その一生懸命さと、光景の異様さに、素通りはできなくて。けれど、自分が何に足止めされているのか、本当にはわからない。
同級生に見られたら「変な子」の仲間入りだ。
そうなったとしても、それなりにうまく躱して、見くびらせない方法は生来なんとなく知っていたので、興味の方を優先した。
――そんな狭苦しいところにとどまらなくても。すぐそばに広い海があるじゃない。気付いた魚から、移れば、いいのに……。
通じないのは承知で、念を飛ばしていたら、背後から立田に声をかけられた。
水面下の世界に気を取られていた瞬間だったから、うまく逃げられなかったのも、ある。
気付けば、科学部に入部する方向で話が進んでいた。
「実験やって、がっつり特選か内閣総理大臣賞取ってけ、秀才」
「はは。それ取ったら、なんか、いいことあります?」
「いや。賞金は出ないけど。……うーん?」
「…………」
「あ、地位と名誉が手に入るかも」
――そう、こういういい加減さはある人だった。
立田の声音と表情が嘘々しくて、寛子は懐かしい気持ちになってしまう。
地位と、名誉――
多少は大学受験で賞の加点があったかもわからないけれど、センター試験で基準点をクリアできたから、なくても問題はなかった。
朝礼で賞状を受け取った日は、なんとなく同級生から腫れ物に触る的な対応を受け、自ら笑いに変えて、それだけだ。
今となっては、もはや懐かしいおじさんの名前入り賞状が残るだけ。それも、実家の物置のどこかに、埃をかぶって。
「尾瀬が入部して、良かった。せっかく頭がいいんだ。キミたちが、日本を良くしてくれな」
「……はぁ、それは……。できますかねぇ……」
「好奇心は人類の宝だ。行ける、進化の先まで、どこまでも」
「……どこまでも……」
どこだろう。
水際町ではない、都会へ? それとも外国?
確かに、寛子は大学で関西へ、転職で関東へ、移動はした。
けれど、好奇心の赴くまま、才能で人生の舵を取ってこられた、というような、見栄えの良いものではまったくない。
その時々の必要に駆られてであって、流れに翻弄されっぱなし、先の見通しなどまるでなかった。
地道に科学雑誌を読みこんだ、その知識など今となっては、共有する相手も容易に見つからず、使いどころなく、不良債権と化している。好奇心のコンパスは空回りを続けて、右往左往するばかりだ。
――それでも?
「結果的に研究者になろうが、なるまいが、そんなこたぁどうでもいい」
「…………」
「夢を持つ、ってことが一番大事なことだ」
「夢、」
そう、そのセリフは、立田に実際に言われたものだ。
ひねくれた、扱いづらい秀才、だった寛子に、鼻で笑われることを恐れず、臆面なく言ってのけたのは、立田だけだった。
――では、先生は、なりたいものになりましたか?
――その一番目が、教師でしたか?
――それとも当時はそれしか選択肢がなかった、方の、生存戦略の夢ですか?
寛子は、さすがに分別がついてからは問えない問いを封じ込めて、恩師をじっと見つめる。
スタイリッシュで現実的な、今の子どもたちには、この人が語る雑な未来予想図は、もう通用しないだろう、と思いながら。
凡庸な令和の大人の目で見つめれば、ショートに混ざる白髪、トレーナーにできた毛玉、笑顔を長く忘れた表情筋、そういう見てはいけないものが見えてしまって。
成功者、目標――の絵面が、いつの間にか、なんだかすごく、変わってしまった。
実験を始めたあの頃。
あれは日本がミレニアムに沸く、少し前のこと。
めだかは環境省のレッドリスト入りをしていた、と、後に何かで読んだ。寛子があんな実験をした影響も、ないとは言えないだろう。
人間の都合で、居場所が狭まっていく生き物たち。
そして人も。
気候変動の影響で、令和になってから、水際町近隣もたびたび、水害の警戒地域に入る。
こんな未来になるなんて、あの頃は、まるで思わなかった。
あの頃は。
最近、帰宅すると、毛布のかたまりに擬態した同居人が、ソファの上に丸まっていることがある。
「ただいまぁ。……一佳(いちか)?」
「…………」
「あ、そこにいたのか。ただいま、一佳」
寛子(ひろこ)が声をかけると、丸く盛り上がった毛布から一佳が少しだけ顔を出した。
今まで寝ていた顔でもない。
が、なんだか表情に精彩がない。
職場を出た時に送ったメッセージに既読の表示がつかなかったから、念のため、物音を立てないように帰宅したのだが。
こういう日が、この頃、時々ある。
「……あの、おかえりなさい。……すみません。寛子さん。ごはん、まだ作れてない……」
「ううん、謝る必要なし。こんな暑さじゃ無理! 身体、どう? しんどい?」
寛子は一佳を観察しながら、手を洗い、うがいをする。アルコール液で消毒した手で、毛布の盛り上がりをぽん、と触る。
