抱えられる……というよりも担がれるような形で、わたしは男に捉えられていた。

 レディ・カモミールの手記とペンがその突風で吹き飛ばされたのが感じられた。

「なっ!」

 絶体絶命……なんてものじゃない。

(どうして……どうしてわたしが捕まっているのよ!!)

「は、離しなさいよ! このくそ怪盗!」

「ははは、威勢だけはいいお嬢さんだ」

 仕方ない、このまま行くか……と、男はポンポン……と指先で光の道を作り、それに足をかける。

「ちょっと! シルヴィアーナ様はどうしたのよ! 無事なんでしょうね? というか、離しなさい!!」

 何と言っても無駄なんだろうけど、わたしはできるだけ目いっぱい暴れまくってやる。 

 全く持って効果がないのが悲しい。

 このまま連れて行かれてしまうのか……そう思ったとき凄まじい音で何かが飛んでくるのが目に入った。

「ノエル!」

(えっ……)

 今はエヴェレナ様の側についているはずの男は、剣を構えてそこに立っていた。

「ノエルを離せ!」

(どうして……ここに……)

 考えるよりも先に目頭がじんわり熱くなる。

「ほう。君は……」

「答える義理はない!」

 今まで見せたことのない迫力で彼は目にも止まらぬ早さで剣を男に向けて切り込んできた。

 あっという間の出来事だった。

 しかしながら、男も応戦する。

 片手に宿す光は魔力を含んでいる。

 それに触れたら大変なことになるだろう。

 それでも彼、ロジオンは器用にそれを交わし、なおも男に攻撃を続ける。

 男は男でわたしを抱えているくせに俊敏な動きを見せ、どちらかというとわたしの目が回り始めたくらいだ。

 鈍い音がぶつかり合う音が聞こえる。

 触れ合うたびにまばゆい光が双方に向かって弾ける。

(ああ……ごめんなさい……)

 ロジオンはきっと、戦いにくいはずだ。

 わたしを盾にされているようなものだもの。

(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……)

 わたしが約束を破ったばかりに、ロジオンをこんな危険な目に合わせることになるなんて。

 今さら謝っても遅いけど、もう一度彼とともに過ごす時間が許されるのなら、しっかりと謝りたい。

 月夜に照らされたふたりの影がぶつかり合う。

 ロジオンの影と……

「えっ……」

 対する影は、大きな獣の形をしていた。

「きっ……」

 叫びかけて必死に声を抑える。

 本当に抑えられたわたしを褒めてほしい。

 本当に本当に褒めてほしい。

 影だけを見ていると、ロジオンが化け物に襲われているようにしか見えなかった。

「ロジオン、に、逃げて!」

 思わず叫んでいた。

「この男は、人間じゃない!」

「わかってるよ!」

 対してロジオンの声が響く。

「こんな人間、いたら大問題だよ!」

 彼の切羽詰まった声にぐっと息を呑む。

「それは、マルクス子爵のご子息、キルギーだ」

「えっ……」

 マルクス子爵のご子息って言ったら……アイリーン様と同じ術師で、アイリーン様のことが何よりも大好きだといつも叫んで回り、アイリーンに冷たくあしらわれているどちらかといえば陽気な良きお兄さん的存在の人だった。

「ど、どうしてキルギーさんが……」

 怪盗バロニスだというの?

「操られているんだよ。魔物に……」

「えっ!」

「こいつは以前僕が見た怪盗バロニスじゃない」

 ロジオンの声にめまいがした。

(ま、魔物ですって?)

 しかも、魔物が……ネイデルマール城内に?

 どうして……と、聞こうとしたとき、ぶしゃっという嫌な音が聞こえ、くっ……と呻くロジオンの声が聞こえた。

「ろ、ロジオン!」

 何が起きたのか、抱えられたわたしからは見ることができない。

 だけど、彼の影がよろめいて、ポタリポタリと嫌なしずくが地面を染めている。

「ロジ……」

 どうして。

「ロジオン、逃げて!」

 どうしてこんなにも荒々しい戦いが繰り広げられているというのに、誰一人として助けに来てはくれないのだろうか。

 震えが止まらない。

「ロジオン!」

「き、騎士に向かって逃げろだなんて、相変わらず君も無茶苦茶言うよね」

 そんなことをしたらエヴェレナ様に顔向けができないよ!とロジオンの声が聞こえたとき、

「いたぞ! こっちだ!」

「ロジオン、無事か!」

 と、張り上げられた他の近衛団の声が聞こえ、男は取り囲まれることとなる。

「キルギー、目を覚ませ!」

「離さねば、容赦はしない!」

 近づいてくる近衛団たちが剣を構え、口々にそう告げる。

「シルヴィアーナ様を誘拐の罪に処す!! 覚悟しろ!」

(ああ、よかった……)

 頼もしいその筋肉があたりを囲み、わたしは安堵して瞳を閉じた。