「解せん……」
ロジオンが眉間にしわを寄せてレディ・カモミールの新作を眺めている。
毎月、月があたりを照らすことのない新月の日を入稿日にしているため、その日は必ずといっていいほどお昼か夜の空き時間にロジオンと顔を合わせている。
月の満ち欠けの始まりの新月は、『始まりを意味する』と言われているそうで、ロジオンがどこかのご令嬢から聞き出してきたため、縁起にあやかって自然とその日がわたしたちのやりとりの日となった。
新月の日に、わたしの手元からわたしの汗と涙の結晶は世に旅立っていく。というか、ロジオンが持っていく。
それでも今日は、その日でもないのに前倒しに新作を書き上げ、あの方が待ちわびているのだと口うるさいロジオンに手渡すこととなったのでこれまた深く感謝をしていただきたい。
彼の大切なお姫様であるエヴェレナ様が有り難いことにも続編をご所望だったらしい。
気に入ってくれたということは書き手としても嬉しいし、次の創作の糧となる。
それでも、
「何か問題でもあるって言うの?」
書け書けとあまりにも急かすものだから一生懸命睡眠時間を削って(もちろんお仕事には支障のないレベルで)書き続けているというのに、開口一番にそのセリフとは、聞き捨てならない。
「最近のレディ・カモミールはさ、なんか世間の流行に乗っかろうとしてるなぁ……となんとなく思ってさ」
「はぁ?」
「読者ニーズに合わせ過ぎっていうか」
「読者ニーズ?」
難しい言葉を並べ始める。
「レディ・カモミールの良さというよりも、読み手が書いてほしいと言っている内容をレディ・カモミールが代筆してあげているだけのような気がする」
「文句があるなら返してちょうだい」
いやいや読まれるために書いたわけではない。
「あ、いや、そういう意味じゃないんだよ。ぼくはレディ・カモミールの一番のファンだ。だからこそ言わせてもらう。大衆が望む作品なんて他者でも書けるんだ。だけど、レディ・カモミールの作品は違う。レディ・カモミールにしか書けないんだ!」
あまりに熱く語りだし、しまいにはわたしの手を握りぐっと乗り出してくるものだから引いてしまう。
すまし顔で自分は一切物語について興味がないと言わんばかりのお昼の姿とはえらい違いだ。
ファンとしての熱いお言葉だということは十分理解した。
しかし、しかしだ。
「じゃあ、ロジオン、どんなところがそう思ったのか教えてもらえない?」
当事者以外の感想を聞くのも大切なことだ。悔しくて返せと叫んでやりたいところだけど、今後の経験のためには致し方ない。
「最近はベタ甘恋愛小説に偏りすぎ」
「そりゃ、ご令嬢たちが読むのだもの、読みやすいほうがいいじゃない」
ちょっと手を伸ばせば届くか届かないか期待してしまうような、そんな物語の方が読んでいても楽しいはずだ。
現にわたしもそのひとりだし。
「そこ! そういう考えがだめだよ!」
この男はわたしの何なんだろうか。
読者なのか、編集者なのか、はたまた印刷所なのか、もしくは営業なのか。
改めて考えるとずいぶん貢献してもらっているけど、ダメ出しがすぎる!
