「お前がレイヤーだということばらされたくなけりゃ、俺の願い聞いてくれない?」
「え……?」
コスプレ仲間が出来たと思った。
しかも、クラス一軍の男。
だが、それは大きな勘違いだった。
昨日撮られた動画を見せられ、全身から血の気が引いていくのを感じる。
夏だというのに、金井の心は氷点下まで冷え込んだ。
※
室内外共に快適に過ごせる初夏、金井陽(かねいはる)はこの季節が大好きだ。
緑豊かな公園で、シャッター音が響く。感嘆の声が聞こえてくる。現実離れした色とりどりの造形が金井の視覚を刺激した。
皆、思い思いの非日常を楽しんでいた。
何度見ても飽きない、心踊る場所。
コスプレイベント。
「写真、ありがとうございます」
金井がスマホを片手にお辞儀をすると、今流行りのアニメ作品のコスプレをした女性が「こちらこそ」とニコリと笑い、踵を返した。
撮った写真を確認しようとスマホの画面を見ると、黒い和装に刀を構え、カメラ目線の女性がこちらを睨み付けている。
あぁ、カッコいい。メイクはキャラそのものだし、衣装に取り付けられているパーツの造形が美しい。手作りだろうか? オーダーメイドだろうか?
色々考えながら、画面をうっとり眺めていると、金井に声がかかった。
「あの、それ、ミハルちゃんのコスプレだよね? 撮らせてもらってもいいですか?」
振り向くと、バズーカ砲みたいなゴツいレンズがついたカメラを構えた男がいた。
ミハルちゃんとは、日曜日の朝に放送されている魔法少女アニメに出てくるキャラクターの女の子だ。強くてカッコよく、今最も金井が推しているキャラクターだ。
パニエで膨らましたミニ丈スカートに、背中がハート型に大胆に空いたフリルたっぷりのトップス。メインカラーは黒でキリッとしまっており、ミハルちゃんの凛々しさが更に際立つデザインだ。
「いいですよ」
にこやかに返事をすると、男は「うっ」と短く唸った。
「男かよ。あー……ゴメンナサイ」
男はぼそりと呟くと、逃げるように、そばにいたミニスカのメリハリあるボディの女性レイヤーに声をかけた。
コスプレイベントではよくあることだ。
男性だと思ったら女性だった。女性だと思ったら男性だったということが。
金井はがっかりしながらも、自分のコスプレが女性に見えてしまうほど、クオリティが高かったということにしておこうと思った。
ここでなら、普段の弱気な自分とはさよなら出来て、強くなれる。積極的になれる気がする。
そんなワクワク感が大きく、バイトにもやりがいがあるってものだ。
自分は強いミハルちゃんなんだ。
金井は拳を握りしめて、カメコの拒絶の言葉を強い気持ちで拒絶した。
まるで金井の気持ちを肯定するかのように、柔らかな風が、衣装のスカートとふわりと揺らした。
コスプレを始めようと思ったきっかけは、小さい頃のごっこ遊びの延長だった。
金井は華奢で、気が弱く、泣き虫で、よく幼稚園でいじめられていたのだ。
今思えば、ちょっかいをかけられ、いちいち反応したのが、いじめっ子にとって面白かったに違いない。が、不快なものは不快だった。
そんな金井を救ったのは、父親とのごっこ遊び。父親が怪人役で、金井はヒーロー役。その時だけは、いじめられている日常から解放されたのだ。
非日常なら自分は強くなれる。
小学校にあがれば、皆ごっこ遊びは卒業していると知り、金井も一時はそれを卒業した。しかし、アニメにハマった中学生時代、動画共有サイトでたまたま見た女装レイヤーの美しさに衝撃を受けた。
コメントには「女装キモイ」だとか誹謗中傷などもあったが、好意的なコメントもまたあった。
そこからコスプレ界隈のことを調べ始め、コスプレは何にでも変身出来る素晴らしい趣味だと知った。
元コスプレイヤーの母親に教えられながら、おこづかいで布を買い、衣装を作ってみたのが始まりだ。
コスプレは楽しい。工夫次第でムキムキな悪役にだってなれるし、メイク次第で王子様みたいにカッコよくもなれる。
だが、今金井が楽しんでいるのは女の子のキャラ。だから、なおのこと女装コスプレなんてクラスメイトにバレるわけにはいかない。
SNSでもコスプレは賛否両論あるのだ。女装は特に。キャラクターを汚すなだとか。昔に比べたら今はマシになったそうだが。
そう、SNS は現実では言えないことを匿名でぶっちゃけることができる場所だから。
どうでもいい投稿がきっかけで、あっという間に燃えがってしまうのだ。
日常でもきっと例外はない。学校なんていじめの温床になりやすい場所では特に。
