翌日、塚原先生が休んだ。
代わりにやってきた先生が、「ご家族に不幸があって」と言った。
そうか、だったらいま大変なときなのかもしれない。秀一郎さんだって、きっとそばにいるのだろう。
ぼくに返事なんてする余裕はないに違いない。
なんだか自分が甘えたやつだった、と反省した。こんなクラスの連中にからかわれているくらいのことで、気落ちするなんて。
そういうふうにできるだけ強がって、なにごともなかったように過ごした。
いったい誰が差別してオッケー認定したのかわからなかったが、この一挙手一投足を、みんなに監視されているような状態は、心地いいものではない。どこか学校にいるあいだ緊張してしまい、どっと疲れる。
もうとにかくやりすごすよりあるまい、と覚悟を決めて、できるだけ物事を深刻にしないように努め、学校から帰るとすぐに寝た。そうするより他なかった。寝るのが一番だ。
こういうとき、深く考えているように一見思っても、ただ問題の周囲をぐるぐる回っているだけで、なにも考えたことにはならない。
つらい時期というのはその最中はろくな打開策なんて湧いてこない。一度距離をとって眺めるしなかない。
週末になり、もう一度秀一郎さんにラインした。
『いま忙しいですか?』
やはり返事がこなかった。
しかしその代わり、思いがけない連絡がやってきた。
豊からだった。
『今日、練習終わりに会えないか』
いままた二人でいるところを誰かに見られたら、ややこしくなるな、と思った。
会いたいな、と思っても、踏み出せない。
『今日はちょっと無理かな』
と返事すると、
『いや、今日どうしても会えないかな。時間はいつでもいい』
とすぐにきた。
そんなふうに言われたら、断るなんてできなかった。
夕方の学校に向かうと、グラウンドではまだアメフト部員が練習をしていた。ヘルメットをかぶっていても、すぐにどれが豊かわかる。
そして女の子たちが遠くで練習を見ていた。応援しているんだか騒いでいるんだかわからないような感じだった。なんとなく気まずくて、ぼくはすぐに校門の外に出た。
あのグループのなかに、先日喧嘩になったクラスの女子がいた。
しばらく適当に歩いていると、すっかりあたりが暗くなってしまった。
豊から連絡もきて、ぼくらは公園で待ち合わせることになった。犬の散歩をしている集団が固まって話していたり、キャッチボールをしている親子がいたり、まだなんとなく、遊び足りない雰囲気だった。
どちらかといえば、ぼくは豊の顔が見たいのと同じくらいに、家に帰ってしまいたかった。しばらくたいして連絡をしたりしなかったのに、先週一緒に過ごしたことで、急に元の関係に戻ったような、気の緩みが起きている。それは、いま豊に迷惑をかけることになるかもしれない。
みんなが目を光らせている。
なにも自由になることなんてなかった。高校を卒業すれば、もう少し風通しが良くなるのだろうか。
大荷物で豊が走ってきた。
「待った?」
息を切らしながら豊が訊ねた。
「いや、なんかぶらぶらしてた」
そう言ってぼくは、愛犬グループのほうを見た。「犬って見飽きないよね」
「俺、犬の種類まったくわかんないんだよな」
「実はぼくも」
二人して笑った。
「犬は犬、猫は猫でいいじゃん」
「もうそれ、興味ないのバレバレだけどね」
ぼくらはベンチに座った。
「なんか××とあった?」
豊が言った。それは、例のぼくが喧嘩した女子の名前だった。
「まあ、あったっちゃああったけど、なんで」
「練習終わりに友達ひきつれて、急に告られた」
「は?」
さっきグラウンドで見た一団だ。
「断ったけど」
豊がさらりと、とくに感情もなく言った。
「そうか」
「そうしたら、急に言い訳だか忠告なんだか、急に平間エイジが粘着してるの黙っていいのか、とか言い出した。心配してるとかなんとか」
ぼくはそれを聞いて、何も言えなかった。あの女。
豊がぼくの顔を覗きこんで、
「粘着してるのはどっちかっていうと俺のほうだけど」
って言っておいた。
「なんだそりゃ」
驚いてぼくが豊を見ると、
「あの子たち大騒ぎしてたな。ホモなのとか。ホモっていまホモじゃないやつが言っちゃいけない言葉らしいぞって教えておいた」
「いや、そういうわけでなく」
「俺が好きなだけだから」
豊が言ってから、顔を背けた。
「うん」
ぼくらはしばらく黙って座っていた。
愛犬グループは解散となって、散り散りになっていった。
「いいの」
ぼくは言った。
「なにが」
「べつに悪口言いたいわけじゃないけどさ、あの人たち、とんでもない拡散力があるけど」
いいの
「そんくらいでぎくしゃくするとしたら、そんなのあっちの問題だろ」
「そうかな」
「そうだよ」
確信を持って言われ、ぼくはそのとき、豊に対して誠実に答えなくちゃいけない、と思ったものの、頭がパニックになってしまった。
豊はとくにぼくに何も求めず、立ち上がった。
「あのさ、今日、もっと他に用事があったんじゃないの?」
ぼくは言った。告白の前に、連絡があったのだ。
「会いたかったから、ごめんな」
と豊は言った。
「いや、うん。ぼくも会いたかった、っぽい」
「ぽい?」
豊が笑うと、
「ごめん、いまバグってる」
とぼくは泣き笑いの顔になっていた。
