結末のないモブキャラは仕方がないので王宮のありとあらゆるネタを駆使してベストセラー作家始めます

「シルヴィアーナ様の髪は本当にまっすぐで美しいですね」

 いつものように、今日もわたしはシルヴィアーナ様の御髪を整える。

「銀色の髪色は一本一本の光沢が光っていて惚れ惚れしてしまいます」

 見た目よりもやわらかいその髪に触れるといつもドキドキしてしまうのだ。

「ねぇ、シルヴィアーナ様」

 いつもと同様スコーンとカモミールティーが置かれているのにわたしは彼女に新しい物語を贈ることができない。

 とはいえ、できたてほやほやのレディ・カモミールの短編集を持ってきたからそれで喜んでもらえたら嬉しい。

 できるだけいつものとおりにと過ごしたい願う本日は月が最も丸くなる日なのだ。

 わたしは変わらない笑顔を向ける。

(あなたには指一本触れさせない)

 そう、心に誓いながら。
 シルヴィアーナ様の別邸は、いつもより数倍多い近衛団の方々に守られ、警護されていた。

 わたしたちの行動範囲もずいぶん狭められたが、怯える侍女たちも少なくはなかったため、彼らの姿が目に見えるのは有り難かった。

 シルヴィアーナ様のお部屋の中では、わたしたちは外の様子や怪盗バロニスについて口にすることはない。

 ただ、いつものように他愛もない話に花を咲かせる。

 それが侍女長であるメリルさんから提案されたことだったし、わたしたちも納得をして今日という日を迎えた。

 シルヴィアーナ様は相変わらず、心を閉ざしてしまっていて、まさか自分がこの騒動の真っ只中にいるなんて思っても見ないだろう。

 シルヴィアーナ様が怖がらなければ良い。

 気づいたら近衛団のみなさんや術師のみなさんが怪盗バロニスを捕まえて、何事もなかったねって明日の朝に笑えたら、それが一番いいのだ。

「でも、どうしてシルヴィアーナ様なのかしら」

「本当よね、金品ならわかるけど、わざわざリスクを犯してまで」

「別邸なら手薄だとでも思ったのかしら?」

「まさか、ランバドル王国の手のものじゃないの?」

 外では様々な憶測が飛び交っていた。

 どれが真実なのかはわからなかったけど、無事にことが過ぎ去ることが一番なのだ。

「シルヴィアーナ様、今日はとてもきれいな満月ですよ」

 うっとりと眺めた先に、いるはずもない影が移り、目を見張る。

(えっ……)

 ここは、上層部分だ。

 シルヴィアーナ様が心を閉ざされてからは外へ出ることもないため、バルコニーさえ用意されていない一室に彼女は暮らすこととなった。

 だから、だからおかしいのだ。

 こんなところに人影があるのは。

(ひっ!)

 声にならない悲鳴を漏らす。

 声に出さなかっただけ、自分を褒めたい。

 それもそのはず。

 窓枠な向こうに男がしがみつくようにして、こちらをみていたのだから。

 タキシードにシルクハットをかぶり、マントをなびかせている。

(怪盗、バロニス!!)

 考えずともわかった。

「シルヴィアーナ様っ!」

 とっさに振り返ったとき、目に写ったものは、全く持って信じがたいもので、スコーンとティーポットがそのまま残された誰もいないテーブルと椅子がそこに置かれていた。

 わたしの中で、時が止まった。

 ほんのりとカモミールの香りがして、たった今までそこにいたはずのあの方の姿を想像させた。でも……

「シ、シルヴィアーナ様っ!!」

(う、嘘でしょ!)

 彼女は忽然と姿を消していた。

(どうして!)

 ずっとそこに座っていたはずのシルヴィアーナ様がいなくなっていたのだ。

「シルヴィアーナ様っ!!」

(噓……どうして……いつの間に……)

 窓際に近寄るも、そこにはずてに人の影はない。

(う、嘘でしょ……)

 やられた。

「だ、誰か! 誰か来て!」

 シルヴィアーナ様が!と叫ぶわたしの声を聞きつけ、飛び込んでくる近衛団のたちは誰もいなくなったシルヴィアーナ様の室内を見て唖然とした。

 探せ!というけたたましい声が響く。

「う、うそ……噓でしょ……」

 一瞬の出来事だった。

 本当に一瞬で、物音一つしなかった。

「シルヴィアーナ様ぁっ!!」

 わたしは廊下を駆け出した。

「シルヴィアーナ様! シルヴィアーナ様! シルヴィアーナ様!」

『ノエル、絶対に無茶なことはしないって約束して』

 ロジオンの声が遠くに聞こえた。

 だけど、そんなの気にしてなんていられない。

(ごめんね、ロジオン……)

 心の中でそっと告げる。

 わたし、やっぱりじっとなんてしていられない。

(大切な方を、守りたいのよ!!)

