車を走らせ四時間、ようやく到着した彼咲村は、山々に囲まれた小さな農村だった。
 村のシンボルである彼岸花から由来されているとのことだが、まだ蕾ばかり。九月の開花時期になれば、畑一面に赤い絨毯ができることだろう。
 車で村内をぐるりと回りながら、村民の話を聞いていく。火伏の写真を見せると、大抵の人が「ああ、(ゆき)()さんのところ!」と懐かしい様子で話してくれた。
「昭くん、いい子だったわよー。よく畑や田んぼの手伝いしてくれたり、自分より小さい子の世話をしたり、面倒見がよかったわ。きっと(はる)()さんの姿見て育ったからね」
「春江さんというと、昭さんのお母様?」
「ええ。あの人、若いころは保育士さんだったのよ。お母さんのお手伝い名目で、よく保育園に顔を出していたのを覚えているわ。……でも結局、顔の火傷は治さなかったのね」
「え?」
 長い間村に住んでいるという婦人が、かわいそうにと呟きながら、火伏の写真を見つめる。
 それに目をつけたシグマは、すかさず彼女に問う。
「お姉さん、火伏の顔の火傷っていつからあるかわかる?」
「あらアンタ、奇抜な髪色しているけどいい子じゃない! 飴ちゃんあげるわ。顔の火傷ね……そうだ! ちょうどいいところに、昭くんの同級生がいるから、呼んできてあげる」
 気をよくした彼女は、「ちょっと待っててねぇ」と言い残してさっさと近くの一軒家に入っていった。ちょうどこの近くだったらしい。
「……媚びてんな」
「レディは褒めて綺麗になるもの。詐欺師は言葉と表情で騙すもの。文句ある?」
 ふふん、と鼻を鳴らすシグマはもらった飴を持ち上げるようにして見つめる。
「これ、コンテナの近くにあった燃え残りの包装と似てない?」
「言われてみれば……でも、あれはどこにでも売っている飴だし、犯人に繋がるとは思えないけど」
 現場に残されていたべっこう飴の包み紙。文字の入れ方もよく似ているが、以前見たものと比べると、印字が綺麗な気がする。
「……この包み紙、中身が飴じゃないことってあるかな」
 真崎が問うと、シグマはもらった飴玉をじっと見つめる。
「ないとは言い切れないな。飴の代わりに大変な薬が入っていたら大問題だ」
 念のためと早瀬に連絡をしていると、しばらくして婦人が連れてきたのは、火伏と幼馴染である()(みね)(せり)()という女性だった。ポニーテールにした黒髪に、小麦色の肌。動きやすいジャージにエプロンという、仕事を抜け出してきたような恰好だ。
 特に婦人から聞かされず連れてこられたようで、真崎が一から説明すると、芹夏は「ありえません!」とひどく動揺した。
「昭がそんなことするなんて絶対ありえない! そんなこと、できる人じゃない……」
「落ち着いて。そう思う根拠があるんですね?」
 真崎の問いに、芹夏は少し躊躇いながらぽつぽつと話し始めた。
「昭は……村の人達からの信頼もあるし、学校の成績も優秀で、高校も進学校を狙えるくらい頭もよかったです。……でも、唯一コンプレックスがあるとしたら、新しい出会いが怖かったのかもしれません」
「どういう意味?」
「実は、小学校の頃に火傷を負っているんです。地区の行事で焚火をする機会があって、誰かが悪ふざけで枯れ葉と紛れ込ませた竹が破裂して、火の番をしていたお母さんを庇ったのを私は見ています。大した怪我じゃなくて、数日後には治っていましたけど、それ以来、村の行事に出るのも嫌がっていました」
「焚火で火傷……あれ、じゃあ、顔の火傷はまた別?」
「はい。でもまず、火傷を負う場所なんかに彼が行くとは思えません。これはあまり村の中でも広まっていない話ですが――」
 芹夏が口にした内容は、二人にとって盲点だっただろう。それと同時に、真崎が火伏と対面した際に引っかかっていたものが、ゆっくりと解けていくのを感じた。
