二月の末。

 結姫の寿命は、残り四ヶ月ぐらいにまで迫ってきていた。

 今日は――結姫が一番に望んだ志望校の合格発表がある。

 大丈夫だ。ここで合格が決まれば、きっとカササギも満足して向こうから契約の延長を申し出るような最高の笑顔が見られるはずなんだ。

 もし落ちたら、そこで笑顔も途絶えるかもしれない。

 そんなことになれば、お試し契約が打ち切られ――結姫は命を落とすかもしれない。

 そうならないために、万が一不合格だったら 、どう結姫を励ませばいいのか。

 代わりになる楽しみを用意できないか。

 対策を考えたり不安で眠れないまま、いつもより早く登校をする。

 朝一番。授業開始時間よりも、かなり早くから合格者が貼り出される。

 結姫は一緒に受験をした人と、開門と同時に見に行くらしく別行動だ。

 狭山高校の正門前に貼り出される掲示板前で落ち合うことにはなってるけど……。

 試験本番は、何があるか分からない。結果が出るまで、安心なんてできない。

 「万が一が起きてたら、どうしよう……」

 泣いて結姫の笑顔が曇ったら……。そう思えば、自然と早足になってた。

 メガネのレンズが荒い息で曇って前が見えにくいけど……。自分の通う学校だ。

 近付けば勝手に足が動く。

 多少見えなくても、今は急ぎたい!

 人でごった返す正門を潜ると――両腕をギュッと胸で抱える結姫の姿が目に入った。

 まさか……。まさか、まさか!?

 「……結姫?」

 「惺くん……」

 目に涙を湛え、零れ落ちないように耐えてるような表情。

 これは、もしかして――……。

 ダメ、だったのか?

 自分が受験に失敗した時、母さんの絶望に震えた表情を思い出しちゃう……。

 そんな……。結姫がやりたい、一番のことが、この高校に進学することだったのに……。

 家庭教師役をした、僕のせいだ。僕は、また期待を裏切ってしまったのか?

 だとしたら、やっぱり僕は……僕が大嫌いだ。

 グルグルと頭が巡って、目眩がしてきた。

 「結姫、その……」

 何とか失敗を取り戻して、結姫を笑顔にしないと……。

 そうじゃないと結姫の命が……。

 もうベッドの上で苦しみながらも強がって微笑む結姫を見たくない。

 あんな辛い思い二度とさせたくない!

 どんなことでもいい。

 声をかけないと――

 「――あった」

 「……え?」

 「私の受験番号、あったの!」

 受験番号が、あった。

 つまり――合格したってこと?

 「じゃあ、何でそんな、今にも泣きそうな表情を?」

 「嬉しくて……。病院で最期を迎えようとしてたのを思い返すとね。まるで夢みたいに嬉しすぎて、勝手に顔がさ……っ!」

 「嬉しくて、か。そっか」

 笑うだけが、嬉しさの表現じゃないってことか。

 良かった。本当に良かったね……。

 これも、一つの輝きだ。ちゃんと見てるかな、カササギ?

 ずっと病気と闘い続けて、遅れを取り戻すように勉強を頑張った子の歓喜する姿を。

 これは――あなたが求める、美しい生き方で合ってるよね?

 「惺くん、春からは先輩後輩だね!」

 「うん……。うん、そうだね」

 そっか……。

 制服を着て元気に高校へ通う結姫が見られるのか。それは、最高の未来だな。

 「もう、惺くんが泣いちゃダメだよ?」

 「ごめん……。情けないよね」

 「情けなくはないよ! もう、自分を悪く言うクセ、一緒に直していこう?」

 折角の嬉しい日なのに、嫌な感情にさせちゃったかな?

 口に出すのは控えないとか。

 「惺くん。春から、また後輩になるのは私だけじゃないよ~!」

 「……え?」

 「ほら、ずっと隣にいるじゃん!」

 「隣……」

 結姫の隣にいる女の子。

 雰囲気に見覚えはあるけど……。

 黒マスクにマフラーで、俯いてて顔が見えない。

 だけど結姫と同じ制服ってことは……。僕と同じ中学の一個下だよね。

 「一年ぶり――いえ。話すのは、もっとですかね。空知先輩」

 「え……」

 確かに聞き覚えのある声。――いや、よく聞いていた声だ。

 顔を上げると少し(うれ)いを帯びたような、どこか虚ろな瞳も見えた。

 以前より身長も伸びてるけど、この特徴は……。

 「まさか、佐々木凛奈ちゃん?」

 「……そうです」

 少し病んでるように見えるのは、黒いマスクとかのせいかな。

 受験疲れだとは思うけど、目にも力がない。

 それにしても、どうしよう……。初対面の人より、逆に話しづらい。

 「あのね、惺くん! 凛奈とは最近ね、またよく話すようになったんだ!」

 「……ずっと話しかけてなくて、ごめん」

 「いいって! 部活があれば、そっちの人間関係が中心になるのは当然なんだから!」

 「……うん」

 確か中学校時代は、バドミントン部に所属してたんだっけ?

 その後のことは、僕もすぐに帰宅してたし結姫からも聞いてない。

 「凛奈もね、狭山高校を一緒に受けたの! 二人とも合格!」

 「…………」

 「春からは高校でも先輩になりますね。……適度な距離感で、よろしくお願いします」

 昔、仲が良かった四人が――また、同じ学校に(そろ)う。

 それなのに、何でだろう?

