教室に入ったとき、鋭い視線がぐっと集まった。
「おはよ」
 と言ってもくすくすと笑っているやつがいたり、無視するやつがいたりと、なんだかおかしい。
 席に座っていると、いつも話をしている友達が、じっとぼくを見ていたので、何かと思い「なんかあった?」と声をかけたら、慌てて顔を逸らし無視された。
 完全に、ぼくのしらないところでなにかが起きている。
 机のなかに紙が入っていた。
 開いてみると、
「ホモ、キモいからくんな」
 とでかでかと、しかもわざわざ極太明朝体でプリントされてあった。
 あまりのことに、じっと見てしまった。
 周囲のざわめきがぐっと大きく、そしてねばっこく肌に触れてくる気がした。
 チャイムが鳴り、塚原先生が入ってきた。
 何事もなく授業が始まる。ぼくもべつに、気にせずに教科書をだした。こういうときに、ちょっとどもいつもと違う行動を起こしてしまったら、めざとく見つけられ、ネタにされているに決まっているからだ。

 昼休み、教室にいることもできず、ぷらぷらと歩いていると、「エイジ」と後ろから声をかけられた。振り返ると友達だ。
「なんだよ」
 ぼくが言うと、いいからちょっとこい、と手招きされた。やたらと周囲をきょろこきょろとさせている。
「なに」
「なあ、お前さ、あれなのか」
「あれってなんだよ」
「男好きなの?」
 真顔で問われ、さっきの謎の紙が、クラス全体でやっていることだとわかった。
「あの紙、誰がやったの」
「知らん」
 といきなり怯えたように首を振っているので、知っているのだろう。
「わかった。べつに三年だし、かまわんよ。全員に無視されるんならそれなりにやりすごす」
「なあ、ほんとじゃないよな」
「だからなんでそれ、やたら気にすんの」
「そうなのか」
 そう言ったときの友達の顔ときたらなかった。それは教室でにやにやと悪意丸出しでいる連中の顔よりも、ぼくにとってはぐざりと胸に刺された。
「なわけないだろ」
 と、本意でもないことを口にしたとき、いつまでこういうふうに嘘を重ねてくことになるんだろう、と思った。多様性なんていうものは、半径十メートルの世界では通用しないのだ。自分の枠外に向けて発するものでしかない。
 こんなふうに小さな失望を繰り返していく。
 嘘ついたら針千本飲まされ、地獄行きだと昔祖母に教わったけれど、こういう嘘をついたから地獄に落とされるなら、わりに合わない。
「だよなあ、なんか誤解してんだよ、みんな。おまえがアメフト軍団のボス猿に粘着ストーカーしてるとか言うけどさ、そんなの俺見たことねえし。そもそも女どものギャグだよなあ」
「女ども」
「昨日の夜急にラインで強制グルされて、なんかお前がキモいことしてるって言い出して」
「そうか」
 なんとなく、わかった。
 日曜に豊と歩いているところを、豊のことが気になる女の子が発見したんだか、見ていた奴が話したんだか、そういうことだろう。
 あまりにもばからしい、と思った。
 そして、あのとき、妙に浮き足立っていて、なにかがダダ漏れだったのかもしれない、と思うとサッと血の気が失せた。
 友達がスマホを開いたので、
「そんなグループ見たくない」
 とぼくは止めた。
「女ども、どうせすぐに別のことに頭がいっちゃうから、すぐに治るよ」
 友達に慰めるように言われたが、
「そうかな」
 と言った。女だけならたいして問題はない。関わらなければいいだけだから。男たちのほうがやたらネタにしたりしてくることのほうが面倒だった。
「そうだよ、うん」
 気をつけろよ、と言って友達が小走りで去っていった。関わりたくないのだろう。気持ちはわかるので、恨めしいなんて思わない。
「平間」
 教室に戻ろうとしたときだ。塚原先生に声をかけられた。
「はい」
「お前、大丈夫か?」
 先生にまで知れ渡っているのか? だとしたら大問題だ。こういうとき、先生に相談するのがいいのか、わからなかった。大人が入るとっやこしいことになることだってある。
「大丈夫です」
 ぼくは言った。
 塚原先生は、ぼくのことをじっと見て、そうか、とだけ言って去っていった。
 味方ではないけれど、気にかけてくれている人がいる、というだけで、ひとまずはよしとするしかない、と思った。
 ただ、やっぱり寂しい。味方がほしくなる。
 ぼくははじめて、秀一郎さんに、
『ども』
 とラインを送ったが、いつまでたっても既読にならなかった。