男改め、土井悠聖は思わずヒュッと息をのんだ。この場で初めて名指しされたことが、こんなに心臓を握られるような感覚なのかと、震える手を隠して平然を装った。
「面会に行っただけで、共犯扱いなんて、随分横暴ではありませんか?」
「共犯? いいえ。俺は、あなたが本物のパウンドだと思っています。確証がないのに、こんなところに呼び出すわけがないでしょう?」
若干の煽りがまざった真崎の言葉に、土井はたじろいだ。
そして直感した。ここに来いと言ってきたあのメールは、悪戯でなかったことに!
「さて――ここからは、俺達の推理です」
真崎はネクタイを緩めながら小さく息を一度つくと、改めて土井と向き合ってスマートフォンを差し出した。
画面に表示されたのは、とある家の玄関から門までを映した映像のようで、日付は住宅街でパウンドが放火事件を起こす直前だった。
通常の速度で再生されていると、塀の向こうに二人の人物が言い争いながら画面の端へ消えていった。しかし、夜の時間帯ということもあり、街灯でわずかに体格がわかる程度だ。
「これは、放火現場から近い家の入口に設置された防犯カメラです。音声はありませんが、奥のほうで横切っていくこの二人、話しながら歩いているように見えませんか?」
「……確かに。ですが顔どころか、身体のほとんどが塀で隠れていては特定できないじゃないですか」
「ええ。これだけではあなたがパウンドである証明どころか、人物の特定もできません。……でも、あなたがこの近辺にいたという証明はできます」
「馬鹿馬鹿しい。僕は事件当時、家にいました。現に、GPSは自宅から動いていないはずですよ」
「私用のスマートフォンはね。でも別で社用携帯をお持ちですよね。『サイレンくん』を起動させた履歴がちゃんと残っていましたよ」
『サイレンくん』――土井が開発した天気予測アプリだ。通常の天気予報に加え、細かい地域での気温や気圧なども発信している優れものであり、起動には必ずGPSと連動させる必要がある。
真崎はさらに端末を操作して、当時の天気予報を表示する。
「事件当時、あの住宅街近辺では乾燥注意報が発令されていました。といっても、程度は軽く、誰も気に留めることはなかったでしょう。他にも、今までパウンドが放火未遂した場所を調べると、軽度の乾燥注意報が発令されている場所ばかり。あなたは、あえて微弱な乾燥地帯での放火を、悪戯心から始めたんじゃないんですか?」
乾燥しやすい環境というものは、火災が起きやすい場所でもある。
土井は『サイレンくん』を駆使し、あえて火災の起きにくい場所の情報を得ることで、比較的安全圏を選んだ放火ドッキリを行っていたのだ。
自宅にスマートフォンを置いていた、またはGPSを切っていたため、この場にいたという形跡は証明されていなかったが、もう一つあるなら話は別だ。
なにより、このアプリはGPSと連動してこそ成り立つもの。接続を切ることはできない。
土井が唇を噛みながら睨みつけてくるのをよそに、真崎はさらに続けた。
「あなたは以前、『火伏は火遊びが好きだった』と言っていましたが、それって土井さん自身のことだったんですね。あなたと火伏の出身地である彼咲村で聞いてきました。苑田議員の支配下にある村で、好き勝手やっていたそうじゃないですか」
「……まさか、僕が火遊びの常習犯で、その尻拭いを父にやらせていたとでも? 真崎さん、僕はあの村で山火事を目のあたりにして、少しでも山火事が減らせるようにとあのアプリを作ったとお話したじゃありませんか。そんな僕が自ら火遊びをすると思います?」
「ええ、残念です。せっかく人を助けるために作り上げたのに、己の自己満足のためにしか使えないものに成り下がるなんて」
「捉え方の違いですよ。それに、放火現場近くにいたことがわかったからとはいえ、僕をパウンドだと決めつけるのは時期尚早ではないですか。火をつけた決定的な証拠がない」
「はい。あなたに証拠がないのが、証拠です」
「は?」
「火伏は火をつけることができない。――それが証拠なんです」
真崎はさらに彼の前にあるものを突き出す。手書きで書かれた診断書のようだ。
「これは?」
「九年前、村にある小峰医院で治療を受けたあなたと火伏の診断書です。症状は主に火傷。爆竹のようなものが破裂し、近くの枯れ木に引火。火はすぐに消し止められたものの、あなた達は火傷を負った。……火伏の顔の火傷は、その時にできたものですね」
当時の医院長である小峰芹夏の祖父は、芹夏を通じて真崎に話してくれた。
山に囲まれた村の中では、大きな病院へ運ぶには時間がかかるため、急ぎ手当が必要と緊急で運び込まれた彼らの状態は、とても悲惨なものだった。
特に火伏は右半身の火傷が酷く、顔も元に戻るかわからないほど爛れ、意識も朦朧としていたという。
対して土井は膝から足にかけての火傷と、腕に擦過傷という、火伏に比べると軽傷だった。腕の擦過傷は突き飛ばされた際に地面をこすってできたものだと判断しても、現場の一番近い場所にいたわりには、明らかに二人の負った怪我には差があった。
小峰医院長は二人の状態を見たうえで、火伏が土井を突き飛ばして庇ったのではないか、と告げると、覆いかぶさるように苑田議員は声を荒げた。
『議員である私の息子が火遊びをするわけがない!』――と。
「その発言に、あなたも乗ったそうですね。当時の医院長はよーく覚えていましたよ」
「……それはそうでしょう。あの日僕は、火伏が火薬を作って試しに着火しようとしているのを止めようとしていて、火傷を負ったんです。だから――」
「『止められなくてごめん』と、泣いたんですよね。わざとらしく」
その様子は、きっと誰もが気付いていたはずだった。
村を支配下に置いている議員に逆らったら、追放どころでは済まない。だから誰もが彼らの言葉に従った。火伏が濡れ衣を着せられていることをわかっているのに!