 そうして、わたしは中庭を立ち、空を見上げた。

 ひんやりとしていて、吐く息が白く染まる。

(ああ……)

 今日は美しい満月の夜だ。

 そう。ずっとこの日を意識してきた。

 そして、そいつはやってきた。

「逃しはしない!」

 わたしはさっとポケットに忍ばせたレディ・カモミールの手記を広げ、ペンを握った。

 わたしはレディ・カモミール。

 ロジオンが言ってくれたのだ。

 レディ・カモミールであることが、わたしの魔術なのだと。

(だったら、お願い!)

 祈る気持ちでわたしはそこに跪き、ペンを走らせた。

 いつもと同じように。
『わたしはね、その状態のことをゾーンに入っている状態だと思うのよ』

『なにそれ?』

 不思議そうにするロジオンにそう語ったことがある。

『楽しい楽しいと思って書いているとね、気づいたらどっぷりその世界観に入り込んでいるときがあるのよ。音や感覚はわかるの。でも、ずっと遠いところにあって、わたしだけが別空間にいるような』

『そんな感覚で書いてるってこと?』

『うーん、うまくいえないんだけど、極限の集中状態で書いているときがあるのいうか。時間を忘れてただその物語の世界に入っているのよ』

『へぇ、すごいなぁ~僕にはわからない感覚だよ』

『あら、体を動かす人にほど体感できるものなのだと聞いたことがあるわよ。剣を使っているときとか、ないの?』

『ないよ! いかに逃げおおせるか、それしか考えてないんだから』

『さ、最低ね……』

 ロジオンが笑って、わたしも笑った。

 ねぇ、ロジオン……わたしね……
『音もなく、その男は現れた』

 必死にペンを走らせる。

『シルクハットにタキシードを身にまとっている。背にはマントをなびかせて、そこに立っていた』

 状況を一生懸命綴っていく。

 描写がいつも以上に浮かんでこない。

 集中力がうまく続かない。

 こんなの、ただ書いているだけだ。

 いい作品なんて生まれないのに。

(ゾーンはどうしたのよ)

『誰だ! と言う声が響く』

 でも、仕方がない。

『その姿は人々の恐怖を煽る』

 こんな緊急事態に落ち着いてペンを走らせられるほど、わたしは大人ではない。

『彼は、間違いなくその男だったからだ。誰もが息を飲んだ』

 誰もが、というよりも『わたしが』だけど。

『怪盗バロニス』

 ゴクリと息を呑み、続ける。

『彼こそが、怪盗バロニス。大泥棒だ』

 怪盗が来たって竜が来たって魔王が来たって天災が来たって怖くない。

 だって、この世界での最強は作家(わたし)なのだから。

 作家の表現ひとつで世界は変わる。

 怪盗だって捕まえてやるし、竜だって退治するし、魔王はまた封印すればいいし、天災も魔術師の力でどうにかすればいい。

 作家がそう綴ってピリオドを打てば世界の平和は守られるのだ。

(レディ・カモミールがわたしの魔力であるのなら)

 お願い!!と切に願う。

『風の向きが変わる』

 そう。風がやんだ。

『彼が現れたのだ』

 彼の名は……

「怪盗バロニス」

「えっ?」

「今宵も参上」

 わたしを前にその男は優雅に一礼をする。

 あまりにも人間離れをしたそのしなやかな動きに圧倒される。

「お初にお目にかかります。ノエル・ヴィンヤード……いえ、レディ・カモミール」

(えっ……)

 シルクハットにタキシードを身にまとう男。

『彼の名は……』

 指が止まる。

「今から無礼を働くことをお許し願いたい」

「はぁ?」

 五十代?

 いや、四十代?