「あのねぇ、ロジオン。百の褒め言葉よりも一の否定的意見の方が創作意欲をへし折るのだって知ってる?」
「ノエル、君はレディ・カモミールなんだ!」
「え?」
「売れない作家ならともかく、君はあのレディ・カモミールだ。人の心を虜にしてしまう才能がある。君はまわりの人や読み手に遠慮なんてしなくっても、好きな作品を書けば読者はそれについてくる! そして新しいジャンルを切り開いていくんだ」
そういえば、ロジオンが初めてわたしの作品を読んでくれたのは、勇者と竜と時の王の物語だった覚えがある。
恋愛要素はほとんどなかったものだけど、好きだった勇者の冒険をあれやこれやと想像を練ってしっかり描いたのが記憶に新しい。
「今までだってそうだったよね」
そう言われてみると、今はどんな題材にしても最後はハッピーエンドで恋愛感情を絡めているような。確かに、確かにそうだ。
どうもその方が受けも良いようだし……と、言われてみて初めて気がつく。
「しかも、恋する王子様がいつもヘイデン様なんだよ!」
「へ?」
「ノエルはヘイデン様と結ばれたい願望でもあるわけ?」
「なっ、そ、そんな恐れ多いこと……あるはずないじゃないの!」
仮にも相手は一国の王子様だ。
そんな身の程知らずなことを考えるはずがない。
「『魅惑的な薄紫色の瞳がわたしをとらえる』……明らかにヘイデン様しか連想できないんだけど」
自覚がなかった。
確かに、言われてみればそうだ。
「必ず薄紫色の美青年が出てくる」
そう。わたしからしたら、美青年かつ王子様と言ったら、薄紫色の瞳を連想する。
「しかもほとんどの場面で彼が登場する場合、いつも大輪の花を背景に背負って。なんなら風も吹いていないのに髪をなびかせて……」
「ちょ、そこまで言う?」
「事実だよ」
「うっ……」
確かに、ロジオンの言うとおり、髪色も瞳の色もある一定のイメージに縛られていて、自由な発想からは程遠かった。
ご令嬢たちが読んで楽しんでくれているのはきっと、主人公の平凡な伯爵令嬢とこのヘイデン様そっくりな王子様との恋愛を自分がなりきったつもりで疑似恋愛を楽しんでいるからだろう。
「ヘイデン様を慕っているのはわかるけどさ。わかるよ。確かにあの方ほど完璧な王子様像はいないと思うし」
ずいぶんきついことを散々続けたと思ったら、突然優しい言葉でフォローもしてくれちゃったりする。アメとムチのつもりか。
「まぁとにかく、大事なシーンで突然風を吹かせる演出をしたり、よくあるときめきのシーンは満月の夜が多かったり、失恋したあとは突然土砂降りの雨が降り出したり、そんなあからさまな描写ではないとしても、ヘイデン様のために用意された世界観なんだってすぐにわかるよね」
前言撤回。
結構容赦なくズバズバ指摘をしてくる。
「た、たしかに」
しかしながら、第三者による意見ほど大切なものはない。
「否定的な言葉が生まれないような無難な作品を作っていることは認めるわ」
人の顔色ばっかり伺って、書くことに追われて、最近は書く楽しさを忘れていたように感じる。
「ねぇ、ロジオン」
「ん?」
「次は朱色の髪の騎士を主役の物語を検討してみるわ」
「は?」
「騎士とお姫様の禁断の恋物語よ」
「はぁ?」
「これは本当に書いてみたかったのよ」
「なっ! や、やめてくれ……」
僕を破滅させるつもりなの!と、必死にしがみついてくるロジオンに、こっそり笑みを漏らす。
「半分は本当よ」
「鬼だね!」
「それでも読んでくれるんでしょ?」
「……その質問はひどいね。断れないよ」
ふふ、と笑うと困ったようにロジオンは髪をかきあげる。
その姿も絵になるのだ。
わたしはモブでしかないけど、ロジオンはそうではない。