寛子だって元気ではない。
十九時半。
今日も都内の気温は、日陰で三十六度超え。体感だといかほどか、昼休憩も、アスファルトが湯気を立てそうな暴力的な熱波に心が折れて、行き先を一番近いコンビニに変えた。
日が落ちてからの帰宅でも、駅舎を出ようとした瞬間から、空気そのものが熱くて、あっという間にサウナのように蒸し上がる。
帰宅したら、何はなくても水分補給。
スポーツドリンクを出すついでにさりげなく冷蔵庫チェック。
――今日中に食べてしまわないといけないものはなさそうだ。
「飲むね。っていうか一佳も飲んどくか、スポドリ」
「……んん……」
「飲もう飲もう、猛暑だから」
「欲しいと、あんまり、思わないんですけど……」
一佳はそう言いながらも、もそもそと上体を起こし、寛子が差し出したグラスを手に取ってくれる。
蒼白めの顔が痛々しい。
スポーツドリンクを飲んだ後、一佳は再び横になった。
「すみません……なんか、怠(だる)くて。あ、熱は、平熱です。咳も、関節痛も、味覚障害もなし」
「良かった」
「症状はないんです。ただソファから動けなくて……」
感染を避ける生活が始まってから、体温計での検温は、それまでよりずっと身近なものになった。
体調が悪い、の意味合いが、それまでとは変わって。
自分が不調を抱えてつらいだけではなく、自分と同居する家族、同じ職場の同僚など、周囲の人の生活すべてに影響を及ぼすものになった。
なので、見極めと申告はできるだけ早く。
何をおいても、まず、コロナの心配。
新型コロナウイルス。その位置づけが、令和五月からインフルエンザなどと同じ「五類感染症」に移行した。
国の感染対策上、節目の時だ。
感染対策は個人の判断にゆだねられ、まだ感染症状が出たことはない寛子と一佳も、相談をして方針を決めた。
――でも、かかったのがコロナじゃなければそれでオールクリア、という話でも、もちろん、ない。
「……今、『正体不明の体調不良』って、すごく多いよね、あちこちで聞く。……まあ昔から、内科系は、風邪っぽいけど様子見、って診断が多かった気がするけどね。今、体調崩してる人、単純に多くない?」
「ああ……うちの会社の上司も、オンラインミーティング前に、ヘルペスが痛いって……そこに帯状疱疹経験者もいて」
「久々の飲み会で、アルコールに弱くなったって言ってた人もいたし。三年半くらいで生活習慣や環境がかなり変わって、疲れやストレスの蓄積も出てきやすいし、戻りの反動もあるかな……」
「……アレルギーも……」
「あれ、一佳なんか持ってた?」
「いえ。……でも、出方はアレルギーみたい。メンタル方面……」
「え」
「いや、この話、長くなるから、今はいい。寛子さん、おなかすいてるでしょ」
「そんなでもない。話そうよ。それとも、食べながらが話しやすい? 一佳、おなかすいた?」
寛子は一佳の足元に座る。
同居人の話より大事な三大欲求などない。
「食欲……あるような……ないような……」
「軽く済ますか。冷凍庫の買い置きか、コンビニの麺類か、テイクアウトで牛丼か……お寿司とか」
「回らないお寿司。給料日前に、豪勢ですね」
寛子はふっと笑って聞き流す。お祝いでもない日に二人の間でお寿司と言えば、チェーン店の、ほぼ二貫で百十円のお寿司と決まっていて、それが一佳なりのジョークだとわかっているから。
「そのうち、『回るお寿司』が死語になるかも」
「確かに」
寿司大手チェーン店で、多様な寿司がレーンをくるくる回っている光景を見ることは、昨今ほとんどない。タッチパネルで注文した皿が、奥からスッと流れてきて、目の前で止まる。
ファミリーレストランでも、タッチパネル注文、ロボット配膳が増えていた。コロナ禍を経て、大きな変化と言える。
「寛子さん。あの。今日、母からメッセージが、入ってて」
「すごく突然。なんて?」
一佳から、リアルタイムで家族の話を聞くことはほとんどない。
長い付き合いなので、寛子の方から訊くことも、必要に迫られない限りはなかった。
「転んで、足にひびが……って」
「わお、大丈夫かな⁉」
「大丈夫だそうです。ぴんぴんしてるって。そもそもケガしたのは一週間前で、カレシに病院の送り迎えしてもらったんだって。……じゃあなんで連絡してきたのか、今頃」
「心細いのかな」
「暇なんでしょう」
「…………」
「普通の親子の、ハートフルな触れ合いみたいなの、我が家に期待してもだめですよ」
「まあ、お互いに、もう大人だしね」
「ええ。お大事に、とは伝えたけど、それ以上は……。なんでしょうね、一言二言交わしただけで、この消耗。今更、罵詈雑言を浴びることもないんですけど、延々噛み合わない、というか。もやもやが後を引いて、もやもやする自分に余計考え込んじゃって」