金井はレイヤーであることを隠している。
そして、自分が美人でも可愛いわけでもないことを理解している。男子の割には華奢で頼りない体型、髪は小さい頃からお世話になっている床屋さんで整えるくらいであるため、お行儀がいいだけ。顔に至ってはいたって特徴のないモブ顔。
「ただしイケメンに限る」というセリフがあるように、自分がイケメンだったら、コスプレ趣味をオープンに出来るのになと悩んだりもする。
どんなコスプレでも出来るように、普段から無駄毛処理や、お肌のコンディションを整えるようにしているが、顔の造形を整えるのは、どんなに頑張ってメイクをしても限界がある。それに、ドライアイの傾向があり、カラコンができない。コスプレイヤーとしてあまりクオリティが高くないのだ。完璧主義なコスプレイヤーもいるため、同じ作品のコスプレイヤーを募集をして撮影をする併せなんて企画を見つけても、考え方の違いからいざこざに巻き込まれるのはゴメンなので、ほんの少し羨ましさを感じつつも募集ページをそっ閉じする。
今のところコスプレは一人でも楽しいからいいけれど。
コスプレをしていなければ、名前の「陽(はる)」とは真逆のただの陰キャでいも臭い男子高校生だ。
クラスでは絶賛ぼっち。教室の片隅でスマホを片手にタテ読みマンガを読んだり、ゲームをしている。
高校に友人がいないわけではないが、二年生になったとき、クラスが離れてしまってからは交流が少なくなってしまった。
何でも新しいクラスで気の合うオタク仲間が出来たんだとか。ちょっと羨ましい。
クラスの陽キャたちの騒がしさが余計に金井を惨めにさせる。
ともかく、今の金井はつまならないながらも、日常の平和を守るために、コスプレ趣味だけはバレないようにしなければと思っている。火のない所に煙は立たぬ。微かな火を起こさぬように、隅っこでぼっちを楽しむしかないのである。
金井は推しキャラや、作品はわからないが、クオリティが高いレイヤーの撮影に一通り満足した。そして、更衣室で着替えを済ませてキャリーを引く。
まだまだイベント終了まで時間があるので、更衣室は空いており、快適だった。
参加者のコスプレイヤーは、夢中で撮影をしている。本当はまだこの場所にいたいのに、帰らなければならない。後ろ髪を引かれる思いだ。
学校で出された課題を残したまま、このイベントにやってきたのである。
学業を疎かにしたら、いくらコスプレ趣味に理解がある家族であってもコスプレ禁止と言うかもしれない。
欲望を振りきるように、わざと人通りが少ない場所を通り、駅に向かうことにした。
人の声はすっかり聞こえなくなり、木々の音がざわざわとこだまする。ようやく振りきれたとひと安心して、ほっと胸を撫で下ろす。次はちゃんと課題を終わらせてから来ようと誓った。
「あ、あの、すみません」
背後から蚊の鳴くような声が聞こえた。
振り向くと知らないおじさんがいた。なよなよ、もぞもぞという表現が相応しいか、頼りなさげな雰囲気をしていた。
「はい?」
あたりを見渡して自分しかいないことを確認する。もし、自分じゃなかったら恥ずかしいからだ。
「あの、この辺で落とし物をしてしまって……大切なものなので一緒に探して貰えませんか?」
あたりを見渡せば、ぽつぽつと人がいるが、つかれきったスーツの人や、スマホの画面に夢中な人や、カップルがいちゃついており、金井でも声をかけるのは戸惑いそうな雰囲気を放っている。
本音を言えば、誘惑を振り切ったから、さっさと家に帰りたい。だが、このおじさんは勇気を振り絞って声をかけてきたのかもしれない。
「ほ、ほんの少しの時間……なら」
「あぁ、ありがとう」
おじさんは神に出会ったかのように、手を合わせ拝むように、明るい笑顔を見せた。
おじさんがなくしたのは、嫁さんの写真らしい。カバンから財布を出したとき、風に煽られて木々の間に入っていってしまったようだ。
いくら昼間でも、影になっていると薄暗くて気味が悪い。虫も飛んでいるし、早く切り上げたくなった。
がさりと草を踏む音が聞こえた。見つかったのかと思い、振り向こうとすると、金井は転んだ。
否、転んだのではなく、転ばされたのだ。
たよりなさげなおじさんが、荒く息を切らし、金井にのし掛かっているのだ。
「な、なに……! んぐっ」
抵抗しようとするも、体格差がそれを許さない。手のひらで口を塞がれてしまった。
「んぐーっ!」
「おかしなことをしたら……わかるな?」
これは痴漢だ!
