「すごく慌てているように見えたけど」
木々に飾り付けられた色とりどりのイルミネーションの間から姿を表したのは、我が国の第四王子であるヘイデン殿下である。
口角ををゆっくりあげて微笑みを見せる。
ご令嬢キラーの恐ろしい笑みである。
彼のいるあたりからその背後遠くまで、徐々にぶわっとまばゆい光が徐々に色づき始めて見える。
正直なところ、今の今までこの盛大なイルミネーションに気づいていなかったのだけど、元々点灯されていたのだろう。
慣れとはおそろしい。
とはいえ、何人たりとも絶対にこの時間だけは邪魔をさせたくないのに、このお方にだけは逆らうわけには行かない。
慌てて見えるのなら、見て見ぬふりをしていただきたかった。
「ヘイデン様こそ、どうしてこんなお時間にこのような場所に」
愚問ではあるが、お決まりのセリフをできるだけ冷静に決め込んで口にする。
「いや、夜風にあたりたいなぁと思って、ふらっと外へ出てみたんだよ。そしたら君が足早に移動しているものだから」
来ちゃった……と、柔らかそうなアッシュゴールドの髪の毛をかきあげ、優雅に微笑む。
はぁぁ、眩しい……
言葉にできない圧倒的な輝きに攻撃される。
「そ、そうでしたか……」
精一杯の感情を込めて笑みを作る。
だけど、わたしだってわかっている。
そんなはずあるわけがない。
夜風にあたりたいのならバルコニーにでも出ればよいのだ。
驚くほどだだっ広くって、わたしのお部屋なんてすっぽり収まってしまいそうなほど大きくて贅沢なバルコニーがあるのだから。
しかもいち侍女であるわたしを見つけたからといってわざわざ相手をする必要などないのに。
そもそも、王子様がふらりとひとりで外へ出歩いて良いはずがない。
どうせまた今宵もお城を抜け出して、どこかお偉いさんのところのご令嬢と禁断の一夜を過ごすのが本当のところだろう。
普通の侍女や使用人は騙せてもこのわたしはそうは簡単には騙されないわよ。
「お時間もお時間です。何かあってはいけませんのでどうかお部屋へお戻りくださいませ」
そして、リミットのあるわたしのささやかな楽しみを奪わないでくださいませ。
キラキラと輝く光の海がわたしの焦りをより一層煽ってくる。
「そうだね。こっそり出てきてしまったことがバレたらグレイスに何を言われるかわかったものじゃないからね。そろそろ戻ろうかな」
グレイス様とは仏頂面が特徴の彼の付き人だ。
話しかけても辛辣な視線を向けられるだけだからできるだけ近づくことはない。
「こっそり、ですか……」
「うん。こっそり」
彼の鉄壁のガードをかい潜って抜け出してくるこの殿下も相当なツワモノである。
しかしながら、思ったよりも早く話が進みそうで内心ガッツポーズを作る。
そうよそうよ、大人しく帰って……
「良かったら、君もどう?」
「は?」
「美味しいお菓子をもらったんだけど、ひとりでは食べ切れなくてね。せっかくだからお茶でもいれてくれると嬉しいんだけど」
(ちょっ……)
いつの間にか握られたわたしの指先に軽く口付けをし、薄紫色の瞳をゆっくり細める。
(ちょっ、ちょちょちょ……)
「い、いえ、わたしは……」
突然魔王が目覚めたり、その魔物によってある街が襲われたり、そこで勇者が現れたり、最強の魔術師が生まれたりだとか、物騒なことも良いことも含めて話題が尽きないこの世の中だけど、王宮内だって捨てたものじゃない。
はっきり言って、王宮はネタの宝庫である。
お偉いさんたちの道ならぬ色恋沙汰のスキャンダルはもちろん、謎めいた騎士や不審な動きをする使用人など、城内にいくつか存在しているらしい隠し通路についてだったり、少し脚色を加えれば軽い短編集は作れるといっても過言ではないくらいいろんな出来事で溢れている。
ちょっと目を凝らせば様々な人間模様や出来事で新しい物語が見えてくる。
こんな完璧な環境を与えられているわたしとしては、早くレディー・カモミールとしてペンを握りたくてうずうずしてしまう。
しかしながら。
しかしながらだ。
自分自身がそのネタのひとつになるわけにはいかない。
「お戯れはおよしください、ヘイデン様。わたしが今からあなた様のお部屋を伺った方がグレイス様に見つかったときになんと言われてしまうか……」
言い訳すら見つからない自体である。
拘束された手をやんわりほどき、必死に笑顔を作る。
わたしはあくまで書き手であって、スキャンダルされる側の人間ではないのだ。
そんなことは自分が一番良くわかっている。
世の中に主人公と脇役がいるのなら、間違いなくわたしは後者だろう。
大きな山場もない平凡で変わり映えのない日々を過ごして一生を終えていく。
