住宅街からは五キロメートルほど離れた場所にあるトランクルームは、フェンスに囲まれて、ひっそりと鎮座していた。入口に『お手頃価格で保管します! トランクたけなか』と掛けられた看板がなければ、大半の人が廃れた工場と見間違えてもおかしくはない。フェンスの向こうには、さびついた大型コンテナがいくつか見えた。
すでに警察の規制線は無くなっており、誰でも自由に出入りできるようになっているものの、人けが感じられない。
車を降りた二人は、さっそく管理人室へ向かう。アポイントは事前に取っているとはいえ、ひと声かけることになっている。
「ここが……俺がいた場所」
周囲を見渡しながら、真崎は思わず呟く。
「しみじみしてんな。何か思い出した?」
「急かすなよ……ただ、懐かしさはないな」
三年分の記憶を失ってから、馴染みのある場所に赴くたびにどこか懐かしさを感じていた。それは自宅でも、シグマの事務所でもそうだ。しかし、このコンテナには懐かしさどころか、恐怖も感じられない。
(まだ入り口だし、中に入ったら何か思い出すかもしれないけど……)
足を踏み入れた途端、蘇るのは絶望ではないかと思うとなかなか乗り気にはなれないが、飄々と先を行くシグマの後を追うのに精一杯だった。
すると、シグマが途端に足を止めたので、真崎もつられて立ち止まる。
「……あれ、ちゃんと起動してると思う?」
目線の先には防犯カメラがあった。青いランプが点滅していることから、電気が通っているのは明白だ。すでに警察が記録をすべて確認しているはずだが、シグマは訝しげにカメラを見つめている。
「管理人さんに映像を見せてもらうよう頼んでみる?」
「無理でしょ。情報屋なんてフィクションの中だけでも充分お腹いっぱいの設定なんだって、ここに来る前に説明しただろ? しかも早瀬さんから『大っぴらに動くな』って制限オプションまでつけられている。どうやって一般市民を信用させるわけ?」
「うっ……」
それを承知の上で彼の相棒になることを決めたのだから、シグマに従うのが筋というもの。真崎は苦い顔を浮かべながら「それもそうだね」と頷く。
内心は全く腑に落ちていないが。
「ま、早瀬さんにも共有だけはしておくか。片手間で調べてくれるかもしれないし」
「……シグマ、早瀬さんのこと便利屋だと思ってない?」
「そうだけど」
何か? と小首を傾げるシグマに、真崎は散々振り回されている早瀬に同情した。
管理人室に着くと、中からバタバタと足を立てて六十代の男性が出てきた。白髪のオールバックに整えた髪に黒縁の眼鏡、薄緑色の作業着と白い長靴はところどころ泥にまみれている。
「お待たせいたしました。管理人の巣鴨です」
「お電話差し上げた真崎と申します。お忙しい中、お時間いただきありがとうございます」
真崎はジャケットのポケットから『梶浦出版 真崎大翔』と書かれた名刺を巣鴨利夫に差し出した。
情報屋という、一般的に怪しまれやすい皮を被った詐欺師になることを、シグマは真崎に一番に伝えた。情報屋をそう簡単に受け入れてくれる相手はほとんどいないこともあり、素性を知らせないことにしている。もちろん、梶浦出版など存在しない。
最初は反対した真崎だったが、シグマに「前のアンタだったら仕方がないって協力してくれた。もう片棒は担がされている」と言い包められ、いつの間にか用意されていた名刺――もしかしたらずっと前からストックがあったのかもしれない――とボイスレコーダー、さらには革靴までそろえたスーツ一式をしぶしぶ受け取ることになった。
巣鴨は名刺を見ながらほう、と頷きながら笑って「随分お若いんですね」と返した。
連絡した際はかなり渋った様子だったが、「御社には事前に許可をいただいております。利用者が減るのを防ぐには、これを話題性に切り替える必要があると思うんです!」と真崎の熱弁が相当効いたらしい。営業部のエースと呼ばれていた経験は、記憶を失った今もなお役に立っている。
「いやはや、困ったものです。コンテナで人が監禁されていたなんて……ニュースではこの場所について大きく出ませんでしたが、SNSやネットは有能でね、事件がこのコンテナで起こったことはすぐにばれて、出鱈目な情報も混ざった内容を拡散されたんです。そのせいで解約する人が増えまして……このままでは閉鎖せざるを得ない状況です」
「んぐっ……そ、そうですね。大変苦労なされたとお察します」
「結局、あの中にいた人はどうなったんでしょうか。警察の方に伺った時はまだ目を覚ましていないと聞いただけで……」
「ど、どうでしょう……我々も追及しているのですが、警察は口が堅くて」
「無事だといいのですが……」と巣鴨は視線を逸らす。
早瀬から事前に聞いていた話だと、通報したのは巣鴨だと言う。しかし、コンテナの中で倒れていた真崎を目の前にしても、当時の真崎は、頬が腫れるなど外傷が多かったこともあり、どうやら巣鴨には同一人物と認識されていないようだった。
(本人が目の前にいるとは、口が裂けても言えない……!)
