「それじゃあ、しばらくはレディ・カモミールの作品は読めなくなるわけだ?」
それは残念だ、とロジオンは空高く両腕を突き上げ、大きく伸びをする。
「だけど、理由が理由だから仕方がないよね」
レディ・カモミールの能力。
薄々はわかっていたけど、改めて言われてみるとそのとおりだ。
書いたことが現実になるのだとか、関わった人の物語が見えてしまうなど、その能力は計り知れない。
これからは迂闊にはペンを握ることはできないであろう。
「あのときは確かに驚いたんだ」
「あのとき?」
「君が怪盗バロニスと対峙していたときだよ」
「うん」
ロジオンが来てくれた。
誰よりも早く。
「僕はあのとき、エヴェレナ様のお供について、ずっとあの方をお守りしていたんだ。でも……」
彼の言葉に耳を傾ける。
そうだろうとは思っていた。
「気付いたらいつの間にか外にいて、目の前には怪盗バロニス……いや、キルギーさんに囚われた君の姿が目に入った」
「わたしが、あなたを呼んでしまったから」
独断で動いて勝手な真似をして、関係のなかったロジオンに怪我まで負わせてしまった。
大した傷ではなかったとロジオンは笑っていたけど、わたしは様々な人の記憶を通してしっかりとあのとき、あの瞬間にわたしが見ることのできなかった光景は目に焼き付けてある。しっかりしろ!と血まみれのロジオンに呼びかける金切り声もすべて。
「ごめんなさい……」
感謝もしているし、そして深い罪悪感でいっぱいだ。
「シルヴィアーナ様に選ばれた騎士というのが僕だということは、とても光栄なことだよ」
ようやく僕も君の物語に登場できそうだね、と頬を緩める彼に胸が締め付けられる。
「あ、あなたは単独でも、物語の主人公になれる素質を持っているわ。いつか、いつか書きたかったのに」
しばらくはそれが叶わない。
しばらくどころか、いつまたペンが握れるかもわからない。
わかってはいるけど、やっぱり悲しい。
「もっと、書きたかった……」
書きたかった。
ありとあらゆることを文字にして、表現し続けていきたかった。
楽しかったのに。
わたしがわたしになれる時間だったのに。
「ノエル」
声を出したら泣いてしまいそうで、膝を抱えて顔をそむける。
今は慰めなんていらない。
この男は、わたしを泣かせるのが得意のようだから。
「僕の物語の中では、僕がいつも主役なんだよ。君に書いてもらわなくっても、いつでも僕は自身の主役であり、ヒーローなんだ」
「なっ、なによそれ」
だから気にしなくていい、とまるで予期しない言葉を向けられて、いきなり何を言い出すのかと思わず反応してしまう。
「もちろん、君だってそうだ。君は君の物語の主人公で、様々な経験を繰り返し、少しずつ成長していく。今はノエルがペンを握ることができなくなったという場面で物語が止まっているけど、完結はしていない。物語はまだまだ続いている。君が前を向いている限り」
そこで一呼吸入れ、ロジオンの声が優しくなった。
「これからも、君は君自身の物語を書き続けていくんだ。たとえどんな形になっても。未来を書き続けていくのは君だよ」
わかる?と笑うロジオンに、そういう問題じゃないのよ、と言い返してやりたかったけど、やっぱり涙が溢れてきて言い返せそうになかった。
「い、いち騎士とお姫様の物語を書いてやりたかったわっ! 今のわたしなら、絶対に誰もがときめく禁断の恋物語を書ける自信があるのにっ!」
悔しくてぐびっと鼻を啜って言ってやると、困ったようにロジオンは苦笑する。
「ちょっ、冗談じゃないよ! 中身はどうであれ、仮にも僕は今、宝石姫と呼ばれるお方とともにこんな人気のないところに人目を偲んでここにいるんだよ。そんなの洒落になんないよ!」
「中身はどうであれですって?」
「そもそも元々スキャンダル関連の僕のイメージは底辺なのに、さらにどん底行きだよ」
「なにさっ、夜な夜な疑惑を持たれるような行動をしているのが悪いんでしょ!」
「言っとくけど、僕が密会してると散々言われてたのは安定していない姿で現れる君だからね、ノエル!」
「ええっ、そうなの?」
そんなまさか……と、さらに呆気にとられるわたしを横目にやっぱりわかってなかったんだね、と軽くため息をつくロジオン。
「あーあっ、なんだかもう僕ばっかりこんな目にあってさ。このままだといつの間にか一国の王子様に目をつけられた僕の物語は早々に終わってしまいそうだよ」
「え、縁起でもないこと言わないでよ」
「いやぁもう、このどこからともなく感じられるいつでも攻撃準備はばっちりと言わんばかりに張り巡らされた魔力に気づかない君は幸せだなぁと思うよ」
それでもきっと跳ねのける自信はあるのだろう。表情は余裕綽々なのに大袈裟な身振り手振りでおどけて見せるロジオンにわたしは思わず笑ってしまった。
「いつでも、新月の夜に待ってるから」
「うん。必ず書いたら持っていく」
「エヴェレナ様にいち早く見せないといけないからね」
「いっつもあなたはそればっかりね」
「我が愛しの姫君ですから」
約束だよ、とこぶしを突き出してくる彼に、わたしも同じくこぶしを作って彼のそれにあてる。
「約束するわ。次に会うときには、もっともっとあなたをわくわくさせられる物語を見せてあげるんだから」
新月の夜に、また会えますようにと願いを込めて。
