夏休みが終わって学校が本格的に始まり、秋も深まるはずの十月に入ったころ。
 未だ辛抱強く空を駆け抜けるアブラゼミの声を聞きつつ、僕らは先々月も登った坂を歩いていた。

「いやーにしても、あっちいなあ」

「ほんとだよね。もう十月になるのに」

「天気予報では今週も最高気温は三十度前後らしいよ。まだまだ残暑は続きそうだ」

「どうせなら夏休みも続いてくれればいいのにな」

「龍くん、さすがに夏休みの補習で出た課題プリントはぜんぶ終わったよね? 先生から先週呼び出されてたみたいだけど」

「もちろん残ってるよ。当たり前だろ?」

「いや、当たり前じゃないと思うけど」

 口から出るのは相変わらずなんてことはない話ばかり。そこに大きな声で突撃してくる明るい彼女がいないのは寂しいけれど、少しずつ僕らは立ち直ろうとしていた。
 道中で買ったスポーツドリンクも飲みつつ先週とは違う舗装された坂道を登り切ると、少し離れたところにお墓の竿石が見えた。

「あったな。ここでいいんだよな?」

「ああ。そのはずだよ」

 僕らはそれぞれの手に彼女からの手紙と花を持ち、墓地へと入っていく。周囲には赤や黄色にやや色づき始めた木々がこれでもかと生い茂っており、葉擦れの音が僕らを出迎えていた。
 紬未が亡くなってから約二ヵ月後。心の奥底にまで溜め込んでいた涙を枯らした僕らは話し合い、納骨を終えた紬未の墓に墓参りをしに行くことにした。
 理由はそれぞれ、様々にあった。

「やあ、紬未」

「久しぶりだね、紬未ちゃん」

「久空、来たぞ」

 先に紬未の実家に立ち寄って挨拶を済ませ、教えてもらったお墓の前に立つと、僕らは挨拶を口にした。
 夏のころと大差ない太陽に見守られながら僕らは顔を見合わせ、小さく頷き合う。
 まずは山下さんが、ゆっくりと前に出て花を供えた。

「紬未ちゃん。私ね、今も龍くんと仲良くやってるよ。相変わらずな龍くんだけど、毎日とっても楽しいの。紬未ちゃんが言ってくれた優しさを大切にして、あとこれからは厳しくする優しさも持っていきたいなって思ってます」

「え、初耳」

「藤田、黙ってなよ」

「そうだよ、龍くん。静かにして」

「うわあ、厳し」

 山下さんは丁寧に、紬未の墓に向かって語りかけていた。
 紬未が好きだと言ってくれた優しさを、もっともっといろんな形にして、大切にしていくのだと誓っていた。当面の目標は厳しくする優しさで、その対象は藤田らしい。どうやら甘やかすばかりではないようだった。
 そんな小さかったはずの山下さんの背中は、前よりもずっと大きく見えた。

「はい、お待たせしました。次は龍くんね」

「ほい来たー。少しそこで嫉妬しながら待っててな、湊也」

「うるさいな、早く行ってこい」

 僕が軽く彼の背中を押すと、藤田は嬉しそうに笑った。そして山下さんと同じように、おもむろに花を墓前に供えて、口を開く。

「久空。お前の言葉、ぜんぶ身に沁みたよ。俺って人への気にかけがアンバランスみたいなんだよな。特に身近な存在になると余計に。これからはしっかり、真奈美の気持ちを気にかけて寄り添っていきたいと思う。あと、久空に頼まれた親友の湊也もな」

「いつ親友になったんだっけ」

「ずっと前からだが?」

「初耳だな」

「もうー森川くん、今は龍くんの番だから静かに、ね?」

「おい真奈美、俺の時と扱い違い過ぎないか!?」

「嫉妬するなよ、藤田」

 お墓に似合わない笑い声がこだます。やっぱり、四十九日の納骨とずらして良かった。この僕ららしいテンションは、まだ他の人には見せられないから。
 藤田はそれから言葉多めに僕への気遣いを頑張ることを宣誓していた。言葉多きは品少なしということわざを今度教えてやろうと思ったけれど、きっと紬未は満足しているだろうからやめておこうと思った。
 こんな友達、もとい親友を持てて、僕は幸せ者だ。

「ほら、待たせたな。大トリは湊也だ。行ってこい!」

「頑張ってね、森川くん!」

「そんな気張ることでもないけど」

 照れ隠しを口にしつつ、僕は改めて彼女の墓を見やった。
 夏の残滓を含む秋の陽光に照らされて、キラキラと輝いて見えた。
 それはまるで、紬未が僕を見て笑っているようだった。
 だから僕も小さく笑いかけて、そっと花を供えた。

「紬未、久しぶり。ここに来るまで言いたいことがたくさんあったんだけど、いざ本番となるとなかなか出てこないものだね」

 伝えたいことは、本当にたくさんあった。
 宝物探しの記憶のことも、楽しかった紬未との日々のことも、僕が抱えて伝えられなかった好意も、紬未からもらった手紙についても。本当にいろいろとあるのだ。でも言葉や感情が渋滞していて、口からは渇いた息が漏れるばかりだった。
 僕はひとつ息を吸って、吐いてから、もう一度前を見る。

「紬未、まずはありがとう。僕は紬未や藤田、山下さんのおかげで、ずっと目を背けていたトラウマを乗り越えることができた。今度の文化祭でね、卒業アルバムのためのカメラマンを担当することになったんだよ。僕だけじゃ、ここまで来られなかった。そのきっかけを作ってくれた紬未には、感謝をしてもし足りない。楽しい思い出をくれたことにしてもそうだ。一緒に埋めた宝物を大切にしてくれていたことも、手紙でたくさんの想いや言葉をくれたことも、本当にありがとう」

 目を閉じれば、今も鮮明に紬未との思い出がまぶたの裏を駆け巡る。
 紬未の声が、すぐ近くから聞こえてきそうな気配すらしてくる。
 僕は、ゆっくりと目を開けた。

「僕も紬未のことが、大好きだ。紬未は手紙を読んだら忘れてとか書いていたけれど、無理だよ。僕はこの恋を、ずっと忘れられない。でも安心して。引きずるつもりも、ないから。紬未との思い出を胸に、僕はしっかりと前に進んでいくから。そしていつかまた、一緒に笑おう」

 今、僕が浮かべられる精一杯の笑顔を向けた。
 また視界がにじみそうになって、慌てて僕は上を向いた。
 紬未はそんな僕を見て、「ソウくんってじつは泣き虫なんだね~」なんて笑いながらからっているかもしれない。
 でも、それでいい。
 そんな紬未を想像すると、僕の心も温かくなるから。楽しくなるから。
 僕は笑う、笑えるよ、紬未。
 楽しいときは楽しいって、思えるようになったよ。

「それじゃあ、また来るから。またね」

 僕は目元を拭ってから、振り返る。
 笑顔を浮かべた藤田に肩をたたかれ、やや目を赤くした山下さんに小さく頷かれた。

「ははっ、さ、行こうか」

「ああ!」

「だね!」

 僕らは笑い合って、もう一度紬未の墓に手を振った。

 ――またねーーー!

 紬未の笑い声が、すぐ近くで聞こえた気がした。
 僕らはまた、大きな声で笑った。
 希望の種の芽生えを、感じとりながら――。