「うん」
「……別に、今のカレシが誰でも、母の自由です。法律はわからないけど、私の口出しすることじゃない……けど、あんまり知りたくないのに、わざわざ言うってどんな気持ちなんだろう? って、もやもやして、動く気力が……」
「なくなっちゃうわけだ」
「生きるエネルギーを延々吸われ続ける……昔から。でも毒親とか、親ガチャ失敗とは、私は言いたくなくて。あ、やだな」
「何が」
「愚痴言っちゃいました」
「愚痴悪くないよ。吐き出しちゃえ」
「寛子さんの気分まで暗くなるんじゃ……」
「ならない、ならない。見て? この明るさ。てか、めちゃくちゃ顔テカってるでしょ。汗で化粧全部流れるんだけど?」
笑いを取りに行ったついでに、顔の近くでギャルピースをしてみせると、懐かしさか、呆れか、一佳がなんとも言えない顔で目じりを下げて微笑む。
「……ふふっ」
「共感能力が足りないのかも。昔は、暗い人にやきもきすることがあったけど。心がギャルでしたから。明るさこそ正義、と」
「根性ありましたよね、寛子さん、あんな地方の片隅で、ギャルを名乗るなんて」
「名乗った覚えはないよ。地髪が茶色くて、ちょっとスカート短くして、ルーズソックスとか、何度かはいてみただけでしょ。あと、禁止されてたコンビニに寄るとか? それも必要があった時だけだし。渋谷のコギャルに鼻で笑われるレベルだよね」
「あの地方の同調圧力の中でそれができてたのが、別の意味ですごいです」
「一佳だって同調してなかったじゃん」
「私は……ただ『みんなと同じ』ができなかっただけです」
「……そんな……こと……」
「…………」
「………………」
「よし、注文おっけー! いつもの人気十二種! ……で良かった?」
「聞くタイミング、今ですか?」
「ごめんごめん」
「一番気に入っているやつなので、良いですけど。どうせ訊くならもう少し早めに」
「はい」
スマホアプリでさくさく注文完了。便利な世の中だ。
某出前配達サービスも、アプリだけは入れてみたのだが、夜間、玄関先まで知らない人を呼ぶのは抵抗があるし、店舗まで歩いても十分もかからない。
「……なんか偉そうに、すみません。結局こうなるなら、もっと早く見切りつけて、お願いしていれば良かった。そうしたら、寛子さん、会社帰りにお店寄れたのに……」
「いやいや、そもそも、夕食当番、最近は一佳に甘えすぎだ。こっちが、ごめん!」
「いえいえ、移動時間がないぶん、余裕がありますから。……その筈なんですが」
寛子の職場も、一佳の転職先の職場も、在宅勤務が可能だったので、しばらく夕食当番は曜日を決めてうまくいっていたのだ。
しかし、「五類」移行後から、寛子の部署では少しずつ、出勤しなければ片付かない用事が増えてきて、出社の比率が高くなった。
家事負担が、在宅の一佳にかたよってきているのだ。
疫病にともなう消毒や掃除も、名前のない家事も、細かいことを気にする一佳の方に負担がかかってしまっているのを、寛子も知っていて、調整がうまくいっていなかった。
寛子はそもそも適度な手抜きをよしとするタイプなので、そこに家事がある、ということにすら気付かないことが多い。
一人暮らしならそれでいいのだろうが、共同生活は、暮らす相手のことを自分以上によく知る努力をしないと、見えないところで、相手に苦労をかけてしまうかもしれない。
一佳には、不全のすべてを背負って自分を責めてしまう完璧主義と、責任感の強すぎるところがあるのかな、と、寛子は長い付き合いの中で思っている。
「……私、ほんと、自分がいやになります。親とのことだって、もうこんなに物理的にも離れたのに、自分も大人になったのに、まだ割り切れなくて。悩み事の質が、思春期から変わっていない……四十が見えてきているのに、大人になれない」
「よしよし。一佳は何も悪くないし、よく頑張ってるよ。昔からね」
「もうほんっと……寛子さんと出会ったの、十二……? から成長が見えないって」
「してるよ。成長してる」
「嘘でしょう? いい年して、身内のどうでもいい言葉で傷ついて、自分じゃどうにもできないニュース見て、さらに落ち込んで。情けない……いつまで経っても、この世界に順応できない」
「そんなの無理でしょ!」
「声おっき」
「おっきい声出た」
テレビから感染者数の速報が消え、観光地やお祭り・外食情報が溢れ、平常化していく世の中に触れても、一佳の心と体は、まだ、安心や解放感の方へは向いていかない。
情報過多の世の中だ。何が正しい、とこの時点でわかることは少ない。が、疫病が根絶された、治療法が確立された、というわかりやすい解決はまだ得られていないし、ニュースを見れば、戦争にクーデター、気候変動に地震、食料危機。過去の災害の傷と復興の遅れ。痛ましい犯罪事件に事故。搾取と暴力――いち情報として流れていくばかりの人の死。