王子様でもないし、お姫様に仕えている身ではあるけど、彼とわたしは違う。
見栄えはもちろんのこと、ロジオンならきっと、主役レベルの物語をこれから歩んでいけそうなほどの可能性を秘めているし、様々な分野にかけて才能だってある。
「ねぇ、ロジオン」
書くことは、わたしにとって生きがいだった。
それでも今は気軽にできることではなくなり、息が詰まりそうになって筆を起きたくなる日もなくはない。
それはもちろんすべてロジオンのせいなのだけど、それでも、彼のおかげで毎日に色がついたのは間違いない事実なのである。
「いつかは、あなたの物語を書きたいのよ」
そう。
大切な戦友の明るい未来の物語を。
ロジオンが眉間にしわを寄せてレディ・カモミールの新作を眺めている。
毎月、月があたりを照らすことのない新月の日を入稿日にしているため、その日は必ずといっていいほどお昼か夜の空き時間にロジオンと顔を合わせている。
月の満ち欠けの始まりの新月は、『始まりを意味する』と言われているそうで、ロジオンがどこかのご令嬢から聞き出してきたため、縁起にあやかって自然とその日がわたしたちのやりとりの日となった。
新月の日に、わたしの手元からわたしの汗と涙の結晶は世に旅立っていく。というか、ロジオンが持っていく。
それでも今日は、その日でもないのに前倒しに新作を書き上げ、あの方が待ちわびているのだと口うるさいロジオンに手渡すこととなったのでこれまた深く感謝をしていただきたい。
彼の大切なお姫様であるエヴェレナ様が有り難いことにも続編をご所望だったらしい。
気に入ってくれたということは書き手としても嬉しいし、次の創作の糧となる。
それでも、
「何か問題でもあるって言うの?」
書け書けとあまりにも急かすものだから一生懸命睡眠時間を削って(もちろんお仕事には支障のないレベルで)書き続けているというのに、開口一番にそのセリフとは、聞き捨てならない。
「最近のレディ・カモミールはさ、なんか世間の流行に乗っかろうとしてるなぁ……となんとなく思ってさ」
「はぁ?」
「読者ニーズに合わせ過ぎっていうか」
「読者ニーズ?」
難しい言葉を並べ始める。
「レディ・カモミールの良さというよりも、読み手が書いてほしいと言っている内容をレディ・カモミールが代筆してあげているだけのような気がする」
「文句があるなら返してちょうだい」
いやいや読まれるために書いたわけではない。
「あ、いや、そういう意味じゃないんだよ。ぼくはレディ・カモミールの一番のファンだ。だからこそ言わせてもらう。大衆が望む作品なんて他者でも書けるんだ。だけど、レディ・カモミールの作品は違う。レディ・カモミールにしか書けないんだ!」
あまりに熱く語りだし、しまいにはわたしの手を握りぐっと乗り出してくるものだから引いてしまう。
すまし顔で自分は一切物語について興味がないと言わんばかりのお昼の姿とはえらい違いだ。
ファンとしての熱いお言葉だということは十分理解した。
しかし、しかしだ。
「じゃあ、ロジオン、どんなところがそう思ったのか教えてもらえない?」
当事者以外の感想を聞くのも大切なことだ。悔しくて返せと叫んでやりたいところだけど、今後の経験のためには致し方ない。
「最近はベタ甘恋愛小説に偏りすぎ」
「そりゃ、ご令嬢たちが読むのだもの、読みやすいほうがいいじゃない」
ちょっと手を伸ばせば届くか届かないか期待してしまうような、そんな物語の方が読んでいても楽しいはずだ。
現にわたしもそのひとりだし。
「そこ! そういう考えがだめだよ!」
この男はわたしの何なんだろうか。
読者なのか、編集者なのか、はたまた印刷所なのか、もしくは営業なのか。
改めて考えるとずいぶん貢献してもらっているけど、ダメ出しがすぎる!