叫びたくても、口を塞がれ、叫べない。恐怖から全身に寒い物が走る。
誰か、助けて!
心の声だけは大きくとも、誰にも聞こえない。ただただ頭の中で響くのみ。
「きみのミハルちゃんのコスプレかわいかったよぉ……! 男の子なんだね。こんなことされたいから女の子の格好していたのかな?」
デュフデュフという音が相応しい声が金井の耳を犯す。コスプレ中に目をつけられていたのだろう。
汗ばんだ生暖かい手で身体をまさぐられる。震えが止まらない。気持ち悪い。抵抗出来ない貧弱な体を持つ自分が恨めしい。
「おっ、バズりネタはっけ~ん」
軽くさわやかな声が聞こえた。
「何だよてめぇ」
おじさんのドスのきいた声が金井の頭上で響く。
「あまり下手な事を言わないように。眉間にしわがよったの映ってるよ! ばっちりね」
「! 撮りやがったな!」
「SNSに晒したらおっさんの人生台無しだね!」
楽しそうに弾んだ声で男は喋る。
「ざけんな! 消せ!」
おじさんが更に大きな声を出すと同時に体が軽くなった。呼吸も楽になり、ほっと一安心した。
何が起こったのか、腰を抜かしたまま仰向けになると、すさまじい光景が視界に入った。
おじさんが振り上げた拳を優雅にかわし、さわやか声の青年の長い脚がおじさんを蹴り上げた。逆光だったが、シルエットだけでもとてもかっこよかった。まるで戦隊もののヒーローだ。
「ちくしょう!」
反撃にあったおじさんは逃げて行った。
「次こんなことをしたら、拡散するからな!」
追い打ちをかけるように、さわやか声は言葉で釘を刺した。
「立てる?」
さわやか声が手を差し伸べてきた。木々生い茂る中で顔が見えない。だが、よくよく声を聞いてみれば、全く初めて聞く声ではない気がする。
手を引かれ、太陽の下に出る。
そこにはクラスの一軍。陽キャの小沢颯真(おざわそうま)がいた。
「あ、同じクラスの……えぇと、ちょいまち。今思い出す。カネダくん!」
「金井です」
「あぁ、ごめんごめん。で、大丈夫?」
「ありがとう」
小沢はツーブロックのヘアスタイルをワックスでバッチリ決めており、耳には小ぶりなピアスをつけている。顔のパーツはバランスよく配置されており、まるで人形のような美しさを持っている。ついじいっと見つめてしまった。
ベンチにつれていかれ、座らされる。小沢はボディバッグからウェットティッシュを取り出し、金井の顔をごしごしと拭いてくれた。ちょっと力強く、痛かったが、彼の女子力の高さに驚いた。
「警察いく?」
その言葉で現実に引き戻された。
「あ、ううん。家帰って課題やらなきゃ」
「あー、あれね。出さなきゃ面倒だよね。じゃ、駅まで送るよ」
一緒になって歩き出すが、無言が何となく気まずい。
小沢も大きなキャリーを引いており、同じイベントに参加していたのだろうか。仲間だったらいいな、なんて期待をこめて聞いてみた。
「小沢くんもコスプレしてたの?」
小沢は金井をじぃっと見つめた。目力のある視線が、金井の胸を勢いよく撃ち抜く。
そして、ニヤリと歯を見せると、楽しそうに笑った。
「まぁ、そんなところだ」
やった! 金井の胸の中で閃光が走った。こんな身近に同じ趣味の人がいたなんて。
それに、優しいときた。仲良くなれたらいいなぁ。色んなポジティブな感情が、胸の中を短距離走のごとく走り抜けていく。一切運動をしてないのにも関わらず、興奮で胸がドキドキする。少しでも気を抜いたら、さっきの痴漢みたいに荒い呼吸をしそうだ。
高鳴る胸と、呼吸をどうにかこうにか押し殺し、トドメに、唇を噛みしめる。落ち着けよ、自分。ゆっくり口を開くと、
「何のコスプレしたの?」
やや早口で言った。
「ヤミくんは今日も憂鬱のヤミくん女装メイドバージョン」
小沢が女装だって? コスプレイヤーだったのも意外だし、何より女装もするなんて急に親近感が沸いた。
「わ! 写真見たいなぁ」
普段はロクにしゃべれないくせに、同じ趣味だと知ると、口に油を指したかのようによく動く。
