「はい?」

 何度目かわからない聞き返しにまたか、とロジオンが肩をすくめる。

 わたしの言わんとすることは理解しているようだ。

 カラッと晴れた昼下り、日頃の汚れを落とすべく泡まみれになってお洗濯に精を出していたわたしは、突然現れたロジオンに引きずられる形で裏庭へ連れてこられた。

 ここは王宮の裏庭に位置する場所で、近衛隊の練習の場が近いのか、むさくるしい男たちが凄まじい勢いで筋肉自慢をしているのが目に入ってくる。非常に毒だ。毒すぎる。

「ね、ねぇ、ロジオン……」

 眉をひそめるわたしに、ロジオンは困惑した表情で応じてくる。

 それもそのはず、わたし自身もさすがに聞き返しすぎだろうと思う。

 それでも仕方がないじゃない。

「どっ……」

 いや、聞こえていなかったんじゃない。

 ただ、理解ができなかっただけ。

「ど、どどどどういうわけなの?」

 食い入るように覗き込むわたしに、ロジオンは苦笑する。

「だから、レディ・カモミール(きみ)の物語がイラスト化されて出回っているそうだよ」

 なにか知ってる?というロジオンに対して唖然としながら首を振る。

 イラスト化? 

「いや、レディ・カモミールの文章にイラストが添えられているらしい」

 僕も本物を見たことがないんだけど、とロジオン。

「えっ……」

 知らない。

 知るはずがない。

 どういうことなのだろうか。

「レディ・カモミール記念すべき第一作目『王宮浪漫日和(ロマンスデイズ) 〜そしてわたしは恋を知る〜』がイラスト付きで出回っているとかなんとか……」

「は、はぁ? う、うそでしょ……」

 世にいう挿絵がつけられたということなのだろうか。って、聞いていない。

「しかも今、それが手に入らないくらい爆発的な人気らしくって、闇ルートでの取引が著しく多発していて、ついには王宮の謎組織、影法師(シャドウ)の部隊も出動する羽目になったとかで……」

「はぁ?」

「ノエル……」

「なによ」

「君、さっきからそれしか言っていないよ。君はその筋のプロなんだからさ、日頃からもっと語彙力を……」

「はぁ? この状態でそんなこと言う? しかもその筋ってなに? いかがわしい言い回しはやめてよね! というよりも、あなたの今の話に、これ以外にどう反応すればいいのよ!」

 レディ・カモミールの作品の盗作作品(しかもイラスト付き)が世に出回っていて、しかも人気のあまり闇取引まで始まって、なおかつそれに対してあの影法師(シャドウ)たちが動いた……ですって?

 そんな冷静になんて聞いていられるわけないじゃない!!

 頭の中の処理が正常に行われない。

「僕への許可もなしにひどいよね」

 そしてまたこの男はさらにわたしを混乱させるべく、わけのわからないことを言う。

「どうしてロジオンの許可がいるのよ」

 どう考えてもわたしでしょうよ。

「すべてを取りまとめて君のスケジュールまで管理して、レディ・カモミールの新作に全身全霊で貢献しているのは僕だよ」

 胸を張るロジオンに、あなたの催促のおかげで睡眠時間を削って命がけで締切日(デッドライン)を守っているのはわたしだと反論してやりたかった。

 しかしながら、助けられていることも多いので、そこのところは大人になってぐっとこらえる。

「なにより、すっごく美しいイラストらしいよ。あっと息を呑んで見入ってしまうほど素敵なのだとエヴェレナ様のお住まいの白百合の間でもずいぶん話題になっていて……」

「どんな作品だろうと気にしないわ」

 わたしは胸を張る。

「ロジオン、あなた、よく言ってるでしょ。本物に勝る偽物はないのだと。どちらが本物なのかと競ったとき、その続きを作りあげることができる人間が本物なのよ。偽物は本物よりも先には進めない。どんなことがあっても、わたしは好きで書いているのだから周りになんて影響されないで書き続けてみせるわ」

 我ながら良いことを言ったと思う。

 ふん!と鼻で笑ってやる。

「レディ・カモミールは偽物になんて屈しない」

「偽物というか、悪用というか……」

 褒められるかと思っていたのに、目の前の男はそれどころではないようで、それでも切実にしがみついてきた。

「いや、それどころじゃなくって、それどころじゃないんだよ! 恐れ多くもエヴェレナ様もご覧になりたいと言い出して……ぼ、僕は困ってるんだよ!」

 別の意味で呆れてまた声が出なくなる。

「あ、あなたが頭を抱えているのは、つまり、そこなのよね?」

 エヴェレナ様が絡んでいるから、こうしてリスクを犯してまでもわたしを呼び出して、こんな話を始めたのだ。

 まさにおバカな話である。

 わたしに話したところでもう出回っているものも、それが手に入らないのもどうしようもないというのに。

「あああ、君も僕も絵は書けないし……」

「あ、あなたにはプライドってものがないわけ?」

 わからないわけでもないけど、ここまで大切なお姫様に忠実だと笑えてくる。

「ロジオン、わたくしも読んでみたいわぁ♡
なぁんて言われたら、手に入れるしかないじゃないか!」

「た、たしかに……」 

 それもそうね。

 わたしもシルヴィアーナ様に熱く懇願されるなんてことがあったら同じようにロジオンに泣きつくかもしれない。

 まぁあのお方がわたしにそんなお願いをしてくれるとは思わないけど。

「じゃあ、聞くだけ聞いておくけど、その作家名《ペンネーム》はなんなの?」

 聞くだけ。

 あくまで聞くだけだ。

「えっ? 聞きたい?」

 ロジオンがまた苦虫を噛み潰したような顔になって聞いてくる。

「聞くだけよ。何ができるわけでもないけど、名前だけでも知っていれば何かは……」

「……オン」

「えっ?」

 小さくて聞こえない。

「なんて?」

「レディ・ダンデライオン」

「は?」

 筋肉質な近衛隊隊員のすさまじい掛け声が遠くの方で聞こえる。

 普段なら不快さこの上ないのだろうけど、今日はそんなに気にならないから不思議だ。

 そんなわたしは自分でも驚くくらい瞳を開ききってロジオンの次の言葉を待っていた。

 ロジオンは何も言わない。

 口にしたことさえ後悔をしているようだ。

 うん。ロジオンが言わないなら言わせていただくわね。

「だ、ダサすぎるんですけど……」

 空いた口が塞がらなかった。