「テスト返すよー。」

 あれから、月日は流れテストは無事に終わった。

 返ってきたテストの結果は平均という言葉がぴったりだった。

 苦戦していた理数系の教科も、何とか赤点は免れた。

 教室を見渡してみると、皆、仲の良い人同士で集まってテストを見せあっている。

 染夜さん達も例外ではなかった。

 皆で集まって、テストの点数を言い合っている声が聞こえてくる。

 いつもならその輪に、私も笑顔を張り付けながら立っている。

 だけど、今の私は、その輪の中にいない。

 日那ちゃんの楽しそうな声が聞こえる。

 私の事なんて気にする素振りはない。

 もう私は日那ちゃんの隣にいることは出来ないのだろうな。

 当たり前だ。

 自分から離れたのだから。



 *




 あの勉強会以降、私は日那ちゃんと距離を取るようになった。

 限界に達していた私は、いつも通り話しかけてきた日那ちゃんに素っ気ない返事を返した。

 「玲ちゃん?何かあった?」

 心配そうに聞いてくる。

 「何にもないよ。」

 「でも、いつもより元気ないよね?」

 「こんなもんだよ。私なんて。」
 
 「日那ー!行こうー!」

 染夜さん達が遠くから日那ちゃんを呼んでいる。

 「染夜さん、呼んでるよ。行ってあげたら。」

 「玲ちゃんも一緒に行こうよ!」

 手を掴んで催促してくる日那ちゃんの手をそっと振り払った。

 「染夜さん達が呼んでるのは日那ちゃんだから。私の事なんて呼んでない。だから私なんて気にしなくて良いよ。日那ちゃん、一人で行って。」

 「…でも」

 「日那ー!早くー!」

 「ほら、呼んでるよ。早く行きなよ。」

 「…でも、私は玲ちゃんと一緒にいたいよ!」

 声を張り上げる日那ちゃんに私は静かに口を開いた。

 「私、今、日那ちゃんといるとしんどいんだ。だから、ごめん。」

 「ねぇ、私、玲ちゃんに何かしちゃった?それなら謝るから。…言ってよ!言ってくれないとわかんないよ!」

 「日那ちゃんは何も悪くないよ。」

 そう諭すように、泣きそうになっている日那ちゃんに向けて言う。

 「私の問題なの。私が悪いから。だから、気にしないで。」

 そんな顔をさせたかったわけじゃない。

 下を向いて涙を我慢している日那ちゃんに

 「ごめんね。」

 ともう一度謝り、背中を向ける。

 私が歩きだしたあと、後ろでは染夜さん達が日那ちゃんに駆け寄っている足音が聞こえる。

 「日那?大丈夫?どうしたの?」

 「西原さんと何かあったの?」

 「何か西原さんに言われた?」

 ほら、日那ちゃんには大勢の味方がいる。

 私はそんな、ヒロインを演出する悪役にしかなれない。

 そんなもんなんだよ。この世の中は。

 可愛くて、愛嬌があって。

 そういう人たちがちやほやされる。

 そんな人たちの隣にいる人は比べられて、その度に負わなくてもいい傷を負ってしまう。

 だから私は、もうこれ以上傷つきたくないんだ。

 自分を守るためには日那ちゃんから、離れるしかない。

 そうしたら私の心は救われる。

 誰かに見てもらえなくても、愛してもらえなくても。

 それでいいの。

 私はもう一人で生きていくしかないから。

 それが、誰かを傷つけている選択だとしても私は自分の事が一番大事だから。



 *


 あの日の事を思い出しては少し胸が痛む。

 日那ちゃんには悪いことをしてしまった。

 でも、今の日那ちゃんを遠くから見ているとやっぱり楽しそうで。

 (ほら。やっぱり私といるときよりも楽しそうじゃん。)

