大好きなリュウセイくんに会いたくて。刹那の夜の幻に溺れるためにどんどん大金を注ぎ込むようになってから、わたしの心は満たされると同時に、少しずつ虚しさを覚えるようになっていった。
あんなにも幸せで、彼がホストだと割りきった上で好きを貫きたかったのに。
いつしかひび割れた砂時計の砂が、いくら砂を落としても溜まらずに溢れてしまうような、そんな虚しさと苦しさの方が強くなっていった。
「……ひめ、いつまで頑張れるんだろう」
「なぁに、ヒメミ~。担当切る感じ? リュウセイくん何かやらかした? 今日のアイバンやめとく?」
ファミレスの一席で思わずぽつりと呟けば、向かいの席でスマホを見ていた『ネオンちゃん』が、不思議そうに首を傾げる。
よく一緒に『Last Princess』飲みに行くネオンちゃんは、派手な赤いネイルに、ストレートの黒髪に赤色のインナーカラーの綺麗な女の子だ。
ゆるく巻いた髪にピンクのインナーカラーを入れたピンクベース量産型のわたしと、赤黒で強い色味の地雷系ファッションのネオンちゃん。どっちもそれぞれの担当が好きな色を身に纏っている。
ホストに本気で恋をする愚かなわたしたちは、夜の街に溢れる同じ穴の狢。
ネオンちゃんと居ると安心する、こんな気持ちになるのがわたしだけじゃないとわかるから。こんな報われない恋が、それでも正しいものだと思えるから。
「そんなんじゃないよ……リュウセイくんはいつだって優しくて、素敵な人。だから、辛いなんて思うひめが悪いんだよ……」
「ふーん? あれなら今夜はラスプリはやめて、気分転換に別の店行ってみる? 初回安いしさー」
「……ううん、やめとく。ひめはホストが好きなんじゃなくて、リュウセイくんが好きだもん」
「ヒメミ~ほんと一途だよねぇ」
「そう、かな……?」
「うん。ネオン、ジュキヤに嫌なことされたらすぐ他店の初回行っちゃう。そしたらそれ聞いて急に接客丁寧になんの、うけるよねー」
ネオンちゃんは、わたしを一途だと、バカにした素振りではなく本当にそう思っているように感心した顔で言い放つ。
ネオンちゃんはいつも、リュウセイくんと同じ『Last Princess』所属の『北斗ジュキヤくん』を指名している。
彼女もよくジュキヤくんとのメッセージに一喜一憂したり、本物のカップルのように本気でぶつかり合って、時には喧嘩したりもしているのに。
そんなネオンちゃんですら、他のホストも視野に入れている。やっぱり、この世界で本気で恋をするのは、異質なのだろうか。
「……ごめん、やっぱり今日このまま帰るね。締め日までに少しでもお金貯めときたいし」
「そっかー、ヒメミ~は今やリュウセイくんのエースだもんね、了解。ネオンはジュキヤにあんま期待されてないだろうから、今日も『Last Princess』寄ってくる」
「ネオンちゃんはジュキヤくんに大事にされてるのに……。アイバンしようって言ってたのに、ごめんね」
アイバン。今日は食事の後一緒にお店に行って、同じ卓でリュウセイくんとジュキヤくんに接客して貰う予定だった。
リュウセイくんと二人きりの時間も好きだけど、同じ空間で友達と好きな人と一緒に飲めるあの時間も楽しくて、わたしは好きだった。
何よりジュキヤくんとネオンちゃんの関係はリュウセイくんとわたしとは全然違っていて、参考にもなったのだ。
「んーん。そんな節約モードなのに、リュウセイくんに会うよりネオンと一緒にご飯してくれただけで嬉しーし」
「ネオンちゃん……ひめも、いつもごはんしてくれて嬉しい。次こそアイバン一緒に行こうね……!」
予定をドタキャンするようなものなのに、そんな優しい言葉を貰えて、わたしは改めて友達のありがたみを実感する。
ホストクラブに通うようになってから、学生時代の友達とは金銭感覚も価値観も時間帯も何もかも合わなくなって、すっかり縁が切れてしまった。
わたしはもう、夜の世界にしか居場所がなかったのだ。
「えへへー、りょーかい。大事な日にどーんって使うのも、日頃からちまちま通うのもその子のスタンス次第だしね! まあ、言うて毎回大金使えたら最高なんだけどさー」
「あはは……そうだね。お金がなくちゃ……どうにもならない。……それじゃあ、ジュキヤくんと素敵な夜を……!」
「ありがとー。あ、リュウセイくんどんなだったか教える? 来てた同担情報とか」
「……うん、お願い」
「おけー。じゃあ、気をつけてねー!」
「ありがとう、またね」
ネオンちゃんと別れたわたしは、一人あてもなく歩く。眠らない街のネオンライトは、目を惹く輝きでキラキラとしているけれど、どれもこれも偽りの光だ。
本物の言葉も、本物の気持ちも、持っているだけ馬鹿を見る。わかっているのに、とっくに魔法の綻びに気付いているのに、わたしはどうしたって夢見るのを手離せなかった。
