午後八時半。
コンコン、と音がして、この時を待ちわびていたわたしは慌てて外に出る。
「こんばんは、ノエル」
(あ、ああ……♡)
たったひとり。
たったひとり、その人がそこにいるだけで夜の闇に大輪の花が咲き乱れ、まばゆい明かりが灯って見えた。
「アイリーン様! こんばんは!」
あまり大きな声を出してはいけないと思っていたにも関わらず、アイリーン様の美しいお姿を目にしたら嬉しくて浮足立った。
「少し冷えるわね。平気?」
と、直視できないくらいのご尊顔を傾けてわたしに問いかけてくる女神様は初夏を彩る新緑のように透き通った色のショールを羽織っている。
「も、問題ございません! よろしくお願いします!!」
慌てて上着を手に取り、バタバタと表に出たものだからわたしは思いのほか火照っている。
なにより憧れの人のお隣に立つことは恐れ多すぎて心拍数があがったせいか、寒さの感覚などどこかへいってしまった。
「これをお渡ししておくわね」
アイリーン様が手のひらサイズのポーチを手渡してくれる。
「こ、これは……」
中にはいくつか小さな小瓶が並んでいて中には夜空を彩る星ぼしのようにキラキラと輝く色とりどりの粒子が詰め込まれている。
「アイシャドウよ」
「アイシャドウ?」
「そうね。目元を華やかに見せてくれるお化粧のひとつなのだけど、これにはちょっとだけわたしの魔力が込められているの」
生まれてこの方、自分自身へ施すお化粧……という贅沢な行為とは無縁だったわたしはその珍しさにまじまじ見入ってしまう。
「き、きれいですね」
語彙力よ、戻ってきて。
「これをまぶたにひと塗りすれば、あなたが向かうべく場所へと導いてくれる。もちろん古来から使用されてきている魔除け効果もしっかりと施しているからあの方も含め、あなたへ危害を加えようとする者には制裁を加えるよう加護の力も加えてあるわ」
あ、あの方も含めって……
相変わらずグレイス様を含め、アイリーン様のあの方への扱いがあまりにもぞんざいで笑えてくる。
彼にそんなことができるのは、彼女たちくらいではなかろうか。
「ただし、これの効力は使用した日の日付が変わるまでの間よ。わたしの魔力はどうやら他者へは日付が変わるまでしか発揮されないみたいなのよね」
だから、と念を押すようにアイリーン様はその美しい琥珀色の瞳にわたしを映して続けた。
「必ず日付が変わるまでの間に自室へ戻ること」
それ以降はどうなっても責任を持たないわよ、と含み笑いを浮かべながら。
「あとは、そうね。わたしやあの方の許可なしに使用しないこと。たとえばあなたの使用すべき場所がこの王宮内でなかったとき、あなたが誰も知らないところへ飛ばされてしまったら大変だもの」
「わかりました」
信じられない。
本当にそんなことができるのだろうかと唖然としてしまう。だけど、
「い、いいんですか? このようなものを……」
王家も認め、この国でもっとも優れた魔術師のひとりと讃えられるアイリーン様の魔術は世界最高級のもの。
それなのに、そんな素晴らしいお力を安々とわたしが使用してもいいのだろうか。
しかも、単なる私欲のために。
「そ、それに……」
ただでさえ、王子様の書庫へ訪れることさえ恐れ多いというのに、と不安になる。
「それに、ど、どうして……どうしてみなさん、そんなにわたしに優しくしてくださるのですか?」
ずっと聞きたかったことを口にする。
「アイリーン様も、ヘイデン様も……」
たったひとりの侍女のひとりだ。
本来ならばお近づきになることさえありえないことなのに、ここまでされるなんて、と疑問に思ってしまう。
「あの方のご意向とあれば、わたしは従うまでよ」
さ、つけてみて……とアイリーン様はほがらかな笑みを浮かべる。
(ああ、また……)
完全に話をそらされてしまった気がするけど、彼女の作ってくれたというアイシャドウの美しさの誘惑に勝てず、わたしは小指にその粒子を絡める。
指先が小さな光を宿したのはそのときだ。
(ああ……)
あまりの美しい光景に息を呑む。
そして、勝手に納得する。
(これはもう、王宮ファンタジー革命を書けというフラグなのですね?)