「わざと? ふざけるな! 怪我の差なんて、火伏が逃げ遅れただけで、想像も妄想もいいところだ!」
「怪我だけじゃない。皆、火伏が火遊びをするわけがないってわかっていたんです!」
「何を言って……」
「火伏昭は、火恐怖症なんですよ。あなたと出会う、ずっと前から」
一呼吸を置いて告げた言葉に、土井は目を見開いた。次に繰り出す言葉が喉まで出かかっているのに、頭を殴られたような衝撃で引っ込んでしまった。
わなわなと震える土井に、真崎はさらに続けた。
「小学生の頃、焚火に紛れ込ませた竹が破裂した際、火伏は母親を庇って火傷を負ったそうです。小規模だったので軽傷で済み、痕が残るようなことはありませんでしたが、それ以来、彼は火をつけるどころか、見ることすらできなくなってしまった。心的外傷です」
それに気付いたのは、怪我をしたその日の夕飯時のことだった。家族三人で囲む小さな寄せ鍋で、カセットコンロを置いて常に熱々の状態を保っていたが、リビングに入ってきた火伏昭はそれが視界に入った途端に震え、泣き叫び、胃液を吐いたという。
しばらくは火が通った食事を口にすることも、温かい風呂に入ることも億劫になり、両親はあの手この手を使って火から遠ざけることにした。
横のつながりを大切にする村での祭りは屋台などの火を使うが、そういった場所はなるべく避けて家に引きこもっていたことで、火恐怖症のことは噂が回りやすい村の中でも最小限に留めることができたのだ。
この事実を知っているのは、身内と治療を施した小峰医院長、そして、治療時に偶然居合わせた孫の芹夏だけだった。
だから、苑田議員や土井の言葉は誰も信じていなかったのだ。
「そんな……嘘だ、アイツはそんなこと、一言も……」
「火伏本人も、周囲の人間も言えませんよ。横暴な圧力に抑えられていたら」
離婚したとはいえ、当時の土井悠聖は苑田の名を名乗り、議員の子どもであることを周囲に言いふらしていた。
村を維持するために支配下に置かれていることも、村民は充分承知している。彼の顔に泥を塗ることになれば、村から追い出されるどころか、再就職も難しい――そんなことが頭をよぎったとしたら、穏便に済ませるために、自分の身や家族を守ることを最優先にするだろう。
今まで父親の権力を掲げて好き勝手してきた土井悠聖に、そんな思いなど些細なものでしかないかもしれない。
真崎はさらに続けた。
「ところで、ご存じでしたか? 放火事件の少し前に記録されていたこの映像は、管理人である巣鴨さんのご自宅なんですよ」
「え……?」
「巣鴨さんは、コンテナでのことも含めて、あなたが本当に隠したかったことに気付いてしまって、今まで黙っていたそうです」
コンテナを訪れた際、シグマは敷地内にある防犯カメラについて疑問に思っていた。
点検して数日も経たないうちに電源が落ち、録画データが消えている――そんな状況を作り出す理由のひとつとして、「実際に防犯カメラは設置されていなかった」という見解が上がった。設置されているカメラがすべてダミーなら、映像なんて最初から存在していない。
「本物のカメラは入口と、山に近い場所で外側にのみ配置。コンテナ内にはダミーを置いて、録画を再生させるようにした。そうすることで電気代を節約し、浮いた部分は管理費に回す。それを提案してくれたのは、土井さんだったそうですね」
「…………」
「もう、嘘をつくのは苦しいって、言っていました」
「面会に行っただけで、共犯扱いなんて、随分横暴ではありませんか?」
「共犯? いいえ。俺は、あなたが本物のパウンドだと思っています。確証がないのに、こんなところに呼び出すわけがないでしょう?」
若干の煽りがまざった真崎の言葉に、土井はたじろいだ。
そして直感した。ここに来いと言ってきたあのメールは、悪戯でなかったことに!
