三月九日。

 結姫の寿命まで残り四ヶ月。

 そんな今日、アルバイトを終えて戻った僕のアパートには

 「――惺くん、誕生日おめでとう~!」

 パンッと、真っ暗な部屋にクラッカーの音が鳴り響いた。

 バイトが終わって帰宅するのを結姫が待ち構えてくれてたのには驚かされたよ。

 「蝋燭だけじゃなくて、せめて電気はつけよっか」

 「反応が鈍いよ~! おめでたい日なのに!」

 「わぁ、結姫が笑ってくれて嬉しいな」

 「棒読み! 自分のことを喜びなさい!」

 そんなことを言われてもな……。

 僕としては少し、今は自分の誕生日がくるのが憂鬱なんだ。

 結姫へ渡せる寿命が、目に見えて少なくなる気がする。

 「ふっふっふ~。さすがの惺くんも、これを見たら喜んでくれるはずだよ!」

 抑揚のついた声で言いながら、結姫が電気を灯し――

 「――え、まさか……」

 火のついた蝋燭を立てた小さなホールケーキ。

 明らかに不格好な姿から、まさかを連想せずにはいられない。

 「そう、今年は元気になったからね! 私の手作りケーキです! 喜びたまえ!」

 「…………」

 「あの、惺くん? その、形はアレだけどさ、お母さんと作ったから……。味は平気だよ? だから、その」

 「……ありがとう。本当に、本当にありがとう」

 あの結姫が、ケーキを焼いただって?

 病気のせいで長く立ってられないし、毎食ご飯を食べるだけで精一杯だった結姫が……。もう言葉にならないぐらい、嬉しいよ。
 「え!? 泣く程!?」

 「泣く程」

 即答だ。

 僕の誕生日とかじゃない。

 結姫の成長と元気になった姿が、泣く程に嬉しい。

 「いや、あの……。う、うん! そこまで喜んでもらえると、惺くんのためにって頑張った私も嬉しいかな!」

 「ごめん、また僕のせいで嫌な空気にしてるね」

 「はい、マイナス思考ストップ! 自分のせいとか止めようか。今日は美味しくケーキを食べて、素直に祝われるイベントだよ! 私の誕生日もそうだったんだから惺くんも一緒!」