 それはシグマも同じだったようで、口元をまた緩ませ、もう一つ質問を投げる。
「土井悠聖って奴は知ってる? 同級生だって聞いているんだけど」
「土井……ああ、悠聖くんのことね。二人ともタイプが違うし、一緒にいるイメージはありませんでした。だから二人の仲がいいのを、中学を卒業する直前まで知らなくて」
「同じクラスで、幼馴染なのに?」
 不思議そうに首を傾げる真崎を見ながら、芹夏は少し悲しそうに笑って答える。
「この村に学校は小学校と中学校一つずつ。各学年は二十人もいないから一クラスだけで、クラス替えなんてするキャパもない。高校からは一時間に一本あるかもわからない電車に乗って、高校に行きます。皆、中学を出た後は村に戻ってくることはほとんどありません。だから幼馴染でも、互いを深く知る必要はないんですよ。しいて言えば、昭の顔に火傷の痕ができた頃が、ちょうど卒業式の直前でした」


 その後、彼咲村の周辺を聞き込み、四時間かけて事務所に戻ると、早瀬がソファに倒れ込んでいた。
 声をかけてもピクリとも動かない。真崎がおろおろし始めたところでようやく顔を上げた早瀬だったが、生気でも吸い取られたのか、疲れ切った表情をしていた。
「は、早瀬さん……!? 大丈夫ですか? 水分足りてます!?」
「ちゃんとエナドリ飲んでいるから問題はない」
「エナドリだけで水分補給ができるとか思わないで!?」
「それよりまず先に、お前らは俺に言うことがあるだろ」
 早瀬に言われて二人はハッとする。事務所を出る前に、シグマから早瀬に翁の能面をつけた男に襲われたことを報告していたのだ。話を聞いた早瀬は一日中、項垂れるように頭を抱えていたようだ。
「どうしてお前らは俺の仕事を増やすんだ……」
「え、えっと……すみません」
「謝るくらいなら自分が狙われているという自覚をしろ! 昨日のことならどうしてすぐ連絡しない? 犯人を捕まることだってできないじゃないか!」
(それはごもっとも)
 こめかみの血管を浮き立たせながら怒鳴り込む早瀬に言い返す言葉も見つからず、思わず目線をそらした。
 真崎は背中を強く打っただけでそれ以外は特に大きな怪我はなかったものの、気が抜けてしばらく立ち上がれずにいた。それならシグマが追いかければよかったと思うが、あの時の仄暗い顔を思い出すと、問い詰めるような真似はできない。
 しかし、早瀬の怒りも気にすることなく、シグマは「でもさ」と続けた。
「マサキが狙われたってことは、今追っているパウンドの事件か、それともコンテナに監禁された事件のどちらかに関係しているはず。あの時、動けないマサキを一人残しておくのは危ないと判断したうえでの行動なんだけど。なんか間違ったことした?」
「それはそうだが……」
「どのみち、犯人の目星はついた。まとめて捕まえれば問題ないっしょ?」
 得意げに笑うシグマは、そう言ってソファから立ち上がると、自分の机から端末を取って早瀬に渡した。
「放火事件当時、自宅に防犯カメラをつけた家があったと思う。その中に一人、巣鴨利夫の家が入っていた。きっと毎日確認はしていると思うけど、警察に届け出なかったのは何か理由があるはずだ」
「巣鴨さんが、俺達に嘘をついたってこと?」
「なんで嘘をついたのかはわからないけど、犯人の姿が映っていたとしたら、話は変わってくる。それに翁の能面野郎の声は、マサキには聞き覚えがあるんじゃないか?」
「……確証は、ないけど」
 一人だけ心当たりはあるが、その人物の動機が分からない。なぜこんなややこしいことをしたのか、なぜ真崎を襲ったのか――。
(能面をしている理由は? それに、『赤い花事件』との関連性は一体……?)
