手芸屋に行く約束の日がやってきた。
 夏休みに入り、うだるような暑さで気が滅入ってしまう。Tシャツは軽く絞れば汗が滴りそうだし、少し歩いただけで汗で溺れそう。
  だが、小沢と会えると思うと、そんな暑さも吹き飛ぶ気がする。小沢のおかげで日々充実していると思うと感謝しかない。
待ち合わせは、手芸屋に現地集合。
 到着すれば、小沢がいた。時計を見れば、待ち合わせ時間、十時半の十分前。

「小沢くん、待たせちゃった?」
「一時間は待った」

 さらっと言うものだから、「えっ?」と本気に受けとれば、小沢はくくっと笑った。

「冗談だよ」

小沢は黒いキャップにラフなTシャツを着ていた。二人は似たようなコーデなのに、華奢でいまいち様に金井に対して、そこそこ筋肉をつけて健康的な小沢は様になっている。夏はそういうコーデに限るよね。うんうんと一人で金井は納得した。
入店すると、何度来ても圧倒的な商品数で目が回りそうだ。

「しかし、でっかいなぁ……」

 小沢はそう言いながら、あたりをキョロキョロ見渡していた。
 普通の手芸屋はショッピングモールのすみっこにあったりとか、あまり目立つ存在ではない。
 ここはただただデカイ。ビル一棟が手芸屋なのだ。手芸好きなら一日中楽しめる夢のような場所なのだ。

「ここはドール服向けから、コスプレ衣裳向けまで生地からパーツまでなんでも揃うから凄いんだよ!」
「今日はよろしくな。先生」
「せ、生徒よ。私に任せるのだ」

 金井は、誇らしげにどんっと胸をたたいた。
 一直線にドール用品売場に行き、ボタンを初めとした細々としたパーツをかごに入れていく。

「ほつれ止めって?」

 小沢がかごの中の商品を指差した。小さな透明のボトルが気になるようだ。

「これは、切った布のすみっこに塗って糸がほつれてこないようにするもの。ミシンでジグザグ縫いでもいいけど、ドール服は細かいから自信ないんだ」
「便利な道具があるもんだな」
「本当便利だよね。次は布を見に行こうか」

 二人は生地売場に移動した。
 生地売場は、カラフルでまさに地上に表れた虹のよう。

「同じ色なのに、どうして違う種類の布を買うんだ?」

 金井があーでもないこーでもないとぶつくさ言いながら、生地売場をうろちょろするからか、小沢は疑問に思ったようだ。

「布の厚さが違うんだよ。ほら、触ってみて。この厚手の生地を使ったらドールのポージングが上手くいかないと思う」
「本当だ。これは勉強になるな」

 さっきから小沢は質問ばかりしてくる。それに対し、金井は答えるの繰り返し。
 自分でも誰かの役にたつことがあるんだなぁ。
 説明は嫌じゃないし、好きなことが語れて楽しくて仕方がない。
 手芸の話題なんて、自宅で母親とするばかりだった金井にとって他人に説明するのが新鮮だった。

「あ、小沢くん。鉗子って持ってる?」

 鉗子とは、ハサミ型のクリップである。球体関節人形は、中がゴムでつながっているため、ゴムを交換したり、ハンドパーツを交換するために鉗子を使っているのだ。ドールを愛する小沢なら持っていそうだと、金井は思ったので聞いてみた次第だ。

「鉗子? 何に使うんだ?」

 小沢は首をかしげた。ドールオーナーでもない金井が鉗子を使って何をするのだろうと思われても仕方がない。

「ドール服をひっくり返すために必要なんだ。人間サイズだと、細い部分でも手首が入るけど、ドール服は難しいでしょ? 持ってたら借りたいんだけど」
「あぁ、ドールメンテナンスの予定はないから。いいよ。帰り、俺の家よれる? あと、予備のドールボディあるからマネキン代わりにかすよ」
「うん。寄れる。トルソーなしで作るの不安があったからボディ貸してもらえるのはありがたいな」

 必要なものは全て揃え、支払いは小沢がした。
 そういえば、ドールってお金がかかる趣味だよな。小沢はバイトをしている様子はないし、一体月にいくらおこづかいをもらっているんだ……
 ドール服とコスプレ衣裳を作るのだ。拘れば拘るほどお金がかかる趣味だ。
 小沢は撮影のときに使うスタジオ代も出すと言っていた。セレブって凄い。顔色変えずに手芸用品の支払いをする小沢を見て、金井は驚くことしかできなかった。
 その後、カフェで軽くお茶をして、小沢に鉗子とドールのボディを借り、帰路に着いた。