「アイリーンはね、かつて魔物に襲われたことがあったんだ。幼い頃にね。そのときに、強大な魔力が彼女に宿ったのだと聞いているよ」

 泣きつかれて俯くわたしに、ヘイデン様は優しく教えてくれる。

「そして、それでも彼女は自ら魔術師になる道を選んでくれたんだ。自分の街と同じ目にあう街が少しでも減るように、と」

 ここは、ヘイデン様の書庫で、いつもわたしが心を踊らせている場所。

 だけど、今日は違う。

 絶望で押しつぶされそうになっていた。

「嫌な役を任せてしまってごめんね。わたしは君まで傷つけてしまった。許してほしい。でも、でもね、アイリーンは君にだったら心を開いて、彼女の心のうちを開放してくれるんじゃないかって思っていたんだ」

 ヘイデン様がわたしの前に跪き、頬を伝う涙を拭ってくれる。

「いつもすまして自分の感情をふたしてしまうアイリーンに、しっかり感情を出してほしかったんだよ」

 だから、感謝をしている。

 と彼は言った。

「だけどね」

 わたしの手をぐっと握り、彼は真剣な表情をこちらに向けた。

「あまりに驚異的な力だと思ったよ。思わずゾッとしたのはたしかだ」

 それは、アイリーン様のお話ではない。

「レディ・カモミールが一体どうやってあの日の、あの日あのときのポリンピアの状況を知り、そして文章にしたかはわからない。でも……」

 そう訴えかけてくるヘイデン様は、間違いなくレディ・カモミールの正体を知っている。

 そのうえで、こうして話してくれるのだ。

「あまりにも驚異的で、彼女の持つ力は文字にすることで、国への影響を及ぼす狂気ともなりうることもあると考えざるを得なかった。その能力を求めて企まれる陰謀もあるかもしれない。下手をしたら、国家問題に発展する可能性もある」

 彼は、ゆっくりと語る。

 まるで子どもに言い聞かせるように。

「だけど、幸いなことに、それはまだきっと、わたししか気づいていない。だから、対処できる」

 ごめんね、と彼は言う。

「好きなことを好きに楽しむ。それはとても素晴らしいことだ。わたしも賛成だし、レディ・カモミールがいきいきと毎日楽しく過ごしてくれるのならと微笑ましく思って見ていた。だけど……」

 言いにくそうに、彼は言葉を紡ぐ。

「しばらくは、自由にさせてあげられなくなってしまうことを詫びなければならない。わかってくれるね……ノエル……」

 いや、と言いかけた彼が息を呑むのがわかってわたしも顔をあげる。

 このときがきたのだ。

「レディ・カモミール」

 わたしの手をぐっと握るヘイデン様はひどくつらそうだ。

「はい」

 だからわたしも頷いて同意の意を示す。

 わかっている。

 わかっていたのだ。

 もうわたしの一存ではペンを握れなくなってしまうかもしれないということも。

 わたしは知っていた。

「わたしはね、君が笑ってくれるのなら何でもしたいと思っているんだよ。君が幸せならそれでいい。それは本当なんだ」

 今も変わらずに、とヘイデン様。

「いつも、君には悲しい思いばかりさせてしまうね」

 ごめんね、と何度目になるだろう。

 そう言って、彼は続けた。

「それでも、君を守りたい。わたしは、君を愛してるんだ。この世の中で、誰よりも……」

 そう告げて、彼はわたしを引き寄せる。

「ごめんね、シルヴィ」