「嫌われるのは慣れてるんです。だけど……。何でしょう、学校って変なところ。お弁当をひとりで食べていたら先生に心配されるし、英語や体育では毎回、二人一組になれとか言われて、だけど私と組みたい子がいなくて、クラス中が気まずくなっちゃう。授業が進まない。私はひとりで、何にも困らないんです。誰の邪魔もする気はないのに、迷惑って言われても心外。普通に勉強して、運動したいだけ。授業料を払っているんですから、当然の権利じゃないですか?」
「……うーん、それは……いじめとは、違うの?」
 ただの先輩にしては踏み込みすぎだろうかと思ったけれど、大事なことだと思うので確認した。直球なのは、うまく婉曲に聞き出せる自信がなかったからだ。
 彼女は、その質問をされることがあらかじめわかっていたかのように、落ち着いて答えた。
「違うと思います。ニュースで見るような、ひどいいじめは本当に、なくなるべきだと思う。助けて欲しいと言った子は、大人が助けるべきだと思う。……だけど私は、放っておいて欲しい。どうせ、どこに行っても浮くんです」
「『協調性を養う』ってやつをしなくちゃいけないんでしょ。学校は。知らないけど」
「あんな頭の悪い人たちと、将来関わる気、しません。社会に出て会社に入ったら……その時は自分が本当に付き合いたい人と、付き合う。実力がないのに人の足ばかり引っ張りたがる、ああいう子たちと歩調を合わせてたら、そういう場所へ行けないじゃないですか」
 一方的に拒絶されているわけではない、こちらでも選んだ結果だ、ということなのだろう。
 確かに、いじめとは違うのかもしれない。そして、あからさまに侮蔑を向けて来る彼女のことを、嫌う子たちの理屈もわかる。
 ……と寛子には思われるけれど、そう言い切っていいのかどうかわからなかった。聞いたことは、全部彼女の主観。事実と違うことが混ざっていたり、虚勢の可能性だってある。
 とにかく、孤立した彼女は、クラスの子の目がある教室や図書室には長くいられず、しかし家に帰れば、部活に出なくなったことを親に告白しなければならない。登下校中の寄り道は校則で禁止されている。
 窮した彼女の選択が、空いている特別教室で下校時間までやり過ごすことだったのだ。
「……誰も組んでくれなくても、いいものですよ。先生が組んでくれたら、マンツーマン授業です。同じ授業料で。……かわいくない一年、って、思ってるんでしょ、せんぱい」
 自嘲の笑みを浮かべる淡色の唇に見とれながら、寛子は返した。
「いや? なんかどうしようもなく、かわいいなって」
「え?」
「あなたと同学年の子は、このかわいさがわからなくて気の毒、って思ってる。将来、後悔するかもね。年上で良かった」
「………………」
 悪ぶって肩をそびやかした彼女が、寛子の言葉で、毒気を抜かれたように黙り込む。
「ご不満?」
「……不満と言うか……一周回って、バカだと思われてるんだな、って、へこみそうになります。せんぱい、私、これでも一生懸命考えて、整理してきて、喋ってるんですけど……」
「かわいい。好き」
「なんか、これじゃない感……」
 寛子の方が最上級の肯定表現をすればするほど、彼女はへこんでいってしまうのだった。
「まあ、無理するのは確かに良くないし……さっさとバスケ部辞めて、科学部来たら良いんじゃない?」
「そんなのバレたら、今度は何言われるか……」
 溜め息をつく彼女に、そう言えば、と寛子は思い出す。
「何? あっ、『不良の先輩』?」
 自分を指してへらへらと笑って見せると、彼女は肩を揺らした。
「……私は言ったことないですからね。一年、まじめなので。そんな髪を茶色くしてスカート短くしてる人、いないから」
「よく間違えられるけど、これ、髪の毛は地だからね。親もそうなの」
 スカートは自分でウエストを折って短くしているけれども。
「黒染めしろって、生徒指導の先生に言われません?」
「染髪禁止されてるし……。もう諦められたんじゃないかな。言われないよ」
「……それに、私は思いませんけど。あの子たち、陰口すごいから。科学部なんてくさいとか、キモいとか、絶対言われそうだなって」
「そうなの?」
「……瓶底眼鏡のオタクが白衣着て、かえるの解剖とかやっていそうなイメージなんじゃないですか?」
「ああー、なるほどね。まあ、やりたかったらできるよ、かえるの解剖も」
 科学部に人気がない理由を端的に教わり、寛子は、納得しかなかった。
 ――まあ、言いたい人は、言わせておけば。
 そう割り切っている寛子の内心を見透かしたように、彼女はまた、「せんぱいみたいな人には、わからない」という目をした。
 何故か寛子の胸を疼かせる、傷だらけの眼差し。
「……私は、自分の選んだ場所にいたい。染まりたくない周りに、染まらないままで。普通に、息がしたい。どこにいても、苦しい」
「……いきもの……」
 彼女の独白を聞いて、ふと寛子の口をついて出たのは、率直な感想だった。聞いた彼女は、眉を顰める。
「どういうことですか?」
「気に障ったらごめんね。前読んだ本のこと、思い出して」
「本?」
「植物の本。知ってた? 植物って会話するんだって。知ってた? 会話って言っても、人間の言葉を喋るわけじゃない。有名なのは、動物や昆虫の食害を受けた木が、その傷口から防御物質を分泌したり、周囲の木へ警戒信号を出したりする、っていうのとか。化学物質を出して、他の植物の生育を邪魔したりもするらしい」
「……へえ」
「動かない植物だって、『空気』を読んでナワバリ争いをするんだよね。そりゃ近くに背の高い植物が来れば、太陽光は当たらないし、枝がぶつかるし、迷惑なわけ。……肉食動物なんて、もっとシビアに、今日、明日、食べて生きるための蹴落とし合いをするわけで。愛おしいまであるよね。必死だなぁって。だからヒトも、法律や常識を守らないのは論外だけど、嫌な匂いを出して攻撃してくるくらいは……まあ生物だから……争いが起こるのは仕方ないかって」
 これで、寛子の言いたいことが、伝わるだろうか。
 不安だったが、彼女の戸惑う顔を見て、ますます自信がなくなった。
「……葉っぱや肉食獣と一緒にされましても……」
「だよね。ごめん。私は嫌じゃないんだけど。嫌だよね、くくられるの。多分、こういうところなんだよね、科学部がキモいって言われるのは」
 寛子からすれば、体育会系の部活に所属している子の方が、強制もされないのに運動をしたがる変人ということになるのだが、こういうものは、人の数だけ見方があるのだろう。
 彼女の目にも、やはり気持ちが悪いものに見えているだろうか。
 しばらく考え込むような顔をしていた彼女だが、
「……ナワバリ争い、か……。同情されるより、良いです」
 そんな理屈で、寛子の暴論を許してくれることにしたようだった。


 彼女を取り巻く環境は、なかなか良くならないようだった。
 当人が、
「もう、どうでも良くなって来ました」
と割り切って話すので、寛子もそれ以上何もできないのだが、移動教室の時などに、誰とも話さずひとりでぽつんと歩いている彼女を見て、寛子の方がつらくなったこともある。