今日は特別な日。日々頑張ってようやく目標を達成したご褒美に、大好きな彼に会える日だ。
辛く苦しい日々の中での、わたしの唯一の癒しである『七星リュウセイくん』。
優しく包み込んでくれるような柔らかな彼の笑顔を思い浮かべるだけで、わたしは何でも、どんなことでも頑張れた。
リュウセイくんに会えるのは、実に二週間ぶりだ。スケジュール帳には今日の日付にピンクのハートのシール。何度も交わしたメッセージを読み返しながら、今日という日を心待ちにしていた。
彼に会いに行くのは夜なのに、その日は早起きして、とびきりのお洒落をする。
買ったばかりの可愛い服と靴。昼には久しぶりにネイルサロンに行って、爪もぴかぴか。夕方には美容室に行って、ヘアメイクだって完璧。
好きな人に会うためのお洒落は、自分に魔法をかけるみたい。少しでも長く彼の隣に居られるようにと、願いを込めて可愛い自分を作るのだ。
夜に染まりゆく街並みは、空と比例して煌びやかに輝く。まるで彼との再会を祝福してくれているよう。
道すがら、知らない男に声を掛けられても気にしない。まるでステップを踏むように迷いなく軽やかに、わたしは目的地へと向かう。
今のわたしは、きっと舞踏会で見初められるシンデレラのように、世界一キラキラとしているに違いない。
「……よし、大丈夫。今夜のひめはとっても可愛い!」
そうして辿り着いた、彼の待つ店の前。看板に描かれたお洒落なガラスの靴のロゴと『Last Princess』という店の名前が、わたしをお姫様にしてくれるみたい。
扉を開ける寸前に、何度も深呼吸を繰り返す。前髪を念入りに整えて、リボンの曲がりも許さない。
ここから先は、夜の果ての沼の入り口。この先で、愛しい彼が待っている。
そう思うだけで鼓動が速まるのだから、何とも恋心は正直だ。
ようやく足を踏み入れた薄暗い店内。通された席で待っていると、すぐに彼がわたしを見付けてやって来る。
たったそれだけのことで嬉しさににやけてしまいそうになるけれど、家を出る前に鏡に向かって何度も練習したとびきりの笑顔で、隣に腰掛ける彼を見上げた。
「こんばんはリュウセイくん、久しぶり! 元気にしてた?」
「こんばんは。ヒメミちゃん久しぶり……二週間ぶりだよね? 会いに来てくれて嬉しいよ。……オレは相変わらずだったけど……ヒメミちゃんに会えなくて、結構寂しかった」
「ほんと? ひめも寂しかった~……えへへ、だから今日は、その分たくさんお話出来たら嬉しいな」
「うん、もちろん! ヒメミちゃんをたくさん楽しませられるように、オレも頑張るね。……あ、ネイル変えた?」
「えっ……わかるの?」
「もちろん。前のも似合ってたけど、こっちも良いね。オレ、ピンク好き。すごく可愛いね」
「嬉しい、気付いてくれてありがとう……! リュウセイくんに見せたくて、新しくしたばっかりなんだぁ」
会って早々、柔らかな笑顔と共に細やかな変化に気付いて褒めてくれる彼は、やっぱり絵本の王子様みたいに完璧だ。
そして、二週間ぶり、なんて。彼も会えなかった日々を数えていてくれたのだろうかと、何だか嬉しくなってしまう。些細な彼の一言一言が、わたしを恋に溺れさせるのだ。
わたしが上機嫌で店のメニューを開くと、リュウセイくんは距離を縮めて一緒に覗き込んできた。
こうしている間だけは、メニューの陰に二人きり。周りの人の存在なんて忘れて、世界に二人だけになったように感じてしまう。
選ぶのを躊躇うように、夜の星のようにネイルの光る指先を滑らせて、目に留まった一つを選んでは、反応が見たくてちらりと横目に視線を向ける。
「……リュウセイくん、ピンクが好きって言うし……ピンドンにしようかなぁ」
「え!? いや、ピンク好きとは言ったけど……無理してない? 大丈夫?」
ドンペリピンク。普段頼まない価格帯のそれに、彼は驚いたようにしてから、心配そうにわたしを見る。通い始めてそこそこ長いわたしのお財布事情を知っているからこその反応だろう。