 そうだね。素直に、結姫が笑顔になれるよう祝われようか。

 今日は、そういうイベントだ。

 「それじゃ、切り分けるよ~」

 「あ、それは僕がやる」

 「何で!?」

 「結姫に刃物とか、背筋が凍る」

 手を切らない子供用の刃物とか、うちにはないから。

 おばさん程、見てるのが上手い自信もない。

 見るからに不満そうな結姫を尻目に、台所から包丁を持ち出しケーキを等分する。

 お皿に盛ってあげると、パァッと聞こえるような弾ける笑みを浮かべて……。

 やっぱり結姫は、喜怒哀楽がハッキリ表情に出て面白いな。

 よく笑い、よく怒り、よく哀しむ。

 ただ、哀しみだけは表 に出しすぎないようにしてるのが気がかりだけど。

 僕も結姫のケーキを口にして――

 「――嬉しい」

 「そこは美味しいじゃないかな?」

 「美味しいし、嬉しい」

 「まぁ合格点ってことにしてあげよう!」

 確かに、本来なら手作りケーキをご馳走になったら美味しいが一番に口を突いて出るべきなのかもしれない。

 だけど、結姫が作り上げたケーキを口にできるという事実に『嬉しい』が先にきてしまったんだから仕方ない。

 こうやって、やりたいことをできる時間が永遠に続いてほしいと願ってしまう……。

 結局、二人で談笑しながら一ホール全て食べきった。

 誕生日祝いというムードも薄れてきた頃に

 「あ~。惺くんに年齢が追いついたと思ったら、また離されたなぁ」

 当たり前のことを結姫が口にした。

 これで僕は十六歳。結姫は十五歳。

 来年の十月まで、数字上は僕の年齢が一個上になる。

 だけど

 「年齢なんて、ただの数字だよ」

 「うわぁ~。大人の余裕だ」

 「本音だよ。……何年生きても、何となく無駄に年月を重ねるだけの人もいる。逆に、一分一秒が貴重で尊い人だってね」

 「惺くん? 私が暗い話を振ったのが悪かったね! うん、ごめんね!」

 そんな暗い雰囲気にするつもりじゃなかったんだけどな。

 結姫の一分一秒を大切にしたい。そう伝えたかったんだが……。

 今日は急で何も用意できなかったけど、結姫にできることを、また探さないとな。

 たとえ、僕がどうなろうとも。

 「これからも一緒に歳をとっていこうね! 来年も、その先も、ず~っと一緒に二人の誕生日を祝いたいね!」

 「一緒に、ずっとか……」

 僕の寿命を毎年、結姫に渡し続けたとして――結姫は、何歳まで生きられる?

 平均寿命が八十歳と考えれば、半分渡しても一緒に過ごせるのは残り三十数回か。

 それは、あっという間なのかもしれない。

 たったそれだけしかないとも感じる。

 一番の望みは結姫に全ての余命を渡すことだけど、あの胡散臭いカササギが簡単に最も望む取引に応じてくれるかな。楽観視はできない。

 それでも、だ。

 「絶対、結姫が何年でも笑い続けられるようにするよ」

 本命の取引を引き延ばされてでも、結姫が命を失う結果には絶対させない。

 「……なんか、ね。時々、惺くんの私への接し方にさ、違和感があるんだ」

 「え……」

 全身の血が逆行してるような……。

 視界が真っ白になるような感覚がする。

 まさか僕は、結姫に不快な思いをさせてた?

 結姫の笑顔を奪うぐらいなら、もう僕は近付かない方が……。

 「何て言えばいいんだろ? 何か変というか、おかしいというか」

 「変、おかしい……?」

 「前々から少し感じてたけど、特に私が病気治ったあたり からかな? 鬼気迫ってるみたいな。絶対治らないって言われてたのに治ってるのも不思議だし、前より心配させちゃってるのかな?」

 それは、カササギと取引をしたからだ。

 結姫の笑顔を失わないようにとは、確かに焦って常に考えてる。心当たりはある。

 だけど、その前からも違和感を感じてたって……。それは何で、何にだろう?

 「一緒にいる時は楽しそうだけど、パッと見ると不安そうに私を見てたりさ」

 「……結姫が僕といて、幸せに笑えてるかなってさ」

 「じゃあ時々、悲しそうにしてるのは?」

 「…………」

 バレていたのか。結姫の笑顔が、もし失われたら。もう笑顔を見られなくなったらと、少しでも想像すると、悲しくなってた。

 結姫に心配や負担をかけたくない。

 ミスをしていた。僕は、何て誤魔化せばいい?

 考えろ、結姫の笑顔が失われないうちに、早く考えろ……っ。

 「あ、ごめん! 誕生日によくないよね! 今日は辛気くさい話はなしだ! 反省して、時と場合を考えた発言をしようと思います!」

 また、痛々しく無理やりポジティブに変換したような笑みを浮かべてる。

 違うんだよ……。それは、結姫の本来の輝きじゃない。

 病気を抱えて結姫が孤独だった時はともかく、だ。

 自由を得た結姫にとって、今の僕はお荷物でしかないな。

 本気で結姫が笑えるなら、それでいい。隣にいるのが僕である必要はない。

 もしカササギが持ってる瓶の輝きが、結姫の笑顔と同じように消えてしまったら。

 結姫は――この世を去ってしまう。そんなことは、認められない。

 結姫が本音を(さら)け出して心から笑えるように、もっと方法を考え続けないと。

 「あ、もう時間が!? ごめん、そろそろ帰らないとだ!」

 「……うん。おばさんたちが心配するからね。送ってくよ」

 「ありがとう! 惺くん、紳士だね~?」

 「車道側を歩かないでくださいね。美しい妹さん」

 からかい交じりに言う結姫に、僕も笑えるよう冗談で答えるべきだろう。

 正解だったのか、結姫は楽しそうに笑いながら家まで歩いてくれた。

 まぁ、 本気で車道側を歩いてほしくなかったんだけどね。

 軽傷でも事故に遭ってケガをしたら笑えなくなり、命に関わるかもしれない――。