警察署内にある取調室では、緊迫した空気が流れていた。
 刑事の前に苛立った様子で座っているのは、『放火魔パウンド』を名乗る火伏昭だ。刈り上げられた黒髪に、吊り上がった目の下には火傷のような痕がくっきりと残っている。黒いシャツの合間から見える金色のネックレスが、貧乏ゆすりから伝わって揺れると怪しく光った。
 火伏が警察に逮捕されたのは、今から半月ほど前――ちょうどパウンドの放火が活発になってきた頃のことだった。
 そんな彼が突然、真崎が監禁されていたコンテナに火をつけたと自供を始めたのだ。
 当時、火伏は拘留中で常に監視カメラの支配下にあった。抜け出せることなどできるはずがない。
 模倣犯を庇うのかと問えば、気味悪く嘲笑った。
「模倣犯? いやいや、違うって。警察ならとっくに、パウンドが設置したものにはすべてマーキングされていることは調べがついているんだろう? 今回のだってあったはずだ。見様見真似でやっている奴らが、パウンドになれるわけがない。そうだ、これだけ教えてやる。パウンドは複数名の放火魔集団じゃない。世間に轟く名前を、俺が独り占めしないわけがないだろ。実際にパウンドは俺だけだし、もし仮に共謀している奴がいたとしても、それはパウンドなんかじゃねぇ!」
 意気揚々と発せられる言葉からは、パウンドへのリスペクトを感じ取れた。自分だけに注目してほしいという人間の心理が、放火という形で表れてしまった結果なのだろうか。
 取調室の隣で火伏とのやり取りを聞いていた真崎は、気付かないうちに震える手をぎゅっと抑えていた。
(あれが、火伏昭……)
 シグマに「パウンドの取り調べに立ち会う」と言われた時は、息が詰まるかと思った。
 火伏が自分をコンテナに閉じ込めた人物だったら――そう思うだけで、嫌な冷や汗が伝う。しかし、ガラス越しで火伏の姿を確認しても、記憶が戻ることはなかった。
 むしろ、別の違和感を覚えた。
(何かがおかしい)
 発言の矛盾だけでなく、彼の行動、顔色、癖――パウンドへのリスペクトを語る中に、どこか必死に隠そうとしている何かがあるように思えてならない。
「マサキが監禁されていた件については、拘留中の火伏に犯行は不可能だ」
 真崎の後ろで控えていた早瀬が言う。
「今までの取り調べを見てきた誰もが、火伏が本物を庇っている可能性が高いのはわかっている。でも口だけは達者で、簡単に話そうとしない。担当している刑事が血の気が多いから、すぐ火伏の挑発に乗ってしまう……ああほら。まただ」
 ガン! と鈍い音が聞こえて視線を戻すと、対面に座っていた刑事が真っ赤な顔をして今にも殴りかかろうとして他の刑事が必死に止めていた。カオスな状況下でも、火伏だけは楽しそうに笑っている。
「うっわ……これ、今の時代だと大問題でしょ」
「頭ではわかっているんだ。だが、火伏の誘導や挑発が上手いのか、ベテラン刑事でもお手上げ状態だ。……だから、お前達をここに呼んだ」
「どういうことですか?」
 上手く話が飲み込めていない真崎に、早瀬がシグマを見ながら告げる。
「シグマ、嘘が通用しないお前なら、火伏の真意を引き出せるはずだ。直接対面してみないか?」
「え? 嫌だ」
 緊迫する空気が流れる中、バッサリと切り捨てたのはシグマだった。
「シグマ、そんな簡単に断らなくても……」
「だって無理だもん」
「もんって可愛くつけたら許されるって思ってないか?」
「思ってねぇし、無理なもんは無理だよ。確かに俺なら嘘を見抜けるだろうけど、オッサン達の挑発でさらに警戒心が高まっている今、入り込む隙間はないって。ひとまず落ち着かせないと火に油だぜ」
 ちなみに俺が油ね、とへらっと笑う。他人事のように続けるシグマだが、その笑みには何か企みがあるように思えた。
「火伏の警戒心を解く……どうやって?」
「ここに適任者がいるじゃん」
 シグマがそう言って、真崎の背中をぽん、と叩く。勢いで一歩前に出ると、真崎と早瀬は唖然としたお互いの表情から一気に青ざめていくのがわかった。
「ちょっ……何言ってんの!? 本気!?」
「お前はともかく、マサキは一般市民だ。ただでさえ取り調べの立ち合いもご法度なのに、対面させるなんて許可できるわけがないだろう」
「一般市民? いやいや、ただの一般市民ならこんなところまで入れられないって」
「それはお前が連れてきたからだろうが!」
「現時点でマサキは犯罪に手を染めかけた人間なんでしょ? グレーゾーンなうえ、本人には自覚がない。だからマサキの中には、悪事を働いたかもしれないという罪悪感がある。それに、火伏が火をつけたっていうコンテナの中で死にかけていたたんだぜ? 面通ししてもマサキが何も思い出せないなら、火伏がなにか知っているかもしれない。一石二鳥じゃん」
 シグマの説得に早瀬がぐっと言葉を詰まらせる。
 確かに、コンテナの中に重傷者がいたことは報道されているとはいえ、顔や名前までは公開されていない。対面させたら、火伏に何かしらの反応があるかもしれない。
(それでも、俺が放火魔と対峙するなんて……!)
 自分を閉じ込めた相手かもしれないのに、とたじろいてしまう。唇を噛んで堪えようとすると、正面に立つシグマは目を合わせて屈託のない笑みを浮かべて言う。
「そんなにビビるなって。やることは決まってんの。俺が今から言うことをマサキが聞けばいい。困ったら早瀬さんに任せれば問題なし! 全部背負う必要は最初からねぇよ」
「で、でも……」
「大丈夫。マサキは人の話を聞くのも聞いてもらうのも得意だろ。それにお前は、俺の相棒なんだからさ」
 最初から上手くできる人間なんていない。そう言われてしまえば何も言い返せられなくて、真崎はそっと早瀬のほうを見る。
 早瀬が頭を抱えて溜息をついたのを見て、観念したように自分も両手を上げた。