まだ『王宮浪漫日和 〜歌唄いの薬箱〜』も『王宮ロ浪漫日和 〜怪盗モーヴ、今宵も参上~』(シルヴィアーナ様限定)も完結しそうにないけど、わたしは次のネタ作りをしなければいけなさそうな気がする。
いいえ、多忙を極めて王宮にもほとんどいらっしゃらないアイリーン様がレディ・カモミールのことをご存知なはずがないか。
考えを巡らせて、やはりいつもの着地点へ戻ってくる。
自分の作品に自信が持てないのなら、作品なんて作る資格がないとロジオンは怒るかもしれない。
(でも、それでも……)
叶うものなら、アイリーン様にはあのお粗末な物語が読まれていませんようにと切に願いながら、その輝きをまぶたにのせたのだった。
コンコン、と音がして、この時を待ちわびていたわたしは慌てて外に出る。
「こんばんは、ノエル」
(あ、ああ……♡)
たったひとり。
たったひとり、その人がそこにいるだけで夜の闇に大輪の花が咲き乱れ、まばゆい明かりが灯って見えた。
「アイリーン様! こんばんは!」
あまり大きな声を出してはいけないと思っていたにも関わらず、アイリーン様の美しいお姿を目にしたら嬉しくて浮足立った。
「少し冷えるわね。平気?」
と、直視できないくらいのご尊顔を傾けてわたしに問いかけてくる女神様は初夏を彩る新緑のように透き通った色のショールを羽織っている。
「も、問題ございません! よろしくお願いします!!」
慌てて上着を手に取り、バタバタと表に出たものだからわたしは思いのほか火照っている。
なにより憧れの人のお隣に立つことは恐れ多すぎて心拍数があがったせいか、寒さの感覚などどこかへいってしまった。
「これをお渡ししておくわね」
アイリーン様が手のひらサイズのポーチを手渡してくれる。
「こ、これは……」
中にはいくつか小さな小瓶が並んでいて中には夜空を彩る星ぼしのようにキラキラと輝く色とりどりの粒子が詰め込まれている。
「アイシャドウよ」
「アイシャドウ?」
「そうね。目元を華やかに見せてくれるお化粧のひとつなのだけど、これにはちょっとだけわたしの魔力が込められているの」
生まれてこの方、自分自身へ施すお化粧……という贅沢な行為とは無縁だったわたしはその珍しさにまじまじ見入ってしまう。
「き、きれいですね」
語彙力よ、戻ってきて。
「これをまぶたにひと塗りすれば、あなたが向かうべく場所へと導いてくれる。もちろん古来から使用されてきている魔除け効果もしっかりと施しているからあの方も含め、あなたへ危害を加えようとする者には制裁を加えるよう加護の力も加えてあるわ」
あ、あの方も含めって……
相変わらずグレイス様を含め、アイリーン様のあの方への扱いがあまりにもぞんざいで笑えてくる。
彼にそんなことができるのは、彼女たちくらいではなかろうか。
「ただし、これの効力は使用した日の日付が変わるまでの間よ。わたしの魔力はどうやら他者へは日付が変わるまでしか発揮されないみたいなのよね」
だから、と念を押すようにアイリーン様はその美しい琥珀色の瞳にわたしを映して続けた。
「必ず日付が変わるまでの間に自室へ戻ること」
それ以降はどうなっても責任を持たないわよ、と含み笑いを浮かべながら。
「あとは、そうね。わたしやあの方の許可なしに使用しないこと。たとえばあなたの使用すべき場所がこの王宮内でなかったとき、あなたが誰も知らないところへ飛ばされてしまったら大変だもの」
「わかりました」
信じられない。
本当にそんなことができるのだろうかと唖然としてしまう。だけど、
「い、いいんですか? このようなものを……」
王家も認め、この国でもっとも優れた魔術師のひとりと讃えられるアイリーン様の魔術は世界最高級のもの。
それなのに、そんな素晴らしいお力を安々とわたしが使用してもいいのだろうか。
しかも、単なる私欲のために。
「そ、それに……」
ただでさえ、王子様の書庫へ訪れることさえ恐れ多いというのに、と不安になる。
「それに、ど、どうして……どうしてみなさん、そんなにわたしに優しくしてくださるのですか?」
ずっと聞きたかったことを口にする。
「アイリーン様も、ヘイデン様も……」
たったひとりの侍女のひとりだ。
本来ならばお近づきになることさえありえないことなのに、ここまでされるなんて、と疑問に思ってしまう。
「あの方のご意向とあれば、わたしは従うまでよ」
さ、つけてみて……とアイリーン様はほがらかな笑みを浮かべる。
(ああ、また……)
完全に話をそらされてしまった気がするけど、彼女の作ってくれたというアイシャドウの美しさの誘惑に勝てず、わたしは小指にその粒子を絡める。
指先が小さな光を宿したのはそのときだ。
(ああ……)
あまりの美しい光景に息を呑む。
そして、勝手に納得する。
(これはもう、王宮ファンタジー革命を書けというフラグなのですね?)
まだ『王宮浪漫日和 〜歌唄いの薬箱〜』も『王宮ロ浪漫日和 〜怪盗モーヴ、今宵も参上~』(シルヴィアーナ様限定)も完結しそうにないけど、わたしは次のネタ作りをしなければいけなさそうな気がする。
いいえ、多忙を極めて王宮にもほとんどいらっしゃらないアイリーン様がレディ・カモミールのことをご存知なはずがないか。
考えを巡らせて、やはりいつもの着地点へ戻ってくる。
自分の作品に自信が持てないのなら、作品なんて作る資格がないとロジオンは怒るかもしれない。
(でも、それでも……)
叶うものなら、アイリーン様にはあのお粗末な物語が読まれていませんようにと切に願いながら、その輝きをまぶたにのせたのだった。