翌日。課題を夜遅くまでやっていたために、眠くて仕方がない。
 船をこぎながら、授業を受け、お昼休み。
 母親が持たせてくれた弁当を広げると、小沢がやってきた。

「ちょっと、場所を変えて話出来ない?」
「え……と」

 戸惑っていると、耳元で囁かれた。

「俺ね、皆に趣味のこと言ってないんだ・だからここでは困る」
「わ、わかったよ」

 金井が小沢の後にくっついていく。クラスメイトは何事かとこちらをじろじろと見ている。
 ちぐはぐな二人だから目立つのだ。
 月とスッポン。イケメンに対して金井は、普段はなよなよしたお洒落とは無縁の芋男。
 そりゃ、皆も気になるだろう。
 小沢は周囲の反応も気にせず教室を出て、屋上の踊り場に金井を連れていった。

 小沢は焼きそばパンと紙パックの紅茶をあっという間に平らげると、口を開いた。

「あのさ」
「なに?」
「昨日の事なんだけど」
「あぁ、うん」

 これからされるのは、コスプレの話だというのはわかる。併せのお誘いだったら、嬉しいななんて期待してもいいだろうか。

「お前がレイヤーだということばらされたくなけりゃ、俺の願い聞いてくれない?」

まさかの脅し文句だ。頭が真っ白になった。小沢もレイヤーじゃないのか? 昨日だってコスプレしたと言っていたじゃないか。

「……え? 小沢くんはレイヤーじゃないの?」
「違うよ」
「だって、昨日、コスプレしてたって」
「あぁ、人間だけがコスプレする訳じゃないからな。あそこの近くのスタジオを仲間同士でシェアして撮影していたんだ」

 何を言っているのか、金井にはさっぱり理解が出来なかった。人間じゃない、コスプレ? それでスタジオシェア? 頭の中に出来上がった疑問のパズルのピースが繋がらない。
 首を傾げていると、小沢がスマホの画面を見せてきた。
 そこに写っていたのは、人形であった。2.5次元のような造形のアニメ的な、球体関節人形。
 つるりとした白い肌に耽美なメイクが施され、姫カットの黒いウィッグに、青いグラスアイに、ヤミくんのメイド服を着ている。
 小沢はドールオーナー。人形愛好者だったのだ。
 昨日話したウィッグメーカーの共通点。それはドールサイズのウィッグを扱っていたことであった。
 ドールオーナーもあまり歓迎されている趣味ではないらしい。ところ構わずドールを出し、撮影する輩がいたり、リアルな作り故に苦手な人もいる。大人のくせに人形なんてと気持ち悪がる人だっているとネット記事で読んだ事がある。

「うちのこにドレスを作って欲しいんだ。デザインは俺が描く。版権ものだから、作家さんにオーダー出来ないんだ。勿論ただとは言わない。材料費も手間賃も払う」
「ドール服なんて作ったことないよ」
「じゃ、昨日の動画を拡散しちゃおうかな」

 小沢はスマホをいじると、金井が襲われている動画を見せつけてきた。顔がバッチリ写っている。

「お、小沢くんがドールオーナーだってこと、クラスで言いふらすぞ!」

 一抹の望みを持ち、脅し文句を振り絞ってみたが、効果はなかった。

「別に構わないよ? お前みたいに隠している訳じゃなくて、言っていないだけからな。話す機会がなけりゃ、皆に知られない。本当は美しくて、可愛いうちのこのこの写真を見せびらかして可愛いと言わせたいくらいだ」
「ぐぐっ」

 イケメン故、一軍故、陽キャ故の余裕だろうか。自分に自信がこれでもかというほどあるのだ。自分にわけて欲しいくらいだ。

「あ、そうそう。ドール服を作るだけじゃない」

 小沢の形の良い目がこちらを見つめ、口元がニヤリと笑う。意地の悪い顔だ。これは何か企んでいる。

「な、なんだよ」
「お前も同じ衣装を着るんだよ」
「は……?」

 何を言っているのかさっぱりわからなかった。

「推しが推しのドールを抱っこする写真を撮れるなんて天国だろうが!」
 小沢は興奮気味に言った。
ただひとつわかるのは、ドール服と人間サイズのお揃い衣装を作り、一緒に着ることだけ。
ドール界隈のことはさっぱりわからない金井であった。