本当は高いお酒を注文してくれて嬉しいはずなのに、無理しないでいいなんて素振りで、どこまでもわたしに夢を見させてくれる素敵な人。
「今日はリュウセイくんに使う目標金額貯まったから会いに来たんだし……向こうの卓の被りの子に負けたくないもん。ね、ひめのためのリュウセイくんのコールを聴いて、一緒に飲みたいな」
わたしがお店に来た時に、彼が隣に座っていた別卓の女の子へと視線を向ける。
彼女も同担。リュウセイくん指名なのだろう。
その派手な見た目の女の子は、同席しているヘルプのホストになんて目を向けずに、退屈そうにスマホを弄っている。
他人への態度が悪いとか、今はそういうことではない。場を繋ごうとしてくれているヘルプはあの卓でリュウセイくんのために頑張っているのに。彼女はそれを無碍にしているのだ。
わたしは、あんな子には負けない。
「……ねえ、リュウセイくん、今日はラストまで居るから……最後は必ず、ひめの所に戻ってきてね」
「うん……わかった。オレが頑張れてるのも、全部ヒメミちゃんのお陰だよ。いつも本当にありがとう……愛してるよ」
頼んだお酒が運ばれて来て、狭い夜の片隅で、まるで世界の中心のように賑やかなコールが響く。しかし華やかなそれとは裏腹に、心はどんどん冷静になっていった。
わかっている。彼はホストで、わたしはたくさん居る客の内の一人だ。
彼の甘い言葉は、この夜だけの魔法で、深い沼に落とす呪いの言葉。
彼の優しい笑顔は、お金を溶かす今だけわたしに向けられる、作り物の営業用。
彼との愛しい一夜は、すべてまやかしで出来ている儚い幻想。
わかっている。叶うことのないこの想いはきっと無意味で、けれど確かに、どうしようもなく恋なのだ。
彼と同じ世界に生きるために、わたしもすっかり夜に染まってしまった。
彼の隣に座り続けるためだけに、これまで積んできた金額は、もう考えるのをやめた。
けれど、好きな人のために可愛くいたいのも、好きな人のために何でもしたいのも、胸の内の甘く苦しいときめきも、会えない日々の切なさも、どれもありふれた恋でしょう?
「……ひめも、リュウセイくんのこと、世界一愛してる」
マイクに乗せた愛の言葉が店内に響いて、すぐにグラスの中のシャンパンの泡のように消えていった。
夜も更けて、お酒も大分回った頃、薄暗い店内の卓の上に並ぶお酒に視線を落とす。
照明に反射して輝く煌びやかなハートや、本やテディベアを象った可愛らしい飾りボトルを、彼に褒めて貰ったピンクの爪先でそっとつつく。
「ねえ、あの五番卓にある靴の飾り……デコシンデレラの色違いってある? ……ピンクが良いなぁ。リュウセイくんのための、ピンクのシンデレラ」
初めて自分の卓にボトルを飾った感動を、あの頃の高揚感を、今はすべて承認欲求に変えてしまった。
キラキラとした華やかな世界は、いつの間にかどろどろとした辛い世界に姿を変えて、日常では中々見掛けないメニューのゼロの羅列も、最早彼を喜ばせるためのただの記号でしかない。
それでも、わたしは何度でも恋という魔法に溺れて、偽りの夜に沈んでいくのだ。
「ふふ……本物のシンデレラなら、魔法が解けても幸せになれるのにね」
無理なことは、痛いくらい分かってる。それでも、どう足掻いてもこの嘘で塗り固められた恋の沼から脱け出せそうになかった。
だけど、せめて夢の時間が終わるまで、王子様と居られる幸せなシンデレラでいたいのだ。
「ヒメミちゃん……この店に、オレに会いに来てくれるなら、何度だってお姫様になれる魔法をかけてあげるから」
「うん、ありがとう……リュウセイくんは、王子様で魔法使いだね。……大好き」
ガラスの靴をここに置いて、何度だって会いに来るから。だからどうかその度に、醒めない恋の魔法をかけて。
この苦しくも心地好い夜の底で、あなたと二人、泡沫の夜に溺れて居たいから。