 私の事なんて見向きもしなくなった日那ちゃん。

 そういう選択をしたのは私だから、日那ちゃんを責める権利なんてない。

 ぽつんと一人、自分の席に座っていると目の前に影がかかった。

 「…玲架。テストどうだった?」

 「…えっ、普通かな。」

 「そうか。」

 そう無愛想に、自分から聞いといて興味無さそうに返して、颯爽と去っていく人物の後ろ姿を目で追う。

 一体、なんだったんだ。

 勉強会以降、変わったことがもう一つある。

 それは、夕侑が自分から話しかけてくるようになったこと。

 何でかは私もわからない。

 だが、今みたいに一言や二言で終わる会話を毎日のようにしてくる。

 夕侑を目で追ったあと、教壇の方へ視線を移動しようとする。

 その途中、染夜さんと目がぱっちりとあった。

 その目は、染夜さんの目鼻立ちのはっきりした顔と相まってとても鋭く見えた。

 私は反射的に視線をそらす。

 でも遠いところから伝わってくる威圧感を感じずにはいられなかった。




 *



 夕暮れ時。

 夏の空はまだ明るい。

 そんなの関係なしに早く帰れと、17時を知らせるチャイムが鳴り響く。

 名残惜しそうに、帰っていく子供達とすれ違った。

 小学校低学年くらいの女の子達が手を降りながら叫んでいる。

 「また、遊ぼうねーー!」

 「うんー!また遊ぼうーー!」

 (いいな。"また"があるのは。)

 心がどんどん沈んでいく。

 自分を守るために、日那ちゃんと離れたのに。

 それでも私の気持ちは沈んでいく一方だった。



 *



 「玲ちゃーん!やっほー!」

 駅に着くとすでに龍君がいた。

 私を見つけるとブンブンと大きく手を振っている。

 泣いているのを見られた日からこうして、龍君と駅で話すのが日課になった。

 一日の中で、龍君と話すこの時間が一番好きだったりする。

 日那ちゃんから一方的に離れてからは、龍君と帰るのが多くなっていたが、今日は私が委員会だったので、先に駅に着いていたみたいだ。

 「お疲れ様ー!」

 「ありがとう!」

 「今日さ、晴がさ…」

 と楽しそうに話し始める龍君。

 龍君の話しは、いつも面白い。

 ふと、初めて話したときの事を思い出した。

 「ねぇ、龍君。初めて話した日の事、覚えてる?」

 「うん!覚えてるよ!」

 優しく笑う。

 「あの日さ、私、すごく泣いてたじゃん?正直、見られたくなくて必死だったんだけど、最近、何であの時龍君は、私が泣いてることについて何も聞いてこなかったんだろうて思うようになって。普通はさ『何で泣いてるの?』とか聞くじゃん?」

 龍君はそのあとも、何で泣いていたのかなんて問い詰めることはしなかった。

 私の話を静かに聞いていた龍君が口をそっと開いた。

 「夕日が綺麗だったからでしょ?」

 遠目を見ていた綺麗な瞳が私を捉える。

 私の表情を見た龍君が微笑んだ。

 「嘘。本当は分からない。人の気持ちは想像できても100パーセントはわかってあげられないから。玲ちゃんが何で泣いてたのかも100パーセントは分からない。」

 「けど人ってさ、他人に言いたくないことだってあるじゃん?だったら、無理して言わなくてもいいと思うんだ。」

 「でも、玲ちゃんが我慢しすぎて壊れそうになったら俺は全力で助けに行くよ!」

 龍君の言葉のおかげで何だか心が軽くなった。

 やっぱり、龍君は私を照らしてくれる存在だ。

 少しずつ、でも確実に私は龍君に惹かれているのがわかった。

 龍君は日那ちゃんの事が好きかもしれない。

 私の事なんて何とも思っていないかもしれない。

 皆に優しい人だから勘違いしてしまいそうになる。

 でも、もう私は負けたくない。

 私なんかって言いたくない。

 お互い夕日を見て、微笑む。

 「…夕日が綺麗だね。」

 勇気を出して口に出した言葉は電車が到着したことによって遮られてしまった。

 こんなに、近くにいるのに届かない。

 もどかしい距離のまま電車に足を踏み入れた。