6.
美月が目を覚ますと、すぐに俊明さんが病室に入ってきた。
「お父さん」
美月は目覚めたばかりのぼんやりとした目で声を発した。
「おはよう」
俊明さんは美月に少しイタズラっぽく余裕をみせて答えた。
「そんなふうに起き抜けの顔はママそっくりだな。君のママも早起きがあまり得意な人ではなかったね」
美月は生真面目な父の珍しいからかいを受けて、少し安心したように微笑んだ。
「家族のなかで一番起きないのがパパだって、ママは言ってたよ」
「おや、そうだったかな」
俊明さんはそんなふうにいうと、ようやく話のきっかけとして、僕と陽菜に使われてないベッドから椅子を持ってくるように言った。
「二人とも座ってくれ、二三分で済む話というわけでもないから」
それから、俊明さんはまず診察室で僕と陽菜に話したような話をした。
美月の症状が再発したこと、異常脳波が検出されて、その活動が過剰に活発化を始めていること、そしてそれは脳の記憶領域を中心に起きていること、それはこれまでの症例のうち、三人目の症例患者のパターンと同じであること、そしてその三人目の症例患者は彼女の母親であるということ。
美月は俊明さんの話を聞いて、感想を漏らした。きっと病院に来て検査中も考えていたのだろう。
「ママとおんなじなんだ。でもなんとなくそんな気がしてた」
「どうしてそんな気がしてたんだ?」
問診としてなのか、それともそうではないのかわからないが俊明さんは美月に自省を促すように尋ねた。
「症状が出ると、ママのことをなんとなく思い出したから」
「そうか……」
俊明さんは、それだけいうと説明を再開した。
「君の脳はおそらく、これからも加速するように活発になっていくだろう、ママと同じような経過を辿るなら、おそらく。もちろん必ずしもそうとは限らないし、いまからいうことの可能性についてわたしは100パーセントとも言えない、だから落ち着いて聞いて欲しい」
俊明さんはそこまでいうと観念したように告げた。
「おそらく、君の脳の症状が進行しきって末期に向かうまでは来年の春までかからない。これから数ヶ月、夏が過ぎて秋くらいまでは進行はそこまで目に見えるほど加速してみえないだろうが、年が明ける一月前くらいから記憶や精神、そして身体についてはっきりと支障をきたしていくだろう」
美月は何も言わなかった。
「おそらく、そのような状態になれば、もう末期までは早いと思う。記憶領域を中心としていた異常脳波が他の領域にまで完全に伝播して、そして脳の各部が一斉に合唱でも始めるみたいに”共鳴”を始めるはずだ。そしておそらく君の脳はその過剰な合唱に耐えきれず、壊れてしまうだろう。異常脳波の発現部位だけでなく、小脳や脳幹などの生命維持に必要な箇所まで巻き込んでね」
美月はこの後に及んで笑った。僕はその笑いをみてどこか泣きたいような怒りにも似た身を裂かれる思いがした、もどかしく耐え難いような感情だった。
「合唱か。まるで頭のなかの蛙が一斉に歌い出すみたいだね」
どうして、どうして美月がこんな目に遭わないといけないのだろう。
俊明さんは真剣な表情で言った。
「ただし、美月、一つだけ、君の生命を維持するために取れる方法がある」
僕は俊明さんの言葉を聞いて、混乱した。
美月の生命を救える方法がある。
「もちろん、この方法には前例がない。だからあくまで理論的にという話になる。だから保証はできない。わたしは君の父親とそして一人の患者をまえにした医師としての誠意として、それは伝えておく。けれど、可能性はある。そしてこの症例を長く研究してきた研究者のわたしとしては必ずしも可能性の低くない方法だと考えている」
美月はやはり何も言わなかった。ただベッドの上から、僕らをじっと見つめるばかりだった。
「ただし美月、その方法は君の記憶と引き換えになる」
俊明さんは続けた。
「君の生命は救われる。ただし、君のこれまでの記憶は失われる。そしてその方法は君の未来の記憶まで奪ってしまうと思う」