「……でも、今さら……やめられないよね」
ふらふらと彷徨い歩く内、気付けば少し遠くまで来ていて、普段来ることのない路地裏を見つける。
夜の片隅にあるような、世界から忘れ去られた道のような、そんな薄暗がりに興味を引かれて、わたしはその奥へと視線を向けた。
「……あれって、リュウセイくん……?」
はっきり見えた訳ではない。けれども夜空のような美しい髪をした背の高い男の人がその路地の奥へ向かっていくのを見かけて、わたしはついその後を追いかける。
闇色のコートに黒いズボン、暗がりに紛れる色味にすぐに見失ってしまったけれど、どこかからカランと、ベルの音がした。
その人が近くの店に入ったのだと、わたしは探すように辺りを見回す。すると少しして、ショーウィンドウにぼんやりと光の灯る建物を見つけた。
「……ここ?」
そっとガラス越しに建物の中を覗くと、そこはギラギラとしたネオン街とは違い、間接照明やステンドグラスランプの柔らかな光に包まれていた。
雑貨屋さんか何かだろうか、店内に所狭しと並ぶ小瓶が色とりどりに煌めいている。
「綺麗……」
思わずうっとりと見惚れては、吸い寄せられるように木の扉のドアノブに手を掛けゆっくり引く。すると先程のベルの音が再び聞こえて、その音に反応したように、店の奥からひょこりと女の子が顔を覗かせた。
白いリボンで清楚なハーフアップに纏めた、腰まで届くくらいの長くて綺麗な髪。黒いパンプスに白ソックス、クラシカルロリータ系統のネイビーの服がよく似合う、ぱっちりとした瞳が煌めく可愛らしい女の子。
そんな彼女はわたしの姿を見て、にっこりと微笑む。
「いらっしゃいませ、『薬屋 夜海月』へようこそ!」
「え……? 薬屋?」
「はい。うちにはとびきりのお薬をたくさん揃えてます、良ければお近くでご覧になってください」
とびきりのお薬。ちょっと危なそうな単語に、入ったばかりにも関わらず思わず半歩後退りしてしまう。そんなわたしの反応に、女の子は慌てて首を振った。
「はっ、そんな危ないお薬じゃないですよ! うちのマスターのお手製で……」
「お手製の薬……? え、やば……」
フォローのつもりが怪しさを増してしまった説明に、わたしは更に後退る。半分ほど店から身体を退避させた状態でいると、不意に女の子の後ろから男の人が姿を現した。
「……こよるさん、何かトラブルでも?」
「あ……マスター」
「……あなたがマスター、さん?」
「ええ。僕が店主の『夜永』といいます。……ああ、きみも夜の迷子だね」
「……夜の、迷子?」
綺麗な夜空色の髪で、スラッとした男の人。色白で、綺麗な顔立ちの彼は、まだ二十代半ば頃に見える。そんな夜永さんは、先程路地で見掛けた闇色のコートを脱いで、代わりに白衣のような上着を羽織っていた。
なんだ、違う人だ。それはそうだ、リュウセイくんは今頃お店に居て、他の女の子をお姫様扱いしているのだ。
リュウセイくんではなかったものの、彼の纏う優しげな雰囲気は確かに似ていて、やけに整った容姿をした彼につい目を惹かれる。
こよるさんと呼ばれた女の子も相当可愛らしいものの、彼もそこらのアイドルやモデルなんか目じゃない。店内の雰囲気と相俟って、作り物のように浮世離れした二人だ。
それこそ、わたしがかつて憧れた絵本の世界の住人たちのよう。
「……この店はね、くらげのように夜を彷徨う迷子が集うんだよ。この店の薬で心の傷を癒したり、道を見つけたりして、思い思いの夜の先に笑顔で朝を迎えられるようにする場所なんだ」
「……ひめが迷ってるみたいって、わかるの……?」
「もちろん。店に辿り着くのは、そんな迷子ばかりだからね」
「そうです、怪しいお店じゃないんですよっ!」
迷子ばかりなのは、お店がこんな辺鄙な場所にあるからではないか。そして、お手製の薬だなんて文言では、怪しい認定されるのはしかたないのではないか。
そう思ったけれど、夜永さんの優しげに細められた瞳には、そんな表面的なものではなく、どこか本質を見抜かれているような気がした。
「……僕たちに、きみの迷いを断ち切るための手伝いをさせてくれないかな」
リュウセイくんに似た彼からの、リュウセイくんに似た柔らかく耳障りのいい優しい声。
ひとつ決定的に違うのは、夜に溺れさせるのではなく、朝に向かって送り出そうとするその言葉。
「……ひめの迷いを、断ち切る……うん。よろしく、お願いします」
これはきっと、何かのきっかけだ。先程まであんなに怪しいと思っていた警戒も全部消え去って、わたしはそっと、店の奥へと足を踏み入れた。
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