『魔物が街を襲った』
その恐ろしい事実を知ったのは、すぐあとのことだ。
わたしたちの住むネイデルマール城からはずいぶん距離のある場所だったそうだが、城内で一目を置かれている魔術師たちが数名応戦に向かったのだという。
しかしながら、彼らの到着を待つこともなく、幸い近くに居合わせた勇者と異世界から来たという巫女が街を守り、事なきを得たとのことだった。
そんな現実離れをした出来事に、わたしは信じられないといった様子でただただ息を呑んでいた。
信じられない話ではない。
二年前にもある街が襲われたのだ。
そのときも同じように心を痛めていたはずだったのに、遠い街だということで今ではすっかり他人事のように思ってしまっていたのだ。
あの出来事以来、ネイデルマール国内の街の結界はずいぶん強化されたのだと聞いている。
しかしながら、今回はそれを破って魔物たちが現れたのだというのだ。
遠いところだ。
だけど、人ごとではないのだ。
いつもは貴婦人たちの穏やかなお茶会の場として使用されている広場には険しい顔付きの術師たちが集められていて、その中でひときわ美しく存在感を放っているのはアイリーン様である。
そのすぐ隣には近衛団が控えていて、わたしたちはその様子を遠目に眺めていた。
いつも近くで優しく接してくれたのが儚い夢のように彼女との距離は遠い。
広場を見渡せる場所に王族が現れる。
街全体にもう一度結界を張り直せ、そう指示が出された魔術師たちはいっせいに頭を下げる。
近衛団たちはその護衛を言い渡される。
その緊迫した様子はわたしの身を縮こませるには十分だった。
遠い街の話ではない。
いつかはくるかもしれない恐ろしい現実なのだ。
きっとネイデルマール城は術師のみなさんが強力な結界を張って守ってくれるだろう。
そこは心配していない。
でも、もしものことを考える。
もしも魔物が襲ってきて、それがもしもシルヴィアーナ様の別邸だったら。
誰があの方をお守りするというのだろうか。
身を呈して守る覚悟はできている。
だけど、わたしにできるのはそれだけなのだ。
自分の無力さが悲しい。
「そんな顔をしなくても大丈夫だよ」
「えっ……」
いるはずもないその人物の声に目を見張る。
「アイリーンたちの魔力が魔王に劣るとは思っていない。ましてや、魔物たちなんて敵でもないよ」
「へ、ヘイデン様……」
どうして……今、あそこに……と言いかけて、彼の姿が王族の中にないことに気がつく。
「まぁ、あの場は他の兄たちに任せるよ。ズラッと王子が全員並んでいても何の役にも立たないからね」
自由だ。
相変わらずこの緊急事態に似つかわしくない空気感を醸し出して彼はにっこりする。
「シルヴィアーナはどうしてる?」
「あっ……」
そうか。
ヘイデン様はシルヴィアーナ様が心配でここに。
「まだ、別邸には何の報告も入っていません。わたしだけかと……」
そう思ったら少しだけホッとして、背の高い彼を見上げる。
「それなら良かった。これを、シルヴィアーナに渡しておいて」
「えっ……」
差し出されたのは、編み込まれた手のひらサイズの白詰草の輪っかだった。
「こ、これは……」
「ブレスレットだよ。これを持っていてくれれば、彼女に何かあったときわたしはすぐに彼女のもとへ向かうことができる」
「そ、そうなんですね」
それなら安心だとほっとする。
何かあったとき、ヘイデン様たちが駆けつけてくれたなら。
それほど心強いことはない。
でも、
「ヘイデン様……」
「ん?」
「それは、ヘイデン様からシルヴィアーナ様にお渡しいただけないでしょうか」
「え?」
「差し出がましいことを申し訳ございません! で、ですが、わたしからお渡しをするよりもヘイデン様から手渡された方がシルヴィアーナ様も安心できるかと思うんです」
ずいぶんでしゃばった真似をしたという自覚はある。
とても多忙を極めているヘイデン様に、わたしがお願いをしているのだから。
普通ならばありえないことなのだ。
「も、申し訳ございません……で、でも……」
「わたしからは受け取ってもらえないよ」
「えっ……」
返された言葉はとても寂しい。
「わたしからということで捨てられてしまっては使えるものも使えなくなる。でも、シルヴィアーナは君からなら受け取ってくれるはずだと思うんだ」
だから、頼むよ。
そう力なく笑うヘイデン様の笑顔に、わたしはもう何も言えなくなる。
遠くの方では今もまだ、魔術師たちを囲んでけたたましい騒ぎ声が聞こえている。
だけど、わたしにはぼんやりとしか聞こえてこなかった。
差し出された白詰草のブレスレットに手を伸ばす。
それに触れたとき、ふわっとした感触が手のひらを通して体内に染み込んでいくような気がした。
このぬくもりを一番に感じなくてはいけない人がいる。
「わかりました! では、今すぐにこれをシルヴィアーナ様へお渡ししてまいります!!」
そして、だから……と続ける。
「シルヴィアーナ様をよろしくお願いいたします!」
わたしの言葉に、命に変えても!と彼は胸に手を当て、深く頷いてくれる。
トクンっと胸の奥でなにか鈍い音がしたようだったけど、わたしはあまり気にすることはなく、そのまままたシルヴィアーナ様の別邸に向かって足を進めたのだった。