生活するために店に立ち寄れば、必需品の値上げに物価高。物価の優等生・卵の価格ですら戻らないまま。
ここは、彼女が安心して、晴れ晴れ、明るく過ごせる環境では、ない。
「考えてしまう一佳が好きだよ。昔から。あなた自身はつらいだろうけど。考えるたびにすり減るだろうけど、成長してないなんてことはありえない。してる」
「だけど、私みたいに、自分一人でいっぱいいっぱいな人間に、世界は変えられないし、だったら考えても仕方ない。楽しいことでごまかしたり……日々、工夫してご機嫌にやっていく……べきでしょう?」
「そうかもしれない。そうしている人は多いし、私も……そうしてしまう、つい。みんなそうやって、自分を守っているんじゃないかな。でも、私は一佳の過ごし方の方が好き」
「…………」
「いちいち傷ついてあたりまえだって、本当は思っているんだと思う。傷ついて歩みを止める方がまともなんだって。自分が変なの、どこかでわかってる。でも元気で働かなきゃ、最悪の事態が怖い」
「寛子さんは、昔から、自分の手に負えるものとそうじゃないものを見分けて。大人でした」
「親も小器用だからなぁ。勝手に学んだのかもしれない」
「私も、寛子さんと暮らせて、勉強になるなぁと思ってます。そういう考え方もできるんだとか。逃げ方とか」
「そうなの? ……でもあんまり真似できてないよね。良かった。私に似てこなくて」
本気のトーンで寛子が言うと、一佳はくしゃっと顔を崩して、体を揺らして笑った。
「なんなんですか、その言いよう!」
「えー? だって、普通にいやでしょ?」
寛子もソファに背中を預けて、くしゃりと笑う。
――自分とは全然違う、他人のこの子と過ごすのが、このうえなく幸福だ。
だから、何もかもゆるく受け流してでも、寛子は守りたい。この生活を。
「なるほど。寛子さんは、私が私らしく、絶望に耐えてるのがお好みなんだと」
「勝手に追い込まれる一佳が愛おしいという話で、敢えて崖から突き落としはしないよ。むしろ私といる時くらい、まったりまどろめ、って思ってる。ご自愛、ご自愛」
「……バランスをとる……?」
「そうそう。できる範囲でね」
「……ほっ」
一佳が、腹筋の力だけでむくりと体を起こす。と思うと、きびきびした動きで台所へ向かった。体が重そうにはもう見えない。
「残り野菜でお味噌汁……と、小松菜のおひたしくらいは作りたい、です、せめて」
「え、いいよ無理しないで……」
「ビタミンとミネラルがどれだけ大事かわかってます?」
「あ、はい、お任せするわ……」
健康診断でいくつか要検査項目が出た寛子に、否はない。
――一人だったら、それでも好きに生きて、何が悪いと開き直れるけれど。
でも、縁あっての二人暮らし。
相手の分まで長く、元気でいなくては。彼女の悲しむ顔は見たくないし、元気でいないと、きっと思いやりだって贅沢品になってしまうから。
身軽ではない。だけどそれは、寛子には悪くない重みだ。
「じゃ私はお寿司受け取ってくる。ついでに朝食のパンも」
「あっそうだ。切らしてた。何から何まで、すみません!」
「謝ること、なんにもないって」
二人の人間。不完全が二つ。
日常は、スムーズに流れて行かない、がデフォルト。
多少のずれや失敗は、リカバリー前提でいけばいい。
テイクアウトのお寿司とあったかいお味噌汁、それと一佳ご推奨のビタミンとミネラルをとって、少しまったりしたら、疲れの取れる熱いシャワーを浴びて、歯磨きして、しっかりクーラーのきいた部屋で早めに寝てしまおう。
とは言え。二十二時過ぎは、さすがに眠くない。
それでもこんな時間に、きちんと寝支度まで済ませてパジャマでごろごろするだけでも、ご自愛感は出るものだ。
「寛子さん」
「うん?」
「寛子さんは、一目惚れを信じますか?」
シングルベッドの向こう側から、ほつりと響く声。
本日も、検証日和だ。
「あると思うね」
「……即答……」
自信満々に言い切ってしまう寛子と対照的に、一佳は納得しかねる様子だった。
「ん? 一佳ちゃんは、いつ私を好きになってくれたのかな?」
「茶化さないでください」
「ケチ」
寛子の方だって、たまには甘い囁きを受けてみたいのだが、一佳のガードはなかなか固い。
「……私の方は、生物実験室で会ううちに少しずつ、ですよ。でも、寛子さんは、初対面の時から私の顔が好きだって、以前」
「顔は……うん」
「あ、すみません、思い上がりでしたか」
「いや好きだよ。とても好き。でも造作に焦がれるっていうより、持って行かれた……って感じだったんだよね。歩く佇まい、とか、オーラの重さとか。あ、悪い意味じゃないからね!」