たとえば何か問題を起こそうものなら最後、つまみ出されて路頭に迷う姿は目に見えている。
たしかにそうすると人生に大きな山場を迎えたことにはなるが、残念ながら今よりも劣った生活になるのは絶対に避けたい。
変わり映えがなくても、目立つことなく平穏に今の生活を続行させていく方が賢明なのである。
王子様とのスキャンダルなんて、冗談じゃない。
なにより、氷の瞳を持つというグレイス様に睨まれるなんてことを想像しただけで震え上がって鳥肌がおさまらない。
「相変わらず、君はつれないね、ノエル……」
憂いを帯びた瞳が向けられ、一体何人の女性にこのセリフを言っているのだろうかと思うと反応に困る。
月明かりがまるでスポットライトのように彼を照らし、神秘的に見せる。
月まで味方につけているとは、ますます彼の演出を後押ししているようで憎らしい。
さて、この様子を文章で表現するとどうなるか。
じっくりその様子を眺め、考える。
「ったく、ノエルは」
わたしの様子を見て、殿下はくすくす笑う。
「はっ! す、すみません」
またも自分の世界に入り込んでいた。
現実世界から物語の世界へ溶け込み、我を忘れてしまう。
わたしの悪い癖だ。
「あーあ、君を前にしているとわたしなんてまだまだなのだと思わされて落ち込んでしまうね」
「も、申し訳ございません」
「いや、わたしの魅力不足なのが問題だよ」
本気でそう思っているのだろうか。
懲りずにわたしの手を取り、瞳をやわらかく細めるその見た目は完璧だ。
この、誰にでも甘くて調子の良いところさえなければ、の話であるが。
彼の色恋沙汰についてなら、ずいぶん長編の物語を描ける自信がある。
ただ数多くのご令嬢や貴婦人を泣かせてしまうことになりそうなので、まだその禁断の1ページは更新されてはいない。
「では少しだけ、散歩に付き合ってはもらえないか」
女性なら誰でも良いのだろうか。
「こんなに美しいのに、見ないで帰るなんてもったいないと思わないかい?」
あくまで引く気はないようだ。
あたりを見渡し、グレイス様やアイリーン様がいらっしゃらないことを確認し、心を決める。
「……す、少しだけですよ」
仕方がない。
今日のわたしのささやかな楽しみは諦めるより他になさそうだ。
心の中で大きくため息を付き、やったぁ!と年甲斐もなく表情を綻ばせた困った第四王子様にわたしは苦笑を浮かべ、静かに頷いたのだった。
木々に飾り付けられた色とりどりのイルミネーションの間から姿を表したのは、我が国の第四王子であるヘイデン殿下である。
口角ををゆっくりあげて微笑みを見せる。
ご令嬢キラーの恐ろしい笑みである。
彼のいるあたりからその背後遠くまで、徐々にぶわっとまばゆい光が徐々に色づき始めて見える。
正直なところ、今の今までこの盛大なイルミネーションに気づいていなかったのだけど、元々点灯されていたのだろう。
慣れとはおそろしい。
とはいえ、何人たりとも絶対にこの時間だけは邪魔をさせたくないのに、このお方にだけは逆らうわけには行かない。
慌てて見えるのなら、見て見ぬふりをしていただきたかった。
「ヘイデン様こそ、どうしてこんなお時間にこのような場所に」
愚問ではあるが、お決まりのセリフをできるだけ冷静に決め込んで口にする。
「いや、夜風にあたりたいなぁと思って、ふらっと外へ出てみたんだよ。そしたら君が足早に移動しているものだから」
来ちゃった……と、柔らかそうなアッシュゴールドの髪の毛をかきあげ、優雅に微笑む。
はぁぁ、眩しい……
言葉にできない圧倒的な輝きに攻撃される。
「そ、そうでしたか……」
精一杯の感情を込めて笑みを作る。
だけど、わたしだってわかっている。
そんなはずあるわけがない。
夜風にあたりたいのならバルコニーにでも出ればよいのだ。
驚くほどだだっ広くって、わたしのお部屋なんてすっぽり収まってしまいそうなほど大きくて贅沢なバルコニーがあるのだから。
しかもいち侍女であるわたしを見つけたからといってわざわざ相手をする必要などないのに。
そもそも、王子様がふらりとひとりで外へ出歩いて良いはずがない。
どうせまた今宵もお城を抜け出して、どこかお偉いさんのところのご令嬢と禁断の一夜を過ごすのが本当のところだろう。
普通の侍女や使用人は騙せてもこのわたしはそうは簡単には騙されないわよ。
「お時間もお時間です。何かあってはいけませんのでどうかお部屋へお戻りくださいませ」
そして、リミットのあるわたしのささやかな楽しみを奪わないでくださいませ。
キラキラと輝く光の海がわたしの焦りをより一層煽ってくる。
「そうだね。こっそり出てきてしまったことがバレたらグレイスに何を言われるかわかったものじゃないからね。そろそろ戻ろうかな」