「さて――ここからは、俺達の推理です」
真崎はネクタイを緩めながら小さく息を一度つくと、改めて土井と向き合ってスマートフォンを差し出した。
画面に表示されたのは、とある家の玄関から門までを映した映像のようで、日付は住宅街でパウンドが放火事件を起こす直前だった。
通常の速度で再生されていると、塀の向こうに二人の人物が言い争いながら画面の端へ消えていった。しかし、夜の時間帯ということもあり、街灯でわずかに体格がわかる程度だ。
「これは、放火現場から近い家の入口に設置された防犯カメラです。音声はありませんが、奥のほうで横切っていくこの二人、話しながら歩いているように見えませんか?」
「……確かに。ですが顔どころか、身体のほとんどが塀で隠れていては特定できないじゃないですか」
「ええ。これだけではあなたがパウンドである証明どころか、人物の特定もできません。……でも、あなたがこの近辺にいたという証明はできます」
「馬鹿馬鹿しい。僕は事件当時、家にいました。現に、GPSは自宅から動いていないはずですよ」
「私用のスマートフォンはね。でも別で社用携帯をお持ちですよね。『サイレンくん』を起動させた履歴がちゃんと残っていましたよ」
『サイレンくん』――土井が開発した天気予測アプリだ。通常の天気予報に加え、細かい地域での気温や気圧なども発信している優れものであり、起動には必ずGPSと連動させる必要がある。
真崎はさらに端末を操作して、当時の天気予報を表示する。
「事件当時、あの住宅街近辺では乾燥注意報が発令されていました。といっても、程度は軽く、誰も気に留めることはなかったでしょう。他にも、今までパウンドが放火未遂した場所を調べると、軽度の乾燥注意報が発令されている場所ばかり。あなたは、あえて微弱な乾燥地帯での放火を、悪戯心から始めたんじゃないんですか?」
乾燥しやすい環境というものは、火災が起きやすい場所でもある。
土井は『サイレンくん』を駆使し、あえて火災の起きにくい場所の情報を得ることで、比較的安全圏を選んだ放火ドッキリを行っていたのだ。
自宅にスマートフォンを置いていた、またはGPSを切っていたため、この場にいたという形跡は証明されていなかったが、もう一つあるなら話は別だ。
なにより、このアプリはGPSと連動してこそ成り立つもの。接続を切ることはできない。
土井が唇を噛みながら睨みつけてくるのをよそに、真崎はさらに続けた。
「あなたは以前、『火伏は火遊びが好きだった』と言っていましたが、それって土井さん自身のことだったんですね。あなたと火伏の出身地である彼咲村で聞いてきました。苑田議員の支配下にある村で、好き勝手やっていたそうじゃないですか」
「……まさか、僕が火遊びの常習犯で、その尻拭いを父にやらせていたとでも? 真崎さん、僕はあの村で山火事を目のあたりにして、少しでも山火事が減らせるようにとあのアプリを作ったとお話したじゃありませんか。そんな僕が自ら火遊びをすると思います?」
「ええ、残念です。せっかく人を助けるために作り上げたのに、己の自己満足のためにしか使えないものに成り下がるなんて」
「捉え方の違いですよ。それに、放火現場近くにいたことがわかったからとはいえ、僕をパウンドだと決めつけるのは時期尚早ではないですか。火をつけた決定的な証拠がない」
「はい。あなたに証拠がないのが、証拠です」
「は?」
「火伏は火をつけることができない。――それが証拠なんです」
真崎はさらに彼の前にあるものを突き出す。手書きで書かれた診断書のようだ。
「これは?」
「九年前、村にある小峰医院で治療を受けたあなたと火伏の診断書です。症状は主に火傷。爆竹のようなものが破裂し、近くの枯れ木に引火。火はすぐに消し止められたものの、あなた達は火傷を負った。……火伏の顔の火傷は、その時にできたものですね」
当時の医院長である小峰芹夏の祖父は、芹夏を通じて真崎に話してくれた。
山に囲まれた村の中では、大きな病院へ運ぶには時間がかかるため、急ぎ手当が必要と緊急で運び込まれた彼らの状態は、とても悲惨なものだった。
特に火伏は右半身の火傷が酷く、顔も元に戻るかわからないほど爛れ、意識も朦朧としていたという。
対して土井は膝から足にかけての火傷と、腕に擦過傷という、火伏に比べると軽傷だった。腕の擦過傷は突き飛ばされた際に地面をこすってできたものだと判断しても、現場の一番近い場所にいたわりには、明らかに二人の負った怪我には差があった。
小峰医院長は二人の状態を見たうえで、火伏が土井を突き飛ばして庇ったのではないか、と告げると、覆いかぶさるように苑田議員は声を荒げた。
『議員である私の息子が火遊びをするわけがない!』――と。
「その発言に、あなたも乗ったそうですね。当時の医院長はよーく覚えていましたよ」
「……それはそうでしょう。あの日僕は、火伏が火薬を作って試しに着火しようとしているのを止めようとしていて、火傷を負ったんです。だから――」
「『止められなくてごめん』と、泣いたんですよね。わざとらしく」
その様子は、きっと誰もが気付いていたはずだった。
村を支配下に置いている議員に逆らったら、追放どころでは済まない。だから誰もが彼らの言葉に従った。火伏が濡れ衣を着せられていることをわかっているのに!
