「……あれ? なんだ、まだ寝てるんだ? 相変わらずだなぁ……おーい、夜だよ、起きて」
「んー……こよるさん? ごめん、あと五分……」
「おいおい、俺がこよるちゃんに見えるとかないわ。ちゃんと目開けろって」
「んん……? あれ、きみ……」
「マスター、そろそろ起き……わあ!?」

 不意にコヨルさんの悲鳴が聞こえてきて、ご飯を食べ終えたぼくは店の奥へと向かう。
 ぼんやりとしたランタンが照らす薄暗い部屋の中、入り口で立ち止まり驚いた様子のコヨルさんの足にぶつかってしまった。

「にゃ!? え、なに、コヨルさんどうしたの?」

 そのまま足の隙間から潜り抜けて部屋の奥に入り、その視線の先を見ると、ベッドで横になるマスターさんのすぐ隣に、もうひとつ人影があるのに気付く。

「えっ、い、いつの間に……どこから入られたんですか!?」
「あはは、どーも。俺は神出鬼没が売りだからねぇ。……それにしてもこよるちゃん、今夜もかわいいね」
「はあ……」
「ふふ、長く艶やかな髪は天の川よりも美しいし、俺を見つめる大きな瞳の煌めきには満月だって敵わない。ああ、その白い柔肌に纏う愛らしい装いはまさにキミのために作られたに違いないし……その美貌は月の女神アルテミスも嫉妬するくらいの……」
「……ねえスバル、うるさい。あと僕、来る時は店の入口使えってあれほど……」
「おっと、なになに、夜永くん顔怖い。寝起きそんな悪かったっけ? ほらほら、綺麗な顔が台無し。スマイルだよー」

 突然の侵入者に驚いたコヨルさんと、マスターさんのベッドに腰掛けながらへらへらと笑う見知らぬ男。そんな距離に居ても呆れたように寝転んだままのマスターさんの様子から、三人が知り合いであることはうかがえた。
 男は黒いローブのようなものを着ていて、フードを被っているから顔はよく見えない。胡散臭いにも程がある。

「……ねえ、あいつがさっき言ってた『あの人』ってやつ? 二人を困らせるなら、ぼく引っ掻くよ?」

 思わずコヨルさんを見上げて鳴き声を上げると、侵入者の男はベッドから立ち上がりこちらに近付いて来た。

「……え、やば。猫居んじゃん。なになに、飼い始めたの?」
「違うよ、彼も夜の迷子……で、とりあえず冬の間はうちの従業員予定のシャハルさん」
「えー、猫店員とかかわいいね、看板猫じゃん。おいでおいでー」

 おいでと言いながらじりじりと近付いてくるのは如何なものだろう。その不審者をなんとなくコヨルさんに近付けたくなくて、ぼくはそいつの頭を踏み台にしてマスターさんのベッドまで避難した。

「で……っ!?」
「ふふ、シャハルさんはスバルが嫌いらしいね」
「ちぇー……まあいいや、俺動物に嫌われがちだし」
「おや、馴れ馴れしくて鬱陶しいとか?」
「酷くない!?」

 すっかり目が覚めたらしいマスターさんが起き上がり、ぼくの頭を撫でてくれる。お店での物静かな営業スマイルとは違いくすくすと楽しそうに笑う様子に、マスターさんとこの不審者は案外仲が良いのだと理解する。

「……シャハルさん、紹介しておくよ。こいつは『スバル』……雨夜の客人だよ」
「そ、不審者じゃなくてれっきとしたお客さん」
「……不法侵入して来るやつは漏れ無く不審者だと思うけど」
「えっ、うっそ。俺のアイデンティティー全否定じゃん」
「ふふ、スバルさんは相変わらずですねぇ。わたし、お茶をご用意して来ますね」
「お、ありがとうね。こよるちゃん」

 不審者扱いしてしまったことに気付かれてなんとなく申し訳なく感じつつも、コヨルさんが部屋を出ていく仕草や声がなんとなくいつもより固いことに気付く。
 誰にでもフレンドリーなコヨルさんにしては珍しい。やはり彼女は、このスバルという人が苦手なのかもしれない。