代わりにやってきた先生が、「ご家族に不幸があって」と言った。
そうか、だったらいま大変なときなのかもしれない。秀一郎さんだって、きっとそばにいるのだろう。
ぼくに返事なんてする余裕はないに違いない。
なんだか自分が甘えたやつだった、と反省した。こんなクラスの連中にからかわれているくらいのことで、気落ちするなんて。
そういうふうにできるだけ強がって、なにごともなかったように過ごした。
いったい誰が差別してオッケー認定したのかわからなかったが、この一挙手一投足を、みんなに監視されているような状態は、心地いいものではない。どこか学校にいるあいだ緊張してしまい、どっと疲れる。
もうとにかくやりすごすよりあるまい、と覚悟を決めて、できるだけ物事を深刻にしないように努め、学校から帰るとすぐに寝た。そうするより他なかった。寝るのが一番だ。
こういうとき、深く考えているように一見思っても、ただ問題の周囲をぐるぐる回っているだけで、なにも考えたことにはならない。
つらい時期というのはその最中はろくな打開策なんて湧いてこない。一度距離をとって眺めるしなかない。
週末になり、もう一度秀一郎さんにラインした。
『いま忙しいですか?』
やはり返事がこなかった。
しかしその代わり、思いがけない連絡がやってきた。
豊からだった。
『今日、練習終わりに会えないか』
いままた二人でいるところを誰かに見られたら、ややこしくなるな、と思った。
会いたいな、と思っても、踏み出せない。
『今日はちょっと無理かな』
と返事すると、
『いや、今日どうしても会えないかな。時間はいつでもいい』
とすぐにきた。
そんなふうに言われたら、断るなんてできなかった。
夕方の学校に向かうと、グラウンドではまだアメフト部員が練習をしていた。ヘルメットをかぶっていても、すぐにどれが豊かわかる。
そして女の子たちが遠くで練習を見ていた。応援しているんだか騒いでいるんだかわからないような感じだった。なんとなく気まずくて、ぼくはすぐに校門の外に出た。
あのグループのなかに、先日喧嘩になったクラスの女子がいた。
しばらく適当に歩いていると、すっかりあたりが暗くなってしまった。
豊から連絡もきて、ぼくらは公園で待ち合わせることになった。犬の散歩をしている集団が固まって話していたり、キャッチボールをしている親子がいたり、まだなんとなく、遊び足りない雰囲気だった。
どちらかといえば、ぼくは豊の顔が見たいのと同じくらいに、家に帰ってしまいたかった。しばらくたいして連絡をしたりしなかったのに、先週一緒に過ごしたことで、急に元の関係に戻ったような、気の緩みが起きている。それは、いま豊に迷惑をかけることになるかもしれない。
みんなが目を光らせている。
なにも自由になることなんてなかった。高校を卒業すれば、もう少し風通しが良くなるのだろうか。
大荷物で豊が走ってきた。
「待った?」
息を切らしながら豊が訊ねた。
「いや、なんかぶらぶらしてた」
そう言ってぼくは、愛犬グループのほうを見た。「犬って見飽きないよね」
「俺、犬の種類まったくわかんないんだよな」
「実はぼくも」
二人して笑った。
「犬は犬、猫は猫でいいじゃん」
「もうそれ、興味ないのバレバレだけどね」
ぼくらはベンチに座った。
「なんか××とあった?」
豊が言った。それは、例のぼくが喧嘩した女子の名前だった。
「まあ、あったっちゃああったけど、なんで」
「練習終わりに友達ひきつれて、急に告られた」
「は?」
さっきグラウンドで見た一団だ。
「断ったけど」
豊がさらりと、とくに感情もなく言った。
「そうか」
「そうしたら、急に言い訳だか忠告なんだか、急に平間エイジが粘着してるの黙っていいのか、とか言い出した。心配してるとかなんとか」
ぼくはそれを聞いて、何も言えなかった。あの女。
豊がぼくの顔を覗きこんで、
「粘着してるのはどっちかっていうと俺のほうだけど」
って言っておいた。
「なんだそりゃ」
驚いてぼくが豊を見ると、
「あの子たち大騒ぎしてたな。ホモなのとか。ホモっていまホモじゃないやつが言っちゃいけない言葉らしいぞって教えておいた」
「いや、そういうわけでなく」
「俺が好きなだけだから」
豊が言ってから、顔を背けた。
「うん」
ぼくらはしばらく黙って座っていた。
愛犬グループは解散となって、散り散りになっていった。
「いいの」
ぼくは言った。
「なにが」
「べつに悪口言いたいわけじゃないけどさ、あの人たち、とんでもない拡散力があるけど」
いいの
「そんくらいでぎくしゃくするとしたら、そんなのあっちの問題だろ」
「そうかな」
「そうだよ」
確信を持って言われ、ぼくはそのとき、豊に対して誠実に答えなくちゃいけない、と思ったものの、頭がパニックになってしまった。
豊はとくにぼくに何も求めず、立ち上がった。
「あのさ、今日、もっと他に用事があったんじゃないの?」
ぼくは言った。告白の前に、連絡があったのだ。
「会いたかったから、ごめんな」
と豊は言った。
「いや、うん。ぼくも会いたかった、っぽい」
「ぽい?」
豊が笑うと、
「ごめん、いまバグってる」
とぼくは泣き笑いの顔になっていた。