グレイス様とは仏頂面が特徴の彼の付き人だ。
話しかけても辛辣な視線を向けられるだけだからできるだけ近づくことはない。
「こっそり、ですか……」
「うん。こっそり」
彼の鉄壁のガードをかい潜って抜け出してくるこの殿下も相当なツワモノである。
しかしながら、思ったよりも早く話が進みそうで内心ガッツポーズを作る。
そうよそうよ、大人しく帰って……
「良かったら、君もどう?」
「は?」
「美味しいお菓子をもらったんだけど、ひとりでは食べ切れなくてね。せっかくだからお茶でもいれてくれると嬉しいんだけど」
(ちょっ……)
いつの間にか握られたわたしの指先に軽く口付けをし、薄紫色の瞳をゆっくり細める。
(ちょっ、ちょちょちょ……)
「い、いえ、わたしは……」
突然魔王が目覚めたり、その魔物によってある街が襲われたり、そこで勇者が現れたり、最強の魔術師が生まれたりだとか、物騒なことも良いことも含めて話題が尽きないこの世の中だけど、王宮内だって捨てたものじゃない。
はっきり言って、王宮はネタの宝庫である。
お偉いさんたちの道ならぬ色恋沙汰のスキャンダルはもちろん、謎めいた騎士や不審な動きをする使用人など、城内にいくつか存在しているらしい隠し通路についてだったり、少し脚色を加えれば軽い短編集は作れるといっても過言ではないくらいいろんな出来事で溢れている。
ちょっと目を凝らせば様々な人間模様や出来事で新しい物語が見えてくる。
こんな完璧な環境を与えられているわたしとしては、早くレディー・カモミールとしてペンを握りたくてうずうずしてしまう。
しかしながら。
しかしながらだ。
自分自身がそのネタのひとつになるわけにはいかない。
「お戯れはおよしください、ヘイデン様。わたしが今からあなた様のお部屋を伺った方がグレイス様に見つかったときになんと言われてしまうか……」
言い訳すら見つからない自体である。
拘束された手をやんわりほどき、必死に笑顔を作る。
わたしはあくまで書き手であって、スキャンダルされる側の人間ではないのだ。
そんなことは自分が一番良くわかっている。
世の中に主人公と脇役がいるのなら、間違いなくわたしは後者だろう。
大きな山場もない平凡で変わり映えのない日々を過ごして一生を終えていく。
たとえば何か問題を起こそうものなら最後、つまみ出されて路頭に迷う姿は目に見えている。
たしかにそうすると人生に大きな山場を迎えたことにはなるが、残念ながら今よりも劣った生活になるのは絶対に避けたい。
変わり映えがなくても、目立つことなく平穏に今の生活を続行させていく方が賢明なのである。
王子様とのスキャンダルなんて、冗談じゃない。
なにより、氷の瞳を持つというグレイス様に睨まれるなんてことを想像しただけで震え上がって鳥肌がおさまらない。
「相変わらず、君はつれないね、ノエル……」
憂いを帯びた瞳が向けられ、一体何人の女性にこのセリフを言っているのだろうかと思うと反応に困る。
月明かりがまるでスポットライトのように彼を照らし、神秘的に見せる。
月まで味方につけているとは、ますます彼の演出を後押ししているようで憎らしい。
さて、この様子を文章で表現するとどうなるか。
じっくりその様子を眺め、考える。
「ったく、ノエルは」
わたしの様子を見て、殿下はくすくす笑う。
「はっ! す、すみません」
またも自分の世界に入り込んでいた。
現実世界から物語の世界へ溶け込み、我を忘れてしまう。
わたしの悪い癖だ。
「あーあ、君を前にしているとわたしなんてまだまだなのだと思わされて落ち込んでしまうね」
「も、申し訳ございません」
「いや、わたしの魅力不足なのが問題だよ」
本気でそう思っているのだろうか。
懲りずにわたしの手を取り、瞳をやわらかく細めるその見た目は完璧だ。
この、誰にでも甘くて調子の良いところさえなければ、の話であるが。
彼の色恋沙汰についてなら、ずいぶん長編の物語を描ける自信がある。
ただ数多くのご令嬢や貴婦人を泣かせてしまうことになりそうなので、まだその禁断の1ページは更新されてはいない。
「では少しだけ、散歩に付き合ってはもらえないか」
女性なら誰でも良いのだろうか。
「こんなに美しいのに、見ないで帰るなんてもったいないと思わないかい?」
あくまで引く気はないようだ。
あたりを見渡し、グレイス様やアイリーン様がいらっしゃらないことを確認し、心を決める。
「……す、少しだけですよ」
仕方がない。
今日のわたしのささやかな楽しみは諦めるより他になさそうだ。
心の中で大きくため息を付き、やったぁ!と年甲斐もなく表情を綻ばせた困った第四王子様にわたしは苦笑を浮かべ、静かに頷いたのだった。