 三十代? ……いや、もっと……

「あなたにこれ以上物語を綴られると困るんですよ」

 男は淡々とそう述べ、口を大きく開けた。

「あ、あなた……」

 恐怖よりも怒りが勝った。

「シルヴィアーナ様をどこにやったの?」

 自分でも驚くほどの金切り声が出た。

「あのお方を返しなさい! あの方に何かあったら、ただじゃおかないわよ!」

「おお、怖い」

 だけどわたしの威嚇なんて一切の恐怖さえも与えることはできず、彼は楽しそうにくくっと笑う。

 異様に大きな口が不気味に写った。

「あなたの書くものは、この世界の脅威でしかない」

「なんですって?」

「世界を変える」

 レディ・カモミールの文章が、ということだろうか。目を見張る。

「だったらなおさらよ!」

 この男の言いたいことは、わたしが思っていたことと同じなのだろう。

「お望み通り、ピリオドを打ってやるまでよ!」

 ただの脇役(モブキャラ)だと思ってバカにしないでよ。

「自分ことさえ何もわかっていないあなたに、何ができる」

(挑発なんてくそくらえよ!)

 わたしは構わず紙に向かう。

『月が雲を晴らす』

 ピリオドとともに、明るい満月がゆっくりと顔を出す。

「おお、驚いたなぁ……」

 その様子を、男は嬉しそうに眺める。

『その光は』

 ゴール(結末)は決まっているのに、そこまでの道のりが決まらない。

 一体どの道筋(ルート)で完結まで持っていったらいいのか、迷っている暇もないのに指が迷う。

(シルヴィアーナ様っ!)

「お転婆なお嬢さんだ……」

「!!」

 彼がすっと手を掲げると、突如として凄まじい暴風がわたしを襲う。

(な、なんなの、こいつ……)

 この男は、何者なのだろうか。

 ただの怪盗ではないというのか。

(術師?)

 そう。今、男がわたしに向けているものは、アイリーン様やロジオンが使用していてよく目にする魔術師のものだ。

 暴風の次はチラチラと振り始めた雪の結晶が氷の刃となって一斉に襲いかかってくる。

(あ、あんなの当たったら、ひとたまりもない……)

 レディ・カモミールの手記とペンだけは絶対に離すものかと握り締め、瞳を閉じる。

(ここまでか……)

 あまりに無力だ。

 結局、何もできなかった。

 悔しくて、歯を食いしばるしかできず、終わりを迎えるべく、わたしはその時を待った。

(ん?)

 それでも、いっせいに体内を貫くだろうと思っていた氷の刃の感覚がなく、そっと目を開く。

 そのタイミングで、シャラシャラシャラ……という音を立てて、宙に浮いた氷の刃は地面に落ちる。

「えっ……」

 自分の体がぼんやり光を放っていることに気づいて目を見開く。

(これは……)

 このあたたかい光には覚えがあった。

『ノエル……』

 その声は、脳裏の向こうから聞こえた。

『ノエル、逃げてくれ、お願いだから……』

(ああ……)

「なんと、加護の力か」

 わたしが答えを告げるよりも前に、男が呟いた。

「面白い」

 再びあげられた彼の手には先程とは比べ物にならないほど禍々しい色の光を宿していて、とてもじゃないけど、あんなもので攻撃されたらただではすまないだろう。

『ほんの少しの時間稼ぎならできるから』

 ロジオンの声が聞こえた。

(ロジオン、ありがとう……)

『その光は……』

 わたしは再び、レディ・カモミールの手記にペンを添える。

『シルヴィアーナ姫を抱え、高笑いをするその男の姿を照らす。そして……』

(お願い……)

 この男を前に、最後のピリオドを打つことは困難だろうと考えなくてもわかる。

(誰か……)

『彼女が最も信頼する騎士が現れたのは、その時だった』

 それでも、わたしにできることがないなら、できる人を呼ぶまでよ。

 その一文にピリオドを打つか打たないときだった。

「きゃっ!!」

 突然、わたしの体がまた先程とは別の光に包まれて吸い込まれるように男の腕に引き寄せられる。

(な、なんで……)

「ははっ、どうやら勝負あったようだ」

 男は高らかに笑った。
 抱えられる……というよりも担がれるような形で、わたしは男に捉えられていた。

 レディ・カモミールの手記とペンがその突風で吹き飛ばされたのが感じられた。

「なっ!」

 絶体絶命……なんてものじゃない。

(どうして……どうしてわたしが捕まっているのよ!!)