「カメラ、キャリーの中」
小沢はキャリーを指差した。金井が持っているキャリーより一回りは大きく、布の量が多いメイド服も、ウィッグも、一眼レフを入れても、まだ余裕がありそうだ。
「そっか……」
少し残念に思ったが、SNSのアカウントを教えて貰えれば、後でゆっくり見られるだろう。それを聞こうとして口を開いたら、小沢が先に口を開いた。
「金井のコスプレ写真みたいんだけど」
「あ、うん。いいよ」
金井は、自撮り棒で自分のコスプレ写真を撮っていたのがあったため、スマホを取り出すと、ミハルのコスプレ写真を見せた。
「おぉ……可愛いな」
まじまじと見つめられると恥ずかしくなり、スマホをポケットにしまった。
「金井は衣装手作りなの?」
「うん。手作りだよ。小沢くんは?」
「俺は既製品だ。以前、作ろうと思ったら見事にゴミが出来上がった。百均の布だったからまぁ痛くもかゆくもなかったけど。ところで、金井は女装レイヤーなの?」
「何でもするけど、今の推しが女の子だから、女装が多いかな」
金井は思った。百均の布なんて衣装を作れたものではない。だって、布が小さすぎる。でも、スカートを膨らませるためにはくパニエっぽいものを百均の材料だけで作っている人もいるし、それで作ってみようと思ったのだろうか?
「ふうん。俺のもそうだ」
俺のも? 何だか引っかかる言い方だが、たまたま噛んだにすぎないだろう。それより、もっとお話がしたい。
「ウィッグメーカーはどこがお気に入り?」
無難な質問を投げかけた。
「セイファーとなんだらけ」
「なんだらけのウィッグ買ったことないや。今度買ってみようかな。確か秋葉原と中野と池袋と渋谷に店舗あったよね? それにしても、セイファーってかなり昔に倒産したんじゃ?」
元コスプレイヤーの母親といにしえのコスプレ界隈の話をしていた時、「セイファーってもうないのね……安くてありがたいメーカーだったのよ」としんみり話していた。
「そうだな。中古屋で手に入れたものだけど、なかなか良い物だった」
「……なるほど」
以前、興味本位で調べてみた事があるが、ウィッグメーカーのセイファーは検索エンジンを利用しても、今では詳細が出てこないレベルの古いメーカーだ。なんだらけはアニメ系の商品を買い取り、中古販売する店である。事業のひとつに、新品でコスプレ用ウィッグを販売しているが、あまりメジャーではない気がする。だが、何かひっかかる。この二つのメーカーには何か共通点があったような……。思い出せない。
何はともあれ、小沢は本当にコスプレが大好きなんだなという収穫を得た。
雑談をしているうちに、駅についた。
小沢は金井と同じ路線だったようで、途中で降りていった。
遠い存在だと思っていた人が同じ趣味で、胸の高鳴りが収まらない金井であった。
翌日。課題を夜遅くまでやっていたために、眠くて仕方がない。
船をこぎながら、授業を受け、お昼休み。
母親が持たせてくれた弁当を広げると、小沢がやってきた。
「ちょっと、場所を変えて話出来ない?」
「え……と」
戸惑っていると、耳元で囁かれた。
「俺ね、皆に趣味のこと言ってないんだ・だからここでは困る」
「わ、わかったよ」
金井が小沢の後にくっついていく。クラスメイトは何事かとこちらをじろじろと見ている。
ちぐはぐな二人だから目立つのだ。
月とスッポン。イケメンに対して金井は、普段はなよなよしたお洒落とは無縁の芋男。
そりゃ、皆も気になるだろう。
小沢は周囲の反応も気にせず教室を出て、屋上の踊り場に金井を連れていった。
小沢は焼きそばパンと紙パックの紅茶をあっという間に平らげると、口を開いた。
「あのさ」
「なに?」
「昨日の事なんだけど」
「あぁ、うん」
これからされるのは、コスプレの話だというのはわかる。併せのお誘いだったら、嬉しいななんて期待してもいいだろうか。
「お前がレイヤーだということばらされたくなけりゃ、俺の願い聞いてくれない?」