☆。゜。☆゜。゜☆
辛く苦しい日々の中での、わたしの唯一の癒しである『七星リュウセイくん』。
優しく包み込んでくれるような柔らかな彼の笑顔を思い浮かべるだけで、わたしは何でも、どんなことでも頑張れた。
リュウセイくんに会えるのは、実に二週間ぶりだ。スケジュール帳には今日の日付にピンクのハートのシール。何度も交わしたメッセージを読み返しながら、今日という日を心待ちにしていた。
彼に会いに行くのは夜なのに、その日は早起きして、とびきりのお洒落をする。
買ったばかりの可愛い服と靴。昼には久しぶりにネイルサロンに行って、爪もぴかぴか。夕方には美容室に行って、ヘアメイクだって完璧。
好きな人に会うためのお洒落は、自分に魔法をかけるみたい。少しでも長く彼の隣に居られるようにと、願いを込めて可愛い自分を作るのだ。
夜に染まりゆく街並みは、空と比例して煌びやかに輝く。まるで彼との再会を祝福してくれているよう。
道すがら、知らない男に声を掛けられても気にしない。まるでステップを踏むように迷いなく軽やかに、わたしは目的地へと向かう。
今のわたしは、きっと舞踏会で見初められるシンデレラのように、世界一キラキラとしているに違いない。
「……よし、大丈夫。今夜のひめはとっても可愛い!」
そうして辿り着いた、彼の待つ店の前。看板に描かれたお洒落なガラスの靴のロゴと『Last Princess』という店の名前が、わたしをお姫様にしてくれるみたい。
扉を開ける寸前に、何度も深呼吸を繰り返す。前髪を念入りに整えて、リボンの曲がりも許さない。
ここから先は、夜の果ての沼の入り口。この先で、愛しい彼が待っている。
そう思うだけで鼓動が速まるのだから、何とも恋心は正直だ。
ようやく足を踏み入れた薄暗い店内。通された席で待っていると、すぐに彼がわたしを見付けてやって来る。
たったそれだけのことで嬉しさににやけてしまいそうになるけれど、家を出る前に鏡に向かって何度も練習したとびきりの笑顔で、隣に腰掛ける彼を見上げた。
「こんばんはリュウセイくん、久しぶり! 元気にしてた?」
「こんばんは。ヒメミちゃん久しぶり……二週間ぶりだよね? 会いに来てくれて嬉しいよ。……オレは相変わらずだったけど……ヒメミちゃんに会えなくて、結構寂しかった」
「ほんと? ひめも寂しかった~……えへへ、だから今日は、その分たくさんお話出来たら嬉しいな」
「うん、もちろん! ヒメミちゃんをたくさん楽しませられるように、オレも頑張るね。……あ、ネイル変えた?」
「えっ……わかるの?」
「もちろん。前のも似合ってたけど、こっちも良いね。オレ、ピンク好き。すごく可愛いね」
「嬉しい、気付いてくれてありがとう……! リュウセイくんに見せたくて、新しくしたばっかりなんだぁ」
会って早々、柔らかな笑顔と共に細やかな変化に気付いて褒めてくれる彼は、やっぱり絵本の王子様みたいに完璧だ。
そして、二週間ぶり、なんて。彼も会えなかった日々を数えていてくれたのだろうかと、何だか嬉しくなってしまう。些細な彼の一言一言が、わたしを恋に溺れさせるのだ。
わたしが上機嫌で店のメニューを開くと、リュウセイくんは距離を縮めて一緒に覗き込んできた。
こうしている間だけは、メニューの陰に二人きり。周りの人の存在なんて忘れて、世界に二人だけになったように感じてしまう。
選ぶのを躊躇うように、夜の星のようにネイルの光る指先を滑らせて、目に留まった一つを選んでは、反応が見たくてちらりと横目に視線を向ける。
「……リュウセイくん、ピンクが好きって言うし……ピンドンにしようかなぁ」
「え!? いや、ピンク好きとは言ったけど……無理してない? 大丈夫?」
ドンペリピンク。普段頼まない価格帯のそれに、彼は驚いたようにしてから、心配そうにわたしを見る。通い始めてそこそこ長いわたしのお財布事情を知っているからこその反応だろう。