「は、離しなさいよ! このくそ怪盗!」

「ははは、威勢だけはいいお嬢さんだ」

 仕方ない、このまま行くか……と、男はポンポン……と指先で光の道を作り、それに足をかける。

「ちょっと! シルヴィアーナ様はどうしたのよ! 無事なんでしょうね? というか、離しなさい!!」

 何と言っても無駄なんだろうけど、わたしはできるだけ目いっぱい暴れまくってやる。 

 全く持って効果がないのが悲しい。

 このまま連れて行かれてしまうのか……そう思ったとき凄まじい音で何かが飛んでくるのが目に入った。

「ノエル!」

(えっ……)

 今はエヴェレナ様の側についているはずの男は、剣を構えてそこに立っていた。

「ノエルを離せ!」

(どうして……ここに……)

 考えるよりも先に目頭がじんわり熱くなる。

「ほう。君は……」

「答える義理はない!」

 今まで見せたことのない迫力で彼は目にも止まらぬ早さで剣を男に向けて切り込んできた。

 あっという間の出来事だった。

 しかしながら、男も応戦する。

 片手に宿す光は魔力を含んでいる。

 それに触れたら大変なことになるだろう。

 それでも彼、ロジオンは器用にそれを交わし、なおも男に攻撃を続ける。

 男は男でわたしを抱えているくせに俊敏な動きを見せ、どちらかというとわたしの目が回り始めたくらいだ。

 鈍い音がぶつかり合う音が聞こえる。

 触れ合うたびにまばゆい光が双方に向かって弾ける。

(ああ……ごめんなさい……)

 ロジオンはきっと、戦いにくいはずだ。

 わたしを盾にされているようなものだもの。

(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……)

 わたしが約束を破ったばかりに、ロジオンをこんな危険な目に合わせることになるなんて。

 今さら謝っても遅いけど、もう一度彼とともに過ごす時間が許されるのなら、しっかりと謝りたい。

 月夜に照らされたふたりの影がぶつかり合う。

 ロジオンの影と……

「えっ……」

 対する影は、大きな獣の形をしていた。

「きっ……」

 叫びかけて必死に声を抑える。

 本当に抑えられたわたしを褒めてほしい。

 本当に本当に褒めてほしい。

 影だけを見ていると、ロジオンが化け物に襲われているようにしか見えなかった。

「ロジオン、に、逃げて!」

 思わず叫んでいた。

「この男は、人間じゃない!」

「わかってるよ!」

 対してロジオンの声が響く。

「こんな人間、いたら大問題だよ!」

 彼の切羽詰まった声にぐっと息を呑む。

「それは、マルクス子爵のご子息、キルギーだ」

「えっ……」

 マルクス子爵のご子息って言ったら……アイリーン様と同じ術師で、アイリーン様のことが何よりも大好きだといつも叫んで回り、アイリーンに冷たくあしらわれているどちらかといえば陽気な良きお兄さん的存在の人だった。

「ど、どうしてキルギーさんが……」

 怪盗バロニスだというの?

「操られているんだよ。魔物に……」

「えっ!」

「こいつは以前僕が見た怪盗バロニスじゃない」

 ロジオンの声にめまいがした。

(ま、魔物ですって?)

 しかも、魔物が……ネイデルマール城内に?

 どうして……と、聞こうとしたとき、ぶしゃっという嫌な音が聞こえ、くっ……と呻くロジオンの声が聞こえた。

「ろ、ロジオン!」

 何が起きたのか、抱えられたわたしからは見ることができない。

 だけど、彼の影がよろめいて、ポタリポタリと嫌なしずくが地面を染めている。

「ロジ……」

 どうして。

「ロジオン、逃げて!」

 どうしてこんなにも荒々しい戦いが繰り広げられているというのに、誰一人として助けに来てはくれないのだろうか。

 震えが止まらない。

「ロジオン!」

「き、騎士に向かって逃げろだなんて、相変わらず君も無茶苦茶言うよね」

 そんなことをしたらエヴェレナ様に顔向けができないよ!とロジオンの声が聞こえたとき、

「いたぞ! こっちだ!」

「ロジオン、無事か!」

 と、張り上げられた他の近衛団の声が聞こえ、男は取り囲まれることとなる。

「キルギー、目を覚ませ!」

「離さねば、容赦はしない!」

 近づいてくる近衛団たちが剣を構え、口々にそう告げる。

「シルヴィアーナ様を誘拐の罪に処す!! 覚悟しろ!」

(ああ、よかった……)