「同じ衣装を着るだって? どうして?」

 混乱から同じ質問をしてしまった。本当にわけがわからないからだ。

「推しが推しドールをだっことか、もう天国だろうが!」

 本当にそれしか理由がないのだろう。また同じ答えが返って来た。
 小沢は、ビニール袋から今度はメロンパンを取り出すと、もそもそと食べ始めた。
 対して、金井は食欲がなくなり、好物の甘い卵焼きを口に運んでも、味がわからなくなった。

「何で俺なんだよ……」
「いーじゃん別に。お前今のままでも可愛いし」
「……は?」

 驚きで箸が手から滑り落ちた。
 カシャンカシャンと箸の一本が階段から転げ落ちていく。
 一体何を言われているのかわからない。
 可愛いだって? コスプレしていない今の自分が? 小沢は目が悪いのだろうか? しかし、彼は普段眼鏡をかけている様子はない。
 天然タラシってやつだろうか。羨ましい。
 小沢が金井の足元に落ちた箸と階段下まで落ちた箸を取りに行き、そのままどこかへ行ってしまった。
 食べられない弁当を眺めていると、足音が近づいてきた。

「ほら」

 小沢が戻ってくると、金井の箸を渡してきた。それは濡れており、水滴が滴っているので、洗ってきてくれたのがわかる。一軍ってうぇいうぇいうるさいだけの存在かと思っていたが、人それぞれなんだなと、箸を見つめながら思う。

「嫌なら、こっちを使え」

 洗われた箸を、まじまじと見つめていたからか、小沢は自分がこの箸を使いたくないと想像したのだろう。ビニール袋から割り箸が出てきた。別に小沢が洗ってきた箸が嫌な訳じゃない。ただただ意外な行動に驚いて箸を見つめていただけなのだ。
 小沢の昼食が入ったビニール袋はおいていったはず。首を捻ると、確かに食べかけのメロンパンがビニール袋と共にそこにある。
 ぶら下げられたビニール袋には何が入っているのか、気になって仕方がない。目を凝らしてみると、菓子パンのパッケージが透けて見えた。

「これは俺のおやつだからわけてやらねーぞ」

 やや怒り口調で言われてしまい、体がビクリと跳ねる。

「そ、そんなつもりじゃ」
「ははは、冗談だ。これ、一個やるよ」

 小沢はビニール袋に手を突っ込むと、一つの袋を取り出し、渡してきた。それはジャムパンだった。
 割り箸一膳のために買い物をしてくれたのだろうか。
 パンを買った時「お箸ください」と言ったのだろう。売店のおばちゃんは、小沢のことを変な奴だと思ったに違いない。
 小沢って何だかよくわからない人だなぁ。
 一軍のくくりで見ないで、小沢という人物をもう少し知りたい。そんな欲がわいた。

「……小沢くん!」
「んあ?」

 メロンパンを食べている所を邪魔してしまい、彼は口を開けたままこちらを見つめている。

「何だよ。早く言えよ」

 名残惜しそうに、彼はメロンパンを口から離した。

「……連絡先教えて。やりたいこと色々聞きたいし」
「それもそうだな」

 小沢はポケットからスマホを取り出し、連絡先を交換してくれた。彼のアニメキャラのアイコンが何だか輝いて見える。アニメが好きであることは隠していないようだ。
 可愛いという言葉と、ジャムパンと、箸一膳で懐柔されてしまうなんて、何て自分はちょろいんだろう。メッセージアプリに追加された小沢の連絡先をみて、金井は口元を綻ばせた。
 自宅に帰り、部屋で食べたジャムパンは甘酸っぱくて美味しかった。