本当は高いお酒を注文してくれて嬉しいはずなのに、無理しないでいいなんて素振りで、どこまでもわたしに夢を見させてくれる素敵な人。
「今日はリュウセイくんに使う目標金額貯まったから会いに来たんだし……向こうの卓の被りの子に負けたくないもん。ね、ひめのためのリュウセイくんのコールを聴いて、一緒に飲みたいな」
わたしがお店に来た時に、彼が隣に座っていた別卓の女の子へと視線を向ける。
彼女も同担。リュウセイくん指名なのだろう。
その派手な見た目の女の子は、同席しているヘルプのホストになんて目を向けずに、退屈そうにスマホを弄っている。
他人への態度が悪いとか、今はそういうことではない。場を繋ごうとしてくれているヘルプはあの卓でリュウセイくんのために頑張っているのに。彼女はそれを無碍にしているのだ。
わたしは、あんな子には負けない。
「……ねえ、リュウセイくん、今日はラストまで居るから……最後は必ず、ひめの所に戻ってきてね」
「うん……わかった。オレが頑張れてるのも、全部ヒメミちゃんのお陰だよ。いつも本当にありがとう……愛してるよ」
頼んだお酒が運ばれて来て、狭い夜の片隅で、まるで世界の中心のように賑やかなコールが響く。しかし華やかなそれとは裏腹に、心はどんどん冷静になっていった。
わかっている。彼はホストで、わたしはたくさん居る客の内の一人だ。
彼の甘い言葉は、この夜だけの魔法で、深い沼に落とす呪いの言葉。
彼の優しい笑顔は、お金を溶かす今だけわたしに向けられる、作り物の営業用。
彼との愛しい一夜は、すべてまやかしで出来ている儚い幻想。
わかっている。叶うことのないこの想いはきっと無意味で、けれど確かに、どうしようもなく恋なのだ。
彼と同じ世界に生きるために、わたしもすっかり夜に染まってしまった。
彼の隣に座り続けるためだけに、これまで積んできた金額は、もう考えるのをやめた。
けれど、好きな人のために可愛くいたいのも、好きな人のために何でもしたいのも、胸の内の甘く苦しいときめきも、会えない日々の切なさも、どれもありふれた恋でしょう?
「……ひめも、リュウセイくんのこと、世界一愛してる」
マイクに乗せた愛の言葉が店内に響いて、すぐにグラスの中のシャンパンの泡のように消えていった。
夜も更けて、お酒も大分回った頃、薄暗い店内の卓の上に並ぶお酒に視線を落とす。
照明に反射して輝く煌びやかなハートや、本やテディベアを象った可愛らしい飾りボトルを、彼に褒めて貰ったピンクの爪先でそっとつつく。
「ねえ、あの五番卓にある靴の飾り……デコシンデレラの色違いってある? ……ピンクが良いなぁ。リュウセイくんのための、ピンクのシンデレラ」
初めて自分の卓にボトルを飾った感動を、あの頃の高揚感を、今はすべて承認欲求に変えてしまった。
キラキラとした華やかな世界は、いつの間にかどろどろとした辛い世界に姿を変えて、日常では中々見掛けないメニューのゼロの羅列も、最早彼を喜ばせるためのただの記号でしかない。
それでも、わたしは何度でも恋という魔法に溺れて、偽りの夜に沈んでいくのだ。
「ふふ……本物のシンデレラなら、魔法が解けても幸せになれるのにね」
無理なことは、痛いくらい分かってる。それでも、どう足掻いてもこの嘘で塗り固められた恋の沼から脱け出せそうになかった。
だけど、せめて夢の時間が終わるまで、王子様と居られる幸せなシンデレラでいたいのだ。
「ヒメミちゃん……この店に、オレに会いに来てくれるなら、何度だってお姫様になれる魔法をかけてあげるから」
「うん、ありがとう……リュウセイくんは、王子様で魔法使いだね。……大好き」
ガラスの靴をここに置いて、何度だって会いに来るから。だからどうかその度に、醒めない恋の魔法をかけて。
この苦しくも心地好い夜の底で、あなたと二人、泡沫の夜に溺れて居たいから。
☆。゜。☆゜。゜☆