その恐ろしい事実を知ったのは、すぐあとのことだ。
わたしたちの住むネイデルマール城からはずいぶん距離のある場所だったそうだが、城内で一目を置かれている魔術師たちが数名応戦に向かったのだという。
しかしながら、彼らの到着を待つこともなく、幸い近くに居合わせた勇者と異世界から来たという巫女が街を守り、事なきを得たとのことだった。
そんな現実離れをした出来事に、わたしは信じられないといった様子でただただ息を呑んでいた。
信じられない話ではない。
二年前にもある街が襲われたのだ。
そのときも同じように心を痛めていたはずだったのに、遠い街だということで今ではすっかり他人事のように思ってしまっていたのだ。
あの出来事以来、ネイデルマール国内の街の結界はずいぶん強化されたのだと聞いている。
しかしながら、今回はそれを破って魔物たちが現れたのだというのだ。
遠いところだ。
だけど、人ごとではないのだ。
いつもは貴婦人たちの穏やかなお茶会の場として使用されている広場には険しい顔付きの術師たちが集められていて、その中でひときわ美しく存在感を放っているのはアイリーン様である。
そのすぐ隣には近衛団が控えていて、わたしたちはその様子を遠目に眺めていた。
いつも近くで優しく接してくれたのが儚い夢のように彼女との距離は遠い。
広場を見渡せる場所に王族が現れる。
街全体にもう一度結界を張り直せ、そう指示が出された魔術師たちはいっせいに頭を下げる。
近衛団たちはその護衛を言い渡される。
その緊迫した様子はわたしの身を縮こませるには十分だった。
遠い街の話ではない。
いつかはくるかもしれない恐ろしい現実なのだ。
きっとネイデルマール城は術師のみなさんが強力な結界を張って守ってくれるだろう。
そこは心配していない。
でも、もしものことを考える。
もしも魔物が襲ってきて、それがもしもシルヴィアーナ様の別邸だったら。
誰があの方をお守りするというのだろうか。
身を呈して守る覚悟はできている。
だけど、わたしにできるのはそれだけなのだ。
自分の無力さが悲しい。
「そんな顔をしなくても大丈夫だよ」
「えっ……」
いるはずもないその人物の声に目を見張る。
「アイリーンたちの魔力が魔王に劣るとは思っていない。ましてや、魔物たちなんて敵でもないよ」
「へ、ヘイデン様……」
どうして……今、あそこに……と言いかけて、彼の姿が王族の中にないことに気がつく。
「まぁ、あの場は他の兄たちに任せるよ。ズラッと王子が全員並んでいても何の役にも立たないからね」
自由だ。
相変わらずこの緊急事態に似つかわしくない空気感を醸し出して彼はにっこりする。
「シルヴィアーナはどうしてる?」
「あっ……」
そうか。
ヘイデン様はシルヴィアーナ様が心配でここに。
「まだ、別邸には何の報告も入っていません。わたしだけかと……」
そう思ったら少しだけホッとして、背の高い彼を見上げる。
「それなら良かった。これを、シルヴィアーナに渡しておいて」
「えっ……」
差し出されたのは、編み込まれた手のひらサイズの白詰草の輪っかだった。
「こ、これは……」
「ブレスレットだよ。これを持っていてくれれば、彼女に何かあったときわたしはすぐに彼女のもとへ向かうことができる」
「そ、そうなんですね」
それなら安心だとほっとする。
何かあったとき、ヘイデン様たちが駆けつけてくれたなら。
それほど心強いことはない。
でも、
「ヘイデン様……」
「ん?」
「それは、ヘイデン様からシルヴィアーナ様にお渡しいただけないでしょうか」
「え?」
「差し出がましいことを申し訳ございません! で、ですが、わたしからお渡しをするよりもヘイデン様から手渡された方がシルヴィアーナ様も安心できるかと思うんです」
ずいぶんでしゃばった真似をしたという自覚はある。
とても多忙を極めているヘイデン様に、わたしがお願いをしているのだから。
普通ならばありえないことなのだ。
「も、申し訳ございません……で、でも……」
「わたしからは受け取ってもらえないよ」
「えっ……」
返された言葉はとても寂しい。
「わたしからということで捨てられてしまっては使えるものも使えなくなる。でも、シルヴィアーナは君からなら受け取ってくれるはずだと思うんだ」
だから、頼むよ。
そう力なく笑うヘイデン様の笑顔に、わたしはもう何も言えなくなる。
遠くの方では今もまだ、魔術師たちを囲んでけたたましい騒ぎ声が聞こえている。
だけど、わたしにはぼんやりとしか聞こえてこなかった。
差し出された白詰草のブレスレットに手を伸ばす。
それに触れたとき、ふわっとした感触が手のひらを通して体内に染み込んでいくような気がした。
このぬくもりを一番に感じなくてはいけない人がいる。
「わかりました! では、今すぐにこれをシルヴィアーナ様へお渡ししてまいります!!」
そして、だから……と続ける。
「シルヴィアーナ様をよろしくお願いいたします!」
わたしの言葉に、命に変えても!と彼は胸に手を当て、深く頷いてくれる。
トクンっと胸の奥でなにか鈍い音がしたようだったけど、わたしはあまり気にすることはなく、そのまままたシルヴィアーナ様の別邸に向かって足を進めたのだった。