「そ、それで、巣鴨さんが通報されたと伺ったのですが、第一発見者もあなたなんですよね?」
インタビューの詳しいことなど知らないが、見様見真似で話を聞く。ポケットのメモ帳とペンを取り出しながら、ボイスレコーダーのスイッチを入れた。
「いえ、実は私が巡回中に、ここの利用者さんが半開きのコンテナを見つけてくれたんです。あのコンテナより奥にあるものを利用されているトランクルームなんですけどね、隙間を通り抜けたほうが早いんで、よくここの道から入るらしいんです」
コンテナ同士の間は三十センチほどの幅がある。一人であれば充分通り抜けられる広さだ。
「その人の名前は?」
「それは……個人情報なので、さすがにお教えいたしかねます」
申し訳なさそうに笑う巣鴨。いくら廃れた場所の管理人でも、個人情報の管理は徹底されている。ここは無理に聞かないほうがいいだろう。
「では、防犯カメラはどうでしょう? 二十四時間体制だとホームページには記載がありましたが、犯人の姿は映っていたのですか?」
「ええ、いくつか設置されています」
巣鴨が近くのポールに向かって指しながら言う。敷地内には廃棄予定の十八個のコンテナがあり、六個分を二つのカメラで監視している。
しかしおかしなことに、事件当時の防犯カメラはすべて止められていたという。
「たとえ落雷などの停電があったとしても、予備バッテリーが作動するようになっています。カメラの停止、記録の管理は社員のIDが必要です。この場所の管理は私だけなので、機材の操作も会社の人間以外であれば私しかできません。それに先月点検したばかりだったんですよ? その時は何も異常はなかったのに……」
「何か心当たりはありませんか? 同じ会社の人が遠隔で動かしたとか」
「そういった操作ができるとは聞いたことはありませんね。会社は各々の責任者に管理を投げっぱなしなので。それに、こんな山奥に上の人間が来るわけないでしょう。ただでさえ動物も虫も湧いて出てくるし、なによりガソリン代が勿体ないですよ」
フン! と鼻を鳴らす巣鴨の言葉には怒りが込められていた。
もし彼が意図的に電源を落とし、パウンドの放火騒ぎを利用しようとしていたら、会社への怨恨が動機に繋がるかもしれないが、現段階では何も言えない。
事前に共有された情報によると、巣鴨利夫は防犯カメラが停止していた深夜一時から三時の間は自宅で寝ていたらしい。同じ部屋で寝ていた妻の証言であるため、信用しきれない部分はあるものの、数週間前に孫の風邪をもらった際、病院から処方された薬の副作用が眠気に強いものらしく、滅多に夜中に起きることはないという。
だが、もし薬を飲むフリをしてこっそり家を出てきたとしても、巣鴨がパウンドを模倣する理由がわからない。
「真崎さん? どうかしましたか?」
巣鴨の声でハッとする。どうやら自分の世界に入り込んでいたらしい。
「いえ、なんでも。ありがとうございました。それじゃあ、焦げ跡とコンテナを見させていただきます」
「構いませんが、もう何もありませんよ? 警察がここを撤収して時間が経っていますから、煤などはもう流れてしまっています」
そう言って案内されたのは、さびれたコンテナが並ぶ中でも奥にある一つだった。
曰く、劣化して解体にまわされるコンテナが順番に置かれており、件のコンテナは近々解体される予定だったそうだ。
さびついた側面のすぐ下に、煤をこすったような跡がある。周囲の雑草も焼きちぎれたような跡が残っていた。
「ここが、破裂させた場所っぽいな」
さすがにろ紙や飴玉の包み紙の破片は回収されており、手がかりになりそうなものは見当たらない。すでに数週間も経っていることもあって、これ以上の痕跡を辿るのは難しいだろう。
「それにしても、随分難しい立地にトランクルームなんて、よく作りましたよね。久しぶりに出したら虫が湧いて出たってクレーム入ってもおかしくないほど山が近い。動物被害も多そうだ」
「シグマ、もっと言葉を選んで!」
「ああ、いいんですよ、この場所に廃棄予定のコンテナを置いたのは会社なので。近くの工場で解体することもあって、都合がいいみたいです」
デリカシーのないシグマの問いに、巣鴨は嫌な顔をせず、親切に答えてくれた。
この町の特徴だろうか、住宅街が並ぶすぐ近くに大きな山が続いている。野生動物が棲みついて降りてくることも日常茶飯事だという。
「あとは……コンテナですね。今開けます」