 頼もしいその筋肉があたりを囲み、わたしは安堵して瞳を閉じた。
 どうせ書くのなら恋愛小説を書きたいから、どちらかといえば微笑ましい恋物語を見てみたい。

 ファンタジーが好きだというシルヴィアーナ様のためにファンタジー作品にも挑戦を始めたけど、さすがに危険な出来事を実際に追体験をしてまで臨場感を表現したいとは思っていない。

 怪盗に捕まったと思ったら、実は城内の人間を操って侵入してきた魔物(しかもそれが術師とあれば、結界だって崩壊し放題じゃないの!)だっただなんて、なかなかできない、そしてしたくない経験でしかない。

 脇役(モブ)なら脇役(モブ)らしく、もっとあっさりやられて、『城内初の被害者は名もなき脇役侍女(モブキャラ)』というワンパターンな展開に持ち込まれなかっただけ有り難いのだけど、今回の出来事はわたしにとってトラウマレベルで恐怖しかない最悪な出来事だった。

 近衛団が現れ、そして順に術師も現れる。

 魔物は恐ろしいものだとわかっているが、こんなにも心強い面々が集まったのであればもう大丈夫だろう。

 果たしてどうやって逃げ出そうか、などとわたしはそんなのんきなことを考えていた。

 じりじりと距離を取って近衛団がなかなか攻撃に出られないのは、わたしという人質のせいだろう。もしくは魔物が操るキルギーに攻撃をする隙がないのか。

 一秒が永遠に感じられるほど、長い時を経て、対峙している。

 そこに遠慮なく、そして荒々しい勢いで飛んできたのは、真っ赤な光だった。

「バカね」

 その凛とした声にはっとする。

「わたしがいないからと、油断をしたのかしら。その子に手を出したことをあの世で後悔することね」

(アイリーンさま!)

 これ以上に心強いことはない。

 もうもらったも同然!と言わんばかりに、わたしは心のなかでガッツポーズを決めて、その赤い光を眺める。

 赤い光というよりも、リボンのようだった。

 ヒラヒラとしていて、まるで生きているようなその光はキルギーに巻き付いている。

 どうやら、わたしごと捕獲をしたようだ。

(あ、アイリーン様ったら……)

 あまりに大胆不敵だ。

 彼女にかかればもう問題ないわ。

 心から信頼する彼女の到着に安堵をした、その途端、さりげなくもまた、くくくっと笑うキルギーの声が聞こえたのだ。

(えっ!)

 気づいたときには、視界が思いっきり揺れて、ノエル!とわたしを呼ぶ声がしたものの、そのあのはどうなったかわからないくらい勢いよく、暗闇へ……いいえ、別空間へと移動させられたような気分だった。

(う、噓でしょ……)

 不敵な男の笑い声だけは脳内に響いていた。

 いつまでも、いつまでも。
 ぐるぐる回って吐き気のするような異空間を巡り、気づいた時には暗い夜道に放り出されていた。

 容赦なく凍りついた地面に肩から叩きつけられ、寒さも加わってこれ以上にない痛みが右肩を襲った。

(こ、ここは……)

 見たこともない建物が立ち並んでいて、煙突から煙は出ているから人はいるのだろうけど、どの家も不在なのか寝ているのか真っ暗に明かりを落としている。

 今まで王宮しか知らなかった人間(脇役モブ)が、人生初めて別の世界へ飛ばされたのだ。

 驚きのあまりあたりを眺めてあんぐり口を開く。

 見たこともなかった世界観にいささか胸をときめかせるものの、寒さがあまりにも容赦なくて、のんきに珍しい光景に見入っている余裕はない。

(ええ、季節が悪かったわ)