まさかの脅し文句だ。頭が真っ白になった。小沢もレイヤーじゃないのか? 昨日だってコスプレしたと言っていたじゃないか。
「……え? 小沢くんはレイヤーじゃないの?」
「違うよ」
「だって、昨日、コスプレしてたって」
「あぁ、人間だけがコスプレする訳じゃないからな。あそこの近くのスタジオを仲間同士でシェアして撮影していたんだ」
何を言っているのか、金井にはさっぱり理解が出来なかった。人間じゃない、コスプレ? それでスタジオシェア? 頭の中に出来上がった疑問のパズルのピースが繋がらない。
首を傾げていると、小沢がスマホの画面を見せてきた。
そこに写っていたのは、人形であった。2.5次元のような造形のアニメ的な、球体関節人形。
つるりとした白い肌に耽美なメイクが施され、姫カットの黒いウィッグに、青いグラスアイに、ヤミくんのメイド服を着ている。
小沢はドールオーナー。人形愛好者だったのだ。
昨日話したウィッグメーカーの共通点。それはドールサイズのウィッグを扱っていたことであった。
ドールオーナーもあまり歓迎されている趣味ではないらしい。ところ構わずドールを出し、撮影する輩がいたり、リアルな作り故に苦手な人もいる。大人のくせに人形なんてと気持ち悪がる人だっているとネット記事で読んだ事がある。
「うちのこにドレスを作って欲しいんだ。デザインは俺が描く。版権ものだから、作家さんにオーダー出来ないんだ。勿論ただとは言わない。材料費も手間賃も払う」
「ドール服なんて作ったことないよ」
「じゃ、昨日の動画を拡散しちゃおうかな」
小沢はスマホをいじると、金井が襲われている動画を見せつけてきた。顔がバッチリ写っている。
「お、小沢くんがドールオーナーだってこと、クラスで言いふらすぞ!」
一抹の望みを持ち、脅し文句を振り絞ってみたが、効果はなかった。
「別に構わないよ? お前みたいに隠している訳じゃなくて、言っていないだけからな。話す機会がなけりゃ、皆に知られない。本当は美しくて、可愛いうちのこのこの写真を見せびらかして可愛いと言わせたいくらいだ」
「ぐぐっ」
イケメン故、一軍故、陽キャ故の余裕だろうか。自分に自信がこれでもかというほどあるのだ。自分にわけて欲しいくらいだ。
「あ、そうそう。ドール服を作るだけじゃない」
小沢の形の良い目がこちらを見つめ、口元がニヤリと笑う。意地の悪い顔だ。これは何か企んでいる。
「な、なんだよ」
「お前も同じ衣装を着るんだよ」
「は……?」
何を言っているのかさっぱりわからなかった。
「推しが推しのドールを抱っこする写真を撮れるなんて天国だろうが!」
小沢は興奮気味に言った。
ただひとつわかるのは、ドール服と人間サイズのお揃い衣装を作り、一緒に着ることだけ。
ドール界隈のことはさっぱりわからない金井であった。
「同じ衣装を着るだって? どうして?」
混乱から同じ質問をしてしまった。本当にわけがわからないからだ。
「推しが推しドールをだっことか、もう天国だろうが!」
本当にそれしか理由がないのだろう。また同じ答えが返って来た。
小沢は、ビニール袋から今度はメロンパンを取り出すと、もそもそと食べ始めた。
対して、金井は食欲がなくなり、好物の甘い卵焼きを口に運んでも、味がわからなくなった。
「何で俺なんだよ……」
「いーじゃん別に。お前今のままでも可愛いし」
「……は?」
驚きで箸が手から滑り落ちた。
カシャンカシャンと箸の一本が階段から転げ落ちていく。
一体何を言われているのかわからない。
可愛いだって? コスプレしていない今の自分が? 小沢は目が悪いのだろうか? しかし、彼は普段眼鏡をかけている様子はない。
天然タラシってやつだろうか。羨ましい。
小沢が金井の足元に落ちた箸と階段下まで落ちた箸を取りに行き、そのままどこかへ行ってしまった。
食べられない弁当を眺めていると、足音が近づいてきた。
「ほら」
