コンビニで買ったものは踏みつぶされてしまい、食べられる状態ではなかったため、二人は素直に喫茶店『サフラン』に顔を出した。
店のピーク時に訪れることがほとんどないこともあって、他の店員には「珍しいですね」と声をかけられたが、注文した料理を持ってきたリリィには「何をしでかしたの?」と冷たい目で見られた。店に入る前に路地裏で付いた土をはらい、身なりを整えたつもりだったが、リリィにはすぐに見抜かれたらしい。
食事を終えて事務所に戻ると、先に店の手伝いを終えて私服に着替えたリリィが救急箱を片手に待ち構えていた。
「怪我をしたのはマサキだけ? さっさと背中を見せてごらんなさいな」
歪な丸眼鏡をくいっと上げながら軽く睨みつけられる。ふと、彼女に隠しごとはできないと、シグマの言葉を思い出す。当人は「疲れたから寝る」と言って早々に寝室へこもってしまった。上手く逃げたらしい。
お言葉に甘えて壁に強く打ち付けた箇所に湿布を貼り、包帯をぐるぐると身体に巻き付けていく。以前もこんなようなことがあったのだろうか。
「打撲痕、また広がっているわよ。何をしたらこんなことになるのかしら」
「あはは……俺にも何がなんだか」
「どうせ今追っている事件絡みでしょ? シグマからある程度のことは聞いているけど」
「リリィも情報収集を?」
「いいえ。手伝わせてはくれないけど、急にふらっといなくなるから、何をしているのかだけでも共有してもらうようにしているの」
呆れたように小さく笑うリリィ。聞けば、まだ十三歳の中学生らしい。どんな情報を取り扱っているかもわからないシグマの手伝いなど、させるわけにはいかないだろう。
「事件の詳しいことは聞くなって止められているけど、さっきのことは聞いてもいいでしょ? 何があったか教えなさいよ」
包帯を巻き終わるところで、意図的にぎゅっときつく締められそうになる。半分脅されていることを察した真崎は、かいつまんで話した。
その中でも「能面をつけた男」の話を出すと、リリィの顔つきが一気に深刻になった。
「能面……それ、恵比寿の面じゃなかった!?」
「恵比寿? いや、翁の面だったけど……」
異なる種類の面の名を聞いてより眉をひそめる。警察署で見たシグマの殺気とは真逆の不安そうな表情に、今度は真崎が問い詰めるようにリリィと向き合った。
「何か知っているんだね? 今日話を聞いてきた火伏が、コンテナの近くで能面をつけた人物を目撃しているんだ」
「コンテナって……あなたが監禁されていた?」
「ああ。それを聞いた時、シグマの雰囲気が変わった。まるで、殺気のような……もしかして、恵比寿の面をつけた人物と何か関係があるんじゃないのか?」
「べ、別に、ただの興味よ。どうしてそんなこと聞くの?」
「君達はただの協力者じゃない。そうだな、どちらかというと……兄妹に近いんじゃないのか?」
図星を言い当てられたようで、彼女の顔がさらに青くなると、さらに問い詰めた。
「リリィ、教えてくれ。能面の奴らと君達になにがあった? 『真崎大翔』は、君達に寄り添えるだけの人間だったのか?」
真崎はこの機会を逃してはいけないと直感した。能面の人物の目撃情報を聞いた時のシグマの静かな怒りを、「今度は」と呟いたシグマの仄暗い顔を、もう二度と見たくないと思ってしまったから。
真剣な表情で訴える真崎に、リリィは躊躇いながらも小さく息をついた。
「……シグマは、本当に何も言っていないのね。相棒なのに」
「相棒だから言えない、そんな思いもあるんじゃないのか」
「そんな密な関係じゃないわよ。これはビジネスなんだから」
そう言って立ち上がると、壁にずらりと並んだ本棚の中で、妙にへこんだ棚の前に立つと、本をどかして奥へ手を突っ込み、あるファイルを引っ張り出した。
リリィに差し出されるがまま受け取って開くと、今から十年ほど前の新聞記事の切り抜きがびっしりと貼られてまとめられていた。ファイルを捲れば捲るほど、日焼けした新聞記事ばかり。脇に細かく何か書かれているが、滲んでしまって読めなくなっている。
「今のマサキなら、記憶にはまだ新しいものかしら」
「……この事件があった時、俺は十八歳で大学受験の真っ最中。印象的で一躍話題になったから、面接で聞かれたら答えられるようにと、ある程度情報は集めていたよ」
「そう。なんて答えたの?」
「聞かれなかった。……でも、『集団によるいじめじゃないか』って答えようとしていたかな」
新聞記事から顔を上げると、リリィは泣きそうに眉をひそめながら、「残念ね」と続けた。
「それじゃあ合格はもらえなかったかもね。これは児童養護施設で起きた怪奇――通称『赤い花事件』。きっと誰も覚えていないわ」