その小道は階段ではなく緩やかな上り坂。このくらいなら辛くはない。
右手に家屋があり、左側には電動自転車やバイクが置いてあった。住民や働く人のためのルートなのかもしれない。
小道の上り坂の頂点から、今度は下っていく。左手の公民館と右手の江島神社を結ぶ場所に、赤い太鼓橋が架かっていた。フォトジェニックだ。その下をくぐり、ちょうど最初のエスカーに気付いた辺り、つまりは辺津宮前の参道にたどり着き、少し降りたところで後ろから盛り上がった声が聞こえた。
「あ、お嫁さんだよ春香!」
「花嫁道中やぁ」
江島神社で挙式を終えたのであろう花嫁御料が坂を下って来ていた。先頭には江島神社と書かれた大きな提灯を持った露払いの男性が二人。その後ろに幾人かの人間とカメラマンが付き、その後ろに白無垢に綿帽子をかぶった女性。隣には袴姿の花婿さんが並ぶ。
薄く白塗りをした女性の目元は朱に染められているが、それでも清廉さが見て取れる。うっそりと笑うその顔はたおやかだった。
目の前を花嫁道中が過ぎていく。両家のご両親だろう。黒紋付きの女性と礼服の男性が二人の後ろについていた。
「やっぱり、お母さんに花嫁姿を見せてあげたかったな、なんて気持ちは残るね」
「私は結構昔から、結婚したい気持ちはなかったけど、それでも、灯が言ってることはすごくわかる」
大学を出て、順当に正社員になれていたら、そうして同じように同世代の正社員の男性と巡り会えていたら。もしかしたら、結婚して子どもを産んでいたかもしれない。でも、自分が生きていくために必死で働いてきたから、結婚したいと思う男性と巡り会うことはなかった。
仕事と出会いは関係ないかもしれないけれど、でも、やはり大学を出てからは、働く場所が出会いの場所でもあるのだ。
「今更、少子化だの、失われた世代だの言われても、困るよね」
「それに私たちは、やっと結婚や出産という社会の呪いから外れる年齢になってきたんやし、もう知らんって気分」
きっと、母に見せたい花嫁姿は、育ててくれてありがとうという気持ちと、どこかに残る母と娘の呪いの清算のようなものなのかもしれない。
「自分一人で、ウエディングフォトでもしとく?」
「それこそ、いつもの四人で撮ってもええんやない? 正直、ドレスは着たいもん」
「それいいね」
別に、写真に男がいる必要はないのだ。私が、私たちが必要なのは、助け合える相手であって、それが異性である必要は、必ずしもないのだから。
花嫁道中を避けてはまり込んだ小道。ふと見るとカフェ、という看板がある。コーヒーを飲んで一息つこう、とその小道の奥へと向かった。数メートル進むと右に折れる片口のどん詰まり。そこに看板が再び現れる。
曲がればすぐに、民家を改造したようなカフェが現れた。扉を開くと、ギャラリースペースが広がる。その奥がカフェのようだ。
「いらっしゃいませ。奥へどうぞ」
店内は小ぢんまりとしており、全部で五席。ほとんどが二人席だ。木でできたテーブルと椅子。小さな小瓶の花。手作りのメニュー。そのどれもに、店への愛情を感じる。ノスタルジーすら感じるこの雰囲気は、もしかしたら店主がリタイアでもしてから始めたものなのかもしれない。
「この珈琲をホットで二つ。あとザッハトルテも二つ」
ケーキは手作りらしく、小腹が空いていた私たちはひょいひょいと注文した。さっき丼を食べたばかりだと言うのに。
店内のギャラリースペースを見ていると、コーヒーとケーキが届いたのが見えた。
コーヒーを一口。苦みとコクが絶妙のバランスで口に広がった。手作りのケーキが甘い分、引き立つ。チョコレートとコーヒーの組み合わせを考えた人は天才だな、などと凡庸な事を思った。
「ザッハトルテって、オーストリアのホテルの名前だっけ」
「ホテル・ザッハーやな。ドイツ語でお菓子をトルテって言うらしいよ。確かケーキが先で、そのあとそのケーキを作った人の子どもがホテル・ザッハーを開業したんやって」
「ふぅん。詳しいねぇ」
「オーストリアは、シシィ……エリザベートの舞台やからな」
そうだった。『エリザベート』は宝塚でも人気の演目。皇后エリザベートの人生を、宝塚らしく愛と死で華麗に演出している。どうして私が知っているかと言えば、何度も春香が家でDVDを見ているからだ。なお、シシィとはエリザベートの愛称らしい。
手元のザッハトルテはあっという間に胃の中に消えていった。スポンジに含まれるアルコールのバランスが格別で、ほろりと胃が温まる。
店を出ると薄暗くなっていた。間もなく日の入りか。
「夕日見たいなぁ」
後ろ手に店の扉を閉めながらそんなことを口にすると、再び昼間出会った六人組に再会した。
「良くお会いしますね」
六人の中で一番背の低い女性が挨拶をしてくる。そうして、差し出がましいようですが、と続けてきた。
「ここの道を出てハルミ食堂と岩本楼の間の小道を抜けたところ。西浦って言うんですけど、そこの先にあるコンクリートの釣り場が、夕日を見るのにはおすすめですよ」
「あっ、あと手前の坂のところでしらすパンも!」
額、いやおでこと言う方がしっくりとくる。その、おでこをつるりと出した快活そうな女性が更に教えてくれる。
随分と江の島に詳しいようだ。有り難く礼を言い、その通りにすることにした。
「私たちも同類だと気付かれたんやろうか」
「たぶんね」
そうじゃなかったら、夕日がよく見える場所を突然教えて来たりはしないだろう。