小沢が戻ってくると、金井の箸を渡してきた。それは濡れており、水滴が滴っているので、洗ってきてくれたのがわかる。一軍ってうぇいうぇいうるさいだけの存在かと思っていたが、人それぞれなんだなと、箸を見つめながら思う。
「嫌なら、こっちを使え」
洗われた箸を、まじまじと見つめていたからか、小沢は自分がこの箸を使いたくないと想像したのだろう。ビニール袋から割り箸が出てきた。別に小沢が洗ってきた箸が嫌な訳じゃない。ただただ意外な行動に驚いて箸を見つめていただけなのだ。
小沢の昼食が入ったビニール袋はおいていったはず。首を捻ると、確かに食べかけのメロンパンがビニール袋と共にそこにある。
ぶら下げられたビニール袋には何が入っているのか、気になって仕方がない。目を凝らしてみると、菓子パンのパッケージが透けて見えた。
「これは俺のおやつだからわけてやらねーぞ」
やや怒り口調で言われてしまい、体がビクリと跳ねる。
「そ、そんなつもりじゃ」
「ははは、冗談だ。これ、一個やるよ」
小沢はビニール袋に手を突っ込むと、一つの袋を取り出し、渡してきた。それはジャムパンだった。
割り箸一膳のために買い物をしてくれたのだろうか。
パンを買った時「お箸ください」と言ったのだろう。売店のおばちゃんは、小沢のことを変な奴だと思ったに違いない。
小沢って何だかよくわからない人だなぁ。
一軍のくくりで見ないで、小沢という人物をもう少し知りたい。そんな欲がわいた。
「……小沢くん!」
「んあ?」
メロンパンを食べている所を邪魔してしまい、彼は口を開けたままこちらを見つめている。
「何だよ。早く言えよ」
名残惜しそうに、彼はメロンパンを口から離した。
「……連絡先教えて。やりたいこと色々聞きたいし」
「それもそうだな」
小沢はポケットからスマホを取り出し、連絡先を交換してくれた。彼のアニメキャラのアイコンが何だか輝いて見える。アニメが好きであることは隠していないようだ。
可愛いという言葉と、ジャムパンと、箸一膳で懐柔されてしまうなんて、何て自分はちょろいんだろう。メッセージアプリに追加された小沢の連絡先をみて、金井は口元を綻ばせた。
自宅に帰り、部屋で食べたジャムパンは甘酸っぱくて美味しかった。
学校で、金井はオタクだということを隠している。小沢は気を遣ってか、いつも通り無関係を装ってくれた。
だが、メッセージアプリでのやり取りはしている。
二人だけの秘密の関係で、まるで悪だくみをしているようだ。
他愛もないあいさつから、最近見たアニメの話や、ハマっているゲームの話。好きな動画配信者や面白い動画の話。嫌いな先公や科目のことなど、話題に事欠かなかった。
『メッセージでのやりとりなら、結構話せんじゃん』
小沢がそうメッセージを送ってきたときには、
『俺は口下手なだけなんです! 多分』
と返してやった。
普段の自分では絶対に発言できるとは思えないメッセージがさらっと打てた。小沢がそういう雰囲気を醸し出してくれているのだろうか。
学校で自然に発言できればきっと楽しいだろうに。複雑な気持ちも同時に沸いてくる。
小沢とのやり取りは、お互い時間がある時に返信するのが暗黙の了解となっていた。それは、人付き合いに消極的な、経験値不足の金井にとって、プレッシャーを感じずに済むからありがたい。ゆったりと流れるタイムラインだが、楽しい思い出が増えていくのが素直に嬉しかった。
驚いたのは、小沢は授業中にも関わらず、メッセージを送ってくることだ。
『そういえば暇な日いつ? 俺んちでアニメ見ようぜ』
こんなメッセージを送られてしまえば、今すぐ返信したいに決まっている。
小沢はいつも誰かと遊んでいるイメージがあるからだ。誰かにスケジュールを埋められて
たまらんと、日曜日空いてるよ! 心が叫びだす。
小沢が衣装を作って欲しいと頼んできた作品は、金井はタイトルだけは知っていたが、内容までは知らなかった。サブスクで見ようにも、金井が契約しているそれでは配信されていなかったのである。その旨を小沢に伝えれば、じゃうちにこいよということになったのである。