約束するから。
それは残念だ、とロジオンは空高く両腕を突き上げ、大きく伸びをする。
「だけど、理由が理由だから仕方がないよね」
レディ・カモミールの能力。
薄々はわかっていたけど、改めて言われてみるとそのとおりだ。
書いたことが現実になるのだとか、関わった人の物語が見えてしまうなど、その能力は計り知れない。
これからは迂闊にはペンを握ることはできないであろう。
「あのときは確かに驚いたんだ」
「あのとき?」
「君が怪盗バロニスと対峙していたときだよ」
「うん」
ロジオンが来てくれた。
誰よりも早く。
「僕はあのとき、エヴェレナ様のお供について、ずっとあの方をお守りしていたんだ。でも……」
彼の言葉に耳を傾ける。
そうだろうとは思っていた。
「気付いたらいつの間にか外にいて、目の前には怪盗バロニス……いや、キルギーさんに囚われた君の姿が目に入った」
「わたしが、あなたを呼んでしまったから」
独断で動いて勝手な真似をして、関係のなかったロジオンに怪我まで負わせてしまった。
大した傷ではなかったとロジオンは笑っていたけど、わたしは様々な人の記憶を通してしっかりとあのとき、あの瞬間にわたしが見ることのできなかった光景は目に焼き付けてある。しっかりしろ!と血まみれのロジオンに呼びかける金切り声もすべて。
「ごめんなさい……」
感謝もしているし、そして深い罪悪感でいっぱいだ。
「シルヴィアーナ様に選ばれた騎士というのが僕だということは、とても光栄なことだよ」
ようやく僕も君の物語に登場できそうだね、と頬を緩める彼に胸が締め付けられる。
「あ、あなたは単独でも、物語の主人公になれる素質を持っているわ。いつか、いつか書きたかったのに」
しばらくはそれが叶わない。
しばらくどころか、いつまたペンが握れるかもわからない。
わかってはいるけど、やっぱり悲しい。
「もっと、書きたかった……」
書きたかった。
ありとあらゆることを文字にして、表現し続けていきたかった。
楽しかったのに。
わたしがわたしになれる時間だったのに。
「ノエル」
声を出したら泣いてしまいそうで、膝を抱えて顔をそむける。
今は慰めなんていらない。
この男は、わたしを泣かせるのが得意のようだから。
「僕の物語の中では、僕がいつも主役なんだよ。君に書いてもらわなくっても、いつでも僕は自身の主役であり、ヒーローなんだ」
「なっ、なによそれ」
だから気にしなくていい、とまるで予期しない言葉を向けられて、いきなり何を言い出すのかと思わず反応してしまう。
「もちろん、君だってそうだ。君は君の物語の主人公で、様々な経験を繰り返し、少しずつ成長していく。今はノエルがペンを握ることができなくなったという場面で物語が止まっているけど、完結はしていない。物語はまだまだ続いている。君が前を向いている限り」
そこで一呼吸入れ、ロジオンの声が優しくなった。
「これからも、君は君自身の物語を書き続けていくんだ。たとえどんな形になっても。未来を書き続けていくのは君だよ」
わかる?と笑うロジオンに、そういう問題じゃないのよ、と言い返してやりたかったけど、やっぱり涙が溢れてきて言い返せそうになかった。
「い、いち騎士とお姫様の物語を書いてやりたかったわっ! 今のわたしなら、絶対に誰もがときめく禁断の恋物語を書ける自信があるのにっ!」
悔しくてぐびっと鼻を啜って言ってやると、困ったようにロジオンは苦笑する。
「ちょっ、冗談じゃないよ! 中身はどうであれ、仮にも僕は今、宝石姫と呼ばれるお方とともにこんな人気のないところに人目を偲んでここにいるんだよ。そんなの洒落になんないよ!」
「中身はどうであれですって?」
「そもそも元々スキャンダル関連の僕のイメージは底辺なのに、さらにどん底行きだよ」
「なにさっ、夜な夜な疑惑を持たれるような行動をしているのが悪いんでしょ!」
「言っとくけど、僕が密会してると散々言われてたのは安定していない姿で現れる君だからね、ノエル!」
「ええっ、そうなの?」
そんなまさか……と、さらに呆気にとられるわたしを横目にやっぱりわかってなかったんだね、と軽くため息をつくロジオン。
「あーあっ、なんだかもう僕ばっかりこんな目にあってさ。このままだといつの間にか一国の王子様に目をつけられた僕の物語は早々に終わってしまいそうだよ」
「え、縁起でもないこと言わないでよ」
「いやぁもう、このどこからともなく感じられるいつでも攻撃準備はばっちりと言わんばかりに張り巡らされた魔力に気づかない君は幸せだなぁと思うよ」
それでもきっと跳ねのける自信はあるのだろう。表情は余裕綽々なのに大袈裟な身振り手振りでおどけて見せるロジオンにわたしは思わず笑ってしまった。
「いつでも、新月の夜に待ってるから」
「うん。必ず書いたら持っていく」
「エヴェレナ様にいち早く見せないといけないからね」
「いっつもあなたはそればっかりね」
「我が愛しの姫君ですから」
約束だよ、とこぶしを突き出してくる彼に、わたしも同じくこぶしを作って彼のそれにあてる。
「約束するわ。次に会うときには、もっともっとあなたをわくわくさせられる物語を見せてあげるんだから」
新月の夜に、また会えますようにと願いを込めて。
約束するから。