「……重いですよ、私は、どうせ」
「うーん。大丈夫か? とは思ったよね、守りが必要な学校って場所であんな雰囲気出して、って。その瞬間、『好き!』ってお花畑が咲き乱れる恋にはならなかったけど。気になって、話してみたいとは思った。つまり、知りたいと」
「……はい」
「それで……話すようになって。見るよね、とりあえず、知り合ったら、興味持ったらその人を。その状態を好きというかどうかはわからないけど、私はまずその状態になることが少ないから。そうなった人とは全員付き合ってるんじゃないかな。つまりその時点で『好き』に寄って行ってるとは言えると思う」
「本当に、せんぱいは、人に興味がなかったですよね」
「あの頃、謎に省エネ入ってたから。……正直に言えば他にも、少ないけど観察対象、候補はいた。大学にも。社会に出てから知り合った人にも。……でも、結局、選ばれなかったり、選ばなかったり、でもそういう人を思い出す時、『一目惚れ』って言葉は当たらないんだよね。何かなければ、ほぼ存在も思い出さないし。だから持論ですが、うまくいかなかった恋について、私は『一目惚れ』とは呼ばない。結果オーライの時だけ使う」
「うわぁ……」
「ペーパーテストのヤマかけに近いものがあるね。基本、得意だと思っているけど、外れた時のことはすぐに忘れるとも言える」
「それ、完全に、性格ですよ……私はカン外した時の『やっば……』ってなった時の記憶しか残ってません」
「ほんっと、一佳ってば、損な生き方……」
オーライにならなかったものも。合図を出して距離を縮めたり、一緒に過ごして一挙手一投足にいちいち心の中で反応したり。ヤマの当たり外れを確かめるまでの、駆け引きも予感も高揚も、どれも、いわゆる恋らしかったと思う。
と、言うと、純愛の、夢が壊れる、と外野に叩かれるだろうか。
『恋バナ』は、どこかで聞いたことがあるくらいポピュラーなお約束しか求められない。
ストレートな恋情に、わかりやすい泥沼。
不透明な人間が絡む時点で、純度百パーセントの寄り道なし、なんて恋、至難だろうにと寛子は思う。
ポピュラーで鉄板で、間違いない。
間違いなく、労せず、正しい相槌が打ちたいあまりに?
見込みを外したものは、not for me、そう呟いて忘れてしまえばいいのに。
「私は、今でも覚えている、あなたの姿があるよ。一佳」
「……え。何ですか」
「昔だけど、すぐ思い出せる。一佳がバスケしてる姿」
「……バスケ? って、あのバスケ? 中学入って間もなく部活やめましたけど……」
とっくに縁は切れたものの話をする時の、記憶を手繰り寄せるようなスピードで、一佳が応じた。
確かに一佳はバスケットボールを続けなかった。
同級生との関係がうまくいかずに部活動をやめ、その後、インカレッジや社会人サークルのようなものに入った話も聞かない。
「そう、部活動してる一佳には会えなかったけど。毎年、クラス対抗の球技イベントがあったでしょう。クラスマッチだっけ?」
「……ああ! ありました。よく覚えてますね。せんぱい、体育会系イベント、全サボリだったタイプでしょう?」
「いやいや」
「バレーは手が痛くなるとか、ソフトボールは日焼けするとか」
「……確かに言いそう、若かりし私」
「寛子さんから、そう聞いた気がします。出なくて済むよう、逃げ回るんだって。何年生の時か、ジャンケンに負けて、卓球で、一瞬で負けて終わりにしたんじゃなかったですか?」
「! そうだわ。いつだか卓球やった記憶がある、同じくらい、やる気のない子とダブルス組んで……。よく覚えてんね、一佳」
「自分の記憶の方は曖昧なんです。寛子さんに、話したのかな、私……? そんな筈はないんだけど……」
「見に行ったんだよ。わざわざ中等部の体育館まで。ということは、私が高等部、あなたが中二か中三の時、かな」
「……バスケの選手に入ったのは中三ですね。……ああ、あんまり思い出すべきじゃない、って本能が告げてる。パンドラの箱」
「ほんと? やめようか」
「いや、さすがに時効の筈……。っていうか、初耳なので、最後まで聞きたいです。見てたんですか? どこで?」
「フツーに二階の観覧席……あれ、見るの禁止されてた?」
「私が中三の時は、寛子さん高二でしょ。お互い勉強やらなきゃで、そんな話、していなかったんじゃないですか?」
「そっか。難しい時期だね、進路のこととかね……」
「せんぱいもお化粧して、どんどん大人っぽくなっていくし……興味関心とかもちょっとずつズレてきて」
話を続けるうちに、どんどん思い出していく。
一佳の目に映る寛子も、寛子の知らない寛子だが、一佳の目に映っていないだろう一佳を寛子も知っている。