美月が目を覚ますと、すぐに俊明さんが病室に入ってきた。
「お父さん」
美月は目覚めたばかりのぼんやりとした目で声を発した。
「おはよう」
俊明さんは美月に少しイタズラっぽく余裕をみせて答えた。
「そんなふうに起き抜けの顔はママそっくりだな。君のママも早起きがあまり得意な人ではなかったね」
美月は生真面目な父の珍しいからかいを受けて、少し安心したように微笑んだ。
「家族のなかで一番起きないのがパパだって、ママは言ってたよ」
「おや、そうだったかな」
俊明さんはそんなふうにいうと、ようやく話のきっかけとして、僕と陽菜に使われてないベッドから椅子を持ってくるように言った。
「二人とも座ってくれ、二三分で済む話というわけでもないから」
それから、俊明さんはまず診察室で僕と陽菜に話したような話をした。
美月の症状が再発したこと、異常脳波が検出されて、その活動が過剰に活発化を始めていること、そしてそれは脳の記憶領域を中心に起きていること、それはこれまでの症例のうち、三人目の症例患者のパターンと同じであること、そしてその三人目の症例患者は彼女の母親であるということ。
美月は俊明さんの話を聞いて、感想を漏らした。きっと病院に来て検査中も考えていたのだろう。
「ママとおんなじなんだ。でもなんとなくそんな気がしてた」
「どうしてそんな気がしてたんだ?」
問診としてなのか、それともそうではないのかわからないが俊明さんは美月に自省を促すように尋ねた。
「症状が出ると、ママのことをなんとなく思い出したから」
「そうか……」
俊明さんは、それだけいうと説明を再開した。
「君の脳はおそらく、これからも加速するように活発になっていくだろう、ママと同じような経過を辿るなら、おそらく。もちろん必ずしもそうとは限らないし、いまからいうことの可能性についてわたしは100パーセントとも言えない、だから落ち着いて聞いて欲しい」
俊明さんはそこまでいうと観念したように告げた。
「おそらく、君の脳の症状が進行しきって末期に向かうまでは来年の春までかからない。これから数ヶ月、夏が過ぎて秋くらいまでは進行はそこまで目に見えるほど加速してみえないだろうが、年が明ける一月前くらいから記憶や精神、そして身体についてはっきりと支障をきたしていくだろう」
美月は何も言わなかった。
「おそらく、そのような状態になれば、もう末期までは早いと思う。記憶領域を中心としていた異常脳波が他の領域にまで完全に伝播して、そして脳の各部が一斉に合唱でも始めるみたいに”共鳴”を始めるはずだ。そしておそらく君の脳はその過剰な合唱に耐えきれず、壊れてしまうだろう。異常脳波の発現部位だけでなく、小脳や脳幹などの生命維持に必要な箇所まで巻き込んでね」
美月はこの後に及んで笑った。僕はその笑いをみてどこか泣きたいような怒りにも似た身を裂かれる思いがした、もどかしく耐え難いような感情だった。
「合唱か。まるで頭のなかの蛙が一斉に歌い出すみたいだね」
どうして、どうして美月がこんな目に遭わないといけないのだろう。
俊明さんは真剣な表情で言った。
「ただし、美月、一つだけ、君の生命を維持するために取れる方法がある」
僕は俊明さんの言葉を聞いて、混乱した。
美月の生命を救える方法がある。
「もちろん、この方法には前例がない。だからあくまで理論的にという話になる。だから保証はできない。わたしは君の父親とそして一人の患者をまえにした医師としての誠意として、それは伝えておく。けれど、可能性はある。そしてこの症例を長く研究してきた研究者のわたしとしては必ずしも可能性の低くない方法だと考えている」
美月はやはり何も言わなかった。ただベッドの上から、僕らをじっと見つめるばかりだった。
「ただし美月、その方法は君の記憶と引き換えになる」
俊明さんは続けた。
「君の生命は救われる。ただし、君のこれまでの記憶は失われる。そしてその方法は君の未来の記憶まで奪ってしまうと思う」