 何のためにあの男がわたしをここへ飛ばしたのかはわからない。

 ネイデルマール城から引き離したかったのか。凍死させたいのであれば絶好の場所だ。

「いっ、たたたた……」

 わたしは痛む腕をさすりながら立ち上がる。

 ネイデルマール城は今、一体どうなっているのだろうか。

 考えるまでもなくみなさんがいたら大丈夫だとは思う。なによりまずは自分がどうやって帰ったらいいのか、考える必要がありそうだ。

「あ……そうだ!」

 ポケットを漁るも、目的のものは出てこない。

「う、うそ……」

 アイリーン様のアイシャドウだ。

 もしかしたらこの場所からでもヘイデン様の書庫へ導いてくれるかもしれない、と思ったのに、いつの間に落としてしまったのか、どれだけポケットを探っても見つからない。

 貴重なものだったのに、と悔やんでしまう。

 どうやって戻ろうかと途方に暮れる。

 そして、目の前をうようよと歩く人ならぬ影にさらに途方にくれることとなった。

(な、なんでわたしがこんな目に……)

 思わずにはいられない。

 うごめくその影は、先ほど目にしたものと同じだったのだから。

 それもひとつやふたつじゃない。

 うじゃうじゃいるのだ。

(ああ……)

 まさに敵の本拠地へ送られたのだと悟るにはそう時間はかからなかった。

 寒さなのか恐怖なのか、震える体をさすりながらその光景を眺める。

 いや、眺めるしかないのだ。

 今度こそ何も持ち合わせていないわたしは、もう立ち向かうすべがないのだ。

 そして逃げる時間もないだろう。

(ここまでしてネタなんて欲しくないわよ)

 書けなくなったらせっかくのネタだって意味を持たなくなる。盛大にため息が出た。

 時間の問題だろうと思っていたけど、思ったよりも早くそのうごめく影たちはわたしの存在に気づき、うようよとした状態でゆっくりと近づいてくる。

(ああ……)

 どうやってやられるのだろうか。

 考えただけでも絶望的だった。

 シャーッと人ならぬ不気味に広がった大きな口を開けて影たちが近づいてきたとき、今度こそもう無理だと拳を握り、ギュッと目を閉じた。

 キーン!と何かと何かがぶつかり合う大きな音がした。

 またも運命の瞬間を迎える前に、何事かと目を開くと、

「こっちよ!」

 という女の子の声がした。

「えっ……」

 長い黒髪を背になびかせた女の子に手を引かれ、彼女の後ろへ庇われるように誘導される。

 ぱっと手のひらで空に円を書くような素振りをした彼女の動きに虹色の光が続く。

(けっ……結界……)

 こんな光ではなかったけど、見たことはある。

 どこのどなたかは存じ上げないけど、助けてもらったことを悟る。

 そして、勇ましい音のする方には大きな剣をぶんぶん振り回し、影たちを一体一体撃退している青年の姿が見える。

 彼が動くたび、キラッとした何かが瞬き、その後を追う。

(な、なんなの……この人たち……)

 知っているような気がする。

 でも、思い出せない。

「ミコト、頼めるか?」

 ギッタンバッタンとそれはもう見事なほどに容赦なく影を切り裂いていくその青年は、ある程度影の動きが減り始めたところでわたしの前で結界を張り、余裕の笑みを浮かべている彼女に声をかける。

「ここの魔物たちは驚くほど弱かったからよかったわね」

 ミコトと呼ばれた彼女は、ふふっと微笑みながら、胸元のペンダントを握る。

 その後、何かを唱えたかと思えばそのままそれを離すと、ぼわっとした色をまとい、ペンダントが光に変わり、ぱぁーっと頭上に飛び散る。

 そして、まるで空に傘がかかったようにまばゆい光が地面に向かって降り注がれる。

 じゅわっとその光に吸い込まれるようにして影がひとつ、またひとつと消えていく。

 不思議なもので、不安と恐怖でガチガチになっていたわたしの心もほんわかとあたたかさが蘇ってきたような気がした。

(えっとぉ……)

 目の前に広がる光景があまりにも新しい展開すぎて、わたしは不安の取り除かれた心で、今までと違うなにか新しいことがおこりそうな気持ちになって胸をわくわくさせた。
「まだ影たちが知能を持っていなかったからな。早い段階で倒せてよかったよ」

 弱かったからよかったわね、などと言うミコトの言葉に、神妙な面持ちで頷きながら青年も腰元に剣をしまう。

 驚いたことに、あるべき場所に戻された剣はしゅんと縮まったかのように彼の腰元に収まるサイズに形を変えた。

(一体……この人たち……)