巣鴨がポケットに入れていた鍵でコンテナを開く。ギィ、とぎこちない音とともに扉が開かれると、真崎は息をのんだ。
室内外の湿度のせいか、生ぬるい空気を全身で受け取った。不気味な雰囲気が漂う中、真崎はゆっくりとコンテナに足を踏み入れる。
誰も使われていないだけあって、中は空っぽだった。さびついた鉄の匂いは、真崎が流した血液だけではないかもしれない。廃棄予定のコンテナということもあって、繋ぎ目に数センチの隙間があったり、大きな物を引きずった跡が見受けられた。光はそこまで入ってこないので、用意していたペンライトで周囲を確認する。
すると、壁が続くコンテナの奥の端に、べったりとついた血痕が固まって張り付いているのを見つけた。
「そこですよ、人が倒れていたのは」
立ち止まった真崎に、不気味がってコンテナの外で待機している巣鴨が言う。
「そこで手と足を縛られていて、体中傷だらけでした。壁に寄りかかって座り込んでいたかな。正直、今でもたまに思い出すことがあります。警察が来るまで中には誰も入っていませんから、余計に人間に見えなかったのかもしれません」
ライトを照らしながら、壁から床に向かって赤黒く残った血痕がわかる。やはりここに自分が閉じ込められていたのだろうか。
真崎が痕を辿っていくのを横目に、シグマが尋ねる。
「巣鴨さん、このコンテナの所有者は?」
「最近倒産された会社が使用していました。数ヶ月前に手放しているので、鍵は管理人室で厳重に保管されています。当日の朝も鍵があることはチェックしましたし、管理人室に私以外が入っていないことも確認しています。ですが、警察の話だとこじ開けられた形跡はなかったようです」
「その倒産した会社が、スペアキーを作っていた可能性は?」
「本部を通じて問い合わせたのですが、その事実はないのと、倒産される前に鍵は返しているのだから、管理責任はそちらにあるのでは、と言われてしまって」
「あちゃ~返り討ちに遭ったか。管理人も大変っすね、巣鴨さん」
「あ、ははは……耳が痛い話です」
シグマと巣鴨が世間話のように当時の状況を聞き込む間、真崎は注意深くコンテナの中を見渡した。
(本当に自分がここにいた……?)
澱んだ空気、血の匂い、閉鎖的な空間――トラウマになりそうな環境がここまでそろっていて、何も思い出せない。
ふいに顔を上げたその瞬間、視界がぐらついた。
「っ……!?」
慌てて踏みとどまろうとしても遅く、真崎はその場に座り込んでしまった。ただの立ち眩みではない。ガンガンと頭に警報が鳴っているのが嫌でもわかった。
ここにいるのは、危険だと。
――■■■■■■い!
「えっ……?」
真っ暗な視界の中で、誰かの声が聞こえた。
性別どころか、怒っているかも泣いているのかもわからない。まるで水の中で聞いているかのような、音がこもっていて判別できない謎の声。途端、動画の巻き戻しするように、認識できないほどの速さで再生される音声が真崎の頭を駆け巡る。
(なんだ、これは)
――俺が、■■なん■。
――■■そが正■■■の■■■■■■■!
(誰だ?)
唯一聞こえたその声が、誰のものかまではわからない。それでもはっきりと、壁を隔てたこの場所で聞こえた気がした。
「――マサキ?」
途端、後ろからかけられた声にハッと我に返る。
それと同時に歪んだ視界はクリアになり、謎の声も聞こえなくなった。声のしたほうへ振り返れば、入口で扉を背にして抑えていたシグマが眉をひそめて立っていた。
「……シグマ?」
「何度か声かけたのに、全部無視されるのは、さすがの俺でも結構傷つくんだけど」
「え……そ、そうだった?」
何が起こったのか、自分でもわかっていない。少なくとも背中を伝う嫌な汗は、コンテナ内の空気が悪いだけではないだろう。
それはシグマにも伝わったのか、茶化すような口調から一転、低い声色で問う。
「何を思い出した?」
「……ごめん、わからない」
謎の声が聞こえた途端、何か見えた気がしたのだが、一瞬だったこともあって言葉にするには難しい。果たしてあれは、記憶を失う前の記憶だったのだろうか。
「他のコンテナも確認しておきたい。ついてくるか?」
「ああ、もう大丈夫。行こう」
真崎はゆっくり立ち上がり、コンテナを出る。
(俺の頭に流れてきたのが失った記憶の一部なら、あの声は誰のものだったんだ?)
できればもう二度と入りたくないと、自分が倒れていたであろう隅に残った血痕の痕を横目で見つめた。