 小学校の頃みたく、楽しみでも何でもない。

 成長して、それぞれが別の道を歩んでるってことなのかな……。

 凛奈ちゃんも昔みたいに親しげな接し方じゃなくて、言葉にもトゲがあって僕を見る目も冷たいしね。

 結姫以外と話そうともしない陰キャに成長した僕だ。扱いとしては、こんなもんだろう。

 むしろ、声をかけてくれたことに感謝するべきか。

 「もう! 凛奈、幼馴染み同士なのに堅苦しいよ~!」

 「……運動部の習慣っていうか、どうしても空知先輩にはっていうか」

 「ん~。久し振りでどう接していいか分からないんだろうけど、また仲良くいこう!」

 「……そう、だね」

 目線をふいっと逸らしながら言われてもな……。

 そもそも、学年が違うから接する機会も少ないだろう。

 「私の紹介方法とかタイミングが悪かったかな? いや~反省反省!」

 少しだけ哀しそうにしながらも、結姫は無理やりに前向きな言葉を口にする。

 こういうところは、病気をしていた時に周りを心配させないように身について、クセになったんだろうな。

 少し痛々しくて……胸が苦しい。

 そんな気遣いをさせたことが申し訳ない。

 結姫のせいじゃないからって、無理してるのを止めなきゃ……。

 凛奈ちゃんに頭を下げると、気まずそうに目を伏せられた。

 「惺くんは、これから授業?」

 「あ、ああ。うん。そうだね」

 「そっかぁ。もしかして、私の合否が気になって早く登校してくれた感じかな~?」

 「当然」

 僕が即答すると、からかう口調だった結姫が、打ちのめされたように瞳を右往左往させながら慌て始めた。

 頬も赤いし、そんなに予想外の返答だったのかな?

 「そ、そっか。うん、ありがと……」

 「別に、お礼を言われることでもないよ」

 家族のように想う結姫に僕が尽くすなんて、当たり前で今さらだ。

 凛奈ちゃんは結姫の手を取り、クイクイと引いた。

 二人が仲良くしてた小学生時代の光景と重なる。何だか、胸が熱くなるな……。

 「結姫、そろそろ合格書類取りに行こ」

 「あ、え? うん! 本当、ごめんね惺くん!」

 「気にしないで。……これからは僕なんかより、大切にするものがあるはずだから」

 そう。僕はもう、一生分の幸せを結姫からもらった。これ以上なんて望まない。

 高校合格という丁度良い機会に、結姫は自分に合う将来の幸せを手にするべきだ。

 だけど結姫は、僕の言葉が不満だったみたいで……。

 明らかにムッとした表情を浮かべながら「ほら、早く行く」と凛奈ちゃんに引きずられていった。

 最後に振り向いた凛奈ちゃんの目からは、明らかな怒りや憎しみを感じた。

 背筋がゾッとするぐらいの圧だったけど……。

 「仕方ないよね……。四人の仲を崩したのは、僕が無能で裏切ったせいだから」

 僕が優秀だったら、両親だってあれ程は周囲に当たり散らさなかったはずだ。

 もしかしたら皆は、受験が成功して終わるのを期待して待ってたのかもしれない。

 それなのに僕は――皆の期待を裏切った。

 その後も、皆と関わって傷付けたらと自分から話しかけようともしてないからな。

 家庭も崩壊させ、幼馴染みの子たちにも深い傷を残して去る。

 改めて考えてみても、我ながら情けないな……。

 まぁ今さら言っても仕方ないし、命の有効な使い道も得られたからいいけどね。

 そんなことを考えながら、校舎の方へ顔を向け――

 「――結姫ちゃんも凛奈ちゃんも合格したんだな。マジで良かった」

 「……ぇ」

 輝明の声だ。

 いつかのように、またしても――すれ違い様。

 顔すら見ることもなく話なんてしてないかのように輝明は僕の横を通り過ぎていく。

 今日は、懐かしの四人が揃ったはずなのに……。

 何で、こんなにも違和感が強いんだろうな。

 全く「昔のようだ」なんて嬉しさも感じない。

 僕自身が声をかけなくなったり、生きる道が変わりすぎちゃったからかな……。

 僕が四人をバラバラにしちゃった。もう楽しかった過去に戻れることはないんだな。

 その日の昼休み、そして放課後も――メッセージの返信に追われていた。

 結姫から

 『さっきのはないよ? 僕なんかじゃない。新しい友達も惺くんも大事なんだよ!』

 『何度でも何回だろうと永遠に言い続けるけど、自分のことも大切にして!』

 といった感じのメッセージが止まらなかったからだ。

 結姫からすると、僕から離れるよう促す言葉が気に入らなかったみたいだ。

 「……何度でも、何回でも、永遠に、か」

 そうなるためには、そもそも結姫が生きなければならない。

 僕も、生き残らなければいけない。

 だけど余命取引というシステム上、それが無理なのは分かってる。

 そもそも結姫が本来の通り亡くなってしまえば、絶対に言ってもらえなくなるんだ。

 「馴染みが揃う、念願の高校生活。新たな門出……」

 僕の役割は、最高の新生活だって笑えるよう、結姫を支えることだ。

 他にやれることなんて、この寿命を渡すことぐらい。

 それが僕の恩返しにして、最大の願いだ。

 高校の制服を着たいと言ってた、結姫のやりたいことが一つ叶った。

 結姫なら、きっと輝かしい未来が待ってる。

 新しい友達もすぐにできるはずだ。

 結姫にだけは、また輝明や凛奈ちゃんとも昔通り仲良く笑ってもらいたい――。