと思う。こんなの変だ。真野の理論では絶対通らないだろう。
「ずっと好きでいてくれて、ありがとな」
「なにそれ、別にずっとじゃねえし」
「じゃあなんだよ、いつからだよ」
「言うわけねーだろ、ばか太陽」
「はあ!?」
そのあと真野に急かされて、今更恥ずかしくなってきた手作りの苺のケーキは、そんなに素晴らしいものでもなかったはずだ。
なのに真野は、一ミリも動かないホールケーキを連写していた。まるで知らない男のようで、ずっと隣にあったような、そういう顔で何度もお礼を言われたのが、心底恥ずかしくて、空も飛べそうなくらい嬉しかった。太陽は、この気持ちを上手く表現できる言葉を知らなかった。
ぱくりと口に含んだ苺が甘酸っぱい。きっとこれから先、どこで苺を食べたって今日のこと、今の気持ちを思い出すのだろう。来年も、再来年も、その先も、できればずっと。
特別なこの男の隣で。
それからあっという間に年が明け、冬休みの終盤。今日は三年生の引退試合が行われる。南沢の通例通り、今日は一年チームと試合を行い、明日の二年チームとの試合はかなり盛り上がるらしい。
つまり、太陽たち一年生は前座的な立ち位置である。
とはいえ、新年一発目の試合だ。太陽は毎年、この時期のサッカーは特別楽しみだった。
年が明けて一番最初の練習や試合というのは、どんなものであれ、なんとなく気持ちがいい。今年もボールを蹴るんだと、意気込みを新たにできる瞬間なのかもしれなかった。
「おはよ!」
「はよ……元気だな」
「え、そう!?」
「張るな張るな声を」
真野は今朝、太陽の最寄駅まで出向いてくれていた。わざわざ学校の最寄駅を乗り越すことになるというのに、昨晩の電話でそういう話になったのだ。
「なんか寝不足?」
「ああ……あんま昨日寝れなくて」
「なんか観てたん?」
「いや、なんとなく眠れなかっただけ」
「なら俺がそっち行ったのに」
「……順番だって約束しただろ」
真野は、やや不貞腐れた顔でそう言った。けれど太陽は、なにがそうさせているのか、いまいちよくわかっていない。
年が明けてすぐ、朝八時に待ち合わせて初詣に行ったときでさえ、その目元はいつも通りきりっと涼しげだったのだ。今朝のように、垂れた目尻で二重幅と同じくらいしか目が開いていないのは、かなり珍しい。よっぽど眠くて機嫌が悪いのだとしか、見当がつかなかった。
「でも……そんな無理しなくても、」
「俺がしたいからしてんだけど」
カーン-- と脳内でゴングが鳴り響く。いや待て、これから試合なのだと何度も自分に言い聞かせていた。ただてさえ、左サイドはザルだと言われているのだ。そんな汚名は今日限りにしたいと、つい昨日電話で話したばかりじゃないか。
落ち着け、落ち着け。今この男の機嫌は最悪なのだ。寝不足は人格を変えると言うしな。触れるな、触れたら負けだ。
「……それはどうも……」
がらんとした電車内、車両には二人きりだっていうのに。なんだよ、もう。太陽はぎりぎり下唇を噛んで、沈黙を耐え忍んでいた。
キックオフから二十分も経っているというのに、真野の態度は相変わらずだ。本当に必要な場面で意外、一度も視線が交わらない。
いくら引退試合という、練習試合みたいなものだとはいえ、それはないんじゃないか? え? 募る苛立ちはまんまプレーに乗ってしまう。
「……あ、やべ」
またクロスあげちまった、と後悔したところでもう遅い。あの冷ややかな目が、まったくこちらを向かない。あれはもう、完全に怒っている。怒らせてしまった。
前半が終わり、後半は一年メンバーも交代するはずだった。けれど太陽は、絶対に引き下がりたくない。金を払ってだって、まだこのピッチに真野と立っていたかった。
幸いにして勝敗に重きを置く試合ではなかったため、交代を控えていた二人はそれを快く了承してくれた。
「別にええよ、まだ身体重いし」
「てかそろそろ本気で、左サイド覚醒しないとやばいもんな」
そう言われて、真野はどう思っただろうか。その顔を覗いてみたって、やっぱりあまりわからない。相変わらずのポーカーフェイスを決め込んでいる。
「真野!」
「なに」
「ごめんて」
「なにが」
ああああ、という部員たちの心の声が聞こえてくるようだった。
太陽は思い切り真野の肩を掴み、ピッチへ戻ろうとするその背中を引き止める。それでもまだ、振り向きもしないのだ。
一体なぜ、この男はこうも怒っているのだ。せめて理由を言え。というかだ。そもそも自分はお前のなんだ? ただのチームメイトか? 左サイドのよしみか? 違うよな?? 太陽の苛立ちは、ここですっきりさせておかなければ、またきっと真野を怒らせるだろう。ぽんと無意識に蹴り上げたボールで、始まったばかりの関係が終わるのは、絶対ごめんだ。