――あの頃、私達、距離ができたんだよね。距離って言うと、語弊があるか。
私立汀野(みぎわの)大学附属は、中等部では二年と三年、高等部では一年と二年のはざまで、進路に沿ったクラス分けが行われる。
中等部三年になって、一佳は、関係が悪化したままの元女子バスケットボール部員たちとクラスが別れた。
寛子の予想でしかないけれど、新しいクラスで、彼女はようやく落ち着けたのだと思う。
体感的に、自分にかかる重さが減った。
もちろん、寛子にとって一佳は大事なかわいい交際相手なのは変わらなかったけれど、彼女の世界が広がり、自分以外にふらりと立ち寄れる居場所ができたんじゃないかな、というのは、なんとなく、感情の圧だとか、視線の熱、感情の容量などで伺い知ることができた。
一佳から向けられる重みを受け止めるのは不快ではなかった。
それでも、軽くなって初めて、肩の力が抜けたところがある。
――私があの子の、世界のすべて。……じゃ、ない。
たったひとつ、と、いくつかのうちの何割、は全然違う。
青春の時間も情熱も限りのあるものだから、その配分は、一佳任せにしよう、と決めていた。寛子の方も暇というわけではないから、重みの減ったぶんは、勉学他で埋めるので構わない。
「……クラスマッチ、かぁ……」
寛子の記憶に残っている、シューズが床をこするキュッキュという音と、ドリブル音。天井の高い体育館の反響。
忘れられない、一佳の姿。
体育館の空気はどこか硬かった。これから決勝戦、という興奮は帯びていたが、学校行事らしいわいわいとした喧騒が少なく、座っている生徒の表情もどこか強張っていた。人数も少ない気がする。
大勢に紛れれば、高等部のジャージも目立たないだろう、という寛子の思惑は外れて、できるだけ階下からは見えなさそうな位置を選んで座った。
クラスマッチでバスケットボール選手として出場することを、あるいは出場せざるを得なくなったことを、一佳は事前にわざわざ告げた。世間話の延長、という顔で。
応援に行くよ、と言ったら、いいです、と断られた。
その時の彼女の表情で、古傷が治り切っていないことを察した。
普通、かかわりたくない、と思うものだ。
寛子にわざわざ出場を告げたのは、隠したい自分の弱さを許せない、頑なな一佳らしい。それでも、痛みに疼いた表情を見逃すほど、寛子はばかではないつもりだった。
――要はほうっておけなかったのだ。
試合開始前のコートの上では、それぞれのチームがウォーミングアップを始めていた。一佳一人が頭ひとつ長身で、落ち着いて頼もしげだったが、華があるのは断然、対戦チームの方だった。
チームの核と思しき三人は、声出しをしながら、部活の基礎練よろしくボールをリズミカルにゴールの奥の板に当て、一定の周期で華麗にシュートを決めている。俊敏で、動きに無駄がないし、掛け声や腰の落とし方が独特で、きっと、現役バスケットボール部の子たちなんだろう、と傍目にもわかる訓練され具合だ。
――あれが、多分、二年前にロッカー室で一佳とやり合ってた子たち。
という先入観がある所為か、寛子は思わず、ハラハラと手に汗を握りしめていた。
一年当時、先輩に目をかけられたことで同級生の不興を買ったというが、二年のブランクは大きい。一佳はその後、他の運動部に所属したわけでもない。
一佳のいるチームは、みんなでパス回しの練習をした後、各自でシュート練習に入った。対戦チームのような本格的なシューズを履いている子は、一佳以外はもう一人。本格派な感じの対戦チームに雰囲気で押されていて、「素人」な感じがした。
――あの子が打ちのめされるところを、私はこのまま見てもいいんだろうか。
彼女の性格を知っている分、自分が失敗して恥をかくより、つらい気がした。
しかし、そんなのは、寛子の杞憂だった。
スリーポイントラインの外側に、ジャージの裾が余った長身の、ほっそりとした一佳が立つ。
気負う感じはなく、ボールを掌になじませるようにドリブルしながら、研ぎ澄まされた目をゴールに据えて。
しなやかに膝を屈伸させて伸びあがる。
一連の一佳のフォームが綺麗すぎて、寛子はぞぞ、と鳥肌に似た感覚に襲われた。
すぱっ、と気持ち良く風を切る音で、ボールがリングを通り抜ける。
「……あの一佳、かっこよかったぁ」
相変わらず一人ぼっちで。
でもチームメイトの目は、きっと心も、一佳に向いていた。
ひいき目もあるだろうが、一佳のシュートで、浮き足立った「素人」チームも、落ち着いたように思う。
その後も、飛距離を変えて放たれる一佳のボールは、すべて綺麗にリングを通っていた。
ウォーミングアップ終わり、のホイッスルが鳴ると、誰ともなく、チームメイトが一佳の周りに集まり始めた。
