「あら、ノエル……どうしたの?」

「えっ……」

 アイリーン様の美しいご尊顔が目の前に迫ってきてぐっと息を呑む。

「えっ……ええっ……ええっと……」

 お肌はまるで陶器のようで、光沢さえ感じられる。

 無防備にぐいっと近づけられるその美貌に、たとえ彼女に心を寄せる男の人であっても圧倒されてときめくどころの話じゃないだろうな、などとしみじみ思う。

 世の中にこんなにも美しい人がいていいのだろうか。

 とはいえ、わたしのまわりには、シルヴィアーナ様はもちろん、ヘイデン様にしてもアイリーン様にしてもエヴェレナ様やロジオンまでもがものすごく整った容姿を持つ人間だ。

 まさに主役レベルにふさわしいと言わんばかりに。

 わたしの表現力が追いつかなくて困る。

 圧倒的な違いを見せつけられ、言葉を失ったわたしはそっと目元に触れられたアイリーン様のひんやりとした手の感触に飛び上がった。

「泣いたの?」

「えっ……」

「目が腫れているわ」

 覗き込まれてしまえば、泣いたとか泣いていないとかどうでも良くなる。

 眩しい眩しい眩しい!!!

「何か悩み事でもあるの?」

 憂いを帯びたその眼差しさえもが完璧だ。

 しかしながら、

「いっ、いえ、昨日寝付けなかっただけなんです! 寝不足で……」

 いつまでも妄想に浸っているわけにもいかず、心配をしてくれるアイリーン様に笑ってみせる。

「わたしが泣くとお思いですか? 悩みすらないに等しいのですよ」

「……そう」

 明るく言うと、彼女は何かを言いたそうだったけど諦めたように瞳を閉じる。

「信じるわ」

「え?」

「でも、何かがあったらいつでも相談してね」

 ねっ、とその琥珀色の瞳にわたしを映す。

「は、はい……」

 きっと見透かされている。

 それでも聞いてこないのは、このお方の優しさなのだろう。

「じゃあ、目をつむって」

「え? ……あっ! はい!」

 なんとなく意味を察し、言われるがまま瞳を閉じる。

 シュルシュルパチン!

 と、何かの音が聞こえ、もういいわよ、と言うアイリーン様の言葉に目を開く。

「さ、ばっちり♡ 今日もかわいいわよ、ノエル!」

「あ、ありがとうございます!!」

 アイリーン様の魔術だ。

 アイリーン様の魔術できっとわたしは見違えるほどきれいに変身させてもらえたに違いない。あとで鏡を見て、別人のようにきれいにしてもらった自分自身に飛び上がるほど驚くことだろう。

 彼女は自らはもちろん、人を美しく見せる天才だ。

 魔術が安定しない頃からこの魔術だけは得意で、人のために使用し続けてきたと聞いたことがある。

 今ではさほど使用されることはないらしいのだけど、わたしの目に見えているものすべてが彼女の力のおかげなのかと思うくらいキラキラ輝いている。

「ああ、そうだ。あなたに言いたいことがあったのよ」

 だから来たのだと、わざわざわたしのためにこうして来てくださった彼女に頭が上がらない。

「ご、御用があればわたしの方から伺いましたのに……」

「いえ、あのお方から直接あなたへ言伝があったものだから、すぐにでも会いたかったのよ」

 あの方とは。

「あのお方が、一体わたしに、どのような……」

 アイリーン様がいうあのお方とはおひとりしかいない。

 彼女が仕えている第四王子《ヘイデン様》のことだ。

「ヘイデン様が、わたしに何を……」

 急に不安になる。

 この前お見せしたレディ・カモミールの物語についてかしら。

 不安や恐怖心を作り上げるのは自分自身だ。こんな時ばかり、恐ろしいほどにさらに想像力が豊かになる。

「あなたにご自身の書庫をお貸しする約束をしたのだと伺っているわ」

 あってる?とアイリーン様。

「は、はい……確かに、そういったお話は……」

 したような。

 それにしても、疑ってはいなかったけど、本当は実行してくれようとしてくれていることに驚いた。

「ご存知のとおり、さすがにあなたがヘイデン様のお部屋に直接入ることはあまり感心しないわ。良からぬ噂しか立たないでしょうから」

 ただでさえ頭が痛い話だから理解してちょうだいね、と言われ、思いっきり頭を上下に振る。

「も、もちろんです!! そんな、恐れ多いこと、する予定はございません。書庫のこともヘイデン様には丁重に……」

「だから、わたしの魔術であなたに別ルートを準備するわ」

「へ?」

「それを使って来てほしいの」

 それから、アイリーン様がその術と使用方法を丁寧に説明してくださった。

 けど、わたしはあまりの衝撃に言葉を失っていた。

「……え?」

「ん?」

「ほ、本当に、よろしいんですか? その……わたしが伺っても……」

 王子様の書庫だなんて、どんな書物が並んでいるのか聞いているだけでわくわくしてしまう。もちろん行ってみたい。

 だけど、本当にお言葉に甘えてもいいのだろうかと疑ってしまう。

「安心して。彼のプライベートエリアとはいえ、わたしがあなたの身はしっかり守るから」

 アイリーン様はにっこり笑う。

 い、いや、そういう意味では……

「へ、ヘイデン様は?」

 多忙を極めている王位後継者のひとりだ。

 そんなお方の貴重な休息時間をお邪魔しても大丈夫なのだろうか。

「もちろん、いないわよ」

 あの方が花を愛でない夜があるはずないじゃないの、困った人ね、と肩をすくめるアイリーン様。

 そんな姿さえも美しい。

 その様子をぼんやり眺め、わたしはまた胸の奥で何かが弾ける感覚を覚える。

 何か目に見えない大きな扉が開いたような気がした。

 新しい出会いの予感がして、胸をときめかせたのだった。