「こっち向け真野」
「……結局そうじゃん」
「は?」
「お前、誰のためにサッカーやってんだよ」
ピッチ上の全員が、ポジションに着こうとしていた。そこでようやく振り向いたその顔は、太陽の予想とはおよそかけ離れていた。
よく見れば下がっていたのは目尻じゃなく、眉毛だ。今朝からずっと、眉毛がしょぼくれていたのだ。
怒りじゃなかった。
これは、寂しい、だ。
「真野、真野!」
「………」
いくら呼んでも歩みを止めない背中。後半キックオフのホイッスルがグラウンドに響く。
「太陽ーっ!がんばれーっ!」
そのホイッスルの同時くらいだったか。咄嗟に振り向いてしまう、骨の髄まで染み込んだあの声がした。
「青葉!?」
とんだスペシャルゲストだと、ピッチ上も沸いていた。
一時期こそ部活をサボりまくりかなりの反感を買っていた青葉だが、その行先が名門クラブのユースとなれば、正直手のひら返しだ。
あいつはここに居ていい奴じゃなかった、とみなが口を揃えていた。半分同意で、半分はそんなことないと否定したい気持ちだった。
「青葉ーっ!!」
最前線の冴木のよく通る声が、青葉を呼ぶ。三年生の先輩たちも、手を振っていた。
ああよかった、青葉の居場所がここにだってある。太陽のこの安堵の気持ちは、特別だからじゃない。大切な存在だからだ。
そこでようやく気づいた。真野のあの表情の意味に。
考えてみれば、至極当然だ。たとえば真野が、いつまでも元カノのくれたプレゼント……たとえば財布とかか? そういうものをずっと使っていたら、どうだ。使いやすいから手放せないんだと言われたら、どうだ。
そりゃあ、あの顔になるだろう。
むしろあの程度でこれまで留めておいてくれただけ、かなり真野は大人だ。自分なら泣いて縋って取り乱すに違いない。
ピッチ上のほぼ全員が、ベンチの青葉を見ていた。なのにあの男に目をやった瞬間、視線が交わったのだ。真野は、太陽を見ていたのだろう。
好きなやつが好きなやつを見る横顔を、太陽はよく知っている。ずっと、ずっと見てきたから。クリスマスに初詣、毎日連絡を取る仲になったからって、そう簡単に消えるわけなかった。
馬鹿野郎。ゴングなんて鳴らせる立場じゃねえだろうが。
太陽は、今すぐ真野に駆け寄りたいと思った。けれどホイッスルが吹かれ、試合再開だ。
今、真野に証明できることはなんだ。そんなのは一つしかない。走って、走って、ボールを奪う。
今まではずっと、最前線で待つ青葉のためだった。
けれど今は違う。
「真野っ」
真野のため? それもちょっと違う。
集中してるときの冷めた目つきが、かっこいい。それは確かにそうだ。真野との練習の成果を見せたい。それもそうだ。
けれど違う。
真野と視線が交わる。ここだ。
「太陽っ!」
真野とのワンツー、こっから――
「太陽!」
冴木の声だ。隣にもう一人走りこんできている。見えてる。わかってる。でも違う。
『お前ほんとは……』
初めて真野と話した日の続きが、脳内で再生されている。そうだよ、ずっと。真野だけがわかっててくれた。真野だけには見抜かれてた。
思いっきり振りぬいた左足、カシャンっとゴールネットが揺れる音、甲高いホイッスル。
『お前ほんとは、自分が決めたいんだろ?』
「……できた……」
ぱっと後ろを振り向き、蛍光ピンクのビブスで汗を拭う真野のところへ、自然と足が向かっていた。足が速くてよかった。一秒でも速く、真野の元へ向かえる。
「真野っ!!!」
「なっ、はあ!?」
思いっきり抱きついた。この心臓の高鳴りを半分貰ってほしかった。渡したいのは絶対、お前以外いないよ。
「真野っ真野っ真野~っ!」
一人滾ってしまった気持ちを、ぐりぐりと頭で真野の首筋に植え込む。ああ許されるならこのまま押し倒して、キスして、めちゃくちゃぎゅってしたい。されたい。
続々とその背中に飛びついてくる仲間たちがそんなこと許してくれるわけがないので、その欲望はまた後でとなるが、とにかくだ。
「俺の特別は、絶対、真野だから!!」
真野がどう捉えるかは、考えてもどうせわからない。ならもうやっぱり、伝えるしかないのだ。ゴールの余韻だと信じてもらえなかったとしても、口だけだと蔑まれても、別にいい。
そうじゃないと、何度でも伝えるしかないんだ。
「……お前、かっこよすぎ」
バチン、と合わせた手のひらが、じんじんして気持ちよかった。
優しく、柔らかく、包み込むように微笑んでくれた真野のことが好きだ。
真野だけが、ずっと特別な一番だ。
持ってるもの全部で、この男を安心させたい。幸せにしたい。
太陽はその気持ちを乗せて、またボールを真野へ届けた。