それから数年、人間そう簡単に変われるはずもなく、結局わたしは相変わらずで。
 興味の対象がコスメやファッションになっても、やっぱり手に入れてからはすぐに飽きてしまい、使いかけのものや、買っても着ない洋服に囲まれていた。
 そして不意に、そういえば以前にも集めるだけ集めた服を使わなかったなと、お人形さんのことを思い出した。

「……あ」

 恐る恐るカーテンの向こうを覗くと、手入れをせず埃を被ったその子が、わたしの置いたままの姿で座り続けていた。
 それを見て、当時の記憶がよみがえる。過去の後悔も、成長できるはずと期待した自分にも、ずっと待たせていたこの子にも、わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいになって、数年振りにその子の名前を呼んだ。

「……ごめんね、小夜ちゃん」

 そしてわたしは、このお人形さんを手放すことにした。
 結局、新しい名前もつけられなかった。おばあちゃんがつけた名前を変えてしまうと、おばあちゃんとお人形さんが過ごした日々も消えてしまう気がしたのだ。いくらわたしの物になったとはいえ、それはダメな気がした。

 そう考えると、この子は名付けの時点でおばあちゃんの友人を重ねられて、うちでは両親からおばあちゃんを重ねられて、わたしにはわたし自身を重ねられて……結局最後まで誰かの代わりをして、最後まで誰のものではなかったのかもしれない。
 そういう意味では、やっぱり他の子とは違う、特別なお人形さんだ。

「……ちゃんと大切にできなくて、ごめんね」

 わたしなりに、この子を大切にしたかった。あの頃、なにより大切にしたつもりだった。
 たくさんの綺麗なお洋服に、可愛らしい小物たち。オイルを使って丁寧にブラシで梳かした髪に、繊細な作りの綺麗な髪飾り。この子専用の可愛いが詰まった棚に、この子専用の連れ歩くためのトランクケース。
 わたしが望むまま両親から与えられたように、この子にも幸せなお姫様でいて欲しかった。

 それでもやっぱりいろんなものに耐えられなくて、すべて忘れてなかったことにしたのだ。
 そして久しぶりに詰め込んだトランクごと、この子をこんな町外れの路地裏に捨ててしまうのだ。

「……ヒカリ、ほんと最悪だね」

 誰にも見られていないことを確認して、わたしは薄暗がりに焦げ茶の木製のトランクを置いていく。
 すぐに駆け出して、表通りに出る前に一度だけ振り向いた。
 トランクごと捨ててきてよかった。お人形さんだけを置いてきたなら、きっとあの子は、寂しそうにわたしを見つめたのだろう。

「さようなら……」

 そうして『小夜』と、最後まで捨てられなかった名前を記したトランクと、その中に眠るお人形さんを手離した。

 それから少しして、高齢の両親はもうわたしのわがままを聞くことも出来なくなって、わたしは幸せなお姫様ではなくなってしまった。

 二十歳にして両親を亡くしたわたしは、たくさんあったものを全て捨てて、新しい環境で一人暮らしを始めた。
 ひとりぼっちの暗闇の中、ふとあの日手離したお人形さんの存在が浮かんだけれど、もうあの子がどんな顔をしていたかも思い出せなかった。

 そして気付く。わたしは、与えられるものだけでは満たされない、手に入らないものを追い続けたい。そうすれば、わたしは飽きる自分に失望せずに済む。

 そんなわたしが夜の町に溺れるのはあっという間で、お金で買う時間や偽物の愛は、心の欠けたものを適度に埋めてくれた。

「メリークリスマス! これ、プレゼント」
「えっ、わー、これ欲しかったネックレス! ほんっとジュキヤしごでき! だから好きー!」
「あはは。おれも大好きだよ、ネオンちゃん……」

 大好きな担当のホストがくれるプレゼントは、今は宝物のように見えるけど、きっと数ヵ月で見向きもしなくなるのだろう。
 気持ちがなくても交わされる愛の言葉、お金をかけた分与えられる時間が落ち着いた。
 人工物のヒカリであるネオンライトから取ったこの名前は、わたしを偽物でコーティングしてくれる。
 ホストであるジュキヤは、絶対手に入らないからこそ、安心できる。わたしは彼に飽きずに済んで、わたしはそれを恋だと思えた。付き合いたいとか結婚したいとか、そんな風には思わない。ただ刹那の寂しさを埋めてくれたらそれでいい。
 目的地もなくただふらふらと彷徨うのが、わたしには性に合っていた。

 幼い頃絵本で読んだ、海の底のお姫様のように。手に入らない別の種族に恋い焦がれて求めても、わたしは彼女のように全てを捨てて縋るなんてしない。
 友達が去っても、恋が叶わなくても、くらげのように漂っていれば、傷つくことなく自由でいられる気がした。

 そんな歪な安心の中、偽りだらけの夜にほんの少し寂しさを感じた時。わたしは暗闇に置き去りにした、かつての自分のようなお人形さんを、ぼんやりと思い出す。
 あの子のガラスの瞳は、確かこの街のネオンよりも美しい、今は見えない星空のような輝きをしていた。


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