 わたしが決死の覚悟で臨んだ影に対して弱かっただの知能を持っていなかったからだの自由なことを言い合ってくれちゃって、唖然とさせられる。

「大丈夫でしたか?」

 青年がわたしの方に顔を向ける。

 その容姿にびっくり仰天。

 暗闇でも映える明るい金色の髪に淡く薄い緑の瞳を持った彼は、あまりにも神々しい。

 一刻も早く、レディ・カモミールの手記を握りたくなるほど、美しく絵になる容姿をしていたのだ。

 この男も、主役になるべく生まれた存在なのだろうなとただならぬオーラにぼんやりと思いを馳せる。

 ミコトはどちらかというと小動物のようで可愛くて(わたしには言われたくないだろうけど)親しみやすいその雰囲気から油断をしていたけど、いきなり予想外の方向から見た目光線で攻撃をされた気分だ。

 ヘイデン様、アイリーン様、それこそロジオンまでも……彼らから感じられるオーラをひしひしと感じられる。

(いやはや、美しいものって楽しい!)

 創作の意欲を掻き立ててくれる。

 とはいえ、レディ・カモミールの手記はどこかへ飛ばされてしまったからもうつかえないかもしれないけど。(誰かに拾われませんように)

「ここは、魔族の息のかかった場所です」

「え?」

「だから、夜道の独り歩きは……」

 言いかけて、形の輪郭に指先を添え、驚いた、というように大きく瞳を見開く。

「もしかして……あなたは、どこか遠くからいらしたのですか?」

 わたしの衣装や身なりを見てそう思ったのだろう。

 さり気なく自分の着ている上着をわたしに差し出し(なにこの人、性格まで完璧なの?)、彼は不思議そうな顔をした。

「魔物に襲われて……」

 さすがにネイデルマール城の出来事だということは伏せることにする。

 ないとは思うけど、お城の人間ということでまた人質に取られたらたまったものじゃない。(うん、ないとは思うんだけど)

「それで、この地へ飛ばされたんです。あの……ここは、どこなんですか……?」

 まさか、先日読んだばかりの『異世界』などという世界へ飛ばされ(転生させられ)たのではないだろうか。

 あまりにも今まで見ていた環境との違いに心配になってくる。

 王宮と街と、それは違うに決まっているのだけど、外の世界を見たことのないわたしには異空間だった。

「ここは、ナイラスという街です」

「ナイラス……」

 どこかで聞いたような、そう思い、顔をあげる。

「こ、この前、魔物たちに襲われたという……」

「ええ。そうですよ」

「どうやらここは魔物たちの通り道らしくって、やつらが姿を表さなくなるまで浄化して浄化して浄化しまくってるってわけ」

 青年を次いでミコトがペンダントをかざして見せる。

「わたしはミコト! あなたの名前は?」

「の、ノエルです。ノエル・ヴィンヤード」

「そう。とっても美しい髪の毛ね。夜道では目立つから気をつけなくっちゃ」

「は、はぁ……ありがとうございます」

 生まれてこの方、髪の毛なんて褒められたことなんてないから驚きつつも、次に夜道を歩くときは絶対に帽子をかぶろうと心に決める。

「俺はテオルド。ミコトとふたりで魔物退治の旅をしているんだ」

「えっ……おふたりで?」

 こらこら。

 なんて楽しくて美味しいシチュエーションなんだ……なんて思っている場合ではない。

「テオルドは勇者なのよ」

「ええっ!!」

 素直に驚いた。

 確かに、主役級のオーラを放っているとは思っていたけど、まさか本物の勇者様にお会いできちゃうなんて……そんな最高の展開、ある? 

 今すぐにでもロジオンに伝えに行きたい!

 そう思いつつ、帰るすべがわからず、改めて途方に暮れる。

 このままじゃ、二度と会えない気がしてならない。

「わたしはこことは違う世界から来たんだけど、どうやらこの国では『巫女』と呼ばれる立場の存在らしくって、このペンダントを使えば街の様子や魔物たちでさえ浄化することが可能だから、彼についてこの世界をまわっているってわけ」

「あっ!」

「え?」

 あっけらかんと答えるミコトの話で、どこかで見たことがあると思っていた彼らが、わたしがロジオンと出会うきっかけとなった作品、『王宮浪漫日和(ロマンスデイズ) 〜失われた時間と勇者の伝説~』の作品に登場させたキャラクターたちとよく似ているのだ。

(これもまた、誰かの記憶に入り込んで見てしまったのかしら?)

