「やぁ、ノエル」
シルヴィアーナ様の部屋を出て、ぼんやり通路を歩いていたわたしは、ここで聞こえてくるはずのない声を耳にして顔を上げた。
「えっ……」
(どうして、ここに……)
ここは王宮の中とはいえ、シルヴィアーナ様だけが滞在している別邸だ。
「それ、シルヴィアーナに読んでくれていたの?」
いつもありがとう、と彼はゆったりとした微笑みを見せる。
室内だけに、テンプレートな風が吹いてきて彼の髪を梳かすことはなかったけど、透き通った薄紫色の瞳は今日も宝石のようにキラキラしていて完璧だ。
どうしてここに、は愚問だった。
「ヘイデン様……」
だって、彼はシルヴィアーナの婚約者様なのであるのだから。いたっておかしくはない。ただちょっと意外だっただけ。
ただ、彼がここへ顔を出すことなんて滅多にないのだから。
「この時間に君と顔を合わせるというのも、不思議な感じだね」
「へ、ヘイデン様!」
わかっている。
悪気はないのはわかっている。
このお方は根っからの人たらしで老若男女みなをその麗しく整った容姿と甘い言葉で魅了する。
わたしだって脇役という立ち位置でなければ、面白おかしく踊らされたマリオネットの一人になっていたはずだ。
「そのような物言いは誤解を招きますので、お、お控えください」
できるだけ小声で彼に訴えかける。
なによりここはシルヴィアーナ様の住まわれる場所だ。
安易な言葉であのお方の心に不信感を与えたくない。
「はは、それもそうだね。軽率だったよ」
ごめんね、と彼はやっぱり優しい瞳の中にわたしを映す。
その瞳は窓から反射する陽の光を含んで吸い込まれそうなほどに美しい。
たしかに、彼の言うとおり、ヘイデン様とよくお会いするのは業務後の夜の時間が多い。
ヘイデン様が美しい花々を愛でに行く時間とたまたま重なっているだけなのだろうけど、お昼にこうしてお会いすることも珍しく、いつもと違う様子に不覚にもドギマギさせられた。
「シルヴィアーナは本が好きだからね」
「えっ……」
さらりと言ってのける彼に驚いた。
何気に彼がシルヴィアーナ様を名前で呼んだのを初めて聞いた……気がする。
「ノエルがこうして彼女と書籍について語らってくれている時間はとても楽しそうだとメリルから聞いているよ」
「ええ? メリルさんが?」
メリルさんとは、侍女長だ。
規定に厳しくて、全身が体内時計出できているのではないかと思えるくらい時間には正確で、なにより笑うことがない仮面の女と呼ばれている人物である。
小心者のわたしはできるだけ彼女に目をつけられないように生きているつもりだけど、そんな彼女がヘイデン様にそんなことを言うなんて信じられなかった。
ただそこに立っているだけで驚かれ、侍女仲間の間でも影が薄すぎると、そしてほとんど存在感が皆無だと言われるこのわたしの存在を把握していることに驚きで、なにより、褒めてくれたとあればとても嬉しい。
「語らっている……ですか」
しかしながら、そこだけは誤解なのかもしれない。いや、間違いなく誤解だ。
わたしが書籍を広げてから早くも一年以上の時が流れた。
それでも一度だってシルヴィアーナ様がわたしの方に顔を向けてくださることなんてなかった。
いつの間にか彼女の隣にはカモミールティーとスコーンがおかれていて……もしかしたらそれもメリルさんのおかげなのかもしれない。
そう思ったら少し寂しくなった。
「わたしは、シルヴィアーナ様のお役に立てているのでしょうか」
聞くべき相手ではないことはわかっている。
むしろそんなに軽々しくお話できる相手ではない。
だけど、わたしは思わずそう口にしていた。
「シルヴィアーナの部屋の装飾が少しずつ変わっているのは知ってる?」
「えっ?」
「君が彼女と書物の話をするようになってからだと聞いているよ」
(そんな……)
気づいていないわけではなかった。
いつも彼女のお部屋には色とりどりの美しいお花が飾られている。
だからこそ、そんな華やかなお部屋の中でただひとり、寂しけに背を向けるシルヴィアーナ様の後ろ姿を見ているのは胸を締め付けられるものがあった。
だけど、思い出せばたしかにそうだ。
今日だって、忘れな草のお花が控えめに飾られていた。
ほんの少し、次回の前作に登場させた『歌唄いの薬箱』での忘れな草の描写を丁寧にすればよかったと反省したほどだ。
(って……えっ?)
「うそ……」
「ん?」
「い、いえ……」
反射的に慌てて首をふる。
素敵な話を教えてもらえて嬉しい。
嬉しいのは確かたのだけど、もうひとつ、驚くべき事実を知ることになり、息を呑んだ。
(う、嘘でしょ……)
誰か、嘘だと言って……。
シルヴィアーナ様は、知っているんだ。
世間との交流がないからてっきり知らないのだと失礼ながら勝手に思い込んでいたけど、彼女は知っているのだ。
レディ・カモミールのもう一つの作品であり、むしろそちらが絶賛本連載中の作品である『王宮浪漫日和 〜歌唄いの薬箱~』の存在を!!
(う、嘘でしょ〜)
わざわざ彼女用に別物を作り直してお披露目していたというのに、なんとも恥ずかしすぎる!!