 真崎が黙々と考えていると、「そうだ」と早瀬が切り出した。
「一応、シグマに言われて土井悠聖について調べたぞ」
「さっすがー早瀬さん。どうだった?」
「お前の睨んだ通り、国会議員の(その)()(けん)(せい)の息子だったよ。土井は母方の姓で、悠聖が高校に入ったタイミングで離婚している」
「苑田って、次期文部科学大臣って言われている? 黒い噂も流れていますよね?」
「ああ。……それを聞いて俺は納得したよ。上層部が嫌な顔をするわけだ。議員のご子息が事件に関わっているなんて、伏せたくもなる」
 早瀬が悔しそうに唇を噛む。今までの火伏への取り調べも含め、一番苦い思いをしているのだろう。
「じゃあ、今の関係は? 母方の姓を名乗っているってことは、母親についていったことだろ?」
「ああ。でも起業する際に支援金をもらっていたらしい。ただ、業績は伸びず、倒産間近とも言われている。よくバグって正常に動かないという、レビューが大量に報告されているな」
「バグねぇ……それで、その議員サマと火伏の地元がなんだって?」
 呑気なことを呟きながらも、シグマは頬杖を突きながら続きを促す。
「あの地域は苑田議員のお膝元らしい。少しでも議員の噂をすれば報復を受けるような、そんな場所だと。それに田舎特有の情報の広がり方……内緒話もするのも相当気を使ったと思う。……マサキ」
 早瀬の声でハッと顔を上げる。いつになく真剣な表情で、真崎を見据えた早瀬はあえて尋ねた。
「パウンドは火伏ではないと、本気で思っているか?」
「はい。この一連の事件、火伏に犯行は不可能です」
「その根拠は?」
「火伏は自分から罪を認め、処罰を受けたいと訴えてきた。もし彼が犯人じゃなければ、相手を庇っているんだと思ったんです。本物のパウンドの罪を自分が着ることによって逃がした。……ただ、それだけにはどうしても思えなくて」
「……死に場所を探していた、とか」
 黙って聞いていたシグマが呟くと、真崎は小さく頷いた。
「彼が犯人ではないと断定するには、まだ材料が足りません。これはシグマではなく、正規ルートで調べたほうがいい。早瀬さん、お願いできますか?」
「正規ルート? 何を調べろと?」
「火伏の両親です。特に、母親の火伏春江を調べてください」
「二ヵ月前から入院している母親か。火伏がこっちに出てきたのは、その入院費を稼ぐためだと本人が言っていたが……」
「手術は一週間前に行われて、無事に成功したそうです。気になっているのは、その入院費。近所の人の話によればかなり高額らしく、『息子が頑張ってくれているけど全然届かない』と母親が入院する少し前に話していたようです」
「ちょっと待て……母親の心臓が悪かったのは、周知の事実だったんだよな?」
「ええ。近所の人は皆、下手したら村に住む全員が知っている可能性があります。だから皆、急遽決まった入院にたいそう驚いたそうです。入院先の病院は保証金を前払いする方式。国の制度を使わず、火伏は、どうやって金を手に入れたのでしょうか」
 もちろん、留置場にいる火伏昭が口座から金を出すことはできないし、父親が亡き今、火伏家には稼ぐ人間がいない。当然、口座が動くわけもない。母親が入院する二ヵ月前の時点で金額が届いていなかったことが事実であれば、誰かが支払った、または立て替えたことになる。
「火伏の逮捕は母親が入院した後のこと。口座が動いていないのは警察でも確認済み……なら、直接病院に振り込まれた可能性が高い。なるほど、だから正規ルートで調べろ、か。令状が手配できるか怪しいが、なんとかしてみよう。マサキが俺に調べてほしいって言っていたものはまとめてメールで送ってくれ」
「わ、わかりました!」
 早瀬は荷物を抱えるようにしていそいそと事務所を出ていった。その後ろ姿を見送っていると、シグマは真崎に尋ねる。
「俺なら速攻で金の流れを調べられるのに、どうして警察に頼んだ?」
「君のルートは違法ギリギリなんだよ……。それに少しは警察に任せないと、連日の取り調べで成果なく終わるのは違うと思うし」
 すると、シグマのデスクに置かれたパソコンに通知が入った。早瀬からの転送メールだ。
 どうやら真崎の壊れたスマートフォンの解析が完了したらしい。
「それって情報漏洩なんじゃ……」
「今更言いっこなし! えーっとなになに……?」
 画面に表示された一覧表を見る。どうやらすべて音声データで、日付はちょうど、真崎が有休を使って休んだ日からずっと残されている。
 シグマはすべて自分のスマートフォンにデータをダウンロードすると、自分だけイヤフォンをつけて聞き入った。
「シグマ、俺にも……って聞こえていないな、これ」
 呆れていると、今度は真崎のスマートフォンに着信が入った。彼咲村で念のために連絡先を交換しておいた、小峰芹夏だ。
「はい、真崎です」
《も、もしもし、小峰です。今日はありがとうございました。早速ご連絡してしまってすみません……》
「いえ、大丈夫ですよ。何かありましたか?」
《さっきお話できなかったことがあるんです。一緒にいたおばあちゃんの耳に入ると、ちょっと厄介なことになっちゃうから》
「厄介……?」
《はい、実は……》
 芹夏の話を聞きながら、情報に押しつぶされ、キャパオーバーしていた真崎の頭がどんどんとクリアになっていくのを感じた。
「……ありがとうございました。また」
 電話を終え、真崎はシグマと向き合う。彼は真剣な面持ちでスマートフォンの画面と向き合っていた。そしてイヤフォンを外しながら真崎のほうを見ると、にやりと口元を緩めた。
「何かを決めた顔してんね? なにすんの?」
 へらっと笑う彼を前に、真崎は拳を握りしめた。
 腹の底から沸々と湧いてくる怒りを抑え込むのに精一杯だ。
「シグマ、俺にパウンドと直接話させて欲しい」