周囲を埋め尽くすぐらい座ってた人々も、ほとんど残ってない。

 結姫と僕は、手を重ねたまま動かずにいた。

 どうしたの? 帰らないの?

 そう聞けばいいのに、何故か口が動いてくれないんだ。

 多分、身体が結姫から離れるのを嫌がってる。

 「……惺くん、どうしたの?」

 口火が切られた。

 すぐに言葉を返す心構えをしてたのに、胸がバクバクして上手く言葉が出ない。

 「七夕の後……。体育の授業で倒れた後からさ、様子がおかしいよね?」

 「…………」

 「何かを隠してるような、辛そうな表情が前より強くなってるよ。さっきも、泣いてたよね? ずっと惺くんを見てた私が、気が付かないと思った?」

 バレてたのか。それに、前より辛そうになってる……。確かに、そう言ったよね?

 それは今年の七夕より前に、僕が隠し事をしてる事実にも気が付いてたってことか。

 結姫は、鋭いね。

 ここで誤魔化しても、結姫は笑えなくなるかもしれない。

 それだったら、洗いざらい話すしかないか。

 到底信じてもらえない、嘘としか思えないような話を……。

 「……取引をしたんだ」

 「取引? もしかして、お金の悩み?」

 「――寿命、余命だよ」

 「……ぇ。よ、余命?」

 ほら、何を言ってるんだって声をしてる。

 余命取引なんてオカルトやファンタジーみたいな話、信じてもらえるわけがないか。

 「誰と、余命を取引をしたの?」

 「カササギって名乗る、怪しい男だよ。七夕の夜、突然引き込まれる店でね。対価次第で、何でも取引ができるんだって。……命の輝きさえも」

 「命の輝き? それは――もしかして、私の命?」

 真面目な声、耳元で囁かれた言葉に、心臓がドクンッと飛び跳ねる。

 どうして……信じるの? もっと、笑い飛ばすような話じゃないの?

 「こんな話を、信じるの? 現実離れした、こんな話を……」

 「だって、事実なんでしょ?」

 そんな、あっさり……。

 一瞬驚いてたのに、もう完全に信じたような……真剣な目をしてる。

 結姫は感情が素直に出るから、嘘や(なぐさ)めだとは思えない。

 「おかしいなぁとは、思ってたんだ。……だって、ず~っと私を苦しめてきた病気がパッとなくなっちゃったんだよ? それぐらい現実離れした魔法でもなければ、逆に納得できないよ」

 そういう、ことか……。

 改めて考えれば、結姫が不思議に思っていてもおかしくないよな。

 多分、今まであえて口に出さなかったのは……周りを不安にさせないためだったのかもしれない。

 「ずっと黙ってて、ごめん。実は、結姫が最期を迎えかけた七夕の日……。僕の寿命を一年間、結姫に渡してくれって取引をしたんだ」

 「一年? でも、私は……。まさか、また惺くんは自分の寿命を――」

 「――そう。今年の七夕の夜、僕はカササギって取引相手に、自分に残された余命を全て結姫に渡したいって、取引を申し出たんだ」

 絶句して見つめる結姫は今、何を考えてるんだろう?

 勝手なことをするなって、怒ってるのかな。

 「その取引の対価がハッキリしないヒントばっかりで……。本当は僕の存在を皆の記憶から消してくれって頼んだんだけど、上手くやられた。僕がいなかったことには、多分ならない。それが申し訳なくて……。結姫の心に傷を残しちゃうかもって」

 重ねられた指が、震えてる。

 俯いてしまったから、表情は見えないけど……。

 どんな怒りでも受け入れよう。

 僕はそれだけ、結姫を傷付けるミスをした。

 「……惺くんが思い描く私の将来に、惺くんがいない。それがどれだけ、私にとって辛くて悲しいか、考えたことある?」

 「……記憶がなくなれば、全て解決すると思ったんだ。僕の寿命がなくなっても、結姫が笑って幸せになれれば、それでいいから」

 「それは――優しさじゃないよ」

 優しくしてるつもりじゃなくて、そうするのがいいと思ってた。

 でも、カササギにも言われたなぁ。

 優しさを履き違えてるって……。

 「惺くんは、私に優しくしてる自分に安心してる。本当の優しさってさ、他人のことを自分のことのように考えられることじゃないのっ?」

 「それは……。そう、なのかも」

 「惺くんがくれる好意の違和感、やっと分かったよ」

 好意の、違和感……。

 いつか、メッセージで言ってたやつか。

 「惺くんの中には――自分がいないんだ。私のことを自分のように考えるんじゃない。そもそも、私しかいなかったんだね。二の次どころじゃなくて、自分のことを考えてくれてない……」

