約束の日がやってきた。
 浮かれすぎるなよ。目的をちゃんと果たせと、金井は自身の頬をぺちんと叩いた。
 小沢に呼ばれた理由は、衣装の資料を得るためのアニメ鑑賞である。金井は知らない作品の衣装を作りたくないのだ。コスプレ界隈では、好きでもない作品や、知らない作品のコスプレをすること、つまり、愛のないコスプレをすることを『着ただけレイヤー』と言う。金井もコスプレをするなら、愛があればいいなと思う口なのだ。
 今日のアニメ鑑賞で金井なりの『好き』が見つかればいいなと思っている。
 小沢の家の最寄り駅に降りて、メッセージアプリに送られてきた地図を便りに、住宅街を歩いていく。
 半袖Tシャツに七分丈パンツというラフな格好だというのに、額から汗が吹き出す。間もなく夏休みだから、暑いのは仕方がない。
 歩けば歩くほど、金井が住む住宅街とは雰囲気が違うのがわかる。何か上品オーラがすみからすみまで漂っているような。
 犬の散歩をしているおばさんだって品がにじみ出ている。おばさんなんて失礼だ。マダムがふさわしい上品さ。
 何だか場違いに思えてきてしまい、つい猫背になって歩く。
 おっと、ここか?
 目的地を過ぎてしまい、慌てて戻ると、地図の場所には庭付きの大きな家があった。
 金持ちか!
 金井は家を見上げ、固まった。美しいクラシカルな窓枠に視線が釘付けだ。更に視線を動かせば、庭の木々は手入れされ、綺麗な白い花が咲いている。
 確かにここらへんは金持ちが多いと聞いたことがある。
 小沢はセレブか!
 表札は間違いないく、お洒落にローマ字で『OZAWA』と書いてある。
 金井の家から準急で三駅ほどの距離しかないのに、どうしてこんなにも貧富の差を感じるのか。
 例えるなら、門からジョセフだとか、カロリーヌだとかのカッコいい名前を付けられた毛並みが豊かな大型犬が出てきそうな、そんな雰囲気。
 インターフォンを押そうものなら、家政婦さんが取り次いでくれそうな、そんな雰囲気。
 インターフォンを前に、付き出した指が緊張で震え始めた。
 そんな時、ポケットに入れていたスマホが震えた。
 ゲームアプリの通知であった。

「あ、メッセージ送ればいいんだ」
『今、家の前にいるよ』

 そう送ると、すぐに既読がついた。
 それから十秒ほど待つと、玄関が開き、小沢が出てくる。彼も金井と同じくらいのラフな格好で出迎えてくれた。こんなに暑い日にはセレブも庶民も関係なくラフな格好したいよな。と親近感がわいた。

「上がれ」

 小沢がにこやかに迎え入れてくれた。
 外観が広ければ、玄関も当然広い。金井の家の倍はあるだろうか。何だか柑橘系のようなさっぱりとしたいい匂いがする。暑さが和らぐような。香りの正体は、下駄箱の上に置かれたリードディフューザーからだった。

 好きな香りだったので、鼻をすんすんと動かすと、
「好きな香り? 家に誰かを招くのは久々だから置いてみたんだ」
 小沢が照れ臭そうに笑った。

「上品な匂い」
「それはよかった。靴は適当に脱いでいいから」
「お邪魔します」

 金井はスニーカーを脱ぐと、隅に整えた。
 家の中は静かで何となく薄暗く、小沢以外の気配がない。
 廊下には、綺麗な絵や木の彫刻が飾られていたり、やはり裕福な家だということがわかる。
 小沢の寝室は二階にあった。
 ドアが開くと、部屋の明かりだけでなく、カーテン越しに日差しが優しく部屋を照らす。
 クーラーによって部屋は冷えており、砂漠にオアシスだと一種の感動すらも覚えた。

「おお……」

 金井は部屋の様子に釘付けになった。
 小沢の部屋はまるで、小さなミュージアムのようだ。
 ガラスの扉がついた飾り棚には、金井の拳くらいの大きさの顔を持つ人形が六体いた。
 飾り棚の高さにあわせて、立っていたり座っていたりしている。
 以前画像で見せてもらった『ヤミくん』のコスプレ衣装を纏った人形もいる。
 他にはザ・女の子なドール、中性的な美しさを持つ男の子のようなドール、腐女子なら好みの顔を選んで二体同時に購入しそうな顔面偏差値が高い男性的なフェロモンを醸し出したドール、そして、古めかしいドールが一体。
 どれも、ガラスの瞳を持ち、真夜中に棚から抜け出しておしゃべりをしそうな、そんな存在感を放っていた。

「綺麗だねぇ」

 鼻息がガラスの扉にかかるのではないかというほど、興奮気味に顔を近づけた。

「そうだろ? そうだろ? さ、適当に寛いでいてくれ。飲み物、コーラでいい?」

 小沢は褒められて嬉しかったのか、少し早口だった。

「あ、ありがとう」

 改めて小沢の部屋をぐるりと見渡すと、ベッドに勉強机にローテーブルと本棚がある。壁には美少女アニメのタペストリーがでかでかと飾ってあった。さすが、家が大きければ、部屋もやはり大きい。大きめな飾り棚があるというのに、狭さを感じないのだ。

「んんっ」

 金井は両手を天井に向けて伸びをすると、ローテーブルのそばに座った。昨晩は遠足を楽しみにする子供のようになかなか寝付けなかったのである。お一人様でコスプレイベントに行く前日は楽しみであってもすんなり眠れるというのに。