「……さて、今日も今日とて商談に来たわけなんだけど……せっかくだしお茶飲んでからでいい?」
「ふ、いいよ。どうせきみのよく回る舌は、一晩中元気だろうから」
「あはは、ご名答。せっかく友人と過ごせる夜なんだ、楽しまなくちゃ損だろう?」
「ふふ。違いない」
「おっ、友人って否定しなかったね! よかったよ、俺の片想いじゃなくて!」
「……寧ろ、きみ以外に友人と呼べる人は居ないからね。否定なんかしないよ」
「よ、夜永くん……! 俺達ズッ友だよ……!」
「……ズッ友ってちょっと古くないかな?」
「えっ!?」
「ねえマスターさん、このお客さんはお友達で、商談相手?」

 商談、という単語にぼくが首を傾げると、マスターさんは布団から出て、ぼくを抱っこしながらベッドの縁に腰かける。今までお布団に居たマスターさんの腕は、いつもよりぽかぽかしていて心地好かった。

「スバルはね、こう見えて薬を作るための材料を届けてくれる商人なんだよ」
「商人……?」
「いや、こう見えてって何だよ……俺のことどう見えてんの?」
「……、窓のない密室に入り込んで、寝ている家主のベッドに乗り上げてきた不審者?」
「あー……返す言葉もないわ」

 自らの行動を振り返り素直に認めた不審者は、肩を竦めて両手をひらひらとさせている。
 ふとベッドの足元に、彼の商売道具が入っているのかアンティークの大きなトランクがあるのが見えた。そこからはお店の中よりも濃い植物や花の匂いがする。
 先程彼が言っていたように動物に嫌われるのは、その匂いのせいもあるかもしれないとぼんやりと考える。
 ぼくは嫌いじゃないけれど、慣れていない子にとっては嗅ぎ慣れない嫌な匂いだろう。

「……あの、お二人とも、紅茶の準備が出来ました。どうされます? お二階に運びますか?」

 不意にコヨルさんが戻ってきて扉の入り口からひょこりと顔を出す。それに気付いたマスターさんは、穏やかな笑みを浮かべた。

「ああ、ありがとう、こよるさん。……いや、店の方でいただくよ。こいつを私室に入れたくない」
「ねえそれ友人に向ける台詞!? えー、夜永くんさ、元からマイペース気質ではあるけど、年々俺に対して辛辣になってない……?」
「……あー……親愛の証?」
「えっ、それなら許す……」
「……スバル、よくちょろいって言われない……?」

 相変わらずな二人のやり取りに、コヨルさんはくすくすと楽しそうに笑いながら頷く。

「ふふっ、わたしは向こうでテーブルセットをして来るので、マスターは寝癖を直されたらいらしてくださいね」
「……え、寝癖ついてた? どこ?」
「ついてるついてる。ほらこっち、貸してみ」
「んー……」

 毛繕いは動物同士の親愛の証だ。ぼくもコヨルさんやマスターさんにブラッシングされると安心する。
 彼らは本当に仲良しなのだと理解して警戒を解いたぼくは、コヨルさんの後をついていくことにした。

 すると、いつものふわふわなソファー近くでティーセットを用意しながら、やけに緩んだ顔をしたコヨルさんに気付いた。

「はー……スバルさんといらっしゃる時のマスター、やっぱりいつもと違う表情をたくさんされて愛……、……はっ、シャハルちゃん、いつの間に!?」

 先程までの強張った様子は、どうやら顔が緩むのを堪えていたらしい。
 コヨルさんは慌ててぼくを抱き上げて、必死な様子で力説した。

「うう、今のは決して変な意味じゃないんですよ!? ただ、マスターは基本的に誰にでも紳士的で柔らかくて…たまに天然だったり場の空気を和ませようと冗談を言ったりはしますけど…、スバルさんといらっしゃる時のように終始砕けて接しているのが珍しいといいますか……羨ましいとか尊いとか愛らしいとか……その、いろんな感情がですね!」
「こ、コヨルさん落ち着いて……!?」

 確かにいつも優しく穏やかなマスターさんのスバルさんへの接し方にも驚いたものの、普段ふわふわとしているコヨルさんにこんな一面もあったことにも驚く。
 このお店にお世話になってひと月程経つけれど、まだまだ知らないことも多そうだ。


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