一佳は大げさに周囲を鼓舞するわけでも、ふざけるわけでもなく、ただ自然体で立って、チームメイトと一言二言交わす。
試合が始まってからも、一佳はとにかく落ち着いていて、相手チーム選手の隙をついて、ボールを拾い、回し、冷静に点を決めていった。
試合の細かいところまで、寛子は覚えていない。
そもそも授業で習うレベルしかルールを知らないけれど、クラス対抗、という特別な熱気からか、弾丸のように突っ込んでいく「素人」チーム相手に、「玄人」チームは手を焼いているように見えた。
対戦チームにはバスケットボール部の中でもエース級なんだろうと思しき人がいて、皆がボールを集めていたが、切れ味鋭く放ったボールはことごとくリングに嫌われてしまっていた。
執念でゴールを止めようとする、一佳チームメイトの尽力もあっただろう。必死に走り、想定外の動きでエースに食らいつく、その様子はこう言っては何だが、少しニホンミツバチの熱殺蜂球を思わせた。
「……クラス替えした先に、すごく熱い委員がいたんですよね。全体優勝するぞ、って言って、各種目に運動得意な子を割り振って、自主練の計画立てて」
「へえ……」
「私も、その子に無理矢理口説き落とされて……」
「ほうほう」
寛子は聞きながら、口角が上がってしまう。
特別な熱気から、一人距離を取るように、一佳はどこまでもフェアプレーで、小憎らしいほど完璧だった。
味方がミスをして、ジェスチャーで謝意を一佳に向けた時も、淡い笑顔で頷いてみせていて、「素人」チームの精神的支柱となっているように見えた。
――あれがあの子なんだ。
と寛子は思った。
あれもあの子なんだ、が正しいだろうか。
二歳年上の寛子と二人きりの時には、見ることができない、佇まい。
コート内は、一佳のための四角い水槽だった。
彼女はそこで、素早く優雅に身を翻し、誰も寄せ付けなかった。
もし二人の年齢が逆で、寛子が中学一年生の時にあの一佳を見ていたら、憧れの先輩として、告白もできないほど苦しい片思いが始まっていたかもしれない、そう思うほどに。
否。年齢は関係ないかもしれない。
シンプルに、憧れの後輩だ。
「あの時、私、あなたに一目惚れした気がするんだ」
「……………」
「あれ? 一佳、沈没してる? 眠った……?」
「……起きてますけど、なんて返そうか困ってます」
「うん」
そうだと思った。
「あの時って……もう知り合って二年以上……。え、本当にその時でいいんですか? さんざん……その前は何だと?」
「それは……もちろん大好きだったけど。本気で惚れ直したって意味で」
「そうですか。ふうん。でも本気の前は、遊びですよね……」
冗談めかした声を投げてくるが、語尾が薄っすら冷たい。
寛子はそっと唇を舐めた。
大人になった一佳はめったに感情をあらわにしないが、拗ねたり諦めたりはする。すぐに怒りの燃料にならなければ、熾火はずっと残っていくだろう。
それでいい。
誤解や行き違いで曲がるものは、都度、伸ばせばいい。
話していられる間は。チャンスはいくらでもある。
「そんなわけないでしょ」
許容の境目を探り続ける。
試し行動。無償の愛。様々な感情と行動で織り上げられる長い時間のことを、「恋人」や「名前のつかない関係」なんて言い切ってしまうのも、あまり情緒がない。
寛子と一佳だ。その間にあるのは、かけがえのない美しいもの、――と最後に名付けたいと願う、ありふれた日常に過ぎない。
「そりゃ、最初は一佳とのこと、将来を見据えた真剣交際とは言えなかった……と思う。だって、私、十五やそこらだった」
「十五やそこらには、難しいですよね」
「余裕ある振りをしてたけど、自信がなかった、だって、誰かが『恋だよそれは』って私たちに言ってくれる時代じゃなかったし、誰かに相談する人間じゃ、私がなかったし。だからこそブレーキかけようとも思わずに済んだんだろうけど」
「はい……」
お約束じゃない本心は、発するのに特別な力を要する。
取り繕いたい気分とか、言葉の解釈の主導権を渡す怖さとか、ばかだと思われたくない見栄とか、全部ないことにして、骨だけの言葉をさらし者にする。体が、ちょっとだけ震える。
その、覚悟と恐怖が、見えない電気になるのかもしれない。
甘くない、どころか、失礼なことを言っていても、一佳は耳を傾けてくれる。
「……ずっと予感はあったよ、いろんな破片が突き刺さっててさ。いつも目を奪われて。好きだな、かわいいと、思いはしてたよ。〈好きになった理由〉って名前の大きな絵じゃなくても」
「ふむ」
一目惚れは、良いものを特等席で見る、その予約のために、直感が告げてくれたのではないか。
この欠けらは、きっと良いものだぞ、と。