それならば帰ったら改めて不備はないかと確認しなくてはならない。
わたしはきっと蒼白な表情で、ヘイデン様が何かそのあともおっしゃっていたのだけど、愛想笑いを繰り返すのが精一杯だった。
シルヴィアーナ様の部屋を出て、ぼんやり通路を歩いていたわたしは、ここで聞こえてくるはずのない声を耳にして顔を上げた。
「えっ……」
(どうして、ここに……)
ここは王宮の中とはいえ、シルヴィアーナ様だけが滞在している別邸だ。
「それ、シルヴィアーナに読んでくれていたの?」
いつもありがとう、と彼はゆったりとした微笑みを見せる。
室内だけに、テンプレートな風が吹いてきて彼の髪を梳かすことはなかったけど、透き通った薄紫色の瞳は今日も宝石のようにキラキラしていて完璧だ。
どうしてここに、は愚問だった。
「ヘイデン様……」
だって、彼はシルヴィアーナの婚約者様なのであるのだから。いたっておかしくはない。ただちょっと意外だっただけ。
ただ、彼がここへ顔を出すことなんて滅多にないのだから。
「この時間に君と顔を合わせるというのも、不思議な感じだね」
「へ、ヘイデン様!」
わかっている。
悪気はないのはわかっている。
このお方は根っからの人たらしで老若男女みなをその麗しく整った容姿と甘い言葉で魅了する。
わたしだって脇役という立ち位置でなければ、面白おかしく踊らされたマリオネットの一人になっていたはずだ。
「そのような物言いは誤解を招きますので、お、お控えください」
できるだけ小声で彼に訴えかける。
なによりここはシルヴィアーナ様の住まわれる場所だ。
安易な言葉であのお方の心に不信感を与えたくない。
「はは、それもそうだね。軽率だったよ」
ごめんね、と彼はやっぱり優しい瞳の中にわたしを映す。
その瞳は窓から反射する陽の光を含んで吸い込まれそうなほどに美しい。
たしかに、彼の言うとおり、ヘイデン様とよくお会いするのは業務後の夜の時間が多い。
ヘイデン様が美しい花々を愛でに行く時間とたまたま重なっているだけなのだろうけど、お昼にこうしてお会いすることも珍しく、いつもと違う様子に不覚にもドギマギさせられた。
「シルヴィアーナは本が好きだからね」
「えっ……」
さらりと言ってのける彼に驚いた。
何気に彼がシルヴィアーナ様を名前で呼んだのを初めて聞いた……気がする。
「ノエルがこうして彼女と書籍について語らってくれている時間はとても楽しそうだとメリルから聞いているよ」
「ええ? メリルさんが?」
メリルさんとは、侍女長だ。
規定に厳しくて、全身が体内時計出できているのではないかと思えるくらい時間には正確で、なにより笑うことがない仮面の女と呼ばれている人物である。
小心者のわたしはできるだけ彼女に目をつけられないように生きているつもりだけど、そんな彼女がヘイデン様にそんなことを言うなんて信じられなかった。
ただそこに立っているだけで驚かれ、侍女仲間の間でも影が薄すぎると、そしてほとんど存在感が皆無だと言われるこのわたしの存在を把握していることに驚きで、なにより、褒めてくれたとあればとても嬉しい。
「語らっている……ですか」
しかしながら、そこだけは誤解なのかもしれない。いや、間違いなく誤解だ。
わたしが書籍を広げてから早くも一年以上の時が流れた。
それでも一度だってシルヴィアーナ様がわたしの方に顔を向けてくださることなんてなかった。
いつの間にか彼女の隣にはカモミールティーとスコーンがおかれていて……もしかしたらそれもメリルさんのおかげなのかもしれない。
そう思ったら少し寂しくなった。
「わたしは、シルヴィアーナ様のお役に立てているのでしょうか」
聞くべき相手ではないことはわかっている。
むしろそんなに軽々しくお話できる相手ではない。
だけど、わたしは思わずそう口にしていた。
「シルヴィアーナの部屋の装飾が少しずつ変わっているのは知ってる?」
「えっ?」
「君が彼女と書物の話をするようになってからだと聞いているよ」
(そんな……)
気づいていないわけではなかった。
いつも彼女のお部屋には色とりどりの美しいお花が飾られている。
だからこそ、そんな華やかなお部屋の中でただひとり、寂しけに背を向けるシルヴィアーナ様の後ろ姿を見ているのは胸を締め付けられるものがあった。
だけど、思い出せばたしかにそうだ。
今日だって、忘れな草のお花が控えめに飾られていた。
ほんの少し、次回の前作に登場させた『歌唄いの薬箱』での忘れな草の描写を丁寧にすればよかったと反省したほどだ。
(って……えっ?)
「うそ……」
「ん?」
「い、いえ……」
反射的に慌てて首をふる。
素敵な話を教えてもらえて嬉しい。
嬉しいのは確かたのだけど、もうひとつ、驚くべき事実を知ることになり、息を呑んだ。
(う、嘘でしょ……)
誰か、嘘だと言って……。
シルヴィアーナ様は、知っているんだ。
世間との交流がないからてっきり知らないのだと失礼ながら勝手に思い込んでいたけど、彼女は知っているのだ。
レディ・カモミールのもう一つの作品であり、むしろそちらが絶賛本連載中の作品である『王宮浪漫日和 〜歌唄いの薬箱~』の存在を!!
(う、嘘でしょ〜)
わざわざ彼女用に別物を作り直してお披露目していたというのに、なんとも恥ずかしすぎる!!
それならば帰ったら改めて不備はないかと確認しなくてはならない。
わたしはきっと蒼白な表情で、ヘイデン様が何かそのあともおっしゃっていたのだけど、愛想笑いを繰り返すのが精一杯だった。