 もはや自分自身宣創作能力を信じられなくなっているわたしだけど、こんなにも完璧な設定を世界の狭い空間だ生きるわたしが想像したのかと思うと不思議でならない。

 かといって、勇者と関わってそうな人間は身近にはいそうにないわけで、疑問は深まる一方である。

 なにより、あれからずいぶんたくさんの作品を書き続けるようになったため、処女作の記憶が曖昧なのは仕方がない。

 また読み返してみよう、と密かに思う。

 きっとまた、改めて思い出すことが増えるだろう。

 読み返してみよう。

 王宮に帰れたら、きっと。
「あああっ、勇者様方……今宵も、ありがとうございます!!」

 どこからともなく現れたのはこの街の人間たちなのだろう。

 口々に勇者と巫女に感謝の言葉を述べている。

 一緒にここに存在しているわたしのことなんて眼中にもない様子だ。(まぁ、慣れっこだからいいけどね)

「いえ、それが俺たちの役目ですから」

 勇者は薄い緑の瞳を柔らかく細めた。

(ああ、グレイス様の瞳の方が濃い色ね)

 なぁんで思ってしまうのは、職業病なのだろう。

 人様の容姿ばかり見てしまって、その際の表現に最も合う言葉を探している。

 そんなこんなで普段はあまり人様と触れ合うことがないだけとても新鮮な機会でもあった。

「ねぇねぇ、ママぁ~、もうお外に出てもいい?」

 小さな女の子が母親のスカートを引っ張り、愛らしい声を出す。

「まだ何が起こるかわからないから、もう少し中で様子を見たほうがいいと思うわ」

「ええ〜、あたしたちがお迎えしてあげないと、バロニス様が迷っちゃうじゃないのぉ!」

「そうねぇ……」

「えっ!」

 そんな微笑ましい会話だったのに、それを遮るようにわたしは割り込んでしまう。

 今、その名前はトラウマのひとつだ。

「ば、バロニス様って……」

 それでも勇気を振り絞り、その名を口にする。

 魔物の本拠地にあの(魔物)も帰ってきて、なおかつこの街ではいい顔をしてるしてるとでもいうの?

 考えただけでもぞっとする。

「なんでも、この街に物資を届けてくれる謎のお助けキャラらしいのよね」

「えっ? お助け……?」

「あ、こっちの世界ではお助けキャラって言わないのか。なんて言ったらわかるだろう? 魔物に襲われた街だったり、生活能力が伴っていなかったり、そんな街へ有志で支援を行っているらしいの。シルクハットにタキシード姿のわけわからない姿なんだけどね……」

 ミコトがなにやらぶつぶつ言いながらも説明をしてくれる。

 言っていることは理解できたのだけど、本当にそれがわたしの知るそのわけのわからない姿の男のことなのだろうか?

 名前とスタイルだけ同じで、別人なのだろうか?

 それともいざというとき信者が作れるように、偽善者ぶって活動をしているとか?

 いずれにせよ、その男が今夜も来るであろうことは間違いなかった。

「だ、大丈夫なんでしょうか?」

 思わず聞いてしまう。

 しかしながら、さすがに自分を襲ってきた人間はその人なのだと言うわけにもいかない。

「俺たちも待機していますから」

「そうよ。悪意のあるものは弾き飛ばせるようにわたしも対策は練っているのよ」

 たしかに、勇者と巫女という絶対的ポジションにあり、魔物さえも虫けらのように軽々しく扱うおふたりだけに、何かあっても大丈夫な気はしたけど、あまりの偶然が必然に思えてならない。

 加えて、ある怪盗の物語と設定と似ている気もするのだ。

 確実に油断はならない。

「わ、わたしも見張らせてもらうわ」

 正直なところ、二度と会いたくないし、名前さえも聞きたくない。

 考えるだけで恐怖心を与えてくるその存在だけど、いたいけなる子供が関わるとなると別だ。

「いや、ノエルさんは怪我をしているようだし、まずは室内で手当をしてもらって休んだほうがいいわよ」

 言われてみるとそうなのだけど、一日中気を張って起きていた分、あたたかい室内に行って、気を緩めたらすぐにでも眠ってしまいそうだ。そんな気がする。