 「…………」

 「お願い、そろそろ気が付いて……。惺くんも一緒に幸せになってほしいんだよっ!」

 切実に訴えかける結姫の声が――涙ぐんでる。

 また、僕は結姫を悲しませてしまった……。

 「ごめん。その通り、だと思う。僕の生きる意味や理由は、見放さず残ってくれた結姫に尽くすことだと……」

 「惺くんは、いつも尽くしてばっかりいてくれる。でも、そんなの私は望んでない!」

 結姫の声が、夜の公園に広がる。

 虫の鳴く音、遠く聞こえる雑踏の中、悲痛な叫び声が……。

 僕の心に、花火よりもズシンと響く……。

 「惺くんは、私を対等だと思ってない。一緒に幸せになりたいのに、一方的に幸せにしようと自分を犠牲にしてばっかり! 私が、どう思うかも考えずに……。そんなの、逆に身勝手だよ。自分本位で、惺くんにも幸せになってほしい気持ちを見てない……」

 「身勝手、自分本位……。カササギにも言われたな……」

 「私のことを本当に思ってくれてるならさ、自分の全てを諦めないでよ。一緒に生きる意味や理由を探してよ! 一緒に前を向こうと思ってよっ!?」

 それは……。今の僕にとって、何より難しいことだ。

 思えば結姫まで失いたくないばかりに、僕は自分を失ってしまった。

 期待に応えられず、何もかもを失って……。自分を諦めてたから。

 一緒に前を向くんじゃなくて、前を向いて歩もうとする君をサポートすることでしか、生きてこなかった。

 「僕、格好悪いね。ずっと、格好が悪い。結姫、前にも言ったけどさ……。こんな格好悪くて手遅れな僕じゃなくて、もっと相応しい相手と一緒にいた方がいい。そうすれば僕が最期を迎えても、受け入れやすいと思うから」

 パンッと、乾いた音が公園に響いた。

 頬が……ヒリヒリと痛む。

 え……。結姫の細い手が、僕を叩いた?

 「格好いいから好きになったんじゃない! 幸せにしてほしいから好きって言ったんじゃない! 一緒に笑い合いたいから、私は惺くんを好きだって言ったんだよっ!?」

 目を覚ましてとばかりに、今度は僕の胸に縋りついてくる。

 結姫の気持ちは、嬉しい。

 余命を意識した今、余計に胸が熱くなる。

 だけど……。

 「……僕は、結姫の隣にいる程価値のある男じゃない。求めることに、対価を払える能力もないんだ」

 「その人を本当に大事に思ってる人からすれば、その人にどれだけの価値があるかなんて考えないよっ! そこにいてくれるだけで、幸せなのっ!」

 「でも……。父さんも、カササギも……。何か欲しいものを得るためには結果や対価を求めるって」

 「大人の世界とか取引は違うのかもしれないけど、私には分からない! そんな利害で一緒にいる関係、私は望んでない! 一緒にいてくれるのが対価じゃないの!?」

 自分の世界が、根底から打ち砕かれる感覚がした。

 じゃあ、僕は一体……。

 今まで、何をしてきたんだ?