「パズルのピースを一枚一枚拾って、ようやく……なの、かな。元の大きな一枚を、あの時、見られた気がする。――ああ、だから好きになれたんだ、あんなに薄情だった私が、人を、って」
「…………」
「かっこよかったもの。一佳。体に染みついていたのか、練習し直したのかわからないけど、一朝一夕にはあんなふうに動けない。私は真面目にスポーツやったことないけど、積み重ねることができる人には、尊敬の気持ちが生まれるよ。しこりがあったかもしれないところを、相手チームの人をしっかり見て、フェアプレーで背中がまっすぐ伸びた、綺麗な選手。十五やそこらなのに」
「十五やそこら、でしたね」
薄闇の向こうで、笑う気配がする。
彼女には、もう過去の過去、とっくに終わったことなのだ。
「自慢に思った。私の彼女、いいだろ! って」
「ろくに、仕返し、できなかったんです。気が弱いので……」
「よく言う! 試合見て、やっぱ、気、強い子だな、って確信したよ、どれだけ睨まれても、涼しい顔で、スパスパ、ゴール決めちゃって! ……時間をかけた、勝ち方が好きだった。スッキリした。一佳が一番輝いてた。あ、試合で負けたとしても、だよ」
彼女はあのクラスマッチの日に、うまくいかなかった二年間の屈託を、彼女なりのやり方で清算したのだと思う。
その頃から、寛子への依存も減り、雰囲気もどこか柔らかくなった。
そのやり方は、自分のケースをいじめと言われたくない、と訴えていた彼女らしく。
「勝ちましたよ。二十二対十九で」
「そういうところも! すごく好き!」
――覚えてんじゃん、と思えば、立派すぎなくて、やはり、かわいい。
と思う寛子の価値観は、二十年以上経っても変わっていなくて、思い出しただけでときめきがこみあげてくる。
――あの頃の一佳も、再会後の一佳も、今同居している一佳も。
今ここから、改めて恋をするくらい魅力的だ。
変わったところもある。その変化まで。
「私、完璧じゃないから、人生も舗装された一本道にはならない。後から、ああここが繋がるんだ、って工事したり、橋を架けたり、穴を埋めたりして……思い通りにならない現実を編集しすぎると、どこかでシワ寄せが来るって恐怖はあるけどね。でも、幸せな瞬間をつないで、機転をきかせて、なんとかやってこれてる。ここ何年かの大変さを、一佳と乗り切れたことも、ちょっと自信になった」
「不安定な時代ですからね」
「そう、でも、知ってた。みんなどうかわからないけど、ずっとその、予感はあったんだよ。今みたいなことが起こらなくても、私にはそこそこ将来の苦労が見えてた。……あなたもそれを知っている人に思えた、あの学校で一人だけ……」
「…………」
「だからこそ私は、一佳がいいんだ。世渡り下手で、弱くて、違うところが強くて、いつも新鮮な気持ちで、きちんとしようと思う。わかりあえるし、放っておけない。あなたと最後まで生きるっていうのが、すごく、今の最強の目標」
「……私もです」
「ほんとに?」
「ほんとう、です」
言葉で説明して欲しがる彼女は、実際のところ、語り掛ける言葉を多くは持たない。
だけど、それで、いいと思う。
「そっか」
寛子は彼女の短い言葉で、不安になったことはほとんどない。
――そりゃ、レアな愛の言葉を耳にしたい、欲はあるけれど。
愛情が足りないと思ったり、他に好きな人がいるのかな、などとやきもきしたことはない。寛子の気質もあるけれど、一佳の普段の言動がそうさせてくれるのだ。
「……色々思い出しました。昔の私、生意気だったな……こんな私を好きと言ってくれて、ありがとう、寛子さん」
「いえいえ、こちらこそ」
「たくさん人間関係で痛い目見たし、あんなに怖いもの知らずには二度と戻れないけど。でも、そう、落ち着けばいいのかな」
「そうだよ。気が強い一佳、完全には消えないよ」
「……どうかな。でも……役立つかわからないけど、この前のお休み、図書館で、本を見ていたんです。悩み相談とか、心理学の……読みもの」
「へえ」
「少しずつ読んでみようと思ってます。親といるとしんどいの、私だけじゃないんだなって思えたから。私が読んでもいい本が、きっと、あると思うから」
「あるよ、絶対」
――なんだかんだ、私たちはしぶとい。心配は、いらない。
きっと彼女は、こつこつ、また新しい大きな絵を積み上げていけるだろう。
今日も、明日も、次の日も、笑って、泣いて、傷ついて、自分の欠けらを集めたり、捨てたり、確かめたり、拾い直したりしながら、真理を明らかにする日々が続いていく。
……というのが本稿の結論となるが、より二人で永くしあわせに生きるためには、細かな問題点の洗い出しと再検討が必要となるであろうと思われる。
それを今後の課題として、『生物実験室の彼女』、その中間発表をここで終えたいと思う。
――なんてね。