「わざと? ふざけるな! 怪我の差なんて、火伏が逃げ遅れただけで、想像も妄想もいいところだ!」
「怪我だけじゃない。皆、火伏が火遊びをするわけがないってわかっていたんです!」
「何を言って……」
「火伏昭は、火恐怖症なんですよ。あなたと出会う、ずっと前から」
一呼吸を置いて告げた言葉に、土井は目を見開いた。次に繰り出す言葉が喉まで出かかっているのに、頭を殴られたような衝撃で引っ込んでしまった。
わなわなと震える土井に、真崎はさらに続けた。
「小学生の頃、焚火に紛れ込ませた竹が破裂した際、火伏は母親を庇って火傷を負ったそうです。小規模だったので軽傷で済み、痕が残るようなことはありませんでしたが、それ以来、彼は火をつけるどころか、見ることすらできなくなってしまった。心的外傷です」
それに気付いたのは、怪我をしたその日の夕飯時のことだった。家族三人で囲む小さな寄せ鍋で、カセットコンロを置いて常に熱々の状態を保っていたが、リビングに入ってきた火伏昭はそれが視界に入った途端に震え、泣き叫び、胃液を吐いたという。
しばらくは火が通った食事を口にすることも、温かい風呂に入ることも億劫になり、両親はあの手この手を使って火から遠ざけることにした。
横のつながりを大切にする村での祭りは屋台などの火を使うが、そういった場所はなるべく避けて家に引きこもっていたことで、火恐怖症のことは噂が回りやすい村の中でも最小限に留めることができたのだ。
この事実を知っているのは、身内と治療を施した小峰医院長、そして、治療時に偶然居合わせた孫の芹夏だけだった。
だから、苑田議員や土井の言葉は誰も信じていなかったのだ。
「そんな……嘘だ、アイツはそんなこと、一言も……」
「火伏本人も、周囲の人間も言えませんよ。横暴な圧力に抑えられていたら」
離婚したとはいえ、当時の土井悠聖は苑田の名を名乗り、議員の子どもであることを周囲に言いふらしていた。
村を維持するために支配下に置かれていることも、村民は充分承知している。彼の顔に泥を塗ることになれば、村から追い出されるどころか、再就職も難しい――そんなことが頭をよぎったとしたら、穏便に済ませるために、自分の身や家族を守ることを最優先にするだろう。
今まで父親の権力を掲げて好き勝手してきた土井悠聖に、そんな思いなど些細なものでしかないかもしれない。
真崎はさらに続けた。
「ところで、ご存じでしたか? 放火事件の少し前に記録されていたこの映像は、管理人である巣鴨さんのご自宅なんですよ」
「え……?」
「巣鴨さんは、コンテナでのことも含めて、あなたが本当に隠したかったことに気付いてしまって、今まで黙っていたそうです」
コンテナを訪れた際、シグマは敷地内にある防犯カメラについて疑問に思っていた。
点検して数日も経たないうちに電源が落ち、録画データが消えている――そんな状況を作り出す理由のひとつとして、「実際に防犯カメラは設置されていなかった」という見解が上がった。設置されているカメラがすべてダミーなら、映像なんて最初から存在していない。
「本物のカメラは入口と、山に近い場所で外側にのみ配置。コンテナ内にはダミーを置いて、録画を再生させるようにした。そうすることで電気代を節約し、浮いた部分は管理費に回す。それを提案してくれたのは、土井さんだったそうですね」
「…………」
「もう、嘘をつくのは苦しいって、言っていました」