 「惺くんの時間は小学校の頃から、ほとんど進んでなかったんだね? ポッカリ穴が空いたまま。私、そんなことにも気付いてあげられなかった。本当に、ごめんね……」

 叩いた頬を、今度は優しく撫でられた。

 結姫の()(あい)に満ちた瞳に薄らと浮かぶ涙が、真っ直ぐに僕を見つめてる。

 もらい泣きかな……。僕まで、涙で視界がぼやけてきた。

 限られた余命の中で、結姫の顔を、なるべくしっかり見ておきたいのにな……。

 「……私たちは、二人とも間違えてた」

 僕は、いつも間違えてた。

 「愛は求めるものでも、与えるものでもないんだね」

 僕は与えることしか、知らなかった。

 「愛ってのはさ……。お互いが対等に想い合う心から、自然と生まれて育つものなんだって……。私、気が付いたよ」
 そんな愛、僕は知らない。

 ああ……。人は自分が愛されたようにしか、誰かを愛せないって……。

 どこかで聞いた言葉が浮かぶ。

 つまり僕が今までしてたのは、愛情でも優しさでもない。

 「依存か……」

 「……依存?」

 胸に縋りつきながら、結姫は僕の顔を覗き込んできた。

 こんなマイナスな言葉、結姫は意識してこなかったんだろうね……。

 「カササギに言われたんだ。ごめん、結姫の言う通りだ。僕は優しさも愛情も履き違えてた。自分本意に気持ちを押し付けて、自己満足して……。 ちゃんと結姫の気持ちも考えられてなかった」

 対等になんて、考えもしなかった。

 幼い頃、結姫が僕を守ってくれると言ったように……。

 今度は、僕が結姫を守るんだ。守らなきゃいけないんだって。

 結姫の希望や望みも聞かず、そんな自分本位な考えに支配されてたよ……。

 「これで結姫が幸せになるか。笑えるか。どう思うか。自分のことなんて二の次で、どうでもいい。尽くしてる自分に満足して、一方的に押しつけるばかり。そんなのは、対等じゃない。依存してるのと一緒だよ。……身勝手だった。今まで、ごめんね」

 「私こそ、頬ぶっちゃって、ごめんね? 本当に、本当にごめんね……」

 「お陰で少し目が()めたよ。間違った固定観念を崩してくれた。結姫はずっと、似たようなことを言ってくれてたのにね。余命が迫ってこないと、僕は言いだすこともしない。本当に、僕はバカだ……」

 「私も、反省するところが一杯ある。惺くんに生きたいって思わせてみせる。そう宣言したのに、ゆっくり変化してもらえばいいやって……。(ぬる)いこと考えちゃってた」

 結姫は立派だと思うけど……。

 それを言っても、きっと結姫は納得しないんだろうなぁ。

 お互い、完全なんかじゃない。完全な人間なんて存在しないって聞くし……。

 それなら気になったところを互いに、対等に指摘して直し合うべきだったんだ。

 十六年間、一緒にいたのに……。小学生の頃と変わってなかったよ。

 どれぐらい、身を寄せ合ってただろうか。

 互いの気持ちの整理がつくまで、かなり長かった気もするし、あっという間だったようにも感じる。

 落ち着いた僕たちは、いつもより心なしか距離を離してシートに座り直した。

 だけど、結姫の柔らかく温かな手だけは重ねられたまま。

 こういう時、どう話しかけたらいいんだろう?

 結姫の態度をとか、笑顔のためにじゃない。

 自分がどうしたいのか、結姫と何を話したいのか考えるんだ。

 「……一緒に生き残れたら、最高だよね」

 そう、僕は都合のよすぎる夢物語を口にしていた。

 だけど、それが素直な感情だった。

 「……何でも取引できるお店って、言ったよね?」

 「ああ、うん。カササギは、確かにそう言ってた」

 現に、結姫の失われるはずだった命も救われてる。

 何でも取引できるというのは、嘘じゃないはずだ。

 「だったらさ――惺くんが失った寿命も、取引できるかもしれないよ」

 「……え。でも、取引材料とか、対価が……」

 僕の場合は、取引材料に寿命を差し出した。

 命の取引には当然、命を――……。

 待てよ……。

 おかしい。

 僕は――一度でも、カササギから命を差し出せって、取引で提示されたか?

 いや、されてない!

 いつも僕が勝手に命が等価だと思い込んで、余命を差し出してただけだ!

 「盲点だった……。結姫の命も、僕の命も助かる道、もしかしたら……」

 「可能性、ある?」

 「ある、かもしれない」

 希望的観測かもしれないけど、可能性はゼロじゃない。

 おちょくる態度の彼なら、有り得る。

 「寿命まで戻してもらえるぐらい、お釣りのもらえる対価、一緒に探そうよ」

 公園の街灯に照らされる結姫の顔が、ニパッと輝いた。

 結姫……。