同級生の家にお邪魔するなんて、小学生以来だろうか。楽しみで胸がむずむずしてきた。
スマホを机に隠したまま、小沢に返信しようとすると、バコンと頭に衝撃が走った。
顔を上げれば、分厚いバインダーを持った担任がジロリと見下ろしてきた。
「お前に仲が良い友達が出来たのは喜ばしいが、交流は時と場合を考えること。普段のお前の真面目さを鑑みて今回は見逃してやるが、次やったらスマホは没収だ。いいな?」
「は、はい」
その言い方だと、メッセージアプリということがバレてしまったのだろう。金井は顔が熱くなり、縮こまった。
恥ずかしい。
席が後ろの方のため、バレないと思っていたが大間違いだったようだ。
周囲からは「バカだなぁ」などの声と一緒に、クスクスと嘲笑う声が響いた。
小沢をチラリと見つめれば、こちらをみて、脇から手を通し、手を立てて「わりっ」と謝るポーズをしてきた。
「おら、お前らいい加減黙れ! 授業再開するぞ」
何の変哲もない教室には、担任の眠たくなる声と共に、ペンと紙が擦れる音がする。小沢のせいで胸がドキドキする。誰にも聞かれませんように。
嬉しくて、楽しくて、口から変な声が出そうだ。どうかこの喜びが、おかしな声となって出ていきませんように。
金井はクラスでこれ以上目立たぬように、声が出ない様に、唇をぎゅっと噛み締めた。
早くお昼休みにならないかな。そうすれば、メッセージを返せるのに。
お昼休みになり、「日曜日なら空いているよ」と返した。
小沢からは「りょ」と、デフォルメイラストのうさぎスタンプが返ってきた。
本当なら、コスプレイベントに行く予定だったが、痴漢というあんな恐ろしい目にあったのだから、行く気になれなかった。
お財布が守られたと思ってポジティブシンキング!
いつか推しグッズを買うときにそれが助けになるぞと思い込むことにした。そう、一円をバカにするものは一円に泣くなんて言葉もあるのだ。だから、これでいいのだ。
その代わりにジャンルは違えど、オタク仲間と遊ぶというサプライズがやってきたのだから。
『何時からお邪魔していい?』
確か遊びの約束って時間と待ち合わせ場所から決めたよなと思い出しながら、メッセージを返す。
『何時からでも。どうせ遅くまで親いないし。途中で昼飯買いにスーパー行ってのんびりしようぜ』
まるでお部屋デートではないか! 胸が沸騰するような感覚に襲われた。
しかし、何故デートという思考になるのか、金井は理解出来ない。少し考えると、昨日寝る前にごろごろしながら、ラブコメアニメを見ていたから、きっとそれに影響されたのだろうと納得させた。ラブコメ面白かったし。
自分の席で小沢をチラ見しながら弁当を開き、口に頬張る。母親が作ってくれる代わり映えのない弁当、ゆかりのふりかけご飯に、甘い卵焼きに、冷凍食品がいくつかに、小さなタッパーにデザートのリンゴが入ったもの。小沢が自分の人生の一部に入り込んで来ただけなのに、その弁当は魔法がかかったかのように、いつもより美味しく思えた。
彼らのグループは太陽の様に眩しい。
流行りのゲームの話や、おもしろ動画の話や、グラビアアイドルの話など、次から次へと話題が変わっていく。
自分と小沢とのメッセージのやりとりが亀ならば、彼らは新幹線だろうか?
羨ましいと思いつつ、自分にはあの話のスピードにはついていけないなと思うと、対人スキルの無さに情けなくなっていく。
だけど、いいんだ。小沢の家でアニメを見るから。友達じゃないけど、オタク仲間として遊ぶんだぞ。ふんすっと一人で鼻息を荒くした。
小沢がふいに振り向いた。見つめているのを気づかれてしまったようだ。
さっと目を反らすと、視界の端っこで、笑いながら小沢が小さく手をふってきた。
この人タラシめ!
何と反応したらいいのかわからず、口角を上げて笑うので精一杯だった。きっと今の自分の顔はとても気持ち悪いだろう。