待ち()がれた、新入生入場の時がきた。

 在校生は花のアーチを左右で持ち、トンネルの中を新入生が渡っていく。

 席から少し腰を浮かし、次々と体育館へ入場してくる新入生を凝視する。

 待ち遠しくて、気がおかしくなりそう――

 「――いたっ!」

 結姫は満面の笑みで、花のアーチの中を渡っていく。

 ああ……。待望の瞬間だったんだね。

 花のアーチが見劣りするぐらい、本当に美しい笑顔だ。

 結姫はキョロキョロと周りを見渡していて――目が合った。

 口が『あっ』と小さく開き、小さく手を振ってきてる。

 あの様子を見る限り、どうやらスタートは順調だったらしい。

 本当に、良かった。

 祝辞やら何やら、長い式典が終わり新入生がまた花のアーチを渡り退場する時も――結姫は、涙目で満面の笑みを浮かべていた。

 その姿を見られたのは、ほんの一瞬だった。

 それでも、喜んでたのは間違いない。

 先の見えない病気に耐えて、乗り越えた甲斐があったね? 本当に、おめでとう。

 始業式と入学式の今日は、式典を終えたら下校だ。

 二年生に進級した僕は、二階から一階にある下駄箱を目指し歩く。

 本当に、いい一日だった――

 「――あ、惺くん! 発見っ!」

 と、締めくくるには早かったらしい。

 結姫の声に俯かせてた顔を上げると、階段の下でぶんぶん腕を振って待ち構えてる。

 隣には凛奈ちゃんも一緒にいた。

 急いで階段を降りると、凛奈ちゃんは小さく頭を下げてから顔を背ける。

 少しメイクをしてる? そっか、高校生だもんな。そういう年齢だよね。

 「惺くん、見て! どう、似合う? 似合うよね?」

 くるっと一回転して制服姿を見せつける結姫の 姿に、思わず顔が緩んじゃう。

 「当然、似合ってるよ。新しい制服」

 「やったね! 私、高校の制服を着て登校できたよ~! 有言実行ってやつだ!」

 「うん、うん……」

 去年の七夕の日。

 目の前の僕すら見えないで、呼吸が弱まっていた結姫の姿が浮かぶ。

 ヒュウヒュウと鳴る息、張りもなくなり、小さくなっていく声量。

 そんな結姫が、こんな元気一杯に笑ってるとか……。

 嬉しくて、おかしくなりそうだ。

 カササギと余命取引契約を交わした、一つの大きな目標を達成できたな。

 そう、『結姫に高校の制服を着て、入学式をさせてあげたい』って目標が。

 「最高の姿を見せてくれて、ありがとう。今まで生きていて、良かった。本当に、心からそう思うよ」

 人前で涙を流さない結姫に代わってさ……。僕が代わりに泣かせてもらうよ。

 「もう、すぐにそうやって言うんだから! ダメだよ、自分を二の次にしちゃさ!」

 潤んだ瞳で笑う結姫に、快活な声音で注意されてしまった。

 仕方ないじゃないか。これが僕の、心からの本音なんだから――

 「――気持ち悪い」

 冷たく嫌悪感を抱く声が耳に入った。

 「凛奈!?」

 「自分に自信がないから、結姫に罪滅(ほろ)ぼしで尽くしてるみたい……。見てられない」

 「もう、酷いこと言わないの。惺くんに謝って!」

 「……失礼しました、空知先輩」

 これ程に心がこもってない謝罪も珍しいな。

 そもそも、謝る必要なんてないよ。

 「僕は大丈夫。凛奈ちゃんが正しい。……自分でも気持ち悪いなんて自覚してるから」

 「惺くんっ!」

 結姫は、さっきまでの感動して喜ぶ姿はどこへいったのか、本気で怒り始めた。

 マイナス言動を結姫の前でしたら、輝かしい笑顔が失われると分かってたのに……。

 つい、心の内で抱えてる闇が飛び出しちゃった。

 どう笑顔を取り戻したものか……。

 「おっ!? 結姫ちゃんに、凛奈ちゃん!」

 よく通る爽やかな声が、階段の上から聞こえてきた。

 「あっ! 輝明先輩だ!」

 「高橋先輩、ども。また高校でも先輩後輩」

 「そうなるね! すげぇ嬉しいよ。二人とも制服が似合ってるな! お、凛奈ちゃん、メイクしてる? いいじゃん!」

 なるほど。

 これがイケメンの……結姫や凛奈ちゃんと相応しい男の会話か。

 僕みたいに、相手の笑顔を曇らせることもない。

 「うわ、輝明! もう後輩の子をナンパしてるん!?」

 「手が早いな~。え、二人ともメッチャ可愛いじゃん! どっちもタイプ違う系!」

 「黒マスクいいねぇ、メイクも決まってる。あっ、実はマスク美女とか?」

 「イメージ的に()(らい)系を意識した感じか。いいね、俺好きなんだよ~」

 輝明に続いて、陽キャ集団が次々と集まってきた。

 たちまち、結姫や凛奈ちゃんは話題の中心になっていく。

 結姫が困ってたら、殴られてでも止めに入ろうと思ってたけど……。

 「輝明先輩の友達ですか!? 私たち、小学校からの幼馴染みなんですよ!」

 なんて、早くも溶け込んで楽しそうにしてる。

 結姫は本当に人懐っこくて、(もの)()じもしないなぁ……。

 弾けるような結姫の眩しい笑みに、陽キャ集団の放つ明るい空気。

 凄く調和が取れてるというか……お似合いだ。

 「そうそう、昔は一緒に遊び回ってたよな。体調崩して遊べなくなったけど、復活するとか、すげぇよ。本当、昔から頑張り屋だったからな。実を結んで、良かった」

 「私の粘り勝ち! 病に負けてたまるかって、弱音を口には出さなかったよ!」

 「うんうん、偉い偉い」

 「ありがとう! もっと()めてくれても、いいんだよ?」

 僕は遠くから元気に動く光を眺めてるだけで満足。

 遠い夜空に輝く流れ星を下から眺める傍観者で充分だ。

 少なくとも今は、結姫は僕と話すべき時間じゃないと思う。

 一人、下駄箱を抜けて下校していく。

 別に今さら、心も痛まない。

 結姫が楽しそうだから、それでいいんだ。

 輝明とも、また仲良く話して笑ってた。

 だから、いいはずなんだ……。

 それなのに、だ。

 輝明に向けて笑う結姫の表情を見て、スッキリしないのは――何でだ?

 「……最高の一日だった。念願だった高校の制服に身を包んで、幸せそうに笑う顔」

 余計なことを考えて、目標を見失うな。僕は、結姫が笑えればそれでいいんだ。

 あの不思議な店でカササギと出会わなければ、夢でしか見られなかった光景だ。

 結姫の心から喜ぶ笑みは、心に刻まれて一生消えない。

 それ程に感動的で、心が震える瞬間だった。

 あの幸せを、失わせたくない。

 「――あと、三ヶ月後か」

 また、七夕がやってくる。

 お試し期間が終了したら、次の取引では……。

 まずは契約終了にならないよう、結姫の笑顔を絶対に守らないとな。

 そのための方法に思いを巡らせながら、一人自宅への道を歩き続ける――。