「あのねぇ、ロジオン。百の褒め言葉よりも一の否定的意見の方が創作意欲をへし折るのだって知ってる?」
「ノエル、君はレディ・カモミールなんだ!」
「え?」
「売れない作家ならともかく、君はあのレディ・カモミールだ。人の心を虜にしてしまう才能がある。君はまわりの人や読み手に遠慮なんてしなくっても、好きな作品を書けば読者はそれについてくる! そして新しいジャンルを切り開いていくんだ」
そういえば、ロジオンが初めてわたしの作品を読んでくれたのは、勇者と竜と時の王の物語だった覚えがある。
恋愛要素はほとんどなかったものだけど、好きだった勇者の冒険をあれやこれやと想像を練ってしっかり描いたのが記憶に新しい。
「今までだってそうだったよね」
そう言われてみると、今はどんな題材にしても最後はハッピーエンドで恋愛感情を絡めているような。確かに、確かにそうだ。
どうもその方が受けも良いようだし……と、言われてみて初めて気がつく。
「しかも、恋する王子様がいつもヘイデン様なんだよ!」
「へ?」
「ノエルはヘイデン様と結ばれたい願望でもあるわけ?」
「なっ、そ、そんな恐れ多いこと……あるはずないじゃないの!」
仮にも相手は一国の王子様だ。
そんな身の程知らずなことを考えるはずがない。
「『魅惑的な薄紫色の瞳がわたしをとらえる』……明らかにヘイデン様しか連想できないんだけど」
自覚がなかった。
確かに、言われてみればそうだ。
「必ず薄紫色の美青年が出てくる」
そう。わたしからしたら、美青年かつ王子様と言ったら、薄紫色の瞳を連想する。
「しかもほとんどの場面で彼が登場する場合、いつも大輪の花を背景に背負って。なんなら風も吹いていないのに髪をなびかせて……」
「ちょ、そこまで言う?」
「事実だよ」
「うっ……」
確かに、ロジオンの言うとおり、髪色も瞳の色もある一定のイメージに縛られていて、自由な発想からは程遠かった。
ご令嬢たちが読んで楽しんでくれているのはきっと、主人公の平凡な伯爵令嬢とこのヘイデン様そっくりな王子様との恋愛を自分がなりきったつもりで疑似恋愛を楽しんでいるからだろう。
「ヘイデン様を慕っているのはわかるけどさ。わかるよ。確かにあの方ほど完璧な王子様像はいないと思うし」
ずいぶんきついことを散々続けたと思ったら、突然優しい言葉でフォローもしてくれちゃったりする。アメとムチのつもりか。
「まぁとにかく、大事なシーンで突然風を吹かせる演出をしたり、よくあるときめきのシーンは満月の夜が多かったり、失恋したあとは突然土砂降りの雨が降り出したり、そんなあからさまな描写ではないとしても、ヘイデン様のために用意された世界観なんだってすぐにわかるよね」
前言撤回。
結構容赦なくズバズバ指摘をしてくる。
「た、たしかに」
しかしながら、第三者による意見ほど大切なものはない。
「否定的な言葉が生まれないような無難な作品を作っていることは認めるわ」
人の顔色ばっかり伺って、書くことに追われて、最近は書く楽しさを忘れていたように感じる。
「ねぇ、ロジオン」
「ん?」
「次は朱色の髪の騎士を主役の物語を検討してみるわ」
「は?」
「騎士とお姫様の禁断の恋物語よ」
「はぁ?」
「これは本当に書いてみたかったのよ」
「なっ! や、やめてくれ……」
僕を破滅させるつもりなの!と、必死にしがみついてくるロジオンに、こっそり笑みを漏らす。
「半分は本当よ」
「鬼だね!」
「それでも読んでくれるんでしょ?」
「……その質問はひどいね。断れないよ」
ふふ、と笑うと困ったようにロジオンは髪をかきあげる。
その姿も絵になるのだ。
わたしはモブでしかないけど、ロジオンはそうではない。
王子様でもないし、お姫様に仕えている身ではあるけど、彼とわたしは違う。
見栄えはもちろんのこと、ロジオンならきっと、主役レベルの物語をこれから歩んでいけそうなほどの可能性を秘めているし、様々な分野にかけて才能だってある。
「ねぇ、ロジオン」
書くことは、わたしにとって生きがいだった。
それでも今は気軽にできることではなくなり、息が詰まりそうになって筆を起きたくなる日もなくはない。
それはもちろんすべてロジオンのせいなのだけど、それでも、彼のおかげで毎日に色がついたのは間違いない事実なのである。
「いつかは、あなたの物語を書きたいのよ」
